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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

夏の甲子園 名勝負集その4

2010年12月15日 | 高校野球名勝負

昭和53年のPLは、【逆転のPL】といわれ、新しい風を甲子園に吹かせました。最も甲子園が輝いていたといわれる昭和50年代。そのピークに君臨する史上空前の名勝負・箕島vs星稜。この戦いが行われたのは、昭和54年でした。
昭和54年のその戦い、そして早稲田実・荒木が颯爽と甲子園に登場した55年のハイライトです。夏の甲子園名勝負・第4回です。

昭和54年 1回戦
浪商(大阪) 3-2 上尾(埼玉) 

牛島の起死回生の一発がスタンドに消え、上尾の時代も去った

この年、牛島-香川の超高校級バッテリーを擁して華麗に復活を遂げた浪商。あの尾崎以来の優勝を狙って、甲子園に乗り込んできました。春のセンバツでも大型チームの魅力を存分に見せ付けて準優勝を果たした浪商は、優勝の箕島よりも人気も実力も上と言われ、当然のごとく優勝候補の筆頭に上がっていました。対するのはここのところ甲子園で記憶に残る戦いをする上尾。ほとんど"野球不毛の地"と言われていた埼玉県にあって、名将・野本監督が手塩にかけて育て上げてきたチームです。しかし、前年には不祥事で1年間の出場停止を食らい、捲土重来を期した夏となりました。
試合は、【東の実力派】と言われた上尾が、アンダースローの仁村投手で前半から主導権を握り、浪商に「野球をさせない」絶好の試合展開に持ち込みました。仁村は内外角に切れ味鋭い球を配し、8回まで浪商打線を完全に沈黙させ、バックも好守備の連続でピンチの芽を摘み取っていくという展開。9回を迎えるときには、誰もが上尾の勝利、優勝候補・浪商の初戦敗退をイメージしたと思われます。しかしここからが【なにわのど根性】の見せ所となりました。
2死を取ったところで、ランナーは1塁。バッターはエースで5番の牛島。上尾の仁村は、このときだけいつものマウンド上でのルーティーンワークである、『ロージンで手のひらのすべりを止める』動作を忘れたそうです。そして投げた1球は、魅入られたようにハーフスピードでど真ん中へ。待ってましたとばかり振った牛島の打球は、レフトのはるかかなたを越えてスタンドへ。同点ホームランとなり、浪商は九死に一生をえて、上尾はまたも激闘で敗れ去ったのでした。それにしても名将・野本監督の上尾。昭和49年の延長13回でのサヨナラ負け、翌50年の準決勝での雨中の激闘での敗戦など、甲子園では悔しい負け方ばかり。その部の歴史に、またも悔しい敗戦が加わった試合でした。埼玉在住であったワタシにとって、この敗戦ほど堪えた敗戦はありませんでしたね。上尾は、この年をピークに徐々に力を落としていき、野本監督が浦和学院に去った昭和60年代からは、長く甲子園から遠ざかっています。最後の輝きとも言える試合でしたかね。




昭和54年 3回戦
 箕島(和歌山) 4-3 星稜(石川) 

甲子園の最高試合。ほかに語るべき言葉を持たず。

 箕島-星稜。この単語だけで、高校野球ファンにとっては、ほかに言葉は要りません。もう30年以上が過ぎたこの試合について、人々の記憶の中には深く深く刻み込まれ、忘れることはないのでしょうね。戦前の中京商vs明石中、戦後の松山商vs三沢などと並び称されるこの試合ですが、ワタシは断然この試合を【歴代ベスト1】に挙げますね。それほどドラマが詰まった、凄い試合でした。
 試合内容は、もういいでしょう。皆さんが知っている通りの試合です。延長18回の死闘。延長12回には島田が、延長16回には森川が、いずれも2死から起死回生の同点ホームランを放ち、試合を振り出しに戻しました。森川のHRは、直前に1塁手のファールフライ転倒による落球(実際はボールに触れていないので落球ではないのですが、わかりやすくするため敢えて落球と表記します)があり、試合終了のピンチを逃れた上での一発でした。
 そして18回に、最後上野のヒットで箕島がサヨナラ勝ち。この激闘を制した箕島は、波に乗って優勝。史上3校め(当時)の春夏連覇を達成したのでした。 
 箕島が凄かったのは、不屈の闘志でしょうね。今見ると、そんなに素晴らしい選手が揃っていたわけではありません。プロで一流になった選手は皆無。しかしながら、高校野球レベルでは、これほど心技体が揃ったチームは、後にも先にもない、というぐらいのチームでしたね。
箕島はピンチになればなるほど選手が燃えて、相手を逆転していきました。そして、どっしりとベンチで笑顔を絶やさなかった尾藤監督の存在感は、際立っていましたね。見事なチームでした。星稜はまだまだ発展途上のチームでした。こちらのチームも、プロ入りしたのは当時1年生の音選手(元中日)だけ。小柄で、長打力もないチームでしたが、一丸となる強さを見せ付けました。ここからの星稜の活躍は、言わずもがな。箕島がこの年をピークとするならば、星稜はこの年生まれたばかりと言ってもよかったでしょうか。それほど両チームのチームとしての熟成度には差がありました。
 戦前の予想は、どのメディアを見ても【箕島の圧勝】。しかし試合というのは、わからないものだなあと言うのが、ワタシの偽らざる感想でしたね。
 当時6時半から塾があったのを、結局親を説き伏せて最後まで観戦したという思い出も、ワタシの中にはある試合です。今になって思えば、『あ~あの時最後まで試合を見てよかった!』


