さて、アルファロメオの「シンボルマーク」にまつわるお話の第二弾。
今回はこちらのシンボルについてです。
三角の白地に四つ葉のクローバー。
アルフィスタは「クアドリフォリオ」と呼びます。
イタリア語で「四つ葉」という意味。
正確には、クアドリフォリオ・ヴェルデ(緑の四つ葉)といいますけれど…
実はこのシンボルマークも、アルファロメオのレース活動と関わっているものです。
時は、1928年にさかのぼります。
日本の元号でいうと、昭和3年。
日本の4輪モータースポーツが本格的に始動したのは、1963年(昭和38年)の「第一回日本グランプリ」ですから…
ヨーロッパの自動車レース…というか自動車の歴史が、いかに我が国に先行していたかがわかります。
ああそんな後発の国なのに「ウインカーは右」にして日本を自動車ガラパゴスにしてしまったJIS規格は何考えてんだか。
まあそれは今回どうでもいいんですが。
ともかく、クアドリフォリオは1928年に誕生しました。
考案した人は、ウーゴ・シヴォッチというレーシングドライバーでした。
彼はアルファの、いまで言うワークス(メーカ正規部隊)チーム『アルファコルセ』のレーサーでした。
シヴォッチは「腕はあるがとにかくついてない」と周りから言われて、長らく勝利に縁がありませんでした。
「何より俺に必要なのはラッキーだ」
というわけで考え付いたのが、西洋では古くから「幸運を呼ぶ」と呼ばれる四つ葉のクローバーを、マシンのボディにペイントしてみること。
そこで当時、ミッレミリア、ルマン24時間と共に「三大ロードレース」といわれていた…
タルガ・フローリオの1928年大会に「アルファLR」のマシンをこんな風にカラーリングして出場しました。
(当時、長距離を走る公道レースは、短距離のクローズドサーキットを何周も周回する「グランプリ」以上の人気でした)
当時イタリア製のレーシングカーのボディはすべて…
レースの世界でイタリア車のナショナルカラーであった「イタリアンレッド」に塗装されていました。
それだと、緑色の四つ葉のクローバーが目立たないので、白い枠をつけてペイントしたようです。
(白枠が、今のクアドリフォリオの三角ではなく、ダイヤ型の四角であることに注意!)
そうしたら…
「運が悪い」ので知られていたシヴォッチが、超ラッキーな展開で、大逆転の初勝利を飾ったのです。
しかも、タルガ・フローリオというメジャーレースで。
「クアドリフォリオのおかげだ!これから必ず俺はこのマークを付けて走るよ!」
と大喜びしたシヴォッチ。ところが……
数か月後、イモラ・サーキットで行われた、28年のイタリアグランプリの予選。
予選だからと、クアドリフォリオをペイントしていないアルファP1で、予選アタックに挑んだシヴォッチは…
クラッシュしてあっけなく命を落としてしまったのです。
「四つ葉のクローバーが無かったせいだ」
当時の自動車レースは、戦後のモータースポーツ以上にドライバーやメカニックが命を落とす危険性が高く…
(シートベルトさえありませんでした)
走るのは文字通り「命を懸けた闘い」だっため、レーサーもメカニックも迷信深く、異常なほどに縁起を担いだのです。
それ以来アルファコルセでは、安全と幸運を祈る「お守り」として、全員がクアドリフォリオを車体にペイントするようになりました。
ただし「シヴォッチの不在」の象徴と、彼への追悼の意を込めて、四角形の白枠の角をひとつ取って…
白枠は三角形、ということになったのです。
これが、アルファロメオの「クアドリフォリオ」=白い三角枠に四つ葉のクローバーの由来です。
その後、アルファコルセのエースドライバーで、チーム全体の「兄貴分」としてみんなをまとめていた…
アントニオ・アスカーリの事故死をきっかけに、レースから撤退したアルファコルセ。
それに代わって、アルファロメオのセミ・ワークスチームを率いて、アルファのモータースポーツ活動を担ったのは…
あのフェラーリの創業者である、エンツォ・フェラーリでした。
彼はそのキャリアを、アルファコルセのドライバーの一人としてスタートさせ、やがてチームマネージャーに転身。
ワークス撤退後は、自分のアルファロメオ・セミワークスチーム『スクーデリア・フェラーリ』を率いて…
伝説の名ドライバー、タツィオ・ヌヴォラーリなどを擁し、戦前のモータースポーツの世界で大暴れすることになります。
そう、スポーツカーメーカー、フェラーリの創業よりも先に、レーシングチーム『スクーデリア・フェラーリ』は…
「アルファロメオ=アルファコルセの娘」として誕生したのです。
(マシンも「スクーデリア」もイタリア語で女性名詞なので、あえて息子ではなく娘と表現します)
上の写真、アルファのエンブレムと、スクーデリア・フェラーリのエンブレム…
「カヴァッリーノ・ランパンテ」(跳ね馬)のマークとが同居しているのに注目してください。
ちなみに、アルファコルセがレース活動に復帰しても、クアドリフォリオは使われ続けました。
「幸運と無事」のお守りとして。
再び資金難に陥ったアルファロメオが、戦後、ワークス活動をまたやめて…
アバルトのメンバーを中心としたセミワークスチーム『アウトデルタ』の形でレース活動をつづけた際にも…
クアドリフォリオは、上のアウトデルタのマークより目立つぐらいに、マシンにペイントされていました。
1990年代に、アルファコルセが三たび活動を再開したとき、クアドリフォリオも当然、正式に復活。
それと同時に、アルファの市販車の中でも、凝った機構や強力なエンジンを積んだ、上級モデルに対して…
「クアドリフォリオ」というグレードが設定され、四つ葉のクローバーのバッジが付けられて、現在に至っているというのが…
アルファにおける「クアドリフォリオ」=四つ葉のクローバーの歴史です。
うちのペッピーノにも、クアドリフォリオのバッジが付いていますが、156というモデルに…
正式な「クアドリフォリオ」のグレード名はなかったと思うので…
このバッジは、前のオーナーさんがどこかで手に入れて、自分でくっつけたのではないかと思います。
今日はここまで。
次回は、もうひとつのアルファの象徴である…
逆三角形のグリルについてのお話です。