101回を迎えた、
令和最初の甲子園。
〝高校ビッグ4〟と言われ、
最高級の球を投げ、経験も豊富な奥川投手を擁し、
バックにも好選手を揃えていた星稜は、
当初から『今年の目玉チーム』と目されていました。
そしてその期待通り、
新チーム結成以来強さを発揮したチームは、
秋の県大会、北信越大会を制覇。
「秋の日本一を決める」明治神宮大会にやってきました。
そこでは余力を残しながらの準優勝。
ワタシは「まだまだ余力を残しているな」というイメージで、
このチームを見ていました。
というのも、
目の前で見た広陵戦、
あの強打でならす広陵に対して、
奥川はまるで相手を手玉にとるようなピッチングで全く寄せ付けず、
「こりゃあ奥川1人だけ、次元が違うわ」
と思ったからです。
選抜では、
星稜の優勝が濃厚だと思っていましたが、
初戦に快勝した後、
2回戦でまさかの敗退。
それも何か後味の悪い形で。
監督はその後謹慎になってしまい、
春から夏にかけてのチーム作りにも、
影を落としたのは想像に難くありません。
そして始まった夏の予選。
世間の関心は、
もっぱら163キロを投げた大船渡の佐々木投手に向かい、
奥川、そして星稜の動向は、
何か隅に置かれてしまったかのようでした。
肝心の戦いぶりも、
何か今ひとつ乗り切れないような感じで、
終盤の逆転などで勝ち上がって底力は見せていたものの、
なんとなく「去年の9月に想定した姿からは、少し後退したのかな?」という負の印象が頭をもたげてきたりしました。
迎えた甲子園の夏。
奥川はこの自身最後の甲子園を存分に楽しむべく、
しっかりとコンディションを整えて来て、
初戦の完封から始まり、
「やっぱり1番の注目は奥川以外にはない!」
ということを世間に知らしめるべく、
1人次元の違う投球を続けました。
あの三回戦の智辯和歌山戦で見せたピッチングは、
高校野球史に残る素晴らしいものでしたね。
「もう優勝は間違いない」
という世間の声が聞こえていたのかいなかったのか、
最後の決勝、
奥川は強打の履正社相手に奮闘しましたが一歩及ばず。
残念ながら真紅の大旗には届かず、
またも北陸初の栄冠は星稜の頭上には輝きませんでした。
またも悲願には届かなかった星稜。
しかしそのマナーもいい戦いぶりはいつも甲子園のファンから愛され、
「いつの日にか栄冠を」
と心待ちにしている沢山の人々を、
魅了し続けています。
昨日OBの松井秀喜氏も寄せていたコメントに、こんなフレーズがありました。
「でも、ここで優勝できない母校のそういうところも大好きです。」
なんと愛に溢れたコメントではないでしょうか。
こう表現された姿こそ、
なんだか星稜をよ〜く表している気がするんですよね。
「色々あるけど、また応援したくなっちゃうカワイイ奴」
そんなチームです、
昔から星稜は。
星稜といえば、
一言でいえば「甲子園の激闘王」。
いかつい顔の人情派、
山下監督に率いられ、
当時は本当に斬新さを感じた黄色と青のユニフォームでワタシの前に初めて顔を表したのは昭和51年のこと。
(その前の昭和47年の選手権に初出場して1勝を挙げていますが、そのことはワタシ、記憶の片隅にもありません。)
もちろん星稜というチームを頭の中にインプットしていなかったワタシに、
強烈なインパクトを与えてくれたのは2年生エースの小松でした。
ワタシの地元でもある東京の日体荏原を完封して迎えた三回戦、
ワタシは驚きを目にします。
当時全国制覇こそなかったものの、
高校野球の看板チームの1つであった天理と対戦。
もちろん新聞などの戦前の予想は天理の勝利一択。
しかし小松は劇画調に言うとグィーンと伸びてくる速球で天理の打線を沈黙させ、
3-2の1点差で逃げ切ってしまったのです。