昭和54年 準決勝
池田(徳島) 2-0 浪商(大阪)


橋川の好投で浪商を打ち砕く。香川も牛島もスローカーブを打てず

 初戦で上尾を辛くも倒した浪商は、それ以降は全く相手を寄せ付けない圧勝の連続で準決勝へ。香川は、甲子園記録となる3試合連続HRをかっ飛ばし、「オレたちの相手は箕島だけだ」とうそぶく強気の姿を見せて準決勝に進出してきました。そして、誰もがセンバツ決勝の再現である、箕島vs浪商の決勝対決を信じて疑いませんでした。
 果たせるかな、準決勝の第1試合では箕島が完勝し、決勝へ進出。一気に【近畿決戦】への期待は高まりましたが、浪商には思わぬ伏兵が待ち構えていました。それがベテラン・蔦監督率いる池田高校でした。
 この年の池田は、夏の大会の出場はまだわずか2回目。昭和49年春のセンバツで11人の部員で準優勝を飾った【イレブン池田】のイメージと、【なんだか面白いおっさん】である蔦監督のイメージがあいまって、池田高校の甲子園での人気はうなぎのぼりの時代でしたね。この春のセンバツでも、準々決勝で東洋大姫路を相手に雨中の大激闘を繰り広げた池田、「なにかやってくる」と言うイメージがつき始めた頃で、強豪への階段を上り始めた頃でした。しかしこの試合に限って言えば、『浪商が圧勝で決勝に行くだろう』との予想ばかり。池田の勝利を予想するマスコミは、私の記憶では1社もなかったと思います。
 さて、試合は上尾戦同様、浪商にとっては、嫌な立ち上がりになります。池田の橋川の緩急を使った投球に翻弄され、打線が全く機能しません。1点、また1点と牛島が耐え切れずに失点をして、浪商が最後の攻撃を迎えるに当たり、得点は0-2。あの上尾戦と全く一緒の展開でした。浪商ベンチは、『何とかなるやろ』という余裕に満ちていましたが、後半になるにしたがって、段々と焦りの色が濃くなって、橋川の投げるスローカーブに、露骨にイライラする表情が隠せない選手まで出てきて、完全に術中にはまってしまいました。しかし1回戦と同じ展開だっただけに、選手たちは『何とかなる』と思っていたのも確かだったでしょう。しかし、奇跡は2度は起こりませんでした。最後の最後まで集中した投球を見せて、失投がまるでなかった橋川は、【大会随一】といわれた浪商打線を、6安打で完封してしまいました。試合が終わった後の、蔦監督のなんとも嬉しいような困ったような、そんな顔がとても印象に残っています。
 素晴らしい大型チームであった浪商。しかし春夏ともに優勝には届きませんでした。そして、名門・浪商もこの後PLに押され、更に新興の上宮や 大阪桐蔭などの台頭もあって、夏の甲子園にはただの1度も到達することが出来ずにいます。名門復活はいつのことになるのでしょうか。


昭和55年 1回戦
箕島(和歌山) 5-0 国立(西東京)

歴史に残る国立の甲子園出場。判官びいきの甲子園にも、王者・箕島は動ぜず。

 この年の高校野球は、早稲田実・荒木のデビューが大きな話題になったのですが、予選の段階でスポーツ紙の紙面を飾ったのは、なんといっても【都立の星】国立高校の大番狂わせの甲子園出場でした。
 この頃東京には、2つの【勝手連】の作る会がありました。ひとつは【東大を優勝させる会】。そしてもうひとつは、【都立高を甲子園に送る会】。この後者、めでたくこの年を限りに解散したのですが、その悲願を達成する高校がまさか国立高校なんて、夢にも思わなかったでしょうね。この当時の都立高、今とは違ってスポーツ推薦もない、まさに普通の高校でした。その後城東高校や雪谷高校が甲子園出場を果たし、いまは総合工科や日野、昭和や足立新田などが強豪の仲間入りを果たしていますが、これらの学校はすべてスポーツ推進校の指定を受けたり、スポーツ推薦があったりする学校ですので、国立高校が出場した当時とは、全く状況が違います。だからこそ、国立高校がこの大会で果たした甲子園出場という偉業は、長くたたえられるものだと思っています。おまけに国立高校は、知らぬ人がいない多摩地区NO1の進学校。この彼らが、【本当の意味での部活】で勝ち取った栄冠に、東京中の人が拍手喝采を送ったのだと思います。
 甲子園での戦いは【オマケ】のようなものでしたが、当たった学校が前年度の優勝校にして高校野球の代名詞とも言うべき箕島高校。『相手にとって不足はない(あるはずがない)』高校との初戦でした。
 この試合での甲子園の雰囲気。まさに異例のものでしたね。大体近畿のチームには大声援が送られ、関東(ましてや東京)のチームはまず応援されることがないのが甲子園というところ。その『アウェー覚悟』の東京のチームに対して、甲子園のファンは大声援を送っていました。いつもは観客に後押しされる箕島のナインが、あまりの雰囲気の違いに、前半は完全に戸惑い、浮き足立っていました。結局試合は、箕島が後半に地力を発揮して『なんてことのない』結果に終わったのですが、国立が甲子園に確かな一歩を残したということだけは、間違いのない試合でした。
*ワタシは個人的には、『甲子園の心を求めて』の著作で有名な佐藤先生率いる東大和高校に甲子園に行って欲しかった。結局あと一歩のところで壁が破れず、東大和は甲子園に出場することは出来ませんでした。地理的にほんの隣にある国立高校の『都立として初の』甲子園出場に、佐藤先生の胸中は複雑だったことでしょう。
 

