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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

明治神宮大会  高校の部は明徳義塾、大学の部は日体大が優勝

2017年11月16日 | 高校野球

≪第48回明治神宮野球大会≫ ~神宮~
【高校の部】
◇決勝

明徳義塾(四国) 4-0  創成館(九州)

【大学の部】
◇決勝

日体大(関東5連盟) 3-0 星槎道都大(北海道2連盟)


明治神宮大会が、
昨日の大学の部決勝で終了しました。

若干雨にたたられた日もありましたが、
ほぼ予定通りに日程を消化。

そして高校の部で明徳義塾、
大学の部では日体大が優勝して、
幕を閉じました。


高校の部は、
『プラチナチーム』であり、
優勝間違いなしと言われていた大阪桐蔭が準決勝でまさかの敗退。

そして決勝では、
その大阪桐蔭をやぶった創成館に対して、
明徳義塾がその『野球力の高さ』で圧倒。

36年ぶりの優勝を飾りました。

明徳は今大会の3試合をエース市川の3完投で締めました。
馬淵監督は、
数年前のエース岸や全国制覇時の田辺など、
絶対的なエースがいるは、
そのエースを常にマウンドに立てるという戦い方をしてきますね。

もともとの馬淵野球は、
守備の安定からゲームを作っていくチーム。

そういった意味では、
この秋は四国大会から明治神宮大会にかけて、
エース市川がかなり自信をつけて『大エース』への足掛かりをつかんだと言えるのではないでしょうか。

打線は印象としてはそれほど破壊力がある雰囲気はありませんが、
野球をよく知っているという点では他校より一段上のチーム。
選抜に向けて、明るい材料が多い『実りの秋』でした。

準優勝の創成館は、
この大会で全国のファンに大いに名前を売った”シンデレラチーム”となりました。

初戦のおかやま山陽戦の戦いぶりを見て、
『これは相当に”やる”チームだな』という印象を持ちましたが、
次の聖光学院戦、そして準決勝の大阪桐蔭戦と、
『音に聞こえた強豪チーム』を向こうに回して、
堂々と寄り切った戦いぶりは見事というほかありません。

エース川原を中心として、
4人がそれぞれ役割を背負ってつないでいく投手陣の分厚さは、
この大会では出色。

5日間で4試合という、
甲子園よりも過酷な試合日程でしたが、
涼しい顔でこなすたくましき選手たちの顔が並んでいました。

これで創成館は、
今後選抜でも夏の選手権でも、
甲子園の強豪校に全く名前負けすることなく、
臆せず戦っていくことができるでしょう。

特に今年の大阪桐蔭を破ったという自信は、
何物にも代えがたいでしょうね。
こちらも選抜が、とても楽しみです。

この両校は、
選抜でも当然に優勝候補に名を連ねることでしょう。

準決勝で敗れた両チームも好チームでした。

大阪桐蔭については、
今更言うまでもありません。

各選手の放つオーラが神宮のグラウンドに満ち満ちており、
『こんなチーム、久しぶりに見た』
っていく感じでした。

神宮大会はやはりモチベーションが上がらずか、
各選手の執念みたいなものを感じられず敗れ去りましたが、
この秋の経験、悔しさが、
必ず春の選抜に生きてくると思います。

大阪桐蔭の例年の秋からよく春にかけての伸びしろの大きさを考え合わせてみても、
来春の選抜に彼らが『優勝候補筆頭』で臨むことは、
間違いのないところでしょう。

そしてもう一つの準決勝敗退校・静岡も、
かなりの力を持ったチームですね。

日本航空石川戦、明徳義塾戦ともに、
打線の鋭さは光っていました。

昨年同様、
かなり打てるチームです。

後はエース春を中心とした投手陣のレベルアップができれば、
選抜でも期待できそうです。

相変わらず試合にはたくさんのOBが駆け付けて、
伝統校ならではの雰囲気を作っていました。
伝統校の応援は、いいですね、やっぱり。

そのほかでは、
駒大苫小牧に春以降の伸びしろを感じることができました。
聖光学院や日本航空石川などは、
夏の選手権から帰って即席で作り上げたチームという感じは全くなく、
どっしりとした野球ができていたように思います。

