思いもよらないコロナ禍という厄いに翻弄された2020年。
その苦しみを引きずったまま突入した今年、2021年。
まだまだこの厄災はとどまることを知らず、
2021年もまた、
これまでの日常生活とは程遠い日常を、
日本のみならず世界の人々は、
過ごさなければなりませんでした。
この年末にきてまたオミクロン株という変異種が猛威を振るい始め、
まだまだ”戦いの終わり”は見えてきていませんが、
スポーツ界はそんな社会情勢の中、
少しずつ本来の姿を取り戻しつつあります。
やはり、
その「反撃ののろし」を上げたのは、
アメリカのスポーツ界とヨーロッパのサッカーでしたね。
巨大な利権にまみれているからといえばその通りなのですが、
それでも「観客を元に戻す」ことに舵を切り、
何とかそれを成し遂げつつあるこれらの国のスポーツ界には、
やはり畏敬の念を抱かざるを得ません。
誰かが先鞭をつけなければ、
あとには続けない。
やはり「メジャースポーツ」と言われる競技はすごい・・・・・
そんなこと、
このスポーツおやじは思ってしまう1年でした。
そんな中でこの日本でも、
春先あたりからボチボチと観客を元に戻す試みが行われていって、
少しずつではありますが観客がスタジアムに、アリーナに足を運ぶ姿が見えるようになりました。
しかしコロナの猛威が完全に収まることにはならず、
第3波、第4波、第5波と断続的に感染者の数は増えるという経過をたどり、
スポーツ関係者は戸惑いを隠せませんでした。
そして、
アメリカやヨーロッパとわが日本では、
スポーツに関していえば国におけるその立ち位置に大きな違いがあるのだなあ・・・・・
2021年は、それを嫌でも意識せざるを得ない年となりました。
アメリカ、ヨーロッパのように「えいやっ」と観客を入れる方向にシフトするという事、
日本の世論には是とする意見は多くはなく、
「こういった非常時には、やはりスポーツなどは自粛・・・・」
という意見がマジョリティーだったと思います。
それはやはり、
日本におけるスポーツが、
まだまだ「文化」という位置づけよりも単なる「娯楽」と位置付けられているからに他ならないからだな…
そんな風にも思いました。
日本という国ではスポーツ自体が「体育」から発祥しているので、
そもそもの目的が楽しむためではないという意識が抜けないのか・・・・・
あるいは「日常に根付いたもの」というよりも「生活の余った時間で楽しむもの」だから、
「ちょっと我慢しておけ」と考えているということなのか。。。。。。。
ちょっといろいろ考えることも多かったのですが、
それはまたの機会に。
しかし今年は日本にとって、
前年から延期した東京オリンピックが開催される年。
ワタシは一貫して「東京オリンピックは開催すべし」と思っていたのですが、
世間的には今年の前半まで、
やはり「オリンピックなど開催するな」という声の方が大きかったですね。
「ここでスポーツのチカラを見せず、どこで見せる!!!」
なんてワタシは力んでいたのですが、
関係者の多大な努力によって、
無観客ながら東京オリンピック・パラリンピックは開催され、
たくさんの感動を生み出してくれました。
この東京オリ・パラが開催されたのが7月~9月にかけて。
その寸前まではず~っと日本列島を黒い影が覆ったような気持でいましたが、
あのブルーインパルスの飛行、そして開会式を見て、
さらにオリンピックの素晴らしい感動を連日目にするにつけ、
ワタシの頭の上の黒い雲なんか、
どっかに行っちゃいました。
ホントに晴ればれとした気持ちで、
その後暮らすことができて、
ひしひしとスポーツのチカラというものを感じた年でした。
そんな東京オリンピックが心に残る年になった2021年ですが、
改めて振り返ってみると、
本当に「ありえないようなこと」が多かった年となりました。
松山英樹が日本ゴルフ界悲願のマスターズ優勝を成し遂げ、
大谷翔平はあのベーブルースをもしのぐような投打の二刀流で大活躍。
日本シリーズは前年最下位の2チームが激突して、
今世紀に入ってから最も熱い、エキサイティングな戦いを見せてくれました。
そんな1年を、
あくまでも極私的に振り返ってみたいと思います。
お付き合いいただけたら幸いです。
◇2021年 スポーツこの1年
まずは番外編から。
【番外編】
≪選外≫ オリックス 最下位からの下克上でパ・リーグを制す!
