さて、最終の第3回、
3位~1位までです。
≪選抜高校野球名勝負≫ その3
第3位 第51回(S54) 決勝 箕島 8-7 浪商
やっぱりこの試合でしょうね。
激闘というにはあまりにもすごすぎる試合でした。
かつて野球は、『8-7という試合が一番面白い』と言われていました。
打撃戦で試合の行方が分からず、
しかもさほど守備が破たんしたり四球が多かったりという勝負ではない、
という意味だったと思います。
その『8-7』の勝負の極みが、
この試合だったと思います。
この大会、
始まる前から『近畿勢の力が抜けている』と言われていました。
秋の近畿大会を制して牛島-香川の超高校級バッテリーを擁する浪商が復活を狙えば、
前年春夏甲子園出場の主力をほとんど残して安定感抜群の箕島も3年ぶりのVを狙い、
前年甲子園で『逆転のPL』を演出し初優勝したPLも満を持しての登場でした。
そこに東洋大姫路、尼崎北の力を持つ兵庫勢も加わり、
他の地区のチームは出番がないのではと当初から言われていましたが・・・。
果たして選抜が始まってみると、
まさにその通りの展開となりました。
近畿勢は先に挙げた5校がすべて8強に勝ち進み、
4強はすべてが近畿勢同士の戦い。
『近畿大会』と言われた大会となりました。
地元がこれほどまでに勝ち進むというのもかつてはなかったことで、
しかも人気の箕島、PLに古豪の浪商が絡み、
ものすごい盛り上がりを見せた大会となりました。
その決勝が箕島vs浪商。
頂上対決となりました。
両チームのエースは、
安定感抜群。
浪商・牛島は球速豊かな速球に独特の軌道を持つカーブのキレが素晴らしく、
”超高校級”の評判通りの投球を見せてくれていました。
対する箕島のエース・石井も、
独特のタメの効いたアンダースローから、
内外角に制球抜群の球を配し、
安定感は抜群でした。
この両エースの投げ合いが予想され、
決勝は3点勝負ではないかとみられていましたが。
ふたを開けてみてびっくり。
箕島が前半得点を挙げると、
浪商が中盤から後半一気に持ち前の破壊力打線で追いすがり逆転。
また箕島があきらめずに追いかけ・・・・
という息もつかせぬ展開。
特に箕島の、
狙い澄ましたようなプッシュバント攻撃は、
フィールディング抜群の牛島の背中のサイド、
ピッチャー、ファースト、セカンドを結んだ三角地帯に見事に転がっていき、
何度も浪商をあわてさせました。
そして7回に逆転した箕島が、
9回の浪商の反撃を抑え、
3度目の春の栄冠に輝きました。
完成された箕島野球が、
荒々しい浪商野球に、
ギリギリで勝って栄冠に輝いた瞬間でした。
この両チーム。
この年は本当に突出した存在のチームで、
夏の選手権でも両チームともに修羅場を潜り抜け4強進出。
『決勝で再度決戦か』
と思われましたが、
浪商が池田のエース・橋川のスローカーブに翻弄されて完封負け。
【春夏同一カードの決勝】
という夢は、
持ち越されてしまいました。
浪商を破った池田も、
4年後に同じシチュエーションで4強に進出しましたが、
大阪代表のPLに敗れこの夢は霧散。
歴史を振り返ってみると、
やはり繰り返されることが多いのに気が付きますね。
この、
レベルとしては【高校野球最高峰】といえる決戦、
30年以上たった今でも、
忘れることはできません。
第2位 第61回(H1) 決勝 東邦 3×-2 上宮
『甲子園の悲劇』
いろいろあると思いますが、
こんな悲劇は劇画で書けば陳腐な物語になってしまうというような、
作りもののような試合もありましたね。
その試合は、平成初の甲子園の決勝でした。
安定した戦いぶりを見せた東邦と、
スケールの大きな好守が自慢の上宮。
優勝候補同士の激突となったこの年の決勝。
9回まで試合は淡々と進んでいきました。
5回に1点ずつを取り合ったものの、
9回まで相手投手の攻略が出来ずに迎えた延長10回。
まずは上宮が2死からのタイムリーで、
待望の1点をあげます。
