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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

悲運の名将・西本幸雄氏が逝去

2011年11月29日 | プロ野球

土曜日の朝、
目覚めて最初に飛び込んできたのがこの悲しいニュースでした。

『元阪急、近鉄の監督、リーグ優勝8度の名将・西本幸雄氏が亡くなりました』

衝撃のニュースでした。
享年91歳。
そういう意味では、
大往生に違いはありません。

しかし、
ニュースを耳にすると、
在りし日の西本監督の姿が浮かび、
悲しい気持ちになりました。

阪急では山田、福本、加藤らの名球会トリオを中心に常勝軍団を作り、
”お荷物球団”だった近鉄の監督に就任すると、
地道にチーム作りを進め、
ついに昭和54年に初優勝。
翌55年も連覇を達成し、
一時代を築きました。

近鉄初優勝の時は、
梨田、羽田、平野、栗橋、小川、佐々木、そしてマニエルらの攻撃陣で、
相手投手陣を震え上がらせました。
”200発打線”と恐れられたものすごい打線でしたね。

投手陣では鈴木をエースに井本、柳田、村田らを組み合わせて、
上手く回していたような印象があります。

前任の阪急同様、
良くも悪くも『パ・リーグの匂い』をプンプンさせた、
『古き良き時代の野球』でした。

昭和54年と55年に広島と戦った日本シリーズは、
面白かったなあ。

近鉄は上記の200発打線の破壊力が抜群であったのに対し、
対する広島も3割打者にして盗塁王の高橋義彦をトップに据え、
三村、ライトル、山本、水谷、衣笠、ギャレットと続く打線の破壊力は、
近鉄に勝るとも劣らない強力なものでした。

この日本シリーズ、
本当に最後の最後までわからない面白いものでしたね。
54年の最終戦は、
あの【江夏の21球】の舞台ともなりました。


そんな名将西本監督、
結局8度日本シリーズに出場するも、
一度も日本一に輝くことはありませんでした。
そこでついた異名が『悲運の名将』というもの。

しかし本人も否定している通り、
ワタシは全く『悲運』だとは思っていません。

日本一になれなかったのは、
本当に『たまたま』です。

彼のパ・リーグ、いやプロ野球に残した燦然と輝く足跡は、
全く色あせるものではありません。

あのころ、
パ・リーグは阪急、南海、近鉄とならぶ【関西の電鉄球団】が中心。
というか、
彼らなくしては何も語れないというぐらいの、
【関西リーグ】
の趣がありました。

時代の変化に伴って、
この老舗の3球団はすべて球界を去り、
パ・リーグは【地方球団の時代】を迎えています。

今の華やかなパ・リーグも好きですが、
昭和の匂いのプンプンする、
この時代のパ・リーグに、
何とも郷愁を感じてしまいます。

そしてその中心であった西本監督の逝去。
一時代の終わりを強く感じてしまう出来事でした。


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