一方地元であるはずの関東・東京勢の中央学院、日大三は、
初戦で敗れていきました。

関東大会、東京大会を見て、
この秋のレベルが高くないということを感じていましたが、
予想通りの結果となりました。

この大会に出場がかなわなかった強豪校が、
春以降巻き返してくることが予想されますね。
しかし、選抜は期待しすぎない方がいいように思われます。



大学の部では、
間違いなく来年のドラフトの上位指名候補となる松本・東妻の3年生の2本柱を擁した日体大が圧勝しました。

日体大は首都大学リーグを制した後、
「本大会よりも厳しい」
と言われる「関東5連盟代表決定戦」を制しての出場なだけに期待されていましたが、
その通りの盤石な戦いぶりでした。

最も厳しかった初戦の九州共立大戦をタイブレークで勝ち、
波に乗っていきましたね。

まとまりの松本、球威の東妻の二本柱は、
日本一にふさわしい豪華なコンビでした。

準決勝の東洋大戦は松本が完封、
そして決勝はその松本に負けじと、
今度は東妻が完封して締めました。

両者ともに関西出身で向こうっ気の強い投手。
理想的なライバル関係を築いており、
こういった切磋琢磨こそが選手を育てていくのだなということを実感しました。

大学リーグの戦い方としては、
こういった力の変わらない投手が2人いるというのは、
何よりも強いことですね。

来年もこの勢い、
続いていくのではないでしょうか。


そして準優勝の星槎道都大。

北海道代表として、
そのレベルの高さを見せつける快進撃でした。

北海道勢と言えば、
今年の春の大学選手権でも北海道東海大が4強進出の大躍進。

もはや「全国屈指の強豪リーグ」となってきました。

今大会は、
エース福田が出色のピッチング。

左腕から切れのいい球を放ち、
特に初戦となった創価大戦で見せた完封劇には、
しびれました。

福田は横浜創学館出身。
高校時代から見続けている投手なんですが、
『成長したなあ』
というのが実感ですね。

堂々来年のドラフト候補に、
名乗りを上げたと思います。

打線も鋭い打球を連発。
チーム力の充実は『地方の時代』を強く感じさせました。

その地方の時代を実感させてくれたもう一つのチームが、
環太平洋大学。

初戦の慶大戦で、
まさかの快勝。

慶大にほとんど野球をさせず…という文字通りの快勝でした。
8回の慶大を突き放す連打は迫力満点でした。

近年ずっと言われていることですが、
もう東京六大学と東都大学が交互に優勝を分け合っていた時代ではないんですね。

出場してくるどのリーグの大学も、
水準以上の力を有しており、
展開によってはどこが優勝してもおかしくない。。
それが大学野球の現在地のようです。

その名門、
慶大と東洋大は、
悔しい完敗で神宮を去りました。

関係者の期待は大きかったでしょうから、
何かモヤモヤが残った大会になってしまいましたね。

それから、
ここのところ実績を残せていない関西勢の捲土重来も、
期待しています。



ところで、
今大会で優勝した明徳義塾は36年ぶり、
日体大は37年ぶりの栄冠でした。

手元にある大会パンフレットを紐解くと、
明徳が優勝したのが昭和56年で、
日体大の優勝は昭和55年でした。

思えばこの頃は、
ワタシが人生で一番どっぷりと高校野球、大学野球にはまっていたころでした。

まあ、
大学野球を見るのは、
『あの高校球児、どうなったんだろう・・・・』
という興味が大半で、
あまりリーグ戦自体を真剣に見ていた記憶はありませんが。。。。


明徳はその大会で、
初めて全国へのお披露目がされたという、
記念すべき大会でした。

当時の監督は大ベテランのおじいちゃん監督である松田監督。
長年高知商の監督を歴任した監督で、
明徳の野球強化に際して一番に白羽の矢を立てられた人物でした。

その明徳、
当時は高知商・高知全盛の高知県高校野球界のなかで、
全国の高校野球ファンに『まだ見ぬ強豪』として注目されていた存在でした。

その明徳が秋季四国大会を制して、
勇躍明治神宮大会にやってきたと聞いて、
ワタシはワクワクしたものでした。

何しろ当時は映像がすぐに配信される今と違って、
甲子園に出てこなければそのチームを目にする機会なんて、
どこにもありませんでしたからね、子供や学生のファンにとっては。


