最も印象に残った球児
23.福井
内藤 剛志 投手 敦賀気比 1994年 夏 1995年 夏
甲子園での戦績
94年夏 2回戦 ● 0-5 佐久(長野)
95年夏 1回戦 〇 6-1 磐城(福島)
2回戦 〇 4-1 山梨学院大付(山梨)
3回戦 〇 2-1 柳川(福岡)
準々決勝 〇 3-2 旭川実(北北海道)
準決勝 ● 0-2 帝京(東東京)
今年の選手権予選参加校数30校。
例年鳥取、高知あたりと出場校数の『全国最小』を争う福井ですが、
その実力は折り紙つき。
古くから若狭、敦賀を中心として野球熱は高く、
福井商の台頭でますます甲子園でも活躍するようになりました。
78年の福井商の選抜準優勝は、
福井県に大きな希望を与えたと思います。
その公立王国の福井にあって、
90年代彗星のごとく現れたのが私立の雄、敦賀気比でした。
京都・福井の硬式の中学生を集めてチーム作りをし、
3年ほどで全国を狙えるチームに仕立て上げた敦賀気比は、
満を持して94年に初出場。
しかし下級生中心のチームは甲子園の雰囲気にのまれて初戦敗退。
彼らが『本格化』するのは翌年。
95年の夏に連続出場を果たした敦賀気比は、
剛腕の内藤投手を擁し、
前年のうっ憤を晴らすかのような快進撃。
1・2回戦を完勝すると、
3回戦では花田投手擁する柳川と対戦。
炎天下の中の息詰まる投手戦は、
甲子園の名勝負のひとつに数えられるほどでした。
延長15回の熱戦で、
内藤投手は被安打わずかに5本。
花田投手も8被安打と、
両投手のこれほどまでに安定した投げ合いは、
かつて記憶にないほどでした。
内藤投手は、
力のある球に緩急をつけて、
素晴らしい安定感を誇っていました。
この激闘をサヨナラで制した敦賀気比は、
準々決勝ではこの大会で話題を独占した旭川実にも勝利。
失点が完全に計算できる内藤投手に、
ベンチに剛腕の飯田投手も控える敦賀気比が、
優勝まで駆け上がるだろうとみていました。
星稜との初の北陸決戦も濃厚とみていましたが、
甲子園での勝ち上がり方を知る帝京に、
『なんだかよくわからないうちに』敗れてしまいましたね。
(さすが帝京なんでしょうが、敦賀気比には残念な試合となってしまいました。)
まったく敗れることを想定していなかったワタシは、
結果を見て愕然としました。(結果だけ先に聞き、後付けで映像を見ました)
なんで敗れたのか、
今だ持って謎という試合です。
内藤投手は、
最後まで淡々と投げ、
帝京の各バッターに全く的を絞らせていなかったのが印象的でした。
その後も敦賀気比は、
三上投手を擁した97年、
東出選手が縦横無尽に暴れまわった98年、
そしてその後の内海投手の時代まで、
90年代を本当に駆け抜けて行ったチームでした。
そして県内では、
キラ星の硬式出身球児を集めチーム作をする敦賀気比に対して闘志を燃やしたのが、
福井商の北野監督。
『たたき上げ』のチームを率い、
96年には4強に進出しました。
95年の敦賀気比の4強。
96年の福井商の4強。
97年の敦賀気比の8強。
この間の甲子園での戦績は11勝3敗。
ものすごい強さで、
福井代表は甲子園狭しと暴れまわりました。
この間の、この2チームは、
お互いにしのぎを削って強くなっていったというのが、
ワタシの感想です。
敦賀気比は暴力事件で監督が交代した後、
しばらくブランクがありましたが、
また08年、10年、12年と選抜に出場。
復活への足掛かりを作り始めました。
福井商も名将・北野監督が10年限りで退任。
新監督で新しいチーム作りを目指しています。
『少数精鋭』
で伸びる福井のチーム。
今後も目が離せませんね。
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