≪第87回選抜高校野球大会≫
【決勝】
敦賀気比 3-1 東海大四
東海大四 100 000 000 - 1
敦賀気比 100 000 02× - 3
敦賀気比 北陸に初めての優勝旗を持ち帰る!
曇天の甲子園。
開催の危ぶまれた今年のセンバツの決勝でしたが、
雨をついて強行された試合は、
雨が降っていることも忘れてしまうほどの大熱戦。
最後まで勝負の行方が分からない、
素晴らしい決勝戦となりました。
そして最後にその大激戦を制したのは、
『北陸路に初めての優勝旗を』
と意気込んだ敦賀気比でした。
それにしてもこの試合、
前半は敦賀気比がビッグチャンスを迎え試合の主導権を握っていましたが、
そのピンチをしのいで今度は中盤から後半にかけては、
東海大四が7回、8回と勝ち越しの大チャンスを連続して迎えるという展開。
しかし敦賀気比の『大エース』平沼投手が、
このピンチをしのぎ切って味方に勇気を与え、
その姿に応えんと、
前日の試合で『歴史に名を刻んだ男』松本のバットが一閃。
低い弾道のものすごい打球は、
そのままレフトスタンドへ一直線。
ついに3-1と勝ち越し、
優勝をもぎ取ったのでした。
どちらにも優勝のチャンスがある、
決勝戦にふさわしい素晴らしいゲームでしたね。
興奮のしっぱなしでした。
敦賀気比の勝因は、
なんといってもエースの平沼投手。
それ以外にはないでしょう。
その平沼を中心として、
ガッチリとまとまってどんな試合展開にも耐えうるというチームの結束力が、
この優勝を生んだのだと思います。
敦賀気比と言えば、
ワタシのイメージの中で思い起こされるのは、
なんといっても『選手の素材が抜群のチーム』ということ。
名将北野監督がチームを率い、
高校野球界で光を放ち続けていた
『福井商一極』
で無風だった福井県の高校野球界に突如としてこの新興のチームが表れたのは94年。
ボーイズリーグで指揮を執っていた渡辺氏を監督に据え、
福井・京都両県から硬式野球の有力選手を集めて作られたチームは、
福井商の『全員野球』『炎の玉野球』に対抗する、
『力で勝負の素材野球』という感じでした。
しかしその選手の力は他を圧倒し、
内藤、飯田、三上など各年のエースたちは甲子園でも『大会屈指の好投手』として注目され、
東出、そして現監督の東など、
野手もキラ星のごとく好選手を輩出していました。
”福井県の盟主の座”は完全に福井商から敦賀気比に移り、
全国でも4強、8強と、
甲子園に出場するごとにその存在感を全国の高校野球ファンに見せつけました。
エースの剛球や強打、
そして東出の”超絶の足”など、
その戦いぶりの印象は強く、
『いつかは全国制覇するだろう』と言われる強力なチームを毎年のように作り上げたチームでした。
その集大成のチームは、
巨人のエース内海-李(元巨人)の強力バッテリーと猛打で秋の北信越大会優勝、明治神宮大会優勝の戦績を残した2000年のチームでしょう。
センバツでも優勝候補の筆頭にあげられるのではないかと噂れたチームでしたが、
不祥事を起こしてセンバツを辞退。
そして監督は責任を取って退陣。
その頃から敦賀気比は、
『一直線の右肩上がり』のチームが、
『踊り場』よりも『右肩下がり』となってしまう苦難の時を過ごしてきました。
あれだけ強かった敦賀気比は、
後続のランナーであったはずの福井商、工大福井らの集団に巻き込まれ、
そこを抜け出せないままもがき苦しむ姿を見せていました。
もちろんその間も、
春、秋などの県大会、北信越大会では実績を残していましたが、
『あの90年代の敦賀気比』
ではないチーム状況だったことが推察され、
全国への道は長く閉ざされたままでした。
09年夏に久しぶりに左腕の山田投手で夏の選手権に出場。
そこから徐々に復活の足音が聞こえ始め、
翌10年春には選抜の開幕戦で強豪・天理を破り8強に進出しました。
しかしここでもまだ、
ワタシは『(ワタシの)頭の中にある敦賀気比の豪快なチームにはまだなっていないな』
と感じていました。
12年春の選抜では、
東監督が甲子園の初采配。
しかし浦和学院に猛打で圧倒され、
