前回の記事、我ながらちょっと筋が悪かったなと思って、正直に言うと反省しています。
私の本意は、国家とか権威とかマネーを含め、人間が考え出して作ったものは、絶対的なものではなくて…
本来、人間が人間の生活を、支え守るための「物語」なんだということ。
そこに一種の倒錯が生じ、逆転現象が起きて「物語」のほうが人間よりも大事なものになり…
「物語を支え守るために人間が犠牲になる」ようなことが、しばしばあると。
国家とか信仰とか企業の利潤とか、そちらのほうが人間よりも上位に来ることが、当たり前に起きる世の中。
それはダメなんです、ということが、前半部分では言いたかったわけです。
信仰のために聖戦を戦って死ぬとか、恒久の国家の大義のために殉じるとか…
それによって有限でちっぽけな人間も、永遠の存在の一部になれるんだ、ということが、かつて言われ…
今でも言われていたりします。
「大義」のために「敵」の群衆の中で自爆する人がいまだにいたり。
そういうのは「物語」の肥大化であって、一種の倒錯だと思います、ということが言いたかったんです。
私は、いわゆる「ヒューマニスト」なんですね、たぶん。
「人文主義者」という意味ではなく…
人間社会においては、人間そのものが至上の存在なのだ、という思想を持つ人間だという意味で。
(自然界全体でいえば、本当は人間という存在はない方がいいのかも、と思いますけど、それはまた別の話)
それさえも、記事の中では、どうもうまく伝えられなかった上に…
記事の後半では、さらに大きな間違いを犯してしまいました。
自分の物語を他者に押し付けない…これはまあいいとして。他には問題がありました。
「他の物語にけちをつけない」
「他の物語をリスペクトする」
そして、相いれない意見を目にしたときは「そっと閉じる」のがいい、というのは…
場合によっては、正しいと言えないこともあります。
スルーしていい限度を超えた物語もあります。
「ユダヤ人は人類にとっての害毒だから、絶滅させるのが正義だ」とか。
「オウム真理教に逆らうものは、ポアしてあげるのがその人の魂のためだ」とか。
それなのに…
あちらの物語も、こちらの物語も、全ては相対的なものだから、全てはたから批判することはできないという…
いわゆる「相対主義の罠」に陥ることを、肯定しているような書き方でした。
これだと、特定の人や集団を傷つけたり、侮辱したり、迫害を扇動したりするような物語を垂れ流すこと…
差別やヘイトスピーチまでも「見て見ぬふりをした方がいい」というふうに取れてしまいます。
それは絶対に違う。
スルーしていいことと、いけないことがあります。
ここで「表現が誤解を生んだのなら訂正します(撤回します)」などという、政府答弁的な言い方はしますまい。
発言者としての、私が未熟でした。
私の未熟さゆえに、間違ったことを書いてしまいました。
ごめんなさい。
それに気づかせてくださったのは、実はあるブロ友さんの、コメントでした。
謹んで、お礼申し上げます。
限度を越えた「たちの悪い物語」は「そっと閉じて」しまわず、つどつど、きちんと否定されるべきです。
でも……
そこまで酷いことを言ったり書いたりする人って、突っ込みをいれたところで、たいてい引っ込むことはなくて…
罵倒用語を交えて返してきて、議論とは言えない、何の生産性もない「口喧嘩」に引きずり込まれるんですよね。
どうかすると、いわゆる「犬笛」を吹かれて、気が付くと野犬みたいなそいつの「お仲間」に取り囲まれて…
理屈もなにもない、罵倒と愚弄で袋叩きになったりすることさえある。
それでも傍から注意することで、たとえば間違った物語によって、差別されたり、誹謗中傷されたりして…
その場で傷ついている人の心が、救われるのならまだいいのですが…
注意した方のメンタルが削られて、人生の貴重な時間を奪われるだけの場合は、どうなのかというと…
難しいですね。
そういう不毛なことに嫌気がさして、私はツイッターをほぼ使わなくなったのですし。
批判している自分の、根拠となる「物語」もまた、絶対不変、普遍のものではないということを…
つい忘れてしまったりしますしね。
ただ、許されざる言葉というのは…
単に、無知(不勉強)や、想像力の不足が原因である場合があります。
そういう場合は、知識をお分けして、考え直してもらうことも可能です。
言っても無駄なのは、相手が純粋な悪意から発言している場合です。
たいていの不規則発言は、無知と悪意の両方を含んでいるものですが、どちら主なのかは…
見極めが難しいですね。
純粋な悪意だって、大抵は、それが生じて来た気の毒な事情というものがあるのですけれど…