オリックスの快進撃、そしてあのイチローがチームを引っ張った96年以来25年ぶりの優勝を、ある意味堪能しました。前年から若きエースの山本に左腕・宮城の台頭などで優勝にふさわしい戦力を整えていると思ってはいましたが、やはり長年染みついた「負け癖」が一気には抜けないだろうという事と、SBが超絶に強いだろうという事で優勝予想はできませんでした。しかし、「こうなってきたらオリックスは強いぞ」という展開に徐々になってきて、気が付くとどのチームをも寄せ付けない強さ、たくましさを身に着けてゴールにたどり着きました。選手を信頼してシーズンという荒波を渡り切った中嶋監督の采配も見事。見事な優勝でした。来年以降もオリックス時代、続く可能性は十分です。
≪選外≫ 絶対王者・・・・と思われたSB、巨人の迷走。
オリックス、ヤクルトという前年最下位のチームがペナントレースを制したのは、やはり「絶対王者」のSB、巨人が沈んで行ったという要因が大きかった今年のプロ野球でした。特にSBの失速は、全く予想がつきませんでした。エース千賀、両外人などをはじめ様々な選手が故障や不調で戦線を離脱するという事はあったものの、それらをものともせず分厚い戦力から新戦力が登場していつも突き抜けていったSBの姿、今年はついぞみられませんでした。昨年あれだけ爆勝ちしたオリックス戦で負け越し、さらに西武などにも負け越すなど信じられない戦いぶりで、最終的には借金を抱えて4位に沈みました。そしてそれはセの絶対王者である巨人も同じこと。圧倒的な戦力を抱えていると思われた巨人でしたが、相次ぐ故障で途中から先発ローテを回すのに四苦八苦、さらに全く機能しない外人が次々離脱すると打線も機能しなくなり、こちらも借金を抱えてシーズンを終えました。しかし何とか3位でCSに出場すると、なんと2位の阪神を敵地で撃破。逆に顰蹙を買うというシーズンになり、最後はヤクルト相手に1勝もできずにシーズンを終えました。さてこの両チーム、戦力はいまだにリーグの他の球団よりもダントツで、かけているお金も他球団の倍以上という中、来シーズンは巻き返しなるでしょうか。来年もダメなら、ファンは黙っちゃいないと思いますよ。
≪選外≫ 井上尚弥 最強を証明もコロナに翻弄される。村田諒太のビッグマッチも・・・・・
ボクシング界は、昨年に引き続いて今年も、コロナに翻弄された1年となってしまいました。日本が誇る2トップ、井上尚弥と村田諒太にとっては、なんとも不完全燃焼間の残る1年だったのではないでしょうか。井上はそれでも、6月にラスベガスでダスマリナスをKO、そして12月にはディパエンを8RのTKOで破り、年間2試合は行うことができました。しかしこのバンタム級での「4団体統一王者」を狙っていた今年の成果としては、一度も王座統一戦の話がまとまらず、忸怩たる思いを抱いたことでしょう。カシメロ、ドネアという他団体王者と来年はどう絡んでいくのか、注目して見ていくことにしましょう。井上尚弥に関していえば、今年はこの2度の防衛戦よりも、2月にLEGENDSというイベントで行った比嘉大吾との3Rのスパーリング、そして11月の元世界スーパーフライ級チャンピオンである田中恒成とのスパーリングで見せたすごさの方が、印象に残っています。いずれも元世界チャンプでものすごい強いボクサーであるにもかかわらず、ある意味レベルの違いを見せつけたような形になったのは衝撃でした。 さて、村田諒太です。現WBAミドル級のチャンピオンながら、何度もタイトルマッチがキャンセルされた挙句、2019年12月から試合が組まれず今日まで至っています。そしてこの12月29日、ようやくこぎつけたスーパースター、ゲンナジー・ゴロフキンとの統一戦はなんとオミクロン株の蔓延阻止でGGGの入国がままならず延期となるという不運。村田にとっては、この対決こそが自分のボクシング人生の集大成として望んできたファイトだったので、落胆はいかばかりかと思います。そんな村田もすでに36歳。昔でいえば「ボクサー定年」でJBCから引退を勧告される年が近づいています。そのキャリアはすでに晩年ですので、もう本当に待ったなしなのですが、今後の展開は果たしてどうなるのでしょうか。来年の3月か4月にこのビッグファイトは行われる予定のようですが、その時期にコロナ禍はどうなっているのかなんてだれにもわかりませんし、大体スーパースターのゴロフキンがこのまま黙って延期でのファイトに応じるかどうかなんていうのも、誰にも分らないところです。ワタシが見るところ、実現可能性はまあ50%ぐらいではないか・・・・・そんな風に見ています。万が一このファイトがキャンセルになった場合、村田はどこに向かうのでしょうか。。。それが本当に心配な、ボクシングシーンです。
≪トピックス≫ 本当のスーパースターとは何か、トム・ブレイディが教えてくれた。
