≪選抜出場校 思い出編 その8≫
中国代表 広島商 (広島) 23度目(3年ぶり) 優勝1回 準優勝1回
夏23度出場 優勝6回 準優勝1回 甲子園通算63勝37敗
昭和の時代、高校野球の代名詞でもあった広商。昭和の時代に7回もの全国制覇を達成し、投手を中心とした堅い守りと、バント、走塁を駆使してノーヒットでも点を取る「広商野球」が、高校野球界を席巻しました。その後、金属バットの時代の到来、そしてその後の公立校の衰退という時代の変化とともに、広商もすっかり名門としての力を失っていきました。それでも昭和の時代は、昭和57年の興南・仲田幸をたった1安打で崩した試合や、中京・野中に対して虎の子の1点を守り切って1-0で勝った試合、昭和63年の決勝、前田の福岡一に対して9回のワンチャンスを生かして1-0で勝った試合など、随所に「これが広商野球だ」というところを見せて存在感を放ってくれていましたが、平成に入るともうその力は残っておらず、新世紀に入ってからは四半世紀でわずかに甲子園出場は4回。上げた勝利数はわずか3勝、そして主なOBがおよそ広商野球とは対極にあるSBのギータと来ちゃあ、「広商の復活」は望むべくもないかなあ、なんて思っていました。長年のライバルである広陵は、90年代に中井監督が就任するや否や息を吹き返し、今や全国屈指の強豪に成長、広商とはもう「比べるべくもない」存在にまで昇華しています。そんな広商ですが、令和になってから少しだけ「流れが変わったかな?!」と思うような戦いをするようになってきました。22年の選抜に久々に出場すると、初戦を大勝。2回戦で「絶対王者」の大阪桐蔭と対戦することになりました。しかし。。。。。まさに無念のコロナ罹患。名門は超強豪と戦わずして、甲子園を去ることになりました。しかしこれが復活の息吹となったか、3年ぶりにこの春、甲子園の土を踏みます。広島県内の古い広商ファンは、たぶん近年の広陵と同じぐらいの戦いを、広商に期待していると思いますよ。。。まあ、それはホント難しいことなんでしょうが、今年のチーム、明治神宮大会では激戦を勝ち抜いて決勝にまで進出しました。その勢いをもって、選抜での大躍進に期待が高まっています。果たして広商は復活するのか?乞うご期待。
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広陵と並んで広島県の・・・・・というよりも、中京(中京大中京)、松山商などと並んで昭和の高校野球の顔として長く君臨してきた広島商。しかし時代とともに公立校の地盤沈下が叫ばれる中、この広商も例外ではなく平成に入ってからは力を落としていき、なかなか甲子園には届かない”古豪”として語られるようになってきてしまいました。1924年に初めての全国制覇を成し遂げて以来、29年、30年、31年と戦前に4度の全国制覇。戦後も57年に復活優勝を遂げると、73年には佃ー達川のバッテリーとキャプテン金光の攻守を中心にあの江川を倒し春準優勝、夏優勝の輝かしい実績を残しました。そして82年の選手権準優勝、88年の選手権優勝と、昭和の時代は最後の最後まで、広商が高校野球の顔として君臨した時代でした。戦前に広商がどんな野球をしたかというのはわかりませんが、70年代からの強かった広商には、たくさんの異名がついていました。基本的には投手を中心とした守りの野球が基本。木のバットという事もあり、打線は徹底的にボール球には手を出さず、塁に出ればバンと、盗塁など小技で揺さぶって、たとえヒットが出なくても点を取る野球というのが徹底されていました。そしてその小技は、緊張した場面になればなるほどその真価を発揮して、江川を崩した重盗や、その夏の決勝でのサヨナラスクイズなどはその真骨頂。そしてその精神力は、練習での”真剣渡り”などによって培われたものと言われていました。 そして並外れた集中力と洞察力は、「広商は相手に一度もスクイズされたことはなく、自分のスクイズは一回たりとも失敗に終わったことはない。」などと言われていたものでした。まさに昭和の「高校野球のバイブル」のような存在で、数多の高校がこの広商をまねようとしていましたが、かなう事はありませんでした。決して超高校級の投手がいたり、強力打線でパワー満点だったりはしないものの、その広商の鋭く洗練された野球が、高校野球好きの琴線に触れて、応援されていたというチームだったと思います。
