土曜日の朝、
目覚めて最初に飛び込んできたのがこの悲しいニュースでした。
『元阪急、近鉄の監督、リーグ優勝8度の名将・西本幸雄氏が亡くなりました』
衝撃のニュースでした。
享年91歳。
そういう意味では、
大往生に違いはありません。
しかし、
ニュースを耳にすると、
在りし日の西本監督の姿が浮かび、
悲しい気持ちになりました。
阪急では山田、福本、加藤らの名球会トリオを中心に常勝軍団を作り、
”お荷物球団”だった近鉄の監督に就任すると、
地道にチーム作りを進め、
ついに昭和54年に初優勝。
翌55年も連覇を達成し、
一時代を築きました。
近鉄初優勝の時は、
梨田、羽田、平野、栗橋、小川、佐々木、そしてマニエルらの攻撃陣で、
相手投手陣を震え上がらせました。
”200発打線”と恐れられたものすごい打線でしたね。
投手陣では鈴木をエースに井本、柳田、村田らを組み合わせて、
上手く回していたような印象があります。
前任の阪急同様、
良くも悪くも『パ・リーグの匂い』をプンプンさせた、
『古き良き時代の野球』でした。
昭和54年と55年に広島と戦った日本シリーズは、
面白かったなあ。
近鉄は上記の200発打線の破壊力が抜群であったのに対し、
対する広島も3割打者にして盗塁王の高橋義彦をトップに据え、
三村、ライトル、山本、水谷、衣笠、ギャレットと続く打線の破壊力は、
近鉄に勝るとも劣らない強力なものでした。
この日本シリーズ、
本当に最後の最後までわからない面白いものでしたね。
54年の最終戦は、
あの【江夏の21球】の舞台ともなりました。
そんな名将西本監督、
結局8度日本シリーズに出場するも、
一度も日本一に輝くことはありませんでした。
そこでついた異名が『悲運の名将』というもの。
しかし本人も否定している通り、
ワタシは全く『悲運』だとは思っていません。
日本一になれなかったのは、
本当に『たまたま』です。
彼のパ・リーグ、いやプロ野球に残した燦然と輝く足跡は、
全く色あせるものではありません。
あのころ、
パ・リーグは阪急、南海、近鉄とならぶ【関西の電鉄球団】が中心。
というか、
彼らなくしては何も語れないというぐらいの、
【関西リーグ】
の趣がありました。
時代の変化に伴って、
この老舗の3球団はすべて球界を去り、
パ・リーグは【地方球団の時代】を迎えています。
今の華やかなパ・リーグも好きですが、
昭和の匂いのプンプンする、
この時代のパ・リーグに、
何とも郷愁を感じてしまいます。
そしてその中心であった西本監督の逝去。
一時代の終わりを強く感じてしまう出来事でした。
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