昭和55年 準決勝
横浜(神奈川) 3-1 天理(奈良)

雨中の激闘制し、横浜が全国制覇へ大きく前進。 

 1年生エース、早稲田実・荒木が無失点で爽快に勝ち進む中、もう一人のエースも力を発揮していました。横浜・愛甲です。愛甲もさかのぼること2年前の夏、1年生エースとして東邦・坂本を継ぐ存在として"ニューバンビ"なんていうニックネームをつけられ、将来を嘱望された投手として注目を浴びていました。しかし故障や不調などで、最後の大会となる3年夏を迎えるまで、甲子園には一度も姿を見せずじまいで、ファンをやきもきさせていました。その愛甲、雌伏のときにじっくりと力を蓄え、すっかり”ふてぶてしく”なって甲子園に再登場しました。"バンビ"なんて称号をかつてつけられたとは思えないほどに投球も態度も図太くなり、堂々の優勝候補としての登場でした。 若き闘将・渡辺監督が神奈川県大会で優勝した後のインタビューで『甲子園優勝宣言』を行い周囲をびっくりさせましたが、それほど充実した、その年の横浜の戦力でした。
 対する天理は、大会前はまったくといっていいくらいマークされない存在でした。この年まで何年にもわたって『超大型チーム』で甲子園に乗り込んできた天理。しかしことごとく跳ね返され、上位進出はなりませんでした。当時甲子園の7不思議と言われていたのが、『天理が甲子園で3勝したことがない』ということ。2勝は出来ても3勝はできないという【壁】を破るチームとしては、このチームはかなり小粒という印象でした。そして、ほとんどの選手が下級生。甲子園ファンの間では、『天理は来年に賭けるチーム作りをしてきたな』ということがささやかれていました。しかし野球とはわからないもの。このチームが、どんどん勝ち進んで、あっという間に3勝の壁を破って準決勝に進出してきたのです。
 この両チームの戦いは、大雨の降る中で行われました。横浜の先発はもちろん愛甲。対する天理は、左腕のエース川本ではなく、長身の小山を先発に起用してきました。試合は両チーム共に決め手がなく0-0で終盤に。6回終了時点で、ワタシは雨で再試合になると思ったのですが、続行されて7回へ。表の天理はついに1点を先取。そして7回裏の前に、まさに雨は本降りへ。「さすがにもう中断だろう」という不安を抱えたまま、7回も2アウトランナーなし。このとき、横浜のベンチはあせっていたといいます。「もし7回終了時点で0-1で負けていれば、そのまま降雨コールドになる公算が強い」と渡辺監督は、危惧していたようです。それぐらいの本降りの雨でした。ちなみに、高校野球のルールとしては、7回終了時点で試合が成立します。だからこその心配だったのでしょう。
 その7回、2アウトからバッターの打った打球はサードへ。なんでもないゴロでしたが、水溜りのようになっているため三塁手がアウトに出来ず、エラーで出塁を許してしまいます。その後、ついに9番・宍倉にタイムリー3塁打が出て横浜が逆転。こうなると天理に追いかける力はなく、横浜が3-1で勝利をものにし、決勝にコマを進めたのでした
 横浜にとっては、厳しい雨中の激闘でしたが、結局第2試合は翌日に順延になり、勝ち進んだ決勝では連投になった荒木が崩れた早稲田実に対し、休養日が取れたことでリフレッシュできた横浜が初優勝を飾りました。これまでの試合振りから当然に『早実有利』の予想を立てていた決勝は、見事に裏切られる形となりました。

*予断ですが、それにしても愛甲の変貌振りにはびっくりしてしまいましたね。地元で横浜高校が【○○高】なんて呼ばれているの、全く知りませんでしたから、あのたたずまいとかヤンキーファッション(大会後に発売された雑誌で拝見)には、びっくりしました。


 


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