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アルファロメオと小倉唯

この時代、長生きは本当にめでたいのか?

新型コロナ「第7波」といわれる流行、ピークを過ぎたとも言われていますね。

 

ここへ来てうちの家族(私も含め)も、警戒が緩んできた気がしています。

 

一昨日は、息子が渋谷で中学の友達と飲んで、ノリで「地元に帰って飲み直そう」ということになって…

 

その流れでまた深夜に一瞬の帰省、一晩泊まって行きました。

 

もう酒はやめたんじゃなかったのかな?

 

この間みたいに深酒はしてなかったですけど、若い人の飲み会の席、注意して飲んでるとはちょっと思えない。

 

で、昨日の朝、ペッピーノでまた送ってやったのですけど、車内では私もマスクもせず…

 

小倉唯さんの話やら「StylipS」一夜限りの復活の話やらで、息子とさんざん盛り上がってしまいました。

 

そして今日は妻が、横浜スタジアムのチケットを取ったから、一緒に観戦してこようと。

 

観戦はいいけれど、感染はいやですからね。

 

いや屋外だし、おとなしく観戦している限りは、大丈夫と思うんですけど…

 

「観戦中はマスクをしてください」とか「声を出しての応援はお控えください」とか…

 

一応ルールはあるのですが、正直言って、最近はぜんぜん守られていない。

 

 

あごマスクのままで、延々と酒飲んだりつまみを食べたりしながら、大声でしゃべっている人だらけで…

 

そののマスクが口に上がって来ることは、最後までほぼなかったり。

 

なんなら、そのまま大声で応援したり、やじったりする人もいるし。

 

屋外とはいえ結構「密」にはなっているから、あれ、唾が他人にかかりまくりですよ。

 

さすがに、感染対策が出来ているとはいいがたい環境。

 

明日は、朝早く父を都内の病院に検査に連れて行く予定なので、もしうつっていたらアウトです。

 

父は八十八で、基礎疾患は二重三重にありまくりなので、最も重症化リスクが高いグループに入るのに。

 

もしコロナになって1週間でも寝たら、すぐに命がなくならなくても、そのまま寝たきりになってしまう。

 

そういう状況なのに、チケットを取って私を誘う妻も、それを断らない私も、緩んでますね。

 

という状況をすべて話しても、気にもせず、車内でマスクなしで私と会話するであろう、父も緩んでいる。

 

これでは、まだまだコロナ禍は終わらないですね。

 

「超過死亡数」が高止まりしているのも、老人の死亡数が明らかに増加しているのも…

 

一部の自称専門家は「高齢化が進んで年寄りの数そのものが多いのだから当然」と言っていますけれど…

 

それだけじゃなく、コロナで亡くなるお年寄りが多いせいなのは明らかですね。

 

インフルで、ここまで有意に超過死亡が高止まりし続けることはないんだから…

 

新型コロナが、インフルエンザや、まして「ただの風邪」とは違うことは明白なんですけれど。

 

結局「世間」が、行動制限にもう耐えられなくなった、というだけのことなんです。

 

その帰結として「お年寄りはもう見限るしかない」ということになった事実を直視するのがいやなので…

 

コロナ軽視の論調や、陰謀論が出て来てるんだと思いますよ。

 

コロナ禍で、この「社会の維持のため、年寄りの犠牲はやむを得ない」という風潮は定着してくると思います。

 

いま高齢者の人、これから高齢者に向かって行く年代の人は「老人軽視の時代」を生きることになる。

 

敬老の日、なんてのがあることがなんとも虚しい、という世の中になりますね。

 

長生きを「めでたい」と言うのが、家族にとってさえ、ちょっと空虚に思える時代になりますよ。

 

高齢者の割合が、さらにずっと増えてきたら、その介護の社会負担が重荷になって来ますから。

 

家族の暮らしの質にも、社会経済の維持にも「お年寄り」の存在が重大な影を落とすことになって…

 

そう遠くない将来「安楽死」というものも、表立って議論しなければならなくなるでしょう。

 

医学、薬学界隈では、たとえコロナ禍が終わっても…

 

