第5回は、北信越地区。
昨年の選手権で、
史上初の5校すべてが初戦を突破してレベルの急上昇を印象付けたと思ったら、
今春の選抜では敦賀気比が優勝。
北陸時に初の優勝をもたらしました。
今後も上昇が予想される、注目の地区です。
今夏の選手権での、全国3906校の出場校の中で、この地区の出場校は301チーム(校)。
全国での占有率は、7.7%でした。
≪北信越勢の記録≫
*記録の見方;春⇒選抜大会の成績 夏⇒選手権大会の成績
勝敗; 〇勝〇敗〇引分 勝率 優勝-準優勝-ベスト4-ベスト8
◇新潟地区戦績
2010~2015 春 1-2 .333 0-0-0-0 夏 7-6 .538 0-0-1-1 合計 8-8 .500 0-0-1-1
2000~2009 春 2-4 .333 0-0-0-1 夏 6-10 .375 0-1-0-0 合計 8-14 .364 0-1-0-1
1990~1999 春 0-2 .000 0-0-0-0 夏 4-10 .286 0-0-0-0 合計 4-12 .250 0-0-0-0
1980~1989 春 0-1 .000 0-0-0-0 夏 4-10 .286 0-0-0-1 合計 4-11 .267 0-0-0-1
36年合計 春 3-9 .250 0-0-0-1 夏 21-36 .368 0-1-1-2 合計 24-45 .348 0-1-1-3
◇長野地区戦績
2010~2015 春 0-3 .000 0-0-0-0 夏 2-6 .250 0-0-0-0 合計 2-9 .182 0-0-0-0
2000~2009 春 4-4 .500 0-0-0-1 夏 7-10 .412 0-0-0-0 合計 11-14 .440 0-0-0-1
1990~1999 春 4-3 .571 0-1-0-0 夏 7-10 .412 0-0-1-1 合計 11-13 .458 0-1-1-1
1980~1989 春 3-5 .375 0-0-0-0 夏 1-10 .091 0-0-0-0 合計 4-15 .210 0-0-0-0
36年合計 春 11-15.423 0-1-0-1 夏 17-36 .321 0-0-1-1 合計 28-51 .354 0-1-1-2
◇富山地区戦績
2010~2015 春 0-1 .000 0-0-0-0 夏 5-6 .455 0-0-0-1 合計 5-7 .417 0-0-0-1
2000~2009 春 2-4 .333 0-0-0-0 夏 3-10 .231 0-0-0-0 合計 5-14 .263 0-0-0-0
1990~1999 春 0-2 .000 0-0-0-0 夏 2-10 .167 0-0-0-0 合計 2-12 .143 0-0-0-0
1980~1989 春 3-2 .600 0-0-1-0 夏 2-10 .167 0-0-0-0 合計 5-12 .294 0-0-1-0
36年合計 春 5-9 .357 0-0-1-0 夏 12-36 .250 0-0-0-1 合計 17-45 .274 0-0-1-1
◇石川地区戦績
2010~2015 春 0-1 .000 0-0-0-0 夏 6-6 .500 0-0-0-0 合計 6-7 .462 0-0-0-0
2000~2009 春 3-5 .375 0-0-0-0 夏 8-10 .444 0-0-0-1 合計 11-15.423 0-0-0-1
1990~1999 春 7-7 .500 0-0-0-3 夏 11-10 .524 0-1-1-0 合計 18-17.514 0-1-1-3
1980~1989 春 2-5 .286 0-0-0-0 夏 2-10 .167 0-0-0-0 合計 4-15.210 0-0-0-0
36年合計 春 12-18.400 0-0-0-3 夏 27-36 .429 0-1-1-1 合計 39-54.419 0-1-1-4
◇福井地区戦績
2010~2015 春 11-4 .733 1-0-1-1 夏 9-6 .600 0-0-1-0 合計 20-10 .667 1-0-2-1
2000~2009 春 5-6 .455 0-0-1-0 夏 6-10 .375 0-0-0-0 合計 11-16 .407 0-0-1-0
1990~1999 春 2-6 .250 0-0-0-0 夏 14-10 .583 0-0-2-2 合計 16-16 .500 0-0-2-2
1980~1989 春 2-5 .200 0-0-0-0 夏 6-10 .375 0-0-0-0 合計 8-15 .348 0-0-0-0
36年合計 春 20-21.488 1-0-2-1 夏 35-36 .493 0-0-3-2 合計 55-57 .491 1-0-5-3
【北信越地区戦績】
2010~2015 春 12-11 .522 1-0-1-1 夏 29-30 .492 0-0-2-2 合計 41-41 .500 1-0-3-3
2000~2009 春 16-23 .410 0-0-1-2 夏 30-50 .375 0-1-0-1 合計 46-73 .387 0-1-1-3
1990~1999 春 13-20 .429 0-1-0-3 夏 38-50 .432 0-1-4-3 合計 51-70 .421 0-2-4-6
1980~1989 春 10-18 .357 0-0-1-0 夏 15-50 .231 0-0-0-1 合計 25-68 .269 0-0-1-1
36年合計 春 51-72 .415 1-1-3-6 夏112-180 .3840-2-6-7 合計163-252 .393 1-3-9-13
北信越地区は、豪雪地帯が続くこともあり長く『野球不毛の地』と言われ、
甲子園での実績も上がりませんでした。
古くは”小さな大投手”光沢を擁して選抜を制した飯田長姫の活躍などありましたが、