しかしながら、その春準優勝、夏優勝を飾った年の翌年から高校野球には金属バットが導入され、野球が大きく変わっていきました。「ランナーを3塁に置けば、まずはスクイズ」と考えられていた高校野球戦法は大きく変わり、後に登場した池田やPLなどのパワーで相手を粉砕する野球がスタンダードとなり、広商の甲子園戦法は影を潜めていきました。昭和までに甲子園通算57勝、優勝7回、準優勝2回を誇った広商は、平成に入ってから今日までの34年間でわずか5勝(6敗)しか挙げられず、もちろん優勝はおろか8強入りもなく、この時期から大きく飛躍したライバル・広陵に大きな差を付けられてしまっています。もはや広島でも「広島の早慶戦」と呼ばれることもなく、広商に対する期待は「何とか甲子園に出て、あのユニフォームを見せてくれんかなあ・・・」というものに変わってきてしまっています。公立校が野球を強化するのが非常に難しい時代になってきているので仕方ないとは思いますが、何とかあの精神力と野球力で、復活してきてもらいたいと思っているのは、全国の高校野球ファンの総意でしょう。そういう意味では、2019年に15年ぶりに夏の県大会を勝ち抜いて甲子園にやってきたのに続き、このセンバツに出場してくることは、名門復活の第一歩として、とても大きなことのように感じます。この選抜の選考に際し、愛媛県が21世紀枠の候補にあの松山商を選んだという事に、ワタシはショックを受けました。同時に、ものすごく腹立たしい気持ちと、『あの名門に対して、失礼なことするな!!』という思いも同時に感じてしまいました。そんな中でこの広商の復活、意義があると思います。応援しますよ、頑張ってほしいと思います。
中国代表 米子松蔭(鳥取) 2度目(33年ぶり)
夏3度出場 甲子園通算1勝4敗
47都道府県で最も予選参加校が少ない鳥取県。その中で米子松蔭は米子商時代を含め、春1度、夏3度の甲子園出場があるチームです。しかし見事なまでに、印象には残っていないですね。同じ米子勢としては、米子東が非常に印象に残る戦いを何度か見せてくれているのですが、なかなか試合のシーンがパッと浮かんでくるという感じではありません。鳥取県というと、米子東、鳥取西などの公立勢が伝統的に強いのですが、そこに昭和の時代では倉吉北、近年では鳥取城北という強豪が挑戦し、席巻するという歴史があります。しかし選抜に限ってみると、広島、岡山など山陽地域の地区が強いという事もあって、なかなか甲子園にコマを進めることができないというのが現状です。かつて70年代などは、甲子園の選抜には「寒冷地枠」なるものが存在して(公式には存在しませんでしたが、優先的に出場校が選ばれていました)、70年代なんて鳥取・島根が甲子園にそろい踏みなんてことも多々あったりしました。今やそんなことはできず実力優先の選考が成され、さらに中国地区はなんと2校しか選抜されませんので、しっかりと中国大会で決勝にまで進出しないと選抜のイスは転がり込んできません。そんな中、秋季中国大会で決勝まで進出した米子松蔭は、あっぱれな戦いだったと思いますね。今年は大雪でなかなか練習もままならないと思いますが、何とか甲子園2勝目、選抜での初勝利に向かって頑張ってほしいと思います。
四国代表 明徳義塾(高知) 21度目(4年ぶり)
夏23度出場 優勝1回 甲子園通算 63勝41敗
