昭和の大横綱、千代の富士が死去しました。
61歳という若さでした。
2014年にあの大横綱・大鵬が死去。
2015年にも大横綱・北の湖が死去。
そして2016年、
初の国民栄誉賞を受賞した大横綱・千代の富士までもこの世を去りました。
まさに、
『昭和は遠く、なりにけり』ですね。
千代の富士といって思い出すのは、
なんといってもあの筋骨隆々の体ですね。
小兵力士と呼ばれ、
何度も肩の脱臼で球場を余儀なくされながら、
徹底したウェートトレーニングで体づくりを行い、
筋肉の鎧をまとうことでケガから自分を守るというすべを身につけた力士でした。
何しろ千代の富士は、
本当に動きが早かった。
動きの速さで言えば、
あたかも今場所優勝を飾った日馬富士のよう。
そしてその上に、
ものすごく力が強く、
そして相撲勘が鋭かった人なので、
組んでからの伝家の宝刀でもある右上手投げが、
相手を全く寄せ付けませんでした。
彼が日の出の勢いで横綱まで駆け上がっていった頃は、
前世代の看板力士である、
北の湖や貴乃花が角界に君臨していた時期でした。
そしてその看板力士を破って新時代を告げたのが、
今までの力士の誰とも違う、
『早くて力強くて、そしてかっこいい』
千代の富士でした。
”新時代の旗手”ということを、
よく言われていました。
千代の富士は横綱に上がってから、
その相撲を花開かせ、
横綱で29回もの優勝を飾りました。
昭和の終わりが近づいていた88年九州場所。
あの場所は、
千代の富士の連勝記録がどこまで伸びるのか・・・・・と、
日本国民の目がすべて大相撲に注がれたような場所でした。
結局連勝は、
横綱同士の一番で、
『情けない』と言われ続けていた大乃国が、
乾坤一擲の素晴らしい相撲を見せて、
意地で千代の富士を破ったのでした。
現役時代は、
本当に華やかな相撲人生でした。
本当に強い力士でした。
89年には国民栄誉賞も受賞。
すべての栄光を手に入れた感のある、
昭和の大横綱でしたね。
その昔、
日本の子どもの好きなものを、
『巨人・大鵬・卵焼き』
なんて表現しましたが、
我々は学生のころ、
『それならば今は、西武・千代の富士・ハンバーガーってとこかな?!』
なんて表現していました。
しかし引退してからは、
あまり恵まれた『第2の相撲人生』ではなかったかと思います。
現役時代にも華やかさの裏に、
とかくいろいろなことを言われる人でもありましたが、
(注射相撲や部屋での慈悲のないしごきっぷりなど、よく話題に上っていました)
大横綱から角界をしょって立つ第2の相撲人生を歩んだ大鵬や北の湖と比較して、
親方になってからは各界のど真ん中を堂々と歩いているというような印象はありません。
なぜだか横に置いておかれるような感じを強く受けたものです。
しかしそんな不遇の中、
大関・千代大海らを育て、
これからまた、
たくさんの”あの頃のこと”をお茶の間に語ってほしかったなあと、
思いますね。
お疲れさまでした。
千代の富士の師匠である北の富士さんが、
あれだけ元気にNHKで、
毎場所言いたいことを言っている姿を見ると、
千代の富士の死が本当に早すぎて、
実感がわいていません。
それにしても。。。。。
昭和は遠く、なりにけりということだけは、
ひしひしと感じることのできる大ニュースでした。
合掌。
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