70年代ぐらいからは、
安定して甲子園で活躍することはありませんでした。
しかし70年代終盤には小松を擁した星稜が選手権で4強に進出。
そして78年春の選抜では福井商が下手投げエース・板倉の好投と強力打線で決勝に進出するなど、その存在感を見せ始めました。
79年夏には星稜が箕島との延長18回の激闘を戦うなど、”新しい名門校”が時代を作り出してきて、80年代を迎えます。
しかしながら、80年代にはほとんど甲子園で戦績を残せず、他地区のチームからは対戦を喜ぶような風潮があり、苦難の時を過ごします。
90年代に入り、91年の松商学園の選抜準優勝、その後の佐久(現佐久長聖)、敦賀気比の出現や星稜の8強、4強、そして選手権準優勝など、
10年間で12回の8強入りという実績を残し始めました。
00年代に入ると、その90年代に活躍したチームが相対的に力を落とし、だんだん戦績が上がらなくなりましたが、新たに新潟明訓・日本文理が『勝率全国最低県』の汚名をふっ消するような活躍を見せた新潟勢が台頭。5県が揃ってレベルを上げてくる準備を整え、10年代からの躍進につなげています。
10年代に突入してからの6年、ついに今春の選抜で敦賀気比が全国制覇。そして勝率も初めて5割を上回って、どの代表校も甲子園で存分に暴れる姿を見せてきています。
県別にみると、新潟は『弱小県』の汚名を着せられ、長く戦績が上がって来ませんでした。70年代までは、選抜にはほとんど代表を送りこんだことはなく、選手権で活躍する姿もほとんど記憶にありません。わずかに80年代初頭、新発田農が名門・広島商を破って名を上げ、新潟南が明徳を破って8強に進出したことぐらいが『輝く歴史』として挙げられるぐらいです。90年代に入って、ようやく新潟明訓・日本文理という2強が台頭。切磋琢磨することで実力をあげ、00年代に入り全国でも勝利を挙げるようになりました。そしてそのピークが09年の日本文理の準優勝。決勝での最終回2死からの怒涛の大反撃は、甲子園名勝負として燦然と輝きを放っています。しかし新潟明訓を強豪に育て上げた佐藤監督が退任、そして日本文理の中興の祖・大井監督も70をとうに超える年齢なので、新潟県は新たな時代に入ってきている感じです。2人を超える名将は現れるのか、注目です。
長野は70年代、毎年松商学園が夏の甲子園にコマを進めていましたが、なんと甲子園6年連続初戦敗退。そしてその後1勝を挟み、県勢はまた9年連続の初戦敗退という、『1勝するのに10年がかり』という厳しい時代が長く続きました。しかし91年、彗星のように登場したのが名門・松商学園。超高校級のエース・上田を擁し、打線も活発で、まさに『この年限定』の強豪。選抜では強豪を次々に倒して決勝に進出。夏も16回の延長を制して8強に進出。長野の野球ファンを沸かせてくれました。その余韻をかって3年後の94年には佐久が選手権で4強へ。しかしこの2年以外、現在までほとんど長野県のチームは甲子園でその存在感を見せることはありません。他の北信越の県が次々に甲子園で戦績を残しているのに遅れないように、強化が望まれます。
富山も長いこと不遇をかこってきました。1勝を挙げるのが大変厳しく、夏の選手権では80年代後半から10年連続初戦敗退の記録もあります。しかしそんな中、記憶に残るチームが86年の新湊。もともと大変熱狂的な応援で知られたチームでしたが、この年はセンバツで初戦から強豪を次々と連破。堂々と4強に進出し、『新湊旋風』と謳われました。その後はまた不遇の時代が続きましたが、13年に初出場の富山第一が選手権で8強に進出。その堂々とした戦いぶりは、高校野球ファンの富山に対するイメージを一新させました。そしてすぐさまその翌年、今度は名門の富山商がエース森田の好投で2勝を挙げ、ようやく上昇気流に乗りつつあります。この流れを止めることなく、これからの代表の活躍が期待されています。
石川は星稜を抜きには語れません。76年に剛腕・小松を擁してセンセーショナルに出現したこの星稜。79年にはあの箕島と『史上最高の試合』と言われる延長18回を戦い、90年代には松井秀喜を擁して甲子園を席巻しました。95年には初優勝にあと一歩と迫る準優勝。『北信越と言えば星稜』と一時代を築きました。その星稜の県内でのライバル・金沢は、幾度も星稜を破り甲子園まで進出してきたものの、甲子園で存在感を見せることはほとんどありませんでした。戦績はセンバツで1度だけ8強に残っただけ。全国の舞台では、星稜に大きな差をつけられています。しかし一度だけ輝いたと言えば、94年センバツでの中の投手の完全試合。甲子園の長い歴史の中でも2度しか達成されていないこの大記録は、石川県の高校野球史に、燦然と輝いています。
福井県は、長く福井商の天下が続きました。70年代終盤から90年代初頭にかけては、まさに福井商の一人勝ち。78年には強力打線で選抜でも準優勝。名将・北野監督の元、しっかりとした野球で実績を積み重ねてきました。90年代にその福井商に待ったをかける存在として現れたのが敦賀気比。福井・京都の硬式の有力中学生を集めて編成したチームは力強く、甲子園では4強、8強と立て続けに実績を残し、ドラフト1位指名などの選手も多数輩出し、一気に強豪・名門への道を歩みました。しかしその後一時期、数々の問題などが噴出して低迷期を迎えました。その低迷を打破したのが現在の東監督。10年ごろからまた敦賀気比が復活を遂げ、10年センバツ8強、13年選抜4強、14年選手権4強としっかりとした足取りで進み、ついにこの15年、エース平沼を擁して選抜を初制覇。初めて北陸時に、甲子園の優勝旗を運んできました。敦賀気比は、まさに【黄金の10年】を迎えようとしています。今後どこまで甲子園で暴れまわるのか、非常に楽しみです。そして名門福井商の復活はなるのかも、注目しています。