この1点を追っての東邦。
ノーアウトでランナーを出した後、
バントと見せかけてのバスターエンドランを敢行。
しかしセカンド正面に飛んだ打球は、
4-6-3と渡りダブルプレー。
一瞬にして2アウトと追い込まれてしまいました。
その時映し出された東邦のベンチは呆然。
『これで勝負は決した』
と誰もが思ったはずです。
しかし野球の神様は、
まだ最後のシナリオを用意していました。
あと一人になり優勝を意識した途端、
上宮のエース、宮田の様子がにわかにおかしくなりました。
ストライクが入らない状態になってしまったのです。
本当にピッチャー心理というのは難しい。
10回2死まで淡々と表情を変えずに投げ続けていた宮田が、
急にマウンド上でおどおどしだしたように見えたのは、
ワタシだけだったでしょうか。
四球、内野安打でランナーをためられると、
主砲・原の放った打球はセンター前へ。
これで東邦が土壇場で同点に。
そしてホームに戻った球を捕手が捕球すると、
その眼には大きくオーバーランしてしまった2塁走者の姿が。
走者を刺そうと思い転送された、
2-5-4の送球は、
4の前でワンバウンド。
走者に接触し、外野に転がっていきました。
そして、バックアップに入っているライトのわきを、
『何かの間違い』のように、
白球は転々。
無人の外野の間を抜けたその白球がフェンスまで届くころ、
東邦の2塁走者は、
まさに小躍りして、
勇躍【優勝の】ホームを駆け抜け、
試合は勝者と敗者のコントラストを鮮やかに描き、
劇的に終了しました。
こんなに劇的な最後。
ワタシは後にも先にも見たことがありません。
何人もの上宮の選手が、
グランドに突っ伏して、
しばらく立ち上がることが出来ませんでした。
なんという悲劇。
しかし、
これが高校野球というもの。
野球の怖さを垣間見た、
2時間と少しのドラマでした。
第1位 第51回(S54) 準々決勝 東洋大姫路 8-7 池田
殆ど覚えている人はいないかもしれません。
あの池田高校の数々の栄光の軌跡の中にも、
出てこないかもしれません。
しかし、
ワタシは池田高校を語るうえで忘れることのできない激闘が、
この試合だと思っています。
この大会は第3位で挙げた箕島-浪商の2強がしのぎを削った大会。
しかしそことは別に、大激闘と言われる試合がありました。
舞台は、準決勝の第4試合でした。
この日は、朝からどんよりとした曇り空。
そんな中4試合が行われたのですが、
第3試合の浪商-川之江が延長13回、3時間を超える大熱闘となりました。
その試合の最中から、
雨はしとしとと甲子園に降り注いでいました。
続いて始まった第4試合。
開始からすでに、
雨の降り続く中での対決となりました。
試合は中盤から一方的な東洋大姫路のペース。
8回を終了して8-2と6点のリードで、
ついに最終回を迎えます。
花曇りでかなり気温も下がった夜7時過ぎ(と記憶しています)。
甲子園の名物監督・蔦監督に率いられる池田の大反撃が開始されました。
降り注ぐ雨は、
どんどん大粒になっていき、
甲子園のインフィールドはさながら沼のよう。
その中で池田の打者たちの放つ金属音が銀さんにこだまして、
解き放たれたようにランナーが次から次からホームに帰ってきます。
雨中の激闘と呼ぶにふさわしい、
大熱闘となりました。
大雨の中、蔦監督は、
いつものようにベンチにどっかりと腰を下ろす姿ではなく、
立って選手たちを叱咤激励する姿が脳裏に焼き付いています。
最後の最後、
1点差まで追いすがったものの追いつかず、
ゴロのアウトに対して1塁にヘッドスライディングした最後の打者の姿、
カクテル光線に照らされて美しかったなあ。
追いつくことはできませんでしたが、
またまた私は池田高校に感動を与えられた試合でした。
あの美しいカクテル光線、降り注ぐ雨粒、そして泥沼の光景。
一生忘れられない試合です。
蔦監督。
試合の後、懇意にしている地元の記者と飲みに行った席で、
