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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

パ・リーグのサムライがまた一人。 代打の神様・高井保弘逝く。

2019年12月17日 | プロ野球

年末になると、
寂しい訃報が相次ぎます。

金曜日にはあの阪急の代打の神様、
高井保弘氏が鬼籍に入りました。
74歳でした。

阪急の高井といえば、
プロ野球ファン誰もが知る代打男でした。


ワタシがプロ野球を見始めたころから、
その名前はよく耳にはしましたが、
何しろその時代阪急の試合をテレビで見るなんてことは、
日本シリーズ以外ではまず皆無。

関東地方では、
多分のちのプレーオフ(前期と後期の優勝チームが戦う)なども、
テレビ中継されてはいなかったと思います。

ニュース映像でもなかなか阪急の試合が流れるなんてことはなかったので、
なんだか「まだ見ぬ凄い代打男」として、
その存在はワタシの中では現実よりもずっと大きくなっていたように思います。

その頃からどっぷりとはまっていたプロ野球カードの中には、
阪急のサムライたちが次々に出てきましたから、
その中の写真のイメージがこびりついているように思われます。
(ちなみにプロ野球カードがついているプロ野球チップス(当時はスナック)はカルビーが出していましたので、ライバルのお菓子メーカーの球団であるロッテオリオンズの選手のカードは、一枚も出たことはありません。)

そして時たま日本シリーズで見る阪急の選手の、
何と骨太でサムライチックだったことか。。。。

福本、山田、足立、今井、蓑田、大橋、永池、加藤、高井、マルカーノ、ウィリアムス、島谷、森本、中沢。。。。。。。(年代混在)

今でもすらすらと名前が出てきますね、
あの頃の阪急の面々。

イメージとしては昭和50~53年の4連覇のころの上田監督に率いられた阪急が、
脂が乗り切って一番強かったように思われます。

そのサムライ軍団の中でも、
異彩を放っていたのがこの代打男・高井でした。

とにかく代打で出てきたらいつでも打つような、
そんなたたずまいの男でしたね。

ワタシは「黙って出てきてズバッと斬る」タイプの選手が大好きで、
西武では太田卓司の大ファンでしたが、
阪急では何と言っても高井のたたずまいにはしびれました。
ちなみに近鉄では若くして逝ってしまいましたが鈴木貴が、
日ハムではいぶし銀の古屋なんていう選手も大好きでした。

オールスターでの代打サヨナラホームラン。

そんなこともあったなあと、
懐かしく思い出しました。
やっぱり頭の中にある昔の引き出しをあける作業は、
なんだか楽しいものです。

そんな数々の思い出を残した高井さんも、
ついに帰らぬ人になってしまいました。

上田監督も逝ったし、
あの頃激闘を繰り広げた金やんも逝ってしまった。

寂しい年の瀬になってしまいました。
でも、
頭の中ではあの豪快なスイングが、
ずっと残っています。

おそらくたくさんのプロ野球ファンも、
同じことを思っているでしょう。

代打ホームラン世界記録という記録にも残っている男ですが、
それよりも何よりも、
記憶の中に生き続ける男、
それが高井保弘という選手だと思います。

合掌。



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