今年のトピックスとしてひとつめに取り上げたのは、NFLの話題です。今年2月に行われたスーパーボウル。この舞台に、まさかのダークホースが上り詰めてきました。その名はタンパベイ・バッカニアーズ。そしてそのチームをこの舞台まで引っ張り上げたのが、前年までペイトリオッツで6度のSB優勝のほか、すべての記録を塗り替える「生きる伝説QB」トム・ブレイディでした。ブレイディは43歳にして”新天地”をタンパに求め、そしてその卓越した技を、気持ちを、そのすべてを注ぎ込み、ほとんどの年負け越しばかりだった”ドアマット”のチームを11勝5敗でプレーオフに進出させ、そのプレーオフでは第5シードから3連勝でSBまで上り詰めました。そしてそのSBの相手は日の出の勢いでSB連覇を狙うKCチーフス。チーフスのQBは「当代一」と言われるマホームズ。新旧の超絶QBの対決に沸いたSBでしたが、ブレイディは「まだまだケツが青いぜ、マホームズよ」と言わんばかりのプレーを見せて31-9と圧勝。「ああ、本物のスーパースターとは、彼のことを言うんだな」と心に深く刻み込まれました。ワタシは80年代初頭から真剣にNFLを見ていますが、これまでワタシの中で最大のスーパースターQBはもちろんジョー・モンタナでした。ブレイディがこれまでどれほどすごいプレーを見せたり記録を残しても、「いやいや、やっぱりモンタナにはかなわないだろう」と思っていましたが、この日のブレイディのプレーを見るにつけ、「歴代No1QBは、ブレイディだな」と認識を改めました。まあ、もちろん「一番好きなQBは?」と言われれば即座に「モンタナ」と答えるのですがね。。。。それにしても、本物のスーパースターとは、すごいものです。
≪トピックス≫ 栗山巧 球団初の2000本安打を達成。西武初めてのフランチャイズ・プレーヤー
もうひとつの今年のトピックスは、やっぱりワタシにとってはこの話題ですね。西武・栗山巧選手の2000本安打です。何しろチーム創設年以来の最下位に沈んで、何一ついいことのなかった今年の西武というチーム。まあ、試合っぷりを見ていると「こりゃ、勝てんわなあ」というのがあらわれていて、正直「応援する気にもならん」状況でした。しかし。。。。。今年は当初から、一つだけ「どうしても外せないもの」がありました。それが栗山巧選手の2000本安打達成、名球界入りです。栗山選手といえば、とにかく実直で目立つ選手ではありませんが、来る日も来る日もバットを振り続けて、ついに西武ライオンズとしては初めての2000本安打を達成してくれました。西武は黄金時代、秋山、清原、松井、和田ら、たくさんの2000本安打達成者を生んでいますが、誰一人としてライオンズで達成した選手はいませんでした。トレードやFAなどで球団を去り、この球団で選手生活を全うしたスター選手が、誰一人としていなかったという事ですね。ちなみにただ一人最後までライオンズで現役生活を全うした伊東勤は、残念ながら2000本安打に届きませんでした。そんなチームは、10年代に入っても毎年のようにチームを去る選手ばかりで、「一人ぐらいフランチャイズプレーヤーがいたっていいじゃねえか」とファンが嘆き続ける事態になっています。「もしかして・・・・」と期待していた秋山翔吾もMLBに移籍。。。。そんな中、今や「チームの骨と牙」と言われる栗山と”おかわり”中村の二人は、何度もFAで好条件のチームに移籍するチャンスを得ながらも、ライオンズを選びここで変わらない真摯なプロ野球人としての姿を見せてくれています。そんな彼が達成した2000本安打。何よりうれしいトピックスでした。お祝いでもらったパインアメ、まだ大切に取ってあります。いつか栗山監督、中村打撃コーチ、松坂投手コーチの時代になったら、開けてみますね。それまでは宝箱の中。。。。。。
【次点】
≪第13位≫ フィールド・オブ・ドリームス
8月、ワタシはテレビ画面を見ながら、動けなくなってしまいました。それはMLBのホワイトソックスとヤンキースが行った、あのコーン畑を切り開いて作ったフィールドでの公式戦を見たから。 ワタシの大好きな映画「フィールド・オブ・ドリームス」さながらのあの光景、忘れることができません。シューレス・ジョー・ジャクソンなど追放されたプレーヤーがコーン畑から出てきたあのシーンさながらに、選手たちが登場するシーンの”粋”、感じました。そして、アメリカのメジャーリーグをはじめとするメジャースポーツがいかに人々の生活の中に根付いているのかという事も垣間見え、「ああ、やっぱりアメリカは、映画とスポーツの大国だなあ」なんて感じました。こういった試合は往々にして凡試合になるものなのですが、この試合はなんだか最終回に劇的なシーン続出の、まさに「映画で作ったのような試合」になりましたし、お客さんはじめ全米で中継を見た人たちも、大満足だったことでしょう。
≪第12位≫ 大相撲この1年 コロナに翻弄され、土俵禍もあったが、最後は通常に戻った。
大相撲はこの1年、コロナとの戦いに終始しました。初場所から観客数は減らしたままの開催を続け、地方場所は3月の春場所が大阪から東京・両国国技館へ場所を移しての開催となりました。土俵上では、今年は照ノ富士が安定した相撲を続け、毎場所10勝以上の勝ち星を挙げて4回の優勝を飾り、春場所後に大関に、そして秋場所には横綱に昇進、角界をがっちりと支える太い柱になってくれました。横綱は鶴竜、白鵬が引退し、大関陣は安定した成績を残せずに照ノ富士以外の上位陣は四苦八苦の状態ではありましたが、次代を担う若手、中堅力士が奮闘して、土俵はそれなりの盛り上がりを維持したと思います。協会はとにかくコロナ陽性者を力士、関係者から出すことを何としても阻止して開催にこぎつけようと、力を尽くしていたと思います。その結果各場所で多少の陽性者は出したものの、今年の6場所はすべて有観客での開催にこぎつけることができました。しかしそんな中、コロナ禍で外出が厳しく自粛される中で、大関・朝乃山、幕内・竜電らが、前年の阿炎に続いて「コンプライアンス違反」で出場停止の処分を受けました。朝乃山は大関という地位を考慮しより厳しい処分が下され、6場所の出場停止という事になって大関陥落。来年も夏まで出場はかなわず、三段目からの再起となってしまいました。本当に大きな大きな出来事となりましたね。元幕内の貴源治は大麻所持で懲戒解雇。そんな本当に厳しいことの続いて大相撲でしたが、ワタシにとっては大ファンだった勢関が引退したのは、残念な出来事でした。しかし「1年締めの九州場所」は通常通り開催され、何とか来年に向けて光が灯った形で年を越せることになりました。
