長い歴史を誇る高校野球。
昨年100年という節目を迎え、
長く日本のスポーツ文化の中で中心的な役割を担ってきました。
そんな高校野球を見ていると、
ことさら『奇跡のドラマ』とか『信じられない快進撃』を目にすることが多い競技だと感じます。
プロ、MLB,国際試合、少年、女子・・・・・・・いろいろな野球の中でも、
とりわけドラマが多いのが高校野球。
いろいろな要素がそのドラマを演出していると思いますが、
その中で一つ、
高校野球ならではの『熟成される空気』ということも見逃すことのできない要因だと思います。
昨年の夏の甲子園。
最大の話題は、
清宮選手擁する早稲田実の大活躍でした。
あの早稲田実の快進撃は、
早実の秋、春の戦いぶりを都大会で見ている限り、
まったく予想もできませんでした。
加藤主将という都下NO1スラッガーを擁していたとはいえ、
昨年の早実のチームは穴が多い戦力で、
ワタシは西東京代表はおろか、
8強がせいぜいだという予想を立てていたぐらいです。
しかし、
大会が始まってみると、
早実は快進撃をみせてどんどん勝ち進んでいきました。
その間に心配の種だった投手力は整備され、
破たんが常だった守備陣は、ほとんど重要な場面でエラーをしませんでした。
打線は清宮、加藤を中心にバンバンホームランが飛び出す強打線となり、
堂々と甲子園4強という結果を残しました。
この快進撃の主要因。
それは確かに選手の成長があったと思います。
春の時点と夏の終わりでは、
『これが同じチームなのか?』
と思うほどの成長を遂げた姿があったのは確かです。
しかしそれを後押しした要因の一つには、
『早実を後押しする世間の空気』
というものがあったというのを、
ワタシは肌で感じることができました。
主催者の朝日新聞やNHKを中心に、
昨年の夏はことさら『甲子園100年』というのが喧伝されました。
そしてその大会の主役として、
なんとか一つや二つ、
全国の『第1回大会から出場したチーム』が予選を勝ち抜いて出て欲しいという願望が、
確かに存在したと思います。
とりわけ現在も強豪校としてその地位を保っている早実には、
なんとも言えない『今年は甲子園に出なくちゃ!!』なんて言う空気が当初よりあったことは、
否定できないと思います。
開会式直後の開幕試合で、
始球式を行うのは『世界のホームラン王』にして『早実の誇り』でもある王貞治氏。
それが決まった時ぐらいから、
早実関係者はもとより、
ファンも『今年は早実が甲子園に行かなきゃ、王さんの顔が立たない。』とか、
『王さんに恥をかかせちゃいけない』(何が恥なのかはわかりませんが?)とか、
そんなことがしきりに言われるようになりました。
まあ、もとより『日本の学生スポーツを担ってきた』という自負のある早稲田関係者が、
WASEDAの胸マークと純白/エンジのユニを記念に残る大会に出さねば……
と力んでいたのが、傍から見てもわかるほどでした。
そこに、
『早稲田の至宝』清宮ラグビー部元監督の子息で、
スラッガーと評判の清宮選手が入学したからたまらない。
入学直後の練習試合から春季東京大会から、
まだまだ実績も何もないのに、
彼はスポーツ紙の1面を飾り続けるという、
ものすごい期待をかけられた存在として、
世間に知られるようになりました。
『清宮狂奏曲』
ですね。
しかしその清宮狂奏曲は、
『早実待望の空気』
を熟成させるために仕掛けられた・・・・・というにおいがすごく強いです。
彼がスラッガーとして、
入学直後からどんどんホームランをかっ飛ばしていたから、
夏の大会に入るときに注目を浴びる……というのならわかるのですが、
入学を待ってましたとばかり祭り上げられるというのには、
今のマスコミの体質(全部が一つの話題になびき、骨の髄までしゃぶりつくす)を感じずにはいられません。
『早実待望』に『清宮への期待』がうまくミックスされて、
早実は夏の大会前から、
ものすごい注目を浴びた存在になりました。
かつて早実は、
甲子園のみならず社会現象にまでなった、
荒木大輔投手と斎藤佑樹投手を生み出しました。