この結果は驚きでした。
北陸といえばまだまだ野球後進地域という位置付けで、
強豪ひしめく関西の、
ましてや天理に勝つなんて、
誰も予想し得ないことでした。
波に乗った星稜は、
準々決勝では当時売り出し中の栽監督率いる沖縄の豊見城も1-0で下して4強へ。
実はこの大会、
準決勝第一試合は星稜vs桜美林、第二試合は海星vsPL学園のカードが組まれていました。
ワタシは子供心に、
「これで決勝は、小松と酒井の投げ合いだな」
とワクワクしていました。
酒井はサッシーと言われて、
この夏最大の注目株。
そして甲子園で株を上げまくった小松との対決となったら、
どんなに盛り上がるかと思ったものです。
しかし往々にしてそんな期待は裏切られるもの。
決勝は小粒ながら全員野球で勝ち上がって来た、東京の桜美林と大阪のPLという東西対決となってしまったのですね。
(この頃はまだPLも全員野球のやや小粒なチームだったんですよね。結局この決勝はえらく盛り上がりました。)
この年のベスト4が、
実質的な星稜の甲子園デビューだとワタシは思っています。
そして小松を始め主力が残った翌年の春、
星稜は早速甲子園に帰ってきました。
その年の選抜の特集号に星稜の姿もあるのですが、
まあ今と違って雪の多いこと。
まだ室内練習設備も整っていなかった頃ですから、
雪国のチームが選抜に出て戦う大変さが、
写真の中からも伝わってきます。
その当時の星稜は、
完全に小松を中心とした守り勝つチーム。
1-0とか2-0とか、
そういうゲームプランで戦うようなチームでした。
それゆえに、
小松が打たれたらジ・エンド。
選抜では滝川の一気の攻撃に、
捲土重来を期した夏は、
初戦で高嶋監督率いる優勝候補の智辯学園と初日に激突して、
見事な投手戦の中1-2と敗れ、
3年生になった小松は、
甲子園では勝利を挙げることなく去っていったのです。
この若き高嶋ー山下の対決は、
当時のテレ朝で戦いの夜やっていた「ああ甲子園」という番組(今でいう熱闘甲子園みたいなもの)に取り上げられて、
ワタシの心に二人の若き名将の姿が、
深く刻みこまれました。
今年の甲子園の三回戦。
星稜vs智辯和歌山は、
この二人が解説席に並んでの進行でした。
ワタシはもう、
昔を思い出して、
懐かしくて懐かしくて。。。
でも、
時の移ろいも同時に感じましたけどね。
この年に高校年代では最高級と言える小松を擁しながら勝つことができなかった山下監督。
それからは、
「打つ」
ということに力を入れたんでしょうね。
次に出てきたときは、
「北陸には珍しい強打のチーム」
としてお目見え。
それがあの、
昭和54年の伝説のチームです。
安定したエース堅田を、
北陸らしからぬ強打で支える好チームは、
選抜では初戦で敗れたものの、
夏は見事に初戦を突破、
3回戦で春夏連覇を狙う当時高校野球最強のチームであった箕島と激突しました。
なんども語り尽くされていますが、
この試合は本当に凄かった。
先攻の星稜は、
常に先手先手を取る理想的な試合展開。
箕島は堅田の好投になかなか手がです、
後手を踏む展開となっていました。
12回に星稜がやっとの思いで一点を勝ち越すと、
その裏箕島は追い詰められた2死から嶋田が起死回生の同点アーチ。
その後隠し球などもあって、
激闘感がハンパない試合になった16回には、
また一点を入れた星稜に対し、
今度も2死ランナーなしから森川が、
万事休すと誰もが思ったファーストのファールフライを加藤が転んで取りきれず、
その次の球を、
まるで野球の神様が乗り移ったかのような左中間への再度の起死回生の同点アーチ。
もう、
鳥肌どころではなく、
「この試合は、もはや決着というものはつかないのではないか?」