≪第11位≫ 雨とコロナに翻弄された甲子園。2年ぶりの夏の甲子園は決勝で智弁対決
昨年は春夏ともに甲子園での高校野球は通常通りに開催はされず、球児たちは涙にくれた1年となりました。今年は関係者の努力もあり、春のセンバツ、夏の選手権ともに通常に近い形での開催にこぎつけ、夏の選手権大会が2年ぶりに真夏の甲子園で行われました。大会は東京五輪との重なりを避けてやや遅れての開幕となりましたが、悩まされたのが連日の雨。中止、中止が相次いで、明桜と帯広農の対戦は4回途中ノーゲーム、そして大阪桐蔭と東海大菅生の対戦は泥沼のような中8回まで行われ、そこでコールド決着となりました。またコロナもこの大会に影を落とし、宮崎商と東北学院が甲子園まで来ていながら無念の出場辞退となりました。東北学院は初戦を終了した時点で陽性者を出したとのことで出場辞退、宮崎商は初戦の前という事で甲子園で試合することなく帰郷という事になってしまって、本当にかわいそうなことでした。そんな中今年の大会は、さながら近畿大会の様相を呈して4強はすべて近畿の代表校。親分格である大阪桐蔭が敗退してなおこの強さ。近畿勢の最近の充実ぶりを示す大会となりました。そして決勝は智辯和歌山と智弁学園という、学園関係者にとってはまさに”夢の対決”となりました。この1年常に高校野球のトップランナーとして走り続けてきた智弁学園に対し、選抜に出場がかなわず、おまけに県内には高校No1と言われる市和歌山・小園がデンと控え、甲子園への出場もかなり厳しいと言われていた智辯和歌山。同じ茜色のユニフォームに身を包んでいるとはいえ、好対照な歩みでこの決勝に上がってきた両校の戦いは、”弟分”である智辯和歌山が、1年分の苦労の成果を存分に見せて”兄貴分”を圧倒。9-2のスコアで、3度目の全国制覇をつかみ取りました。時は8月29日。高校野球としては最遅の決着でした。
【ベスト10】
≪第10位≫ Jリーグは川崎フロンターレが圧倒の連覇
サッカーは今年、代表がW杯の最終予選を戦い、U-24はオリンピックの戦いが待っていました。そのオリンピック。真夏の無観客での試合となり、過酷なことこの上ないことになりましたが、この大会の日本オリンピック代表の胸のすくような快進撃、記憶に残りました。残念ながら準決勝でスペインに、3位決定戦ではメキシコに敗れてメダル獲得とはなりませんでしたが、「日本サッカー、ついにここまで来たかあ」という驚きと感動が、胸を包みました。あのスペイン、メキシコに大舞台で互角の戦いを挑んでいるなんて・・・・・という胸アツな瞬間が、何度も何度もワタシに訪れていましたね。さて、今年のJリーグは、川崎フロンターレが昨年に続いての連覇を達成しました。春先からギア全開で飛ばしまくっていた今年のフロンターレ。大きなリードを取りましたが、夏前にACLも始まり過密日程で疲労がたまり、その上に大黒柱の田中碧と三苫が移籍。夏場は苦しい戦いを強いられ、案の定カップ戦とACLを相次いで落とし、おまけにリーグ戦の勝ち点差も横浜Mの猛追を受けて1まで縮まり「さすがのフロンターレもここまでか」と思ったものでした。しかしここからギアを上げて猛追する相手を振り切る連勝、連勝。なんだか鬼木フロンターレのすごみを我々ファンにも見せつけられたシーズンとなりました。ここ5年で、リーグ戦、リーグ戦、カップ戦、リーグ戦、リーグ戦と5年連続の戴冠となり、歴史に残るチームとなりました。7,8年ぐらい前、金子達仁氏がラジオで、「これからはひょっとすると、川崎王朝になるかもしれない」と予言していましたが、その通りになりました。その慧眼に恐れ入るとともに、鬼木監督を中心としたチームの成熟度は、さすがだと思います。野球ファンのワタシからしても、「よくこれだけの組織、チームを作り上げたなあ」と感心する川崎フロンターレ、次のターゲットはもちろんACL制覇ですね。ACLを制覇して、ノリノリの川崎がヨーロッパのチャンピンクラブとがちでやり合う姿、見てみたいなあ。期待していますよ、鬼木さん。
≪第9位≫ 箱根駅伝 最終区の大逆転
年が明けての1月2日。毎年この正月早々から、ワタシのスポーツ三昧の日が始まります。今年はまず箱根駅伝に驚きが待っていました。何しろその主役は予選上がりの創価大。序盤外国人留学生でリードを取ったところまでは「想定内」でしたが、本命と言われた青学大、駒大、東洋大、東海大などが今一つ伸ばせないでいるところ、グイグイと各ランナーがスピードアップ。差が縮まるどころかむしろどんどん開いて、9区終了の鶴見でなんと3分19秒差という大差をつけて首位を独走。全くの無印から一気に箱根制覇へ、そのカウントダウンが始まっていました。しかし、ここであきらめなかったのが駒大。もともと実力ありとみられていたこの駒大、百戦錬磨の大八木監督ですら2位狙いに切り替えたその最終区で、あきらめない姿勢がドラマを生みました。なんだか画面で見ていても徐々に、徐々にその差が縮まっているのがわかる終盤の新八ツ山橋で2分差まで迫ると、失速する創価大のランナーをグイグイ追い上げ、皇居のお堀当たりではもう逆転のレールが敷かれているような激走ぶり。ついに銀座に入る手前で創価大を抜き去って、歓喜の大逆転で総合優勝を果たしたのでした。10区であんなにコーフンしたの、なんだか久しぶりのような気がします。(いつぞや、シード争いで最後4校がダッシュ、国学院大のランナーが道を間違えたにもかかわらずシード権を確保した・・・・・・ってシーン以来かな?!) 駒大はこの優勝で一気に新時代への扉を開け、今年は連覇を狙います。
