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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

『打撃の神様』川上哲治氏が死去

2013年10月31日 | プロ野球

『打撃の神様』と言われ、
巨人V9の監督でもあった川上哲治氏が、
28日に亡くなっていたことが分かりました。
93歳での、大往生でした。


この日の日本シリーズでは、
一時代を築いた大先輩の訃報に、
巨人はもとより、
楽天も腕に喪章をつけて試合に臨みました。


川上哲治氏。

まさに戦後のプロ野球の歩みとともに人生を歩んできた、
『プロ野球の歴史そのもの』の人でした。

ワタシは物心ついた時にすでに野球が大好きになっていた人間なんですが、
それでも巨人のV9時代は後半戦しか知りません。

その時の川上監督は、
この人ほど【威厳】という言葉と同義語で語られるほどの人はいないんじゃないかというほど、
全身からオーラを発する野球界の『神』のような存在でした。

そしてワタシは、
その野球中継の画面から映し出される姿よりも、
巨人の星で描かれる、
星飛雄馬の父親である一徹とのかかわりの中に、
その偉大なる人物像を刻み込んでいました。

子供のころのワタシは、
川上哲治といえば【偉大】、
長嶋茂雄と言えば【ヒーロー】、
王貞治といえば【実直】。

そんなイメージを持っていました。
(とは言っても、決して巨人ファンというわけではありませんでしたが。)


微妙にその川上氏のイメージが崩れたのが、
長嶋監督を解任に追い込んだ【黒幕】とされた昭和55年ごろかな。

その頃はワタシも、
子供を卒業して少しは世の中のいろいろな『内幕』に触れることも多くなってきた時期なので、
自分が大好きな長嶋を、
こんなにも汚く追い込んだのか。。。。。
ということに憤慨し、
長らく川上氏のことは『嫌い』な存在となりました。

*長嶋解任の旗振りの起源となった『サンデー毎日』の座談会。川上、牧野、藤田、瀧らが長嶋采配のことをめちゃくちゃに言っていたその号、いまだに実家にあるんじゃないかな?!ひどい記事だったよ。


その後川上氏は、
まさに【球界の重鎮】として、
たまにマスコミに登場してきましたが、
ベラベラとおしゃべりするようなことはありませんでした。

『孤高の存在』として、
球界を大所から見守っていたという感じですね。

その姿は、
さすがに『戦前の男』で、
サムライのたたずまいを見せていました。

自己顕示欲の強さからいまだにマスコミでベラベラとしゃべり続ける球界の『新・重鎮』の人たちとは、
本当に違いますよね。


ワタシはそういうことで、
長らく川上氏には良い感情を持ってはいませんでしたが、
ここ10年ぐらい、
戦前の名選手たちのノンフィクションなどを読む機会に触れることが多くなり、
かなり印象が変わってきました。

彼ら『野球がしたくても(戦争で)出来なかった』世代の人たちが、
戦後、戦地で散った彼らの為にもと野球に全身全霊を傾けて行った姿を知るとともに、
彼らの世代に畏敬の念を感じずにはいられなくなったのです。

沢村栄二や嶋清一に代表されるような、
戦地に散った名プレーヤーとともに青春時代を過ごし、
戦後は生き残ったものの務めとして必死にプレーをしていた川上氏の世代。

そして戦後の『野球ブーム』の立役者として、
今のプロ野球の礎を築いた川上氏。

そんな彼の生きざま、
素晴らしかったと思います。

『男としてこうありたい』
と思わせてくれた数少ない日本のサムライ。

その訃報に、
心からの哀悼の意を表します。


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