とまで思った18回裏、
さすがに疲れ果てた堅田が四球を連発して作ったチャンスに、
箕島の江川がショートの頭を超えるサヨナラヒット。
この「神様が創った試合」は、
終わりを告げたのでした。
こんなものすごい試合の40年後、
また今年の甲子園で、
星稜は同じ和歌山代表の智辯和歌山、
あの高嶋監督が育てたチームと、
〝チーム中興の祖〟山下監督、高嶋監督の後継者が率いるチームが球史に残る戦いをするなんて。。。
ああ、高校野球を見ていてよかった〜
そんなことを感じる瞬間でした。
星稜はこの延長18回の激闘を経て、
甲子園のファンには「なくてはならない存在」となったのですが、
その後山下監督は、
なかなか勝てない時期が続き、
大いに悩む時期を迎えます。
この頃の北陸代表、
石川は星稜、福井は福井商と
「相場が決まっている」
とまで言われました。
しかし両校共に、
甲子園には毎年のようにやってくるものの、
勝利にたどり着くのは難しく、
上位進出は阻まれ続ける苦しい戦いが続きましたね。
星稜は昭和56年には下手投げの好投手・近江で秋の明治神宮大会を制して選抜では優勝候補の一角に上がるものの敗退。
57.58.59・・・
力があると言われるチームを作れども作れども、
全国の分厚い壁に阻まれて、
なかなか結果を残すことができません。
そうこうしているうちに、
昭和60年代には甲子園出場も怪しくなり、
「もう星稜の時代は終わった??」
なんて囁かれるようになっていました。
やはり50年代前半の印象が強かったので、
ファンの目にはそう映っていたのでしょうね。
星稜が久しぶりに世間の注目を浴びたのが平成に入ってから、
松井秀喜の登場と共にです。
一年生に入学した時から話題になっていた、
この「1年生らしからぬ1年生」は、
最初の年にちょこっと甲子園に顔見せすると、
2年時にはその後を予感させるアーチを甲子園の空にかけて4強進出。
そして3年時を迎えます。
このチームは主砲・松井の他にエース山口も下級生から十分に経験を積んでいて、
投打に傑出した選手を揃える好チーム、
展開さえハマれば優勝もありうるという評価でした。
選抜にやってきた松井は、
この年からラッキーゾーンが取り払われてものすご〜く広くなった甲子園で、
なんと2試合で3発を叩き込んで、
ものの違いを見せつけて8強に進出しました。
満を持して臨む最後の夏。
松井秀喜率いるチームは、
強さを見せて県大会を勝ち上がり甲子園へ。
好調ぶりを評価された星稜は、
3強の一角に挙げられ、
今度こそ優勝が現実味を帯びて語られた大会となりました。
山下監督のインタビュー記事などを見ても、
この年のチームにはかなり手応えを感じていたようで、
何か言葉の端々に決意のようなものが感じられたのを記憶しています。
初戦で同地区の新潟代表に完勝した星稜の2回戦の相手は、
初戦を不戦勝の位置に陣取り待っていた明徳義塾。
明徳はそれまで、
甲子園で印象深い戦いを続けていたものの、
監督が若い馬渕監督に代わってからは初めての甲子園。
強豪揃う四国の高知代表とはいえ、
やや小粒な印象のチームで、
誰もが星稜の勝ちを疑ってなかったでしょう。
今でなら馬渕監督の相手分析力は知れ渡っていますので星稜もかなり警戒したのでしょうが、
その年はまだ世間には知られていなかった若手監督。
普通の試合になるから、
力で押し切ろうという戦略で臨んだのは、
あたりまえだと思います。
しかしご承知のような試合展開となって、
山下監督が大望を抱いて送り込んだチームは、
わずか一点が届かず、
失意のまま甲子園を去ることになってしまいました。
ワタシはやはり、
山下監督はこのチームこそが、
自身の最高傑作、