≪第8位≫ ヤクルト 大激戦のセ・リーグを制す。
今年のプロ野球を思い出すにあたっては、やっぱり昨年最下位のヤクルトとオリックスの大躍進が思い出されますね。そしてその両者が激突した日本シリーズは、すごい戦いとなりました。セ・リーグではヤクルトが、最後に大激戦のペナントレースを制しました。ヤクルトは地元神宮での開幕で阪神に3タテを食らい、そのすぐ後にコロナ陽性者を出して、チームは開幕からガタガタの状況に陥りました。前年まで2年連続の最下位に沈み、さらにさほど積極的な補強を行ったわけでもないチームがこの出だし。さすがのヤクルトファンも「ああ、今年もダメだな」と思ったことでしょう。しかしサンタナ、オスナらの外国人選手たちが合流するとチームは機能し始め、あれだけダメダメと言われていた投手陣はキッチリと結果を出し始めました。抑えにマクガフを固定し、セットアッパーで清水が頑張り、先発では奥川、高橋といった若手も夏場以降次々に台頭。気が付けばベテラン、中堅、若手の力ががっちりとかみ合った「機能するチーム」になってきて、それとともにベンチの雰囲気が一体となり「勝ちに向かうムード」が出始めました。そしてそれと同時にまず巨人が迷走し始め、快調に飛ばしていた阪神もルーキー・佐藤の悩みとともに少しずつその勢いを落とし、気が付けばヤクルトがトップが狙えるところまでやってきて勝負の秋を迎えました。そして甲子園での阪神戦に勝ち越すとそこから加速度がつき、高津監督の「絶対大丈夫」という標語の下快進撃。9月下旬にはなんと9連勝、13試合負けなしの猛スパートでトップに出ると、さらに10月の声を聞いて7連勝。ライバルを突き放して、ゴールのテープを切りました。首脳陣、選手が一体となったそのムードは、まさに優勝するチームのそれでしたね。ヤクルトを見ていて思うのは、当たり前の話なんですが、プロ野球のチームはどこも、十分に優勝する力を持っているという事ですね。チームの持つ戦力を十分に活用し、ムードが盛り上がり勢いがつけば、どこも優勝まで駆け上がれるという事です。このところセもパも、なんだか少し停滞する感じのムードがあったのを、ヤクルトが、そしてオリックスが、見事に打ち破ってくれた今年は、プロ野球にとって革命の起こった年といってもいいかもしれませんね。
≪第7位≫ 東海大相模 選抜を制す しかし夏は、コロナ禍に見舞われ無念の出場辞退
いつもの年であれば、高校野球で印象に残ったのはやはり夏の選手権大会という事になるのですが、今年は春からの一連の流れが強く印象に残っているので、そちらを選びました。ワタシは自他ともに認める”高校野球おやじ”なんですが、その中でも神奈川には特に特別な感情を持っています。さらにその神奈川の中でも東海大相模は、ファンでもあるしやはり特別な感情を持つチームという事が言えます。その東海大相模にとって、今年の1年というのは本当に振れ幅の大きい、あとで振り返ってみると歴史の大きな転換点になるような1年だったと思います。ここ数年高校野球の”絶対王者”と言われる大阪桐蔭に対する”対抗馬”としていの一番に名前が挙がっていた東海大相模。確かに門馬監督に率いられ、2010年代には甲子園で優勝2回、準優勝1回、4強1回という戦績を残し「甲子園に強い相模」と呼ばれるようになりました。この選抜にも選ばれましたが、今年は過去のチームと比較して決して強いチームと呼ばれる評価はないチームでした。しかし選抜に入ってみると、初戦で激突した東海大甲府に秋の関東大会のリベンジを果たすサヨナラ勝ちを収めると、そこから勢いが加速。まさか、まさかの快進撃で選抜の頂点まで上り詰めました。これだけ打てないチームなのに、石田が好投、好投で勝ち上がる様は、かつて90年代初頭に吉田道で準優勝、00年に筑川で優勝を飾ったチームにそっくり。東海大相模にしては珍しい「守り勝つチームカラー」での全国制覇でした。しかし吉田道の時も、そして筑川の時も、「守りのチーム」ではその年の神奈川の夏の扉を開けることはできずに県大会で敗退という歴史がありましたので、今年はワタシ、東海大相模が夏の甲子園を射止めることができるか、ということに非常に注目していました。。。。しかし、7月の頭にそんなワタシの頭をガーンと殴るようなニュースが。。。それは、門馬監督のまさかの退任。50代になり、これから脂の乗り切った采配を見せてくれるはずと思いきや、まさかの決断でした。ショックは尾を引いていましたが、神奈川県大会から始まるこの夏の選手権が門馬監督の最後の采配という事で、内外からの注目も集まった中で東海大相模は夏の船出をしましたが、そこでまさかの事態が。東海大相模の部員にコロナ陽性者が出たという事で、なんと神奈川県大会準々決勝を辞退し、夏が終わる、という事態になってしまったのです。「こんな終わり方、あるかよ!!」という慟哭、本当に重いものがありました。もうここで、ワタシの夏の甲子園の興味の30%ぐらいは、そがれてしまった感じがありました。名将・門馬監督の采配も、知らないうちにフェードアウトとなってしまって、やりきれなさばかりが残る結末でした。東海大相模は新たに原監督を迎えて秋に船出しましたが、どのようなチームになっていくことでしょう。期待と不安が入り混じった中で、秋は敗退して選抜への道は閉ざされてしまっています(ワタシの見立てとしては)。
≪第6位≫ 時代が変わる大相撲 大横綱・白鵬引退。代わって横綱・照ノ富士が誕生 見事な相撲で、時代を築く横綱になる!
