東ヨーロッパの平原で起きている戦争が、世界に拡がる可能性、また核戦争に至る危険性がいまだ去りません。
日本も巻き込まれる可能性は十分にあると思われるし…
ヨーロッパでなく、東アジアで戦争が起きる可能性も、否定できません。そんな中。
ニュージーランド人の著述家で、ツイッタラーとしても知られるガメ・オベールさんが、こんなツイートをしていました。
旧軍の残虐行為については、若い世代を中心に「そんなことはなかった。ウソだ」という人もいますけど。
私ぐらいの年代の人間は、まあ生まれた環境にもよりますけど、人生の折々で、旧軍の軍人軍属だった人から…
戦場での「自慢話」として、人間性を失った行為について聞かされた人がいると思います。
私がもっとも震撼した話は、このブログで書いたことがあったかどうか忘れましたが…
もう二十年以上前、ある東北地方の温泉旅館で、宿の先代のご主人だった人から、直接聞いた話です。
見た目ごくごく穏やかな好々爺、という風情のその人は、もう八十を過ぎて引退していたようでした。
引き払って帰るという段になって、ちょっと時間があったので、その老人と座敷に座って、話すことになりました。
そして老人は、お茶を飲みながら、昔の懐かしい話として、陸軍兵士として大陸を転戦した体験を…
とつとつと話し始めたのです。
うろ覚えの東北弁ですが、できるだけリアルに再現すると、こうでした。
曰く。
おらもわがくて元気だったから、はあ、むごうでさんざ暴れたもんだ。
兵站がながながうまぐいがねくて、食いもんやらなんやら、おらたちでチャンコロの村さ襲って手に入れたりな…
(チャンコロというのは、中国人の当時の蔑称です)
ある村さ入ったら、もう村の連中は、はあみんな逃げつまってで、女がひとり乳飲み子さ抱えて震えとっただよ。
なすて、そいづだけ逃げおぐれたのか、おらたち、わがんねえけどよ…
当たり前だけんど、おらともう一人の相方で、女さ手ごめにすてたら、はあ…
あんまりうるさぐ赤子が泣ぐからよ、黙らせんべって、相方がそいつ空にほん投げて、おらが銃剣でそれ受けたら…
赤んぼの体はやわいから、はあ、小銃さ、ずぶっと突っ通って、ぶしゃっとおらの手元まで来たんだ。
それ見で、女が狂ったみでえになってよ、鎌持って向がってきやがったから、銃剣で殺すてやったべさ。
そんな恐ろしい話を、反省や後悔するどころか、むしろ若いころのやんちゃ話を自慢するみたいに…
穏やかな笑顔を浮かべて話したのです。
その気持ち悪さに、比喩ではなく本当に吐き気がして、逃げるように宿を後にしてきました。
これ、もし戦後すぐにバレてたら、BC級戦犯として処刑されてもおかしくない話です。
でも戦後半世紀以上たっているし、本人はもう耄碌しはじめているし、平気で自慢話にしてしまっていたのでしょう。
そして、基本的に罪の意識は爪の先ほどもないんだな、ということがわかりました。
でも別に、その老人と「相方」が特別に冷酷な、サイコパスだったわけではないと思います。
戦場というのは狂気の場ではあるのでしょうけれど、それに加えて、当時の日本人の常識的な感覚として…
中国人や朝鮮人を同じ人間と思っておらず、見下して蔑視していたから、自然とそういうことになったのでしょう。
軍人、兵隊というのは、多かれ少なかれ、人間性を捨てなければ務まらないものなんだ…
戦争というのはそういうものだ、というのは、確かにあるかもしれません。
でも、旧大日本帝国軍の残虐性、非人間性には、ちょっと常軌を逸したところがあったとも思えます。
ガメ・オベール氏は…
「軍隊と呼べるようなものではなくて、人間の悪意の結晶のようなもの」
「日本人の国民性から良いところを全部剥ぎ取って獣に変えるような装置」
と評しています。
本当に、そういうことなのかもしれません。
そして、そうした旧軍の精神性は、批判されることも、反省されることもなかったがゆえに…
今も日本人の精神の奥底、暗い闇の中で、生きているのではないでしょうか。
普通の善良な日本人が、ある状況になって、周りがみんな鬼になったら、鬼畜に変身する可能性があるのではないか。
とくに同調圧力に弱く「個」が弱い私たちにとっては、善悪の基準も相対的なもので、周囲の雰囲気次第で…
簡単に変わってしまう部分があります。
自分が人間性を失って、他の動物では考えられない、獣以下の、醜悪で残虐な化け物になるぐらいなら…
人間としての尊厳を保って殺されたほうがまし、と私は思います。
そして、私たちの子どもたちが、そんな化け物になってしまうぐらいなら…
外国人の軍隊に、国が蹂躙されたほうが、まだまし。
だって、人間として生き続けていれば、いつか「インディペンデント・デイ」が、再び来るのですから。
そうは思いませんか?