星稜史上最強のチームだったのではないかと、
今になっても思ったりするわけです。
無念を押し殺して甲子園を去る松井、そして山下監督。
察するに余りある光景ではありました。
しかしその無念のまま引き下がってはいないのが闘将・山下監督。
今度はその3年後、
新たな好チームを作りまた星稜は甲子園にやってきます。
このチームのエースは、
頭脳派の山本投手。
新たなタイプの「名投手」で、
チームを高みまで導きました。
山本投手、
本当に技巧派の極みのような、
いいピッチャーでした。
この極上のエースを擁して、
星稜は勝って勝って勝ちまくり、
ついに念願の決勝進出を果たしました。
山下監督にとっては、
3度目の挑戦によってようやくその厚い壁を突破しての、
決勝の舞台でした。
相手はこの年代での甲子園の絶対王者といってもいい、
帝京でした。
この年の帝京は「強いといえば強いが、過去の帝京に比べてさほど突出してもいない」と言われるチームで、
星稜に十分勝機ありとみられていました。
帝京はこの頃ある意味「甲子園のヒール」的な位置づけでもありましたから、
満員の甲子園はほとんど星稜の応援一色。
そんな中で行われた決勝であったものの、
星稜はそれまでの激闘の中で多数の負傷者、離脱者を出して、
満身創痍の戦いとなってしまい実力を出すことができず敗れ去りました。
それから10年間山下監督は現役として指揮を執りますが、
この95年をピークにチーム力は落ちて行ってしまいました。
そんな中で、
県内で「絶対王者」の位置を長く保っていた星稜でしたが、
長年のライバル金沢や星稜中の元監督である山本監督率いる遊学館が力を伸ばし、
甲子園に出場することが難しくなる時期も続いていきました。
そんな中の新たな取り組み(?)が、
星稜中学の強化。
新たに監督に就任した林監督は、
中学軟式野球界の雄でもある星稜中と星稜高校を本当にうまく有機的に機能させ、
いいチーム作りをしてきていると思います。
98年に選手権で2勝を挙げた後15年にわたり甲子園の勝利にたどり着けなかった星稜が、
その長い沈黙を破って全国に「星稜ここにあり」を印象付けたのが2014年の夏の石川大会決勝。
あの「9回8点差大逆転」の試合です。
あのまさかの大逆転で波に乗ったチームは甲子園で2勝を挙げ、
「ニュー星稜」を強く印象付けると、
チームはまた活気を取り戻す契機となりました。
そしてそこに現れたのが、
”星稜史上最高の投手”奥川投手でした。
その奥川を擁して、
昨年、今年とチームは4季連続甲子園に出場。
昨春久々の8強入りを果たすと、
今年の選手権ではついに決勝に進出。
学校として初めての栄冠に、
あと一歩まで迫ったのです。
山下監督がチームを導いて甲子園に行ったのが計25回。
05年の1回を除き、
その他のすべては90年代までの事です。
そして林監督は、
ここ7年で7回チームを甲子園に導き、
準優勝1回を含み11勝を挙げて、
先代の名監督の背中を追っています。
またここに来て新たな歩みを見せてきた星稜、
「北陸の強豪」として、
何としても成し遂げたい甲子園制覇に、
一歩ずつ近づいています。
いつの時代も「激闘王」にして「マナーのいい爽やかなチーム」である星稜。
新たな高校野球ファンも、
今年の星稜の戦いぶりを見て、
ファンになっちゃった人、多いのではないでしょうか。
これからもあの黄色と青のユニフォームを見るたび、
小松が、堅田が、松井が、山本が・・・・・そして奥川が、
頭に浮かんでは消えることでしょう。
その激闘の記憶とともに。
やっぱり甲子園になくてはならないチーム、
それが星稜だと思います。
準優勝おめでとう!!
栄冠に向け、
また新たな第一歩を踏み出してください。