大相撲の全般的なこの1年の流れは上に書いた通りです。しかしそこには書ききれないほどの大きなニュースは、やはり大横綱・白鵬の引退と新横綱・照ノ富士の誕生でしょう。白鵬は横綱としての晩節のここ5,6年ぐらいは、様々なネガティブな話題を振りまく存在でした。昨今では相次ぐ休場に、横審から「出ないのであれば引退を勧告する」という事が言われていたりしました。さらに相次ぐ舌禍、そして土俵上での取り口、特に肘にサポーターを巻いてのエルボーまがいのかちあげや、横綱らしからぬ張り手の頻発などは批判の的になりました。しかし今思い返してみると、それもこれも、白鵬の土俵にかける執念のなせる業で、それだけ「負けたくない」気持ちが強く、「横綱というのは、負けることは許されないのだ」というのが彼の晩年の哲学だったのだろうという事を思うと、理解できるような気もします。そんな白鵬が10数年にわたり横綱に君臨し、幕内優勝45回、63連勝など、数々の不世出の大記録を残し引退したことは、ぽっかりと土俵に穴が開くような感慨に浸ってもおかしくはありません。しかしながら、今年の大相撲、その白鵬に変わって「強い横綱」が誕生し、その穴をしっかりと埋めてくれました。それが照ノ富士。膝のケガなどで序二段まで陥落しながら、そこから再度出世街道をひた走り、今年の春場所後に大関に昇進すると、秋場所には横綱に昇進。あっという間に「角界の顔」を白鵬から譲り受けました。照ノ富士はケガの心配は常に付きまとうものの、どっしりと構えて「横綱相撲」を取る姿は、まさに双葉山のいう「後の先」を
体現する横綱で、これからが本当に楽しみです。膝をケガする前の、体力にものを言わせた強引な相撲っぷりは影を潜め、相手の当たりを受け止め、理詰めで相手を追い詰めていく姿は素晴らしいと思います。どうか次の若手が育つまでは、大きな壁になって土俵に君臨してほしいと思っています。輪湖の時代から千代の富士の時代を経て、貴乃花・曙・武蔵丸の時代がやってきた大相撲。その後はモンゴル勢が横綱を占める時代が続きましたが、白鵬が引退して照ノ富士の時代になるというのは、同じモンゴル勢ながら時代の変革というものを感じざるを得ません。次の横綱には、果たして誰が上り詰めてくるのか。時代を作るような、どっしりとした強い横綱の誕生を、待ちわびることにしましょう。
≪第5位≫ 想い出がいっぱい・・・大好きな人たちが逝った・・・・・マービン・ハグラー、ハンク・アーロン、トミー・ラソーダ、麒麟児、沢村忠、ギャレット、大島康徳、深澤弘、古葉竹識
とにかく今年は、たくさんのスポーツの著名な選手(関係者)たちが鬼籍に入った年だったと思います。海外から届いた知らせにショックを受けたのは、あの強かった”マーベラス”マービン・ハグラーが逝ってしまったこと。アリの死去の時も胸を去来するものはありましたが、あの80年代の「黄金のミドル」のボクサーたちには強いシンパシーを感じているワタシなので、その中でも「最も安定して強かった」ハグラーの死は、打ちひしがれるニュースでした。それからほどなくして、メジャーのあのラソーダ監督の死にもショックを受けました。まあ、本当にお年だったので仕方がないのですが、70年代~80年代の若き姿、そして野茂が海を渡った時の良き指導者としての姿が思い出に浮かびます。このブログにも記事を書きましたが、ラソーダ監督が猛抗議をして没収試合になってしまった試合、その試合での氏の姿が今でも忘れられません。そしてメジャーといえばハンク・アーロンもこの世を去りました。さらに相撲では突貫小僧の麒麟児が、富士桜とのあの死闘の突っ張り合いの思い出を残し、鬼籍に入りました。さらにキックの鬼・沢村忠の死や、名球会の名選手・大島さん、そして広島での姿が忘れられないギャレット、その広島で指揮官として、ベンチから半分だけ姿を映しながら指揮を執っていた名将・古葉竹識監督、さらには”長嶋の恋人”と言われたニッポン放送の深澤アナなど、様々な「懐かしい人たち」がこの世を去りました。いろいろな思い出が頭をよぎり、いつも訃報には涙をしてしまいます。
≪第4位≫ 松山英樹、マスターズを制覇
日本のアスリートが世界を舞台に活躍するという事は、スポーツファンにとっては何物にも代えがたい至福の瞬間です。その思いを一番感じさせてくれたのは、松山英樹選手かもしれません。何しろあのマスターズの、日本人としての初優勝です。あのグリーンジャケットをいつの日か日本人ゴルファーが待とう日を夢見て・・・・・・という話は、いつ何時でも巷のゴルフ好きの間でされていることなんですが、「いつかは・・・・」というのは「多分その時は訪れないだろう・・・・」という隠れた意味も内包されていて、まさか日本人ゴルファーがあのオーガスタで両手を高々と掲げる姿を見ることができるとは、思いませんでした。普段ワタシは、男子のツアーというのは、海外の松山の試合しか見ないのですが、このところの松山は数年前の日の出の勢いの時と比較して不調を囲っている体で、今年のマスターズもあまり期待せずに初日、2日目と画面を眺めていました。しかし2日目のインぐらいから「およよ、もしかしたら」なんていう期待が高まってきて、3日目の中盤ぐらいからは「これは行くぞ!!」とコーフンが止まらなくなりました。最終日は、当然のことながら日本時間では月曜日の朝。いつもは海外のスポーツは手元で配信で見ることが多いのですが、このマスターズはワタシの手元で見ることができない状況だったので、急いでオフィスに駆け込んで、オフィスのテレビで最後の方は見ていました。優勝した瞬間は、なんとも言えないふわーっとした感覚になりました。「えッ本当に、あのマスターズで優勝したの?!」って感じで。いや~かっこよかったですね~。そして何とも言えない、たどたどしい感じのスピーチっぷりがなんだか松山らしくて、思わずにっこりとしてしまいました。すべてが幸せに包まれた瞬間でしたね。