明徳といえば、高知の、いやっ四国の高校野球の代名詞。しかし選抜は4年ぶりなんですね。夏には毎年出場してくるので、そうは思っていませんでした。前回の選抜では仙台育英に1安打完封負けという厳しい負け方をしたものの、そこから夏にかけてひと伸びして、見事8強に進出しました。明徳とは、負けをバネにして捲土重来を期すチームだと思いますね。しかしこれだけの名門で、平成の時代からだけでも春夏40回ぐらいの甲子園出場があるのに、決勝戦に進出したのがたった1度というのが、何だか信じられません。「馬淵野球」は、少し形は違いますがプロ野球の「野村野球」とリンクするところがあって、しっかりした野球、チームの考え方があって、そこに相手を綿密に研究して対策を立て戦いに挑む野球です。相手の野球を研究し尽くして戦うというのが如実に表れるのが、「甲子園の初戦には絶対的な強さを誇る」という事ですね。相手を研究する時間のある初戦は、明徳にとっては本当に「お手のもの」な戦いというわけです。しかしだんだんとトーナメントが進んでくると、次戦まで時間がないのが常で、そうするとおのずと相手を研究する時間もなく、そこで力負けをしてしまう・・・・・というのが今までの明徳の甲子園で敗れるパターンだったと、ワタシは思っています。しかし時代は、延長がなくなりタイブレークに、さらに低反発バットで攻撃力がそがれる、という時代になってきました。これは冷静に考えると、明徳義塾にとっては非常にアドバンテージになるのでは・・・・・という思いが強いですね。明徳得意の、崩れない投手を中心としてきっちり守り、少ない点を細かい技で奪って逃げきる。。。。この戦い方で、もしかしたら頂点に向かえるかもしれません。「大会で勢いに乗って」ということをベースとして勝ち上がるのを決して良しとしない馬淵野球。キッチリしっかり、「令和の高校野球戦法」で勝ち上がり、念願の2度目の全国制覇にも、近づいていくかもしれませんね。馬渕監督にも、そう残された時間が多いわけではありません。有終の美を飾るには、今年のチームも面白いのではないか、そう思ってはいます。
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今年も四国、高知からは明徳義塾が出場です。横浪半島の黒潮で鍛え上げられた洗練された野球は、高知県の野球を完全に変えたといっていいでしょう。90年代前半までの「野球どころ・高知」の高校野球のカラーは、『豪快・剛腕・黒潮打線』のチームが中心の、力で相手をねじ伏せるというものでした。しかし90年代から台頭してきた明徳義塾、いや、『馬淵明徳』は、キレのある投手を盤石な守備で盛り立て、総合力と粘りで勝ち上がっていくという総合力の野球。これまでの高知県勢の豪快な野球とは一線を画していましたが、高知の頂点に立ち続けたこの四半世紀の歴史を経て、今やこの馬淵野球こそが『高知の野球』と認識されるような時代となってきています。いや、彼が時代を築いたというべきでしょうか。「豪快に勝つ」よりも甲子園では偶然性を排除した「負けない野球」が大切だという哲学は、何より「甲子園の初戦ではほぼ負けたことがない」というような安定感抜群の野球につながっています。しかし反対にこれまでの高知のチームにあった豪快さというファクターを取り除いた野球は、「乗ったら爆発力はピカ一」という、かつて高知商、高知、伊野商などが甲子園でだれも止めることができず頂点まで駆け上がった「いごっそうの豪快野球」ではないため、明徳はなかなか頂点までは駆け上がることができません。春夏30度以上の甲子園で常に「有力校」といわれながら、優勝までたどり着いたのが1回、決勝まで到達したのもその1度のみという戦績が、明徳の「強みと弱み」を如実に表しているかもしれません。