自分の心の傷を癒したり、孤独を解消するために、悪意をぶつけて他者を傷つけていいということはありません。
いや、そういう場合には、法律や、ネットならば運営側の規約があるのだから…
そういうものに処分を任せたらいいのではないか、というと、現実にはそう行かないんですよね。
ネットの運営なんて、たいていザルだし、しばしばとても恣意的ですから。
もの凄いヘイトを常習的に垂れ流しているのに、何のおとがめもないアカウントというのは常に存在して。
逆に一回だけ、ちょっと適切ではないワードが混ざっただけで、BANされちゃうアカウントもあります。
法律だって、必ずしも不正をただし、被害者を守ってくれるものではない。
悪い奴ほどよく眠る、じゃないけれど…
「この世に悪の栄えたためしなし!」というのは、フィクションの中のヒーローが言うだけのセリフで…
実際には、太古の昔から「悪の栄えなかったためしなし!」というのが、歴史の現実ですし。
徳を守る善人は酷い目に遇った末に惨めな死を遂げ、悪人は悪の限りを尽くした末に幸せな生を全うする…
というケースの方がむしろ普通です。
神様なんていなくて、後生なんてものもないのだったら、悪いやつは勝ち逃げだ…
そんな世の中は馬鹿らしくて、まともに生きてられない…
という気持ちが、人に神や仏を信じさせてきた、という部分は間違いなくあると思いますよ。
ちょっと脱線しましたが…
許せない物語を垂れ流すのを、注意した方がむしろ傷ついてしまったり…
いじめを止めた人が、次のいじめの標的になったり…
そういう中で、どうすればいいのか。
批判よりも多くの、啓蒙活動をしたほうが良いのかもしれないですね。
とにかく、うまいやり方をしないと、実効性がないのは確かです。
そして実効性のない活動は、自己満足で終わってしまいますから。
難しいですよ…ほんとに難しい。
我田引水になりますけれど、私が感心したのは、推しの小倉唯さんがライブで客席に「煽り」を入れる言葉です。
(写真は小倉唯さんのツイッターからお借りしました)
「1階席ー!」「わー!」「2階席ー!」「わー!」とかいう、あれです。
唯さんの場合は「男性ー!」「女性ー!」「それ以外ー!」とやるんですよね。けっこうまじめに。
たぶん「それ以外」という自認がない人まで、観客席でふざけて「わー!」とやってますけど。
世の中には、書類に「男性・女性」と書き込む欄がある場合、どちらに〇をつけるか悩む人もいますけれど…
単純な「男・女」という区分けにさえ、入りきらない人もいる。
隣にいる人が、もしかするとそうかもしれない。多様性というのは、そういうことです。
というのを、説教口調で言ったら、ライブだとしらけてしまうでしょう。
でも、いつでも「それ以外ー!」とやり続けていれば、やがていつの間にか…
世の中にはいろんな性自認や、性指向の人がいるんだよな…
という概念が、頭の中に自然と刷り込まれます。
そういうのも「うまくやる」一つの方法だよな、と思ったりするのですよ。
そんな唯さんだって、無知なところや未熟なところはもちろんあるのであって。
マイナンバーカード普及推進のキャラクター「マイナちゃん」のCVは、彼女なんですけれど。
今の形での、今の政府のIT関係の管理能力での、マイナカードと健康保険証、キャッシュカードなどとの連携は…
テクニカルな部分で、実はかなりアブナイところがあって、個人情報の漏洩につながりかねないということ。
また、それを強硬に推し進める背景にある、国民からしたら歓迎できない、政府や米国の「思惑」。
そうした問題を彼女は知らないままに「お仕事」として、マイナちゃんのCVを引き受けているのでしょう。
それは、責められることではないのですけれど、やっぱりそこには、無知と未熟さが関わっているのですよね。
あらゆる人が、完全な賢者ではないわけですから、誰でも多かれ少なかれ、無知で未熟です。
人間は死ぬまで、学びと経験を積んで、成長して行くべきものです。
ただ、やさぐれたり、ふてくされたり、怠けたりして「無知に開き直る」のは、よくないです。
自分なりのレベルで、ペースで、自分自身をアップデートし、上書きし…
成長して行きたいものです。
ちなみに、昨日の筋の良くない記事は、敢えてそのままに残します。
コメントを寄せて下さることで、それに気づかせてくれたブロ友さん、ありがとうございました。
今日のおまけ動画は、発売も近づいていますので…
また小倉唯さん作曲となるニューシングル『Love∞Vision』のMV、ショートバージョンと…
それから唯さんが作詞したカップリング曲『Precious』のごく短い視聴動画も貼っておきます。
どうぞ。
(再生時間2分30秒)
(再生時間1分27秒)