≪第3位≫ 大谷翔平の1年
今年の流行語大賞にもなった「リアル二刀流」「ショータイム」という言葉を生んだ大谷翔平の大活躍、すごかったですね。とにかく連日大谷の活躍の様子が伝えられて、ワタシの後付けでそのホームランや投球の映像を見ることが多かった1年でした。残念ながら、最近はメジャーの試合、DAZNでは配信してくれないのでリアルタイムで見ることは少なくなったのですが、家にいたりするときはちゃんとBSにチャンネルを合わせたりしています。まあもう、世界標準というか、世界でも類を見ないほどのすごさで進化を続ける人が、「ベーブルース以来、誰もやったことのない」という事を次々に成し遂げていく姿は、なんというかまさに「異次元の世界」そのものでした。投手としては「大谷が好調なら、あれぐらいはやるだろう」と想定した通りの活躍だったのですが、打撃の方はその進化に心底びっくりしましたね。あんなにホームランを打てるなんて、思っても見ませんでした。日本で55本を打った松井秀喜にして、メジャーでは30本打つのも難しかったというのに、なんで大谷はあんなにホームランを打てるのだろう。。。。。その規格外の大物っぷりは、年々すごくなってきていますね。ワタシはメジャーリーグでは30年来のエンジェルスファンなんですが、最初はエンジェルスの試合の結果が先に気になって大谷の活躍を見ていたものが、最近では「エンジェルスの勝敗なんてどうでもいい、大谷を見せろ~~~」って感じに変わってきてしまっています。まあ、それだけエンジェルスがだらしないってことでもあるんですがね。来年はトラウトも帰ってきて、「50発コンビ」を結成してもらいたいものです。ケガだけには気を付けて、また日本だけでなく世界のファンを、コーフンの坩堝に叩き込んでくださいね。なんて思っていたら、年末のスポーツニューズ紙の発表する「The 50 greatest seasons in sports」ランキングでは、なんとなんと「スポーツ界で最もグレートな年を送った選手」第1位に選ばれちゃったんですね。あのマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズ、ベーブ・ルースらを抑えての堂々の第1位。「スッゲ~~~~」の域、通り越しちゃってますね。日本が誇る歴史上最大最強のアスリートに、カンパ~イ。
≪第2位≫ 激闘 日本シリーズ。
正直に言うと、ここ10数年、特にここ数年は日本シリーズにそこまで入れ込んで見てはいませんでした。なんとなく「流し見」していて、終わってしまえば思い出すこともない・・・・という感じで、自分で自分を「ああ、ワタシもそこまでの情熱、なくなっちゃったのかな」なんて自虐的に見たりして。。なんて感じであったのですが、今年は憎からず思っているヤクルトとオリックスの対戦という事もあり、なんとなくワクワクしていたものでした。おまけに両チームともに前年最下位からのジャンプアップで優勝を成し遂げた同士。95年以来というフレッシュな対戦は、予想していた以上のものになりましたね。ワタシも70年代~90年代初頭のような情熱で各試合を見守り、気がついたら久しぶりに「全試合全イニング完投」していました。戦前の予想では、ほとんどの解説者がオリックス有利、4勝1敗か2敗でオリックス勝利としていましたが、初戦から波乱含みの展開になりましたね。今や「日本の大エース」の風情バリバリのオリックス・山本に対して、ヤクルトの「輝ける星」奥川が負けじと素晴らしいピッチングを展開。互角の投げ合いで終盤まで試合を作り、ヤクルトファンに「これはやるぞ!」という勇気を与えてくれました。最後はオリックスが最終回にマクガフをとらえて、宗の同点打から吉田正のサヨナラ打につなげて歓喜のサヨナラ勝ち。「これはオリックス行っちゃうか!」という雰囲気になりましたが、第2戦はヤクルトの若き左腕・高橋がプロ初の完封勝ちでグッと押し返すと、東京ドームに戻った第3戦、第4戦の痺れる1点差試合を連勝。今度は第5戦で追い詰められたオリックスが最終回ジョーンズの決勝の一発で押し戻し、いよいよシリーズは決戦の神戸へ。11月下旬、神戸は寒かった。そんな極寒の神戸で、両チームは熱い熱い熱戦を展開。オリックスの山本は第1戦に続いて素晴らしいピッチングを展開。一方のヤクルトもピッチャーをつなぎにつないで応戦、1-1というしびれる展開で試合は延長へ。最後の最後、12回2死からチャンスをつかんだヤクルトは、ここで代打の神様・川端が今シリーズ初ヒットを渋くレフト前に落として勝ち越し。そのまま逃げ切って、歓喜の20年ぶりの日本一となりました。 それにしてもすべての試合が僅差のもつれたゲーム。第2戦の2点差を除けばすべて1点差の痺れる試合でした。両チームに力の差はほぼありませんでしたね。この対決を見ていて、ワタシは「これこそが日本シリーズだ」と思わざるを得ませんでした。久しぶりに感動し、手に汗握って画面を眺める毎日でした。ヤクルトの選手たちが、ベテラン、若手の何人もが涙を流している姿に、感動を覚えました。思えばプロ野球のファンとしてみても、やっぱり「弱くて苦労したチームが初めて優勝するシーン」が何とも言えず、長く心に残っているものです。ワタシにとって最高の優勝は、やっぱり西武ライオンズが初めて優勝した1982年ですもんね。プロ野球ファンの原点を思い起こさせてくれた今年の日本シリーズ、長く忘れることのできない戦いでした。
≪第1位≫ 東京オリンピック 掛け値なしに、素晴らしかった。本当にやってよかった!