全国に登場してきた時期が同じで、そして参加校が少ないという県大会を制した回数や全国での戦い方など似ている点が非常に多く、常に比較される対象となっている智辯和歌山の戦績と明徳を比較するとよくわかります。明徳は甲子園での決勝進出は1度ですが、爆発力のあるチーム作りを推し進めた智辯和歌山は優勝3度、準優勝4度と、7回決勝に進んだ傑出した実績があります。時に不安定な戦いになることがあっても、豪快に打ち勝つ智辯和歌山の野球にファンが非常に多いのは、「爆発すれば頂点まで駆け上がる」期待が大きいからなのではないでしょうか。(ただし明徳ただ1度の優勝の時、決勝の相手は智辯和歌山でした。)
最近では、2014年選抜と2019年夏に両校の直接対決が2回あります。14年選抜は3-2で明徳の粘り勝ち、19年夏は7-1と智辯和歌山が一気の打線爆発でひっくり返しました。この2度の対戦が、両校のチームの特徴をよく表している感じがして、面白いですね。14年春は明徳が「接戦に持ち込んだ負けない野球」で智辯和歌山の勢いを抑え込み、逆に19年夏は智辯和歌山が爆発力で一気に明徳を葬り去ったというものです。馬淵明徳の野球。最近もなかなか上位進出できないような流れになっていて、「最後は力のチームに押し切られる」という負ける時のイメージが、ワタシの中にもこびりついて離れません。戦績に見合うだけの栄光は、まだつかんでいないということを感じてしまいます。
さて、馬淵監督もすでに65歳を迎え、監督としても晩年を迎える年齢になってきました。もう一度、どうしても全国の頂点まで駆け上がりたい思いは、誰よりも強く持っていると思います。今年のチーム、例年通りなかなか負けにくいチームにはなっているようですが、大阪桐蔭や天理、東海勢、関東勢など爆発力のあるチームを、甲子園の大舞台でどのように倒して全国の頂点まで駆け上がる戦略を立てているのでしょうか。
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明徳の選抜出場も、19度目になりました。夏も20度の出場。その過去38回の甲子園、昭和の時代が5回、令和の時代は1回(昨夏)で、その他の32回の出場はいずれも平成の時代に成し遂げられています。まさに平成という時代を最初から最後まで駆け抜けたという意味では、智辯和歌山とともに「平成の高校野球を代表する学校」と言えるでしょうね。(ちなみに智辯和歌山は37回の出場中、平成では34回の出場。) 智辯和歌山がその平成時代に63勝を挙げているのと比較して、明徳義塾は50勝。まあ勝利数は遜色ないと思いますが、大きく水をあけられているのがその優勝/準優勝の回数。智辯和歌山が優勝3回、準優勝4回と7回もの決勝進出を果たしているのと比較して、明徳義塾は優勝1回、準優勝なしと、まだ決勝という晴れ舞台に進んだのはたったの1度。明徳は「甲子園での初戦は負けない」という神話をずっと保ち続けてきましたが、反対に「頂点まで勝ち進んでも行かない」チームであるという事も言えます。このあたりの違い、県大会では出場校も少ない地区に属するという非常に似通った環境である両校の間で、お互いに名将である高嶋監督、馬渕監督はどんな話をしているのでしょうか。円熟味を増したというよりも、還暦を超えてもうあまり監督としての時間も潤沢に残されているわけではない馬渕監督が、どのように今後チーム作りしていくのか、注目しているところです。
智辯和歌山は高嶋監督が引退し、中谷監督が就任。そして昨夏、その中谷智弁と明徳の直接対決も行われ、明徳はまさかの逆転負けを喫しました。負けん気の強さでは並ぶものなしの馬渕監督、強烈にリベンジを誓っていることでしょう。その他でも、大阪桐蔭の西谷監督や星稜、そして県岐阜商の鍛治舎監督など、因縁のある「倒したい相手」はてんこ盛りの今大会。馬渕采配は冴えわたるのか、それとも。。。。