しこたま酔い最後に何度も何度もつぶやいたそうです。
『〇〇はん。(記者の名前) それにしても、勝ちたかったなあ。』と。
何度も、何度も。
その蔦監督の情熱が、
この年の夏の準優勝、
そして3年後の全国制覇へとつながっていくのです。
池田高校を『さわやかイレブン』から『強豪』へと解き放ったこの試合は、
ワタシにとって忘れられない試合なのです。
<了>
この試合、本当に強烈に記憶の中に残っている「美しい試合」です。カクテル光線に照らされた両チームの姿、キラキラと何か映画のワンシーンの様でした。そして、そうでしたね、履正社の岡田監督もプレーヤーとして出ていました。あの東洋大姫路の岡田選手が、履正社の岡田監督だと自分の中で重なるまで、かなりの時間を擁しました。あの時のプレーヤーが監督となり苦労を重ねて初制覇。。。。。やはり甲子園の「タテの歴史」には、グッと来てしまいます。
またコメントください。
今日令和最初の甲子園が開幕ですね。
また歴史に残る試合が繰り広げられると思います。
勝ちたいという球児の思いが、歴史に残る激闘を生むのだといつも思っています。
8-2で迎えた最終回、橋川選手の走者一掃の3塁打、その後の犠牲フライで1点差となったが2アウトランナーなし。ここまでかと思ったところから田所選手、川原選手の内野ゴロからの1塁ヘッドスライディングセーフと記憶しています。次が好打者の4番山本選手。この時蔦監督がベンチ前で山本選手に遠くに飛ばせとジェスチャーを送っていたのを覚えています。結果はセカンドゴロで3度目のヘッドスライディング及ばずゲームセットとなりましたが、あの時の3人の泥だらけの顔が今でも忘れられません。
この試合から池田高校を応援するようになり同年夏の選手権では決勝で試合巧者の簑島に敗れはしましたが勝たせてあげたっかと本気で思いました。(私は東京ですが四国チームの大ファンです。)
雨天順延が重なりあの日を又順延すると高校の始業式までに大会が終了しないかも知れない…と強行したようです
。どしゃ降りだったのに…。
翌日の真っ青な空を見上げた時、今日試合をさせてあげたかったな…と涙が出ました。
選手が練習出来るように雨上がりの学校のグランドの水溜まりをスポンジで這いつくばるようにして吸わせていた蔦先生をよく思い出します。
春夏とも、箕島と池田の決勝戦だったかもしれません。
順延にしてほしかった。
池田の方が強かったんじゃないかと今でも思っています。
選手権大会で池田は浪商に2-0で勝ってますからね。
前の試合の川之江―浪商もいい試合だった。
川之江と池田はよく練習試合してるようです。
今年は池田の復活に沸きそうな甲子園です。
池田は今までも、とにかく『やまびこ打線』というだけではなく、出る大会ごとに接戦の印象に残る激闘を繰り広げて、とにかく『素晴らしい戦いをするチーム』との印象があります。蔦監督が対戦を嫌がった報徳や東洋大姫路などの兵庫勢との対戦は、徳に盛り上がりました。今年も池田vs報徳、昨夏の箕島vs星稜を期待したのと同じように、『当たらないかな~』と期待しています。
ゲーム終了は八時過ぎだったでしょうか。
最終回の池田の猛攻ですが、雨がかなり強くなり、グラウンドはぬかるんだまま行われ、サードゴロが泥で途中で止まって安打になったり、泥にまみれたボールが手につかなかったりと、守る東洋大姫路にかなり不利だったかと思います。
今だったらゲームを中断するのではないでしょうか。
懐かしいゲームですね。
泥田の中のナイトゲームだったと言うのが、より一層そうさせるのかも知れません。
当時、小学校3年に上がる前の春休みで、家族と夕食を食べながら、観ていた記憶があります。本文にもある通り、あの蔦監督がベンチ最前列でグルグル手を廻し、ランナーに「廻れ、廻れ!」と叫んでいたのでしょうか?テレビで見た雨中の激闘のワンシーンが30数年経た、今でも忘れられません。
あれ以来、池田高校はもちろん、東洋大姫路のファンでもあります。