近未来に、未知の感染症との闘いの時代がやってくるといわれています。

 

新型コロナや、その他の新たな感染症は、そういう生命倫理に関わる面倒な問題を避けるための…

 

密かな「調整局面」として使われて行くことになるのかも。

 

そんな時代に、周りに迷惑をかけないための「生活機能の維持」は歓迎されるでしょう。

 

 

手と足と、脳の機能の維持は大事。

 

でも、血圧を下げるとか、血管を健康に保つとか、がんを予防するとか、そういう…

 

「長生き」のための健康維持は、どうなんでしょう。家族のためにも、自分のためにもならないかも。

 

私は、個人的に、絶対に長生きはしたくないですね。ご長寿はごめんです。

 

医学の役割も、今の単純な「延命」志向から、別の方向に転換して行かなければいけないのでしょうね。

 

生命倫理の問題にも、庶民レベルまで含め、個々が向き合って行かざるを得なくなるでしょう。

 

「うちのおじいちゃん、おばあちゃんに、これ以上生きてもらうかどうか」という切実な選択。

 

「愛情」とか「感情論」だけでは、どうにもならない問題も出て来ることでしょう。

 

 

もはや、嫌なことや面倒なことは何も考えず、アッパラパーで生きて行くのは許されない時代が来ている。

 

戦争でもやって人口減らしたら?は絶対だめですよ。

 

それ、若い世代だけがよけいに少なくなる、いちばん最悪の道ですから。

 

さあ、どうしましょうね。

 

生命倫理とか、哲学とか、そういったことは、実生活上役にも立たないし、カネにならない。だから関係ない。

 

そういって無視していられた、のんきな時代が終わりかけています。

 

まだ、真面目に考えている人はほとんいない様子ですけれど……。


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コメント一覧

angeloprotettoretoru
@nerotch9055 さま。
これは要するに「死生観」の問題でもあります。人とその家族が生と死にちゃんと向き合って、逃げずに、何を望むのか考えることが必要です。ひとつだけ心配なのは、生も死もその人が自由に選び取るものなのですから、外野が余計な介入をしないでいられるかということ。老人福祉=国の金銭的な保護のもとに長生きする事を選ぶ人が邪魔者扱いされたり、逆に自ら死を選んだ人の家族が冷たいとかいって責められたりする恐れがあります。今の日本社会のままだとそういう悲劇が起きそうです。私たちが成熟した国民に本当になれるのでなければ、物事は先に進まないし、性急に進めるべきではないと思います。
nerotch9055
こんばんは!
うちの父も、あまり長生きはしたくないと言っております。
息子としては、長生きはして欲しいものの、それが本人やまわりにとっていいことなのか?
もう、日本も「安楽死」を議論するときに来ていると思います。
病気で入院しても、延命のためにいろんなパイプをカラダに挿入され、投薬しながら生きながらえる命。
入院中、何人ものお年寄りを見ましたが、やはり辛いですよね。
日本人は、政治もそうですが、もっといろんな事をみんなでお話しないといけない時期に来ていると
思います。
(・・;)
angeloprotettoretoru
@1948219suisen さま。
コメントありがとうございます。
私も個人としては、生きている間に自分でそうすべきと思う時が来たら、安楽死する事を望みます。そしてそれが許される社会を支持します。ただとても大事なことは、それによって「公の保護」のもとに長生きしている老人や、逆に安楽死する人を止めずに見送る家族が、他人から冷たい目で見られたり非難されたりする状況を作ってはならないということです。日本社会は、今のままだとそうなってしまうでしょう。なのでこれに関しては「有識者」や「政治」などに任せてしまうのでなく、一人一人が自分ごととして真剣に考えた上で、国民的議論が成熟した上で行わなければならないと考えます。
1948219suisen
私は長寿はめでたくないと思います。ですから、75歳になったら希望する者には安楽死を許可するべきだと思います。希望しなくても、重度の認知症になった人には安楽死を選択肢の一つに入れたほうがいいと思います。現在すでに高齢者である私は子供達に迷惑かけてまで生きていたくはないです。これは人に強制すべきことではありませんが、私はそうしたいです。
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