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今年も明徳義塾が、甲子園に出場してきました。00年代に入って、聖光学院、智弁和歌山、大阪桐蔭らと並んでこの明徳も、「甲子園出場が年中行事」の常連校の地位は揺らいではいません。この明徳、智将・馬淵監督に率いられ、37回も甲子園に出場しながら、いまだに決勝に進出したのは優勝した02年夏だけというのに、驚きを感じるファンも多いと思います。大阪桐蔭や智辯和歌山などと比較して、『最上位までは駆け上がれない』という歴史に、ベテラン馬淵監督は今年こそ終止符を打とうと目論んでいます。そのために明治神宮大会を、明徳には珍しくシャカリキに取りに来てそして秋に一足早く「全国制覇」を成し遂げました。今年の明徳、ちょっと今までとは、気合の入り方が違います。本気の本気で、紫紺の旗を獲りに来る春となることでしょう。さて、その思い出については、昨年、一昨年の記事を書きにコピーしましたので、ご覧ください。
その前年の記事;(コピー)
昨年は『お約束』の春夏連続出場を成し遂げた明徳義塾。まさに甲子園は『年中行事』の一つでしすが、春は何もできないまま初戦敗退し、甲子園の初戦は絶対に落とさないという『明徳神話にも陰りが出てきたか』と噂されました。しかし夏は見事に立ち直って4強に進出。明徳健在を力強く印象付けました。そのいい流れを汲んだ今年のチームは、馬淵監督をして『今年のチームで全国制覇を狙う』と宣言するほど自信を持ったチームのようです。総合力が高い明徳は、県内、そして四国内でライバルチームが少ないという事情もあるものの、およそ30年にわたって『3年明けたことがない』ぐらい頻繁に甲子園へ足跡を刻み続けてきています。しかし四国はかつての”四国四商”が元気だったころと比べて、明らかに地盤沈下を起こしている印象がぬぐえません。『四国の代表は、どこでも甲子園の優勝を狙える』と言われたのは今や昔。昨年は高松商が久しぶりに甲子園を沸かせてオールドファンが歓喜に包まれましたが、今のところ四国勢で『間違いなく全国制覇を狙える』というチームは、残念ながらこの明徳をおいてほかにはないという状況が続いています。それだけに明徳にかかる期待も大きいのではないかと思われます。今年馬淵監督をして『優勝が狙える』と豪語するこの明徳のチームが、全国の強豪に対してどんな戦いをするのか、全国のファンはかたずをのんで見守っている・・・・・という感じですね。
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高校野球ファンにはおなじみの明徳義塾。良しにつけ悪しきにつけ、本当に話題になるチームですね。『何もない』須崎半島の山の中にでんと校舎を構え、まさに『虎の穴』のようにスポーツ選手を鍛え上げる、特徴を持ち筋の通った学校です。野球のみならず、ゴルフ、相撲、サッカーなどなど、有名スポーツ選手の輩出は引きも切らず、『こんな田舎から、こんなすごい選手が』と驚きを持って、世間からは見られています。高校野球の世界でこの明徳の名を初めて耳にしたのは1979年(昭和54年)。それまで3強(高知商・高知・土佐)が覇権を独占していた高知の高校野球界に、『何やら新興の私立で、野球にえらい力を入れる学校ができるらしい』との噂が。それが明徳でした。初代監督に高知商の監督などを歴任した老将・松田監督を据え、素晴らしいグラウンドと全寮制の施設を兼ね備えた『本気で甲子園を狙うチーム作り』が話題になりました。翌80年、春の選抜で中西投手を擁する高知商が悲願の全国制覇を達成。高知はまさに『高知商の時代』が到来していましたが、この『最も強かった高知商』に果敢に挑んでいったのが明徳でした。のちにプロ入りする河野(元日ハム・巨人)をエースに、4番には横田(元ロッテ)を据えた『自称実力全国一』のチームは、高知商を土俵際寸前まで追い込んで、まざまざとその力を見せつけたものでした。そして57年春には初めての甲子園へ。これが明徳の甲子園デビューなのですが、その時がまたすごかった。前年の明治神宮大会で早実を力で破って見せて初出場ながら優勝候補の一角に堂々と名を連ねていた明徳。初戦では瀬田工(滋賀)を難なく退け、2回戦で”優勝候補筆頭”の箕島と対戦しました。