『まだまだ感』を残しながら甲子園を去っていきました。
『あ~あの東選手が、監督になって戻ってきたのか!』
ワタシはこの試合を見て、
そんな感想を持ったものでした。
”高校野球オヤジ”にとっては、
何しろ『あの選手』が『監督』になって戻ってきてくれて『再会』することほど、
楽しくて嬉しくて、
ドキドキすることはありません。
懐かしい旧友にあったような、
そんな感覚で試合を見てしまうものです。
そんな敦賀気比、
2年前の13年センバツで、
『完全に復活した』
という姿をワタシ達に見せてくれました。
開幕戦で優勝候補の一角にも挙げられていた強豪の沖縄尚学に快勝。
2回戦でも秋の近畿大会優勝校の京都翔英を仕留め、
ずんずんと勝ち上がって4強まで進出。
その時の打線の振りの鋭さは、
『敦賀気比完全復活』
を強く印象付けてくれました。
『これで投手に90年代の【大エース】が現れれば、十分に優勝を争えるチームになるな』
と思っていたところ、
翌14年選手権で『2年生エース』の平沼クンが登場しました。
彼の投げる球以上に、
その投手としてのセンスには、
思わず『ほ~っ』とため息が漏れてしまうほど。
2年生にして、
その稀有な才能は飛びぬけていましたね。
そして昨夏の、
記録破りの猛打っぷり。
90年代の敦賀気比も強かったが、
更にグレードを上げて、
いよいよ全国制覇を”本気で”狙ったチームが出来上がってきたという印象を強く持ちました。
しかしながら、
私自身ややその評価に疑問符をつけたのは、
昨年の明治神宮大会。
順調に新チームで秋の北信越大会を制し、
センバツ出場を確定させて臨んだこの大会。
敦賀気比は1回戦で四国代表の英明を振り切ったものの、
平沼投手は本来のピッチングとは程遠い出来で、
夏に見たときとのギャップに私自身、
やや戸惑ってしまいました。
そして敗れた2回戦の九州学院戦では、
『敦賀気比の投手陣で現状信頼できるのは、平沼クン1枚だけ』
という印象を持ったため、
『ちょっとセンバツでの上位の戦いは厳しいかな?』
と感じていました。
その、今年の選抜大会。
初戦の奈良大付戦は順当に平沼クンは素晴らしいピッチングを披露。
2回戦で仙台育英と対戦した平沼クンは、
『投球の見本』
のようなピッチングを披露してこの【有力な優勝候補】を破ると、
準決勝では【優勝候補筆頭】に挙げられていたあの大阪桐蔭打線を見事に完封しましたね。
今大会5試合すべてに投げ、
2完封でわずか5失点。
自責点はわずかに2という素晴らしさでした。
平沼投手という大黒柱が、
敦賀気比という巨大な車を、
馬力で頂点まで引っ張り上げたという印象です。
そして、
松本クンという、
全く無名の選手を【大ヒーロー】にしてしまう、
甲子園というところの魔力が存分に発揮されたといってもいいでしょう。
いい大会だったと思います。
それにしても、
長かった北陸路の初優勝。
星稜が、福井商が・・・・・・
数多の名門が挑み続けた末に、
ついに甲子園の大旗が、
北陸路に翻ることになりました。
奇しくも北陸新幹線開業の年の選抜で。
そのあたりにも、
『甲子園のドラマ性』
強く感じますね。
もうひとつ。
開会式で素晴らしい宣誓を行った篠原主将。
開会式で掲げたその右手に、
今度はしっかりと紫紺の大優勝旗が握られました。
なんと幸せな高校球児でしょう。
センバツでこの『選手宣誓&優勝』のキャプテンは4人目だそうですね。
昭和54年の箕島の上野山主将は、
この後夏の選手権でも、
真紅の大優勝旗をその手に抱きました。
そういえば横浜高校春夏連覇の時の小山主将も、
夏の選手権で選手宣誓しましたっけね。
篠原クン。
今はまだ考えられないかもしれませんが、
そんな『大きな夢』追っていってほしいと思います。
全国4,000校余りのチームの中で、
ただ1校だけに与えられた『権利』なんですから。
ということで、
敦賀気比高校。
本当に、優勝おめでとうございます。
そしてまたまた感動と勇気をもらった大甲子園に、
乾杯!
さあ、
週末からは、
高校野球オヤジは『関東の高校野球春季大会行脚』です。
夏にまた、
あの大甲子園で会えることを夢見て。