両投手ともに、
マスコミに追いかけられ続けて、
『涼しい目をした日本のヒーロー』
に祭り上げられましたが、
それはいずれも甲子園で実績を残したから。
(狂奏曲が始まったのが、荒木は甲子園準優勝の後、斎藤も引き分け再試合を制して早実が初優勝を飾る大会の終盤ぐらいからでした。)
それと比較すると、
まだ海のものとも山のものともわからない段階から大騒ぎになる”清宮フィーバー”には、
どうしても恣意的なもの、『清宮待望論』に隠された『早実待望論』という空気を熟成していこうという思惑が、
透けて見えたりしました。
早実は去年の西東京大会では第4シード。
夏の大会の立ち上がり、
早実は初戦となった3回戦で4失点、4回戦で5失点と、
無名の都立高相手に『結構苦戦している』という内容で、
決して十分にチームが仕上がっているようには見えませんでした。
迎えた5回戦の日野高校戦。
ほとんど負けたんじゃないかというような試合をひっくり返して9-8で勝つと、
もうマスコミは大フィーバー。
スポーツ紙の書き方はワタシには、
『早実を、清宮をぜひ甲子園へ!』
と言っているように見えました。
なんでもない夕方のニュースでも、
あたかもイチローがMLBで新記録でも達成する時かのように、
詳細に清宮の1打席1打席を映像入りで紹介。
キャスターは、
『すごいですね』とか『何とか頑張ってほしいですね』とか、
早実を後押しする空気、
東京中に広がっていました。
街でも久しぶりに何気ない話題の中で『高校野球の話題』が語られるようになると、
いよいよ早実はその波に乗っていったのでした。
準決勝の日大三戦では、
実力では圧倒的に上回るはずの日大三の選手たちのみならず小倉監督もが、
早実に対して意識過剰になっているのがありありと感じられました。
そしてその力みからか相手投手の術中にはまり、
遅い球をひっかけ、打ち上げ……
日大三の弱点がすべて出たような試合で、
まさかの完封負けを喫しました。
日大三は、
早実や周りの熟成された『早実待望』の空気に抗えず敗れたのは明らかでした。
強豪校とはいえやはり高校生。
そんな空気の中で『アウェーの戦い』を余儀なくされると、
それを打破して勝つことは、
本当に難しくなりますね。
それを打ち破れるのって、
本当に『強い時のPLとか大阪桐蔭』ぐらいしか、
思い当りません。
さて、
西東京大会の決勝は東海大菅生戦。
灼熱の神宮には、
ありえないぐらいの観客が押し寄せ、
清宮を、そして早実を後押しする雰囲気が、
試合前から立ち込めていました。
そんな中、
前年も決勝で涙を呑んでいる東海大菅生は、
『2年連続の決勝敗退など、なるものか』
と気迫満点で、
アウェーの空気をいい感じでとらえ反発力にして、
前半完全に試合を支配しました。
7回を終了して5-0.
あと2回を抑えれば、
悲願の甲子園が決まる。
東海大菅生は、
そう思ったことでしょう。
しかしながら、
試合は思わぬ展開へ。
無死からランナーを2人出した早実を、
スタンドが一体となって、
それこそ甲子園で阪神が戦っているんじゃないかと思うぐらいの大歓声で後押ししました。
そういう時の、
本当に大きな波がうねって守備のチームを飲み込んでしまうような、
そんな迫力、
それを確かに感じることができました。
そのシーンを見ながら、
ワタシが思い出していたのは09年の甲子園決勝、
日本文理の信じられないような9回の大逆襲劇でした。
あの時も、
確かに『甲子園の空気』を支配した日本文理に、
甲子園の神が乗り移ったような、
そんなシーンでした。
その時は甲子園の女神は最後の最後で中京大中京に微笑みましたが、
この試合では早実が波をとらえて一気に東海大菅生を飲み込んで、
試合を決めました。
『高校野球は怖い』という言葉より、
『球場を支配する空気が、こんなにも試合に影響を与えるのか!』
ということに、いまさらながら愕然となったものでした。
こんなことが、
本当に高校野球では、
何年かに一度、
必ずと言っていいほど起こりますね。
それを『奇跡』と呼べばいいのかどうか、