1位はなんといっても、東京オリンピック。これしかありません。思えば様々な困難、障害、そして嫌がらせなど、本当に開催すること自体がこんなに大変なものなのか・・・・・というオリンピックでしたね。何しろ開催が決まった時の感動が大きかったのに、そこからま~いろんな問題がありました。その数々の出来事は端折るとしても、昨年の開催だったはずがコロナで今年に延期になり、今年も春から夏にかけて感染者が日本でも世界でも増え続けて、開催の是非が取りざたされる事態となりました。「こんな時にスポーツなんて。。。」とさんざん言われたものの、「開催すべし」と気迫を持って動いた数多の人々のおかげで、何とか開催にこぎつけた東京オリンピック。しかし開幕のわずか3週間ほど前、神宮の杜、国立競技場の前をふと訪れた時に見た光景は、忘れられません。「これが数週間後に世界最大のイベントを開催する、その都市の姿なのか?!」オリンピックのオの字もないような、まったくの日常の風景がそこには広がっており、オリンピック開催という熱量みたいなものは皆無でした。それを見てワタシ、「結局は開催されない・・・・・という話になってしまうのではないか」と心配になりました。巷の話題でもビジネスの席なんかでも、オリンピックの話題はほとんど出ることはありませんでしたし、「何年もワクワクしながら待っていたオリンピックって、何なんだろうか」という根源的な疑問もワタシの中に沸きあがったものでした。 が、しかし。。。。。東京の空にブルーインパルスが鮮やかに飛行したあたりから、ようやく人々の間にオリンピックの話題が復活し始め、開会式では日本らしい演出に人々が歓喜する姿がありました。もちろんこのオリンピックは心ならずも「無観客開催」という事になってしまいましたが、そこは映像が隅々まで行き渡る今の時代。「映像の中のオリンピック」ではありましたが、アスリートたちの素晴らしすぎる戦いに、期間中ずっと心躍らされて、「ああ、やっぱりオリンピックって、いいなあ」という思いを強くしました。昨年来とんでもない非日常を生きている世界中の人々。その人々たちも、一時その苦難を横において、アスリートたちの技、力に歓喜の声援を送りましたね。『スポーツのチカラ』をまざまざと感じる、この期間中でした。日本の選手たちは連日金メダルラッシュ。初めて行われたスケートボードのティーンたちの躍動、復活した”日本の国技”ともいえる野球・ソフトでの歓喜の金、そして「日本の心」を体現した空手、大復活したお家芸・柔道。大躍進を遂げた女子バスケットボールや我々をコーフンの坩堝に叩き込んでくれた男子サッカー、etc,etc・・・・・。も~書ききれないぐらいの感動は、従来の金メダル16個という記録を大幅に更新する、金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個というものすごい戦績を残して閉幕しました。この大会でワタシは、さほど金メダルの数とかにこだわっていたわけではありませんが、それにしてもこのメダル数、すごすぎました。金メダルの数、なんとアメリカ、中国に次いで世界第3位。もちろん自国開催のアドバンテージはあったにせよ、それを差し引いたとしてもすごい数です。いかに日本のオリンピアンたちが、気持ちを込めて準備を行ってきたかという証左ですね。本当に連日涙が出るような感動を与えてくれて、ワタシはこの東京オリンピックの期間ですっかり体や頭の中にたまった澱のようなものが吹っ飛んで、見事にリフレッシュすることができました。そしてその後行われたパラリンピックも凄かった。パラリンピアンたちのすごすぎる競技能力に感心、感動しながら、最後までたくさんの競技を観戦しました。全く持って今年の夏は、すごい夏となりました。競技場に出かけることはできませんでしたが(まあ、もともと抽選には全部外れて、観戦の予定は入っていなかったのですがね。)、ビンビンにスポーツの良さを堪能できて、素晴らしい夏でした。まあ少しですが、家の程近くを通過する自転車のロードレースに、沿道から声援を送ったのが唯一の”オリンピックとの遭遇”でした。幸せな時間でした。
たくさんの感動と力を与えてくれた東京オリンピック・パラリンピックの選手の皆さんと、開催に尽力してくださったすべての人々に、本当に心からのありがとうを送りたいと思います。何度言っても言い足りないぐらいのココロモチです。
やっぱりワタシは、根っからのスポーツっ子。No Sports , No Life。 スポーツこそ我が人生、そんな気持ちを改めて抱かせてくれる、この”地元開催”の東京オリンピックでした。
ということで、今年も1年が過ぎていきました。
2021年という年は、本当にいろいろなことがありましたが、
スポーツ復活の1年と位置付けてもいいかもしれない、そんな年でしたね。
まだまだコロナに限らず、社会的にも内外で不透明感の増す、「漠然とした不安の時代」を、ワタシ達は生きています。
心躍ることも少なくなってきて、
人生の悲哀も感じる年ごろとなってきているワタシにとっても、
同じものを見ても10代、20代のころのように感じることはない、
そんな感じではあります。
しかし、スポーツを見ているときは別。
やっぱりスポーツをみて掛け値なしに感動しているとき、
ふと我に帰るとワタシは思わずクスッと自分で自分のことを笑ってしまいます。
「お前、変わらんなあ・・・」と。
このブログは13年目を迎え、
書くネタもなんだか「この時期はこの話題」というように定型化してしまっていることを感じます。
しかし自分の中では、
「ああ、今年もこの試合の季節がやってきたなあ」なんて、
歳時記のような役割も果たしてもらっている感じで、
楽しく毎日PCに向かっています。
2019年はラグビーのW杯が行われ、
2020年を挟んで今年2021年は東京オリンピックが開催されました。
日本としてはここで一つ、
スポーツの大イベントは一息つくという感じになりますね。
しかし毎日過ごしていると、
「よく連日、こんなにスポーツイベントがあるよなあ」
と感心することがしきり。
昔は晩秋から冬を挟んで春先までは、
スポーツは「オフシーズン」という風にとらえられることが多かったのが、
昨今ではラグビー、バスケのプロリーグをはじめ、
1年じゅう休むことなくスポーツが人々の生活を潤わせてくれています。
社会的に不安な時代だからこそ、
スポーツ、そして文化の担う役割は大きいという風に、
ワタシは考えています。
「自分の実生活とは何の関係もない」スポーツに思いをはせ、
熱狂するというのは、
人間に、そして日本に生まれてきた特権なのではないかな、
そんな風に感じる今日この頃です。
まだまだ来年も、
「書き足りね~~~~」
ことを、
バンバン書いていきたいと思っています。
今年はとにかく、
東京オリンピックに感動し、
心を動かされました。
最後に大好きな桑田佳祐のスマイル~晴れ渡る空のように~の歌詞で、
今年を締めたいと思います。
♪栄光に満ちた孤独なヒーロー 夢追う人たちの歌
情熱を消さないで 一人背負わないで 晴れ渡る空のように
愛情に満ちた神の魔法も 気まぐれな運命にも 心折れないで
あなたがいて I'm so proud
落としい友への歌
2022年は、
さらに社会が平穏を取り戻し、
スポーツに熱狂できますように。
スタジアムで、
歓声があげられますように。
そんなことを祈願して、
今年の締めにしたいと思います。
今年も拙ブログにお付き合いいただき、
ありがとうございました。
どうぞよいお年を。