当時の明治神宮大会。

招待大会としての位置づけの大会で、
各地区の秋季大会を制した高校が集まるという今のような大会ではなく、
この年を見ても、
秋季大会優勝校が出場したのは北海道地区・北海、東北地区・東北、東京地区・早実、北信越地区・星稜と四国地区・明徳の5校だけ。

例年四国地区は優勝校を出場させていなかったので、
なぜ明徳がこの年に限って出場してきたのかは定かではありません。

北海道・東北・東京・北信越はいつも秋季大会の優勝校が出場してきていたので、
例年はこの4地区、特に東京と東北のチームの優勝が多い大会でした。

ちなみに注目度は、
今の半分、いや、1/3ぐらいかな?

スポーツ紙の4,5面にベタ記事が出る程度の扱いの大会でした。


明徳はこの大会、
まさに『本気モード』の戦いで、
北海、早実、大府(東海)を倒して堂々と優勝。
特に早実は、
荒木・小沢が最上級生となった『最強』の時代ですから、
荒木が明徳打線に打ち込まれて敗れたというニュースは、
結構話題になっていました。

そしてそんな冠を抱いて臨んだ初めての甲子園である翌春の選抜。

明徳は初戦でど派手な二ケタ得点で圧勝して甲子園デビューを飾ると、
2回戦で優勝候補筆頭の”高校野球界のキング”箕島に対して、
ものすごい激闘を繰り広げるのでした。

延長での大逆転負けを喫した明徳・松田監督は、
箕島の名将・尾藤監督との対戦だったですねと問われ、
『武蔵が小次郎に敗れた』
と明言を残して甲子園を去りました。

そして捲土重来を期した四国大会(秋だったかな?)で倒れ、
帰らぬ人となりました。

明徳にとって、
創成期の忘れられない出来事だと思います。

松田監督から竹内監督を経て、
若い馬淵監督が明徳野球というものを確立し、
現在に至っているのが明徳野球の歴史です。

36年という歳月に、
時の流れを感じますね。

それにしてもあの時代のチームのエース弘田、
4番藤本の名前は懐かしいですね。

弘田は小さい体をいっぱいに使って投げる右腕の好投手で、
彼のコントロールと緩いスライダーの使い方は、
今の投手に本当に参考になると思います。
好投手でした。

藤本のスラッガーぶりもすごかった。
上の年代に横田(元ロッテ。阪神・横田選手の父親)がいましたから、
ワタシの記憶としては、
明徳は高知商以上に好選手がワンサカいるというものでしたね。


一方37年前の大学の部の戦いを見ていると、
日体大の選手の名前を見ても、
ピンとくる選手は正直いませんね。

決勝を戦った亜細亜大のエースが、
後にヤクルトで活躍する下手投げの宮本投手というぐらい。
ちなみに六大学代表は法大、東都代表は亜大でした。

翌年この大会を制した法大のメンバーを見ると、
投手陣で田中富(元日ハム)、樽井、和田とつないでいます。
樽井は浜松商で選抜を制したときのエース左腕、
和田は日大藤沢で「神奈川屈指の剛腕」と言われた好投手。

打線は、
3番・西田(元広島)、4番・木戸(元阪神)、5番・小早川(元広島)のPLクリーンアップ。

そういえば江川や金光などの黄金時代の後の法大は、
高校野球界を席巻したPL学園から、
たくさんの選手を獲っていたことを思い出しました。

ちなみにこの年の1・2番は米田・中葉の智弁学園コンビ。
両者ともに、
現智辯和歌山の高嶋監督の秘蔵っ子です。


なんだか明治神宮大会の事を思い出すと、
本当に止まらなくなっちゃいます。
失礼しました。

ということで、
明徳義塾、日体大。

両チーム、関係者の皆さん、
全国制覇おめでとうございます。


これで学生野球シーズンは締めくくりです。

来年の春、
桜の季節になったらまた、
心に残る激闘を見せてください。

今年も学生野球、
大団円を迎えました。


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