過去にあった悲劇や不運の類いはここでは語らない。
そして、来年から大学院生になると仮定してそれが手遅れだとも思わない。
それでも、深淵には自殺念慮がある。
前の日記で書いた、農業アイドルやブラック企業における過労死という、外面の地獄に身を晒したことはない。私は・・自滅だ。
強いて言うなれば、メディアが作ったイメージに引き金を引かれそうになったことはあるが、今は関係ない。
自殺は土俵を降りることであり、死んだら全てが終わり。そしていつか絶対に死ぬ。
それは確かに呪いではあるのだが、だからと言って、私の自殺を肯定する根拠としては薄弱だ。
(死んだら終わり、というものも本当は分からないのだが。)
お金があるにこしたことはない。物欲がない訳ではないから。
名声や社会的承認も欲しいのだろう。事実、他者に認められるとそれなりに嬉しい。
恋愛、結婚も出来るかはともかく、相手が見つかればしたいのだろう。性欲も恋慕の情も少しはある。
まとめると、現世的な利益への欲求は少なからずあるのだ。
そして、それらを満たす手段や方法も可能性が低いが、ゼロではない。
だが、それらがインセンティブとして機能しない。
学問をやっていく以上、そういう外発的な誘因だけでなく、知的好奇心という内発的な動機もある。
だが、何故だろう。
それらに触発されない。うつ状態と言えばそれまでだが、何かもっと根本的な所でそれらの価値を否定している。
いかに現世的な利益を享受したとしても、死後どころか生前にもそれは持続しない。
自分の生だけでなく、全てのものは終わるもの。
仏教的な生々流転という観点に立たなくても、それは理。
それを空しいと感じ始めたのは幼少期から。
ならば、覆すのは難しい。
むしろ、全身麻酔伴う手術によってその信念は強化された。
だが、ここまで書いてきて、収穫が見つかった。
終わるということを何度も書いてきたが、逆に、何が終わるのだろう。そして、終わらないとは何であろう。
死、それは確かに肉体的には化学組成が変わる。その意味では、確かに終わる。
だが、そもそも、生物はすべからく、絶えず、生成と消滅を個体レベルで繰り返している。
代謝とはそういうこと。
つまり、常に終わって常に始まっている。
この思索が何か私の役に立てばいいが。
そして、来年から大学院生になると仮定してそれが手遅れだとも思わない。
それでも、深淵には自殺念慮がある。
前の日記で書いた、農業アイドルやブラック企業における過労死という、外面の地獄に身を晒したことはない。私は・・自滅だ。
強いて言うなれば、メディアが作ったイメージに引き金を引かれそうになったことはあるが、今は関係ない。
自殺は土俵を降りることであり、死んだら全てが終わり。そしていつか絶対に死ぬ。
それは確かに呪いではあるのだが、だからと言って、私の自殺を肯定する根拠としては薄弱だ。
(死んだら終わり、というものも本当は分からないのだが。)
お金があるにこしたことはない。物欲がない訳ではないから。
名声や社会的承認も欲しいのだろう。事実、他者に認められるとそれなりに嬉しい。
恋愛、結婚も出来るかはともかく、相手が見つかればしたいのだろう。性欲も恋慕の情も少しはある。
まとめると、現世的な利益への欲求は少なからずあるのだ。
そして、それらを満たす手段や方法も可能性が低いが、ゼロではない。
だが、それらがインセンティブとして機能しない。
学問をやっていく以上、そういう外発的な誘因だけでなく、知的好奇心という内発的な動機もある。
だが、何故だろう。
それらに触発されない。うつ状態と言えばそれまでだが、何かもっと根本的な所でそれらの価値を否定している。
いかに現世的な利益を享受したとしても、死後どころか生前にもそれは持続しない。
自分の生だけでなく、全てのものは終わるもの。
仏教的な生々流転という観点に立たなくても、それは理。
それを空しいと感じ始めたのは幼少期から。
ならば、覆すのは難しい。
むしろ、全身麻酔伴う手術によってその信念は強化された。
だが、ここまで書いてきて、収穫が見つかった。
終わるということを何度も書いてきたが、逆に、何が終わるのだろう。そして、終わらないとは何であろう。
死、それは確かに肉体的には化学組成が変わる。その意味では、確かに終わる。
だが、そもそも、生物はすべからく、絶えず、生成と消滅を個体レベルで繰り返している。
代謝とはそういうこと。
つまり、常に終わって常に始まっている。
この思索が何か私の役に立てばいいが。