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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

長嶋巨人Vの立役者、加藤初が死去。 落合博満は中日のGM職を退任。

2016年12月22日 | プロ野球

シーズンオフに入って久しいプロ野球。

昨日はWBCの1次候補選手が発表になり、
3月からの戦いに向けて陣容が整ってきました。
ワタシは『何しろ大谷』という感じで見ていますので、
彼がどのように投げ、打つのか。
WBCについては、これが最大の興味ですね。

また、
どれだけのMLB所属の選手が参戦してくれるのかも、
興味深いところです。
年明けになったら、
WBCメンバーに選ばれた選手は、
いつもの年よりも早めに始動するでしょうから、
見出しになることも多いかもしれませんね。


さて、
そんな中で寂しいニュースが。

西鉄・太平洋クラブから76年に長嶋巨人に移籍して大活躍した加藤初投手が、
66歳という若さで亡くなっていたことが分かりました。

この加藤投手、長嶋巨人2年目にしての初優勝の立役者の一人として記憶されています。

監督初年度の75年、
まさかの最下位に沈んだ長嶋監督が76年に復活をかけてトレードで獲得したのが、
打の張本とともに投の加藤でした。
FAなど影も形もない時代で、
チームはトレードで戦力を整えるしかありませんでしたが、
長嶋監督は大型トレードを一気にまとめて、
チームを根本から変える大改革をしていきました。

あの76年というと、
張本、加藤という移籍組が大活躍したのに加えて、
ジョンソン・ライトの両外国人も活躍。
そして高田がレフトからサードに移籍、
とにかく前年のくすんだ空気からガラッとチーム状況が変わって、
『40代になったばかりの青年監督・長嶋の色がよく出た好チーム』
だったと記憶しています。


ワタシは決して生粋のジャイアンツファンではなかったのですが、
昔から長嶋のことは大好き。
そしてこの年も、前年に赤ヘル軍団を熱狂してみていたことはコロッと忘れて、
長嶋ジャイアンツに声援を送っていたような気がします。

後にも先にも、
この年のチームがジャイアンツの歴史の中で、
ワタシの中では一番好きなチームですねえ。

日本シリーズ第6戦、
阪急に6点をリードされたところからの大逆転、
特に淡口の反撃の3ランと柴田の同点アーチは、
忘れられません。

そんなジャイアンツにあって、
加藤初投手のピッチングは本当に光っていました。

当時のワタシ。
張本は有名な選手でしたからオールスターなどで見た記憶があったのですが、
加藤はなにせあの太平洋クラブの所属でしたから、
一度も実際にライブ(中継)でその投球を見たことはありませんでした。


新聞の記事によると、
この年の彼は15勝4敗8セーブだったんですね。
大した成績です。

堀内・小林・ライト・新浦と並んで、
投手5人衆の一人として、
八面六臂の大活躍でした。

もとより今のようにきっちりローテーションが組まれていたわけではないこの頃のプロ野球。
5人がいつもいつも投げていたような記憶がありますね。
加藤初投手はいつも冷静で、
ブレの少ないピッチングをしていた記憶があります。
4月の広島戦におけるノーヒットノーランも、
記憶に残るところです。

しかし新聞記事によると、
このオフの健康診断で肺のリンパ腫が見つかって、
それを克服して現役を続けていたんですね。
そんな苦労があったなんて、まったく知りませんでした。

引退は90年で、40歳の時。
当時の話ですから、
40歳まで現役を続けたというのはすごいこと。

引退後に西武の投手コーチを務めていたのも、
懐かしく覚えています。

現役時代に苦労したことを、
たくさんの投手に伝えてくれていたことでしょう。

通算141勝の大投手というよりも、
長嶋ジャイアンツを初Vに導いた鉄腕というイメージが色濃く残るこの大投手が、
ついに鬼籍に入ってしまったということです。

あの年、
ジャイアンツの『弱体』と言われた投手陣を支えた投手のうち、
これで小林に続いて加藤初も、
若くしてこの世を去りました。

あの時の記憶も、
また遠くなってしまいそうですね。
どうぞ安らかに。



そしてもう一つ。

中日が落合GMと契約満了に伴い、
新規の契約は結ばないことを発表。
これで落合はGM職を離れることになりました。

監督としては結果を出し続けて『名監督』とも呼ばれた彼ですが、
GMとしては全くと言っていいほど成果を上げられなかったですね。

『一家言あり、監督として成果を上げた後にGM職に就いた』人物としては、
前ロッテGMの広岡達郎氏とダブるものがありますね。

広岡さんも監督としては【名将】の誉れ高かった人ですが、
GMとしてはいまひとつ成果を上げることはかなわず、
監督として雇い入れたバレンタイン氏と半ばけんか別れする感じになりました。

落合も谷繁監督とケンカ別れというか、
それよりももっと”冷た~い”関係になってコンビを解消。
事ここに至っては、
既に球団内にも彼を擁護する人は皆無だったと報じられています。

強力な後ろ盾だった白井オーナーもすでに齢88。
さすがに擁護しきれなかったというところでしょうか。

この『来季落合GMはチームを去る』というのが既定路線だったとすると、
なんだか先にFAしながら球団に残留した平田・大島の両選手の決断も、
うなづける気がしてきました。

まあ、ワタシの周辺の名古屋のドラファン(結構たくさんいます)、
誰に聞いても落合の評判は芳しくなかったですからねえ。。。。

GMに権力を集中させるという試みは、
なかなか日本ではうまくいくことがありませんね。

ドラは来年逆襲できるのか、
ゆる~く見守りたいと思います。



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