この勝負が延長14回の逆転に次ぐ逆転の、『選抜名勝負』のひとつに数えられる激闘。明徳はこの試合で、松田監督の試合後の『武蔵が小次郎に敗れたわい』という名言とともに、甲子園のファンに『明徳強し』を印象付けたのでした。翌58年センバツでは、準決勝で夏春連覇を狙う【最強池田】に堂々と挑んで、8回までリードという試合を繰り広げました。最後は逆転負けしましたが、『明徳はさすがに高知でもまれた強豪だ』と、誰もが思ったものでした。ちなみにこの時期の蔦監督率いる【最強池田】も、明徳のことは大の苦手。蔦監督をして、『1県1代表になっていて本当によかった。もし昔みたいに、高知と南四国大会をやらなければならなかったら、明徳がいるけん、甲子園にも出れんかもしれん』
と言わしめるほど、あの池田にとっても、明徳は手ごわい存在でした。そこからしばらくの『昭和時代』の明徳が第1期だとすると、馬渕監督の『平成時代』が第2期ですね。厳密にいうと、甲子園の試合直前に出場を辞退した05年までが第2期、そこからの苦難を経て現在までが第3期だと思いますね。第2期の始まりは、物議をかもした星稜・松井の5打席連続敬遠という『負の遺産』を背負っての船出でしたが、その後はほとんど高知県で『明徳1強』の時代を築き、98年からは夏の選手権に7年連続出場という偉業も成し遂げました。(当時戦後最長の連続出場記録)その間、02年には悲願の全国制覇も達成。『明徳義塾』という名前は、高校球界の1大ブランドとして、君臨していきましたね。昨夏ついに止まったものの、【初戦勝利】の記録をずっと続けたのは、本当にすごいことです。何しろ、32度も甲子園に出場して、初戦で敗れたのがたったの3度。ものすごい記録です。しかし、それだけ初戦を勝ち上がりながら、まだ決勝には1度しか進出できていないというところに、明徳の隠れた『弱み』の部分がありますね。データを元に、試合を完ぺきなまでに組み立てられる初戦には無類の強さを発揮するものの、どんどん違う相手が出てくる上位まで勝ち進み、その試合を勝ちきるというたくましさを持ったチームが、なかなか出来上がっていないようにも見えます。そのあたりの課題に、ベテランの域に入ってきた馬渕監督、どんな答えを出していくのでしょうか。いよいよあの若かった馬渕監督も還暦を迎え、明徳の≪第3期黄金時代≫を築くのか?注目されます。
四国代表 高松商 (香川) 29度目(2年ぶり) 優勝2回 準優勝3回
夏22度出場 優勝2回 甲子園通算62勝46敗
最近は、高松商といえば巨人の浅野がすぐ思い浮かんじゃいます。彼の「高商愛」すごいですもんね。あんな選手、自分の学校にOBとしていたらいいなあって、いつも思っています。さて「四国四商」の中でも最も歴史の古い高松商、今年も甲子園にやってきてくれました。やっぱり四国の野球が大好きなワタシにとっては、四国四商のうち1校でも出ていないと、なんだか気の抜けたサイダーみたいな感じがしてしまうんですよね。昨夏なんて、どうやら松山商が復活しそうだという事で非常に期待していたら、なんだか知らないうちに負けていた。。。。。という事で涙しました。四国四商のあのシンプルな伝統のユニフォーム、それを見ただけで思わず涙が浮かんじゃう。。。。訳はありませんが、ジーンと来てしまうのは確かです。ああ、甲子園で見たいなあ・・・・といつも思っています。その高松商、80年代中盤から尽誠学園を筆頭とした新興勢力に押されてずっと沈んでいましたが(まあ、時折思い出したように甲子園に出て来てはいましたが)、長尾監督の就任から一気に名門復活して、16年選抜準優勝、19年の春夏連続出場、そして21,22年の「浅野の時代」へとつながります。高松商は、完全復活を成し遂げていますね。さあ、今年のチーム。いったいどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。四国中の高校野球ファンが、熱い熱いまなざしを、高商に注いでいると思いますね。頑張ってほしいです。