ワタシにはわかりません。
もしかしたら『世間の過剰な期待』が『ドラマ』を演出しているのかもしれませんね。
具体的には、
今書いた09年の日本文理と中京大中京の激闘も記憶に新しいですが、
その前の07年決勝もすごかったですね。
『無印の県立進学校』
といういかにも甲子園受けしそうな佐賀北が勝ち進むと、
あの夏も『佐賀北待望』という空気が、
甲子園を支配しました。
『ドラマを待望する』
世間の空気が熟成されました。
そして決勝戦。
圧倒的に不利な状況の広陵戦の8回、
その『空気』が試合を支配。
その『空気』に審判すらも飲まれ、
今までストライクと手を挙げていた、広陵エース野村の素晴らしい球が、
ことごとくこのシーンでは『ボール』と判定され、
このことはかなり後まで物議をかもしたものでした。
そしてその決着は、
『逆転満塁ホームラン』という、
野球で最もドラマチックな結末でした。
『甲子園という球場の空気を自分につけたほうが勝ち』
そんなことを思った試合でした。
昔々には、
西東京大会で、
都立国立高校が甲子園出場を勝ち取ったことがありました。
昭和55年の話です。(奇しくも東東京では、このとき荒木大輔というスーパースターを生んだ年です。)
それまで都立高の甲子園出場はなし。
なんとか都立高を甲子園へとサポートしていた人たちは、
『都立高を甲子園へ送る会』を結成。
そんなニュースも流れていたころです。
都立高といっても、
そんじょそこらの都立ではない、
進学トップ校の国立高校の快進撃は、
8強に入ったぐらいからマスコミに騒がれ始めました。
準々決勝で佼成学園との延長18回引き分け再試合という過酷な激闘を制して波に乗った国立を、
マスコミは『これでもか』と持ち上げ、
『国立待望』の空気を作りました。
国立はわずか1割台のチーム打率の攻撃陣を、
エース市川の右腕で守り切るというチーム。
今の時代ではまず勝ち残っていけないチームだと思いますが、
その頃でもこの快進撃は、
『一世一代』という言葉がぴったりくるほどの”夏”でした。
準決勝も完封。
そして決勝は、
大声援に乗ってのびのびとプレーする国立の選手に対して、
完全に”引き立て役”にさせられた相手校の駒大高校の選手たち、
なんだか気の毒に感じました。
そして国立は、
歓喜の優勝を果たすのです。
東京の大会では、
この後東東京で城東が2度、雪谷が1度夏の甲子園の土を踏みました。
そのいずれの大会でも、
大会終盤には『都立待望』の空気が熟成され、
決勝では都立勢応援一色の雰囲気を醸し出しました。
余談ですが、
国立の都立勢初出場から3年後、
我々は驚愕のシーンを目撃します。
それは西東京大会決勝、
創価vs帝京大高
の試合。
エース小野(元近鉄)という剛腕を擁して優勝候補の筆頭だった創価が初の決勝に進出。
すると動員の指示が出たか、
決勝には”関係者”の人たちが大挙して押し寄せ、
予選決勝としては異例中の異例である満員札止めとなったのでした。
そして満員に神宮を埋めた観客は、
『創価待望』の空気を見事に作り出し、
初出場に導いたのでした。
まさかの『完全アウェー』の雰囲気の中で決勝を戦わざるを得なかった帝京大高の選手が、
実力の一端すら見せることなく敗れ去っていった様は本当に気の毒でした。
ちなみにこの時敗れた帝京大高も、
そして国立に敗れ去った駒大高も、
いまだに夏の甲子園の土を踏むことはありません。
野球に特化して強化している高校は別として、
その他の高校にとっては、
本当に予選の決勝まで来るということは並大抵ではないことの証左でしょう。
【決勝進出】はやっぱり『千載一遇のチャンス』、
何度も訪れるものではないので、
頑張ってモノにしてほしいものですね。
夏の大会を前に、
そんなことをふと思い出してしまいました。
西東京大会にも、
たくさんのドラマが毎年転がっていますね。
勝ち進んでいって『空気』をも支配するようになったら、
甲子園はぐっと近づくということでしょう。
そうなるようにみんな、
がんばれよ~!!
開会式は、
もうそこまで迫ってきています。