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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   23.福井

2012年07月26日 | 高校野球名勝負

最も印象に残った球児

23.福井



内藤 剛志   投手  敦賀気比   1994年 夏   1995年 夏   


甲子園での戦績

94年夏   2回戦    ●   0-5    佐久(長野)      
95年夏   1回戦     〇  6-1    磐城(福島)
         2回戦    〇  4-1    山梨学院大付(山梨)
        3回戦     〇  2-1    柳川(福岡)
        準々決勝   〇  3-2    旭川実(北北海道)
        準決勝     ●   0-2    帝京(東東京)


今年の選手権予選参加校数30校。
例年鳥取、高知あたりと出場校数の『全国最小』を争う福井ですが、
その実力は折り紙つき。

古くから若狭、敦賀を中心として野球熱は高く、
福井商の台頭でますます甲子園でも活躍するようになりました。
78年の福井商の選抜準優勝は、
福井県に大きな希望を与えたと思います。

その公立王国の福井にあって、
90年代彗星のごとく現れたのが私立の雄、敦賀気比でした。

京都・福井の硬式の中学生を集めてチーム作りをし、
3年ほどで全国を狙えるチームに仕立て上げた敦賀気比は、
満を持して94年に初出場。

しかし下級生中心のチームは甲子園の雰囲気にのまれて初戦敗退。

彼らが『本格化』するのは翌年。
95年の夏に連続出場を果たした敦賀気比は、
剛腕の内藤投手を擁し、
前年のうっ憤を晴らすかのような快進撃。

1・2回戦を完勝すると、
3回戦では花田投手擁する柳川と対戦。

炎天下の中の息詰まる投手戦は、
甲子園の名勝負のひとつに数えられるほどでした。

延長15回の熱戦で、
内藤投手は被安打わずかに5本。
花田投手も8被安打と、
両投手のこれほどまでに安定した投げ合いは、
かつて記憶にないほどでした。

内藤投手は、
力のある球に緩急をつけて、
素晴らしい安定感を誇っていました。

この激闘をサヨナラで制した敦賀気比は、
準々決勝ではこの大会で話題を独占した旭川実にも勝利。

失点が完全に計算できる内藤投手に、
ベンチに剛腕の飯田投手も控える敦賀気比が、
優勝まで駆け上がるだろうとみていました。

星稜との初の北陸決戦も濃厚とみていましたが、
甲子園での勝ち上がり方を知る帝京に、
『なんだかよくわからないうちに』敗れてしまいましたね。
(さすが帝京なんでしょうが、敦賀気比には残念な試合となってしまいました。)

まったく敗れることを想定していなかったワタシは、
結果を見て愕然としました。(結果だけ先に聞き、後付けで映像を見ました)

なんで敗れたのか、
今だ持って謎という試合です。

内藤投手は、
最後まで淡々と投げ、
帝京の各バッターに全く的を絞らせていなかったのが印象的でした。


その後も敦賀気比は、
三上投手を擁した97年、
東出選手が縦横無尽に暴れまわった98年、
そしてその後の内海投手の時代まで、
90年代を本当に駆け抜けて行ったチームでした。


そして県内では、
キラ星の硬式出身球児を集めチーム作をする敦賀気比に対して闘志を燃やしたのが、
福井商の北野監督。
『たたき上げ』のチームを率い、
96年には4強に進出しました。

95年の敦賀気比の4強。
96年の福井商の4強。
97年の敦賀気比の8強。

この間の甲子園での戦績は11勝3敗。
ものすごい強さで、
福井代表は甲子園狭しと暴れまわりました。


この間の、この2チームは、
お互いにしのぎを削って強くなっていったというのが、
ワタシの感想です。

敦賀気比は暴力事件で監督が交代した後、
しばらくブランクがありましたが、
また08年、10年、12年と選抜に出場。
復活への足掛かりを作り始めました。

福井商も名将・北野監督が10年限りで退任。
新監督で新しいチーム作りを目指しています。

『少数精鋭』
で伸びる福井のチーム。
今後も目が離せませんね。


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