◇もっとも印象に残った球児
46.佐賀
久保 貴大 投手 佐賀北 2007年 夏
甲子園での戦績
92年 夏 1回戦 〇 2-0 福井商(福井)
2回戦 △ 4-4 宇治山田商(三重)
2回戦 〇 9-1 宇治山田商(三重)
3回戦 〇 5-2 前橋商(群馬)
準々決勝 〇 4-3 帝京(東東京)
準決勝 〇 3-0 長崎日大(長崎)
決勝 〇 5-4 広陵(広島)
九州の中で最も『野球後進県』と言われた佐賀県。
甲子園ではほとんど勝つことが出来ず、
90年代までに『甲子園の思い出は?』と問われれば、
わずかに82年の佐賀商・新谷のノーヒットノーランが上がるぐらいでした。
しかし94年、
『いつもの代表と実力的には遜色ない』ぐらいのあまり期待されていなかった佐賀商が、
甲子園で波に乗ってどんどん勝ち上がり、
ついには決勝で9回に決勝の満塁ホームランが出るというド派手な結末で優勝。
佐賀県の高校野球史に燦然と輝く結果を残しました。
しかしその後の12年間は、
またも『いつもの佐賀』に戻ったように、
全国大会で上位に進出することはままならない状態が続き、
佐賀商の全国制覇という偉業も霧のかなたに去ってしまったようでした。
しかし2007年、
新たなチームがまた突然に出現。
佐賀県の高校野球史に、
さらに輝く金字塔を打ち立てました。
それが佐賀北です。
時はおりしも、
島田洋七さんの『佐賀のがばいばあちゃん』が大ヒットした頃。
佐賀県が全国的に注目を浴びた中での出来事でした。
佐賀北の快進撃は『がばい旋風』と呼ばれ、
決勝での感動的な逆転劇とそれを支えた大声援は、
今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
この年の佐賀北、
何とも県勢初優勝の佐賀商快進撃の時と、
不思議に一致する符号がいくつもありました。
まずは、
開幕試合を戦ったということ。
佐賀商も開幕戦を制して波に乗ったように、
佐賀北も開幕戦を完封で制し、
次第に波に乗っていきました。
ワタシが佐賀北を『おっ 強いぞ』と思ったのは、
2回戦の宇治山田商戦。
相手の宇治山田商は中井(巨人)、平生という”超高校級”と言われた2投手を擁して注目されていたチーム。
その相手に対して、佐賀北は初戦でリードされた試合を終盤追いついての延長15回引き分け。
そして再試合。
疲れの色がありありの宇治山田商に対して、
佐賀北ナインは、再試合の方が生き生きしていたというぐらいノビノビと自分たちの野球をやり切っての快勝。
この姿を見た時、
初めて私の中に『佐賀北』というチームがインプットされました。
そして『ジャイアント・キリング』と言われた準々決勝の帝京戦。
常に押される展開でしたが、
帝京の強力な打線に対して、
6回からリリーフした久保が、
踏ん張って踏ん張って、
踏みとどまったのが大きな勝因でした。
2回のスクイズに対して冷静に処理して相手にホームを踏ませなかったところ、
素晴らしかったですね。
そして、
久保は本当に打者との駆け引きに長けた投手だったという印象があります。
決して一つ一つの球種がずば抜けているわけではありませんでしたが、
その一つ一つを組合わせるとこんなにも総合力の高いピッチングができるんだ・・・・
と感心したことを覚えています。
この佐賀北のチーム。
まずは左腕の横手投げ・馬場が先発して相手打線の様子を伺い、
中盤から久保がリリーフして相手をぴしゃりと抑えきるという、
盤石の継投で勝ち進みました。
久保投手は決勝まで無失点。
佐賀北の屋台骨を、
ひとりで支えていきました。
その投手陣をリードした市丸捕手のリードも光っていました。
決勝での広陵戦。
ほとんど反撃の糸口もなく迎えた0-4の8回。
チャンスをつかんだ佐賀北は、
大声援の後押しもあって押せ押せのムード。
そこで飛び出した、
副島選手の逆転満塁ホームラン。
打った瞬間にそれとわかる、
豪快にして感動的な一撃でした。
『がばい旋風』
はここに完結して、
佐賀北が佐賀県に2度目の栄冠をもたらしました。
佐賀北にとって、
まさに『夢のような夏』だったと思います。
同時に高校野球ファンにとっても、
『語りつくせぬ夏』となりました。
ところで、
今年の夏に佐賀北がこの2007年以来の甲子園を掴んで帰ってきました。
『夢よもう一度』と期待したファン、
多かったんじゃないかと思います。
しかし結果は初戦敗退。
しかしながらワタシ、
この敗戦を見ながら、
『夢はやっぱり夢であるからこそ輝くんだ』
という思いを強くしました。
無印のチームが激闘を制し、
強豪を破り、感激の大逆転をして全国の頂点に上り詰めた!
劇画でしか起こり得ないような劇的な展開は、
何度も起こっちゃあ、いけません。
『なんであんな凄いことが出来たんだろうか!』
と思うぐらいがちょうどいい。
だからこそ≪忘れられない夏なんだ≫ということですね。
ところで、
敗れた広陵は、
『がばいばあちゃん』の作者、島田洋七さんの母校(しかも野球部)だったというのも、
何かの因縁でしょうね。
敗れたとはいえ広陵は、
この大会で大きくその株をあげました。
特に中井監督とエースの野村投手は、
星稜・松井に続いて【誇り高き敗者】として語り継がれることとなりました。
佐賀北の栄冠には一片の曇りもないのですが、
やはりワタシはあの試合の8回の攻防を見ていて、
『球場の空気が試合を支配してしまう』ということを、
恐ろしいばかりに実感しました。
あの回の球審、
明らかに判定が『おかしく』なっていました。
湧き上がる大声援や、
なんとなく『佐賀北が大反撃するのを望む球場の空気』なんかが、
ベテランで経験豊富な球審のマインドも、
支配してしまったとしか言いようがありませんね。
それまでの回でストライクに取っていた、野村投手の生命線である低めの速球に、
ことごとくその右手は上がりませんでした。
後から何度もビデオを見直して、その日の審判の『癖』というか、
『どこのコース、高さを(ストライクに)取って、どこを取っていなかったか』
ということを検証してみても、
明らかにあの回だけが【異質】でした。
しかし審判も人の子。
その巧拙は決して攻めることはできません。
それだけに、
審判さえも支配してしまう【甲子園の魔力】の恐ろしさが、
まざまざと感じられた試合でした。
試合後の広陵・中井監督が『処分』も覚悟で審判にかみついたのは、
【男気】がいっぱいで、
彼の【大きさ】に感じ入ってしまう出来事でした。
そして一言の恨み節も漏らさなかったエース野村の姿。(おまけに涙も流さず、最後まで冷静でした)
松井に匹敵するほどの『美しき敗者』の姿でしたね。
今プロ野球で、
何事にも動ぜず淡々とマウンドを守り続ける野村投手の姿、
まさに『さもありなん』と思ってしまいます。
大投手になっていきますよ、彼は。
そして大投手になった時に、
ゆっくりと『この試合』のこと、
振り返ってみてほしいと思います。
まあ、
いずれにしても佐賀北高校の『がばい旋風』に沸いた2007年の選手権。
記憶に残る、面白い、いい大会でした。
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