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高松商についても、前回、前々回の時に書きつくしていますから、いまさら書く思い出もないのですが、昨夏のチームはなかなかセンセーショナルでしたね。大看板・浅野を軸に据えて、3回戦で優勝候補の九国大付を接戦で破り、準々決勝ではあの近江と大接戦。浅野が山田から放った大アーチには痺れました。あの試合を見て、ワタシは「高松商の完全復活だな」と思いました。そもそもワタシのイメージの中では、高松商は「春の高松商」。選抜では活躍するものの、夏は甲子園で力を発揮できないというイメージがこびりついています。あの昭和50年代の「出ると負け」の時代、夏は毎年のように甲子園に出場しましたが、5年連続を含めて0勝6敗。1勝がホント、遠かったですね。一方でこの時期も選抜では4回の出場で4勝4敗。選抜では強さを見せていました。1975年以降、2度の8強、そして1度の決勝進出はすべて選抜。何しろ一昨年までは、夏の選手権では40年以上にわたりわずか1勝しか挙げていませんでしたから。。。その殻を破ったのが浅野率いる一昨年、昨年のチームというわけですね。2年間で3勝を挙げ、しかもその内容が抜群でした。「高松商ここにあり」を満天下に見せつけてくれ、また、ドラフトでも話題を独占した感がありました。さて、今年は「ポスト浅野」の年。しかしながら、高校野球では「最強の年のポスト年」に大活躍を見せるチームがしばしばあります。そういった年にできるかどうか。今年の高松商の戦いには、目が離せません。
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前回選抜準優勝を飾った名門、高松商がまた甲子園に戻ってきます。『四国四商』の一角である高松商の歴史はいまさら言うまでもありませんが、前回の甲子園での復活、大活躍を見るにつけ、四国の野球ファンは「やっぱり高商じゃなきゃ、いけん」という気持ちをさらに強くしたんじゃないでしょうか。高松商の復活があったとはいえ、その前も後も、やはり香川県のチームが甲子園で活躍するという姿はあまり見受けることはできません。ですが、高松商の復活劇は、同じ香川の公立校である三本松の奮起を即して一昨年夏の甲子園8強進出につながりました。「やればできる」を実践して見せたこの強豪校は、どんなに時代が変わっても「四国の高校野球の軸」であることに変わりありませんね。昨夏は同じく四国四商の一角である高知商が、長年の沈黙から目覚め宿敵・明徳義塾を破って甲子園に出場、秋の四国大会では『四商』のうち高松商、高知商、徳島商の3校がそろい踏みしました。残念ながらなんと3校が同じブロックに入るという不運がありましたが、そんな中勝ち上がったのが高松商。高知商、徳島商の「魂」もこもっていますから、今回もまた、甲子園で大暴れしてほしいものです。それはそうと、松山商はどうしているんだ~。00年以降も『四商』の中で最も安定した戦績を上げていたっていうのに、ここ15年程、何の音さたもないぞ~。復活へののろし、上げてくれ~~。ということで、高松商への期待は、ワタシの中ではMAXに上がっているところです。
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このセンバツ高校野球大会の輝ける第1回優勝校が、20年ぶりに甲子園の舞台に帰ってきました。しかも『秋全国制覇』の称号を引っ提げて。四国の高校野球と言えば、古くから【四国四商】を抜きには語れません。この高松商をはじめとして、松山商、徳島商、高知商。それぞれが高校野球界に確かな足跡を残し、全国制覇の経験もあるこの四校。(徳島商は、”幻の甲子園”での制覇があります。)ワタシが高校野球に興味を持ち始めた昭和40年代。四国四商は『かつての栄光』からはやや力を落とし新興勢力に押される状況でしたが、それでも何度も甲子園までコマを進めていましたので、それぞれのチームに深い思い出があります。高知商は昭和50・60年代がピークでしたし、松山商も昭和61年の準優勝や平成8年の優勝など、栄光を重ねました。徳島商は昭和50・60年代の池田時代を経て、平成に入りまた息を吹き返して何度も甲子園に出場し、いい戦いぶりを見せてくれました。そんな中、四商の中で最も伝統がある高松商は、ワタシの目に触れる中で印象に残ったのはほんのわずか。ワタシの中では『出ると負け』のチームという印象があります。ワタシが最も甲子園に熱い思いを抱いていた昭和50年代、高松商はまさに『毎年甲子園に出てくるチーム』でした。しかしワタシの印象は『甲子園では弱い』チーム。あの時代の”強い四国”にあって、地方大会ではいつもあれだけの実績を残しながら、なぜ甲子園ではあんなにすぐにころりとやられるのだろうということを、不思議に思っていました。同じ四国四商の高知商や池田、同じ香川の丸亀商や尽誠学園などがしっかりと甲子園で実績を残す中、高松商の『大舞台での弱さ』はなぜか際立っていた気がします。この当時、高松商と松商学園、両名門校は毎年のように甲子園に出ながら初戦敗退を続けていたので、ワタシの中では『マツのつくチームは、ダメだなあ』ということがなんだか、刷り込まれています。記録をひもとくと、昭和50年代、高松商は何と10回も甲子園に出場。要するに毎年春か夏のどちらかは、甲子園に来ていたということですね。その中で初戦を突破したのはわずかに3度(4勝)。後の7回は初戦敗退でした。その苦しい時代に光を放ったのが、77・78年のエース、河地投手でした。真っ向勝負のこの右の本格派は、78年センバツでは浪商の牛島投手(元中日)と投げ合って完封勝ち、夏は仙台育英の大久保投手(元広島)と延長17回の球史に残る投手戦を展開しました。最後はサヨナラデッドボールという悲運の終幕でしたが、『高松商・河地』の名は、深く高校野球ファンに刻まれましたね。その77年から79年までの3年間、戦後初めて甲子園に皆勤した、堤選手という好選手もいましたね。何しろこの時代、5季連続甲子園出場なんて夢のまた夢で、しかも全部にベンチ入りするなんて、これまた夢の様な話でした。特に甲子園のベンチ入りが14人という時代だったので、この堤選手は『日本一幸せな選手』として話題を集めました。しかしその後は、80~82年に早実の荒木大輔や小沢が1年から皆勤して、5季連続出場選手は珍しくなくなりましたし、PLのKKコンビはあまりにも有名です。最近では『1年生の即戦力選手』が目白押しなので、5季連続出場も珍しくなくなりました。さて、高松商は平成時代に入ってからはまったく振るわなくなり、甲子園からは遠ざかってしまいましたね。かつて栄華を誇った『公立商業高校の野球』が新興勢力に押されて、なかなか厳しくなってきたのと足並みをそろえて・・・・・という感じです。90年センバツ、96年春夏に出場がありますが、特に目立った成績も残せず、近年は20年も甲子園から縁遠くなっていました。その間、四国四商が勝てなくなってきたと同時に、四国の野球自体も全国の高校野球の中で、光を放てなくなってきています。香川勢は特にそれが顕著で、00年代に入ってからは、夏は何と16年間で4勝しかしていません。勝率.200という寂しさです。選抜では02年以来13年も勝利なし。野球好きが多い事でも知られる香川県の高校野球ファンは、怒っているのではないでしょうかね。そして、この名門高松商の復活を、心待ちにしていたのではないでしょうか。今年のチームは秋の明治神宮大会で、”選抜の2強”と言われる大阪桐蔭と敦賀気比を連破して優勝。『強い高商』が、半世紀ぶりに復活する機運は高まっています。さて、今年のセンバツ。高松商がどんな戦いを見せるのか、注目度はMAXです。
(つづく)