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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

名将・古葉竹識氏が逝く

2021年11月17日 | プロ野球

~日刊スポーツより~
プロ野球広島の初優勝時の監督を務めた古葉竹識(こば・たけし)さんが12日に亡くなっていたことが16日、分かった。


またも寂しいニュースが飛び込んできました。
”赤ヘル軍団”広島を率いてリーグ優勝4度、日本一3度を成し遂げた名将の古葉竹識さんが亡くなりました。
85歳だったそうです。

古葉監督といえばカープ。
そして「赤ヘル軍団」。

75年にルーツ監督が辞任した後に広島の監督に就任。
この年広島は長年の低迷を打破して生まれ変わろうと、
ヘルメットやユニフォームの色を今に続く赤色にした年。

監督は熱血漢の外国人監督・ルーツさんでしたが、
すぐに帰国して古葉監督に代わり、
そこから赤ヘル軍団の快進撃が始まりました。

その時ワタシ、
自分の中での「第1次野球ブーム」の真っただ中。

前年巨人がV10を阻止されて、
ワタシにとって『物心ついてから初めて巨人が負けた』年となり、
「こういう事って、起こるんだあ」となんだか衝撃を受けた年となりました。

そして同時に、
あの長嶋茂雄が引退。

昭和40年代ずっと走り続けてきた、
”長嶋ー王に支えられて巨人が常勝軍団であり続ける”時代は終わりをつげ、
何か新しい時代が始まる予感がしていました。

そこに現れてきた、
「常に弱小だった」広島の快進撃。

山本浩二、衣笠を軸に、
超優良外人のホプキンス、シェーン、
いぶし銀の大下、三村、道原。。。。
投げてはエース外木場に池谷、金城。。。。。

彼らがグラウンド狭しと暴れまわって、
それまでは調子が良くても「カープは鯉のぼりの季節まで」なんて揶揄されていたチームが、
生まれ変わって最後まで息切れせずにゴールテープを切り、
初優勝を飾りました。

夕闇迫る後楽園での、
金城が巨人・柴田をレフトフライに打ち取って優勝を決めたシーンには、
日本全国が沸き上がりました。

もちろんその当時の日本のプロ野球、
巨人一辺倒だったわけですが、
それでもこの年の広島の快進撃には、
日本人の心に宿る判官びいきの精神からか広島を応援する声が多かったように思います。

それにしても「初優勝」というのは、
こんなにすごいものか。。。。。
そんなことを感じた広島の優勝でした。

その指揮官であった青年監督の古葉竹識。

彼のトレードマークは、
広島球場の1塁側ベンチの隅っこに、
半分だけ体を見せながら佇んでいるその姿でした。

その姿を見てワタシ、
「巨人の星の、明子ねえちゃんみたいだなあ」
なんて思っていました。

後日古葉さんが徹子の部屋に出演した時、
そのことを尋ねられて、
丁寧に受け答えをしていた姿を思い出しました。

まるっきり野球音痴の徹子さんが放つ頓珍漢な質問にも、
丁寧に一つ一つ、
優しく受け答えしていた姿に、
人柄を感じたものでした。


古葉さんのチーム作りは、
やはり強打を中心にしていましたね。

54・55年に連覇をしたときには、
江夏という守護神を得てがっちりと守りを固めましたが、
チームはやはり打撃のチームでした。

脂の乗り切った山本浩二・衣笠・水谷に、
やはり優良外国人のライトル・ギャレットが絡み、
盗塁王の高橋、若手の山崎なども絡んだ、
素晴らしい打線でした。
『元祖200発打線』だったんじゃないかな。

豪快な打線の破壊力と、
ち密な野球の融合で、
一時代を築いた監督でした。

昭和50年代は「赤ヘルの時代」と言えるような、
素晴らしい実績を残しましたね。

何にも動じないようなそのたたずまいは、
チームを強豪に育てていくうえで、
欠かせないものでした。

古葉監督就任前までは、
優勝どころか、優勝争いもしたことがなかったような広島カープというチームが、
古葉監督によって花開き、
常勝軍団とまで言われる強豪に進化を遂げた、
素晴らしい11年間だったと思います。

その後は横浜大洋の監督に就任するものの、
実績は残せず、
そこで彼のプロ野球監督としての歩みも、
終わりを告げました。

古葉監督の横浜監督就任。

それまで横浜は、
何度も何度もミスターこと長嶋さんに就任オファーを出していましたが、
ことごとく断られた末に選んだのが、
古葉監督でした。

「ああ、花よりも実にシフトしたんだなあ・・・・」

とワタシなんかも思ったものでしたが、
古葉さんは横浜ではその力を発揮することはありませんでした。

若手を鍛え上げて主力に育て上げる古葉イズムは、
チーム全体がゆる~い空気をまとっていた横浜では、
花開きませんでしたね。

その後野球界とはいい距離感で付き合ってきた古葉さん、
最後に指揮を執ったのは大学野球、
東京国際大でした。

東京国際大は、
今でこそ駅伝で名をはせ名前が知られるようになりましたが、
野球の世界では全く名前を知られていないチームでした。

しかしこの古葉監督に率いられ、
2011年の大学選手権では見事に3勝を挙げて4強に進出。
「古葉野球ここにあり」を見せつけてくれました。

ワタシもその古葉監督の雄姿を一目見ようと、
神宮にはせ参じたこと、
懐かしく思い出しました。

もう10年前の話なので、
古葉監督はこの時75歳だったのかあ。。。。。。

ちなみに東京国際大は準決勝で慶大に敗れるのですが、
その時の慶応の監督が江藤監督。
元プロ野球で名をはせた古葉vs江藤の戦いは、
学生野球ファンのみならず、プロ野球ファンの心も踊らせてくれました。


古葉監督があの後楽園の夕空に舞ってからもう46年。
月日が経つのは、
本当に早いものです。

またひとりワタシの思い出の野球人が、
鬼籍に入ってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。

ホントあの頃のプロ野球は、
楽しかったな~~~~~。




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