震災から12日たった。
テレビでは「いいとも」が月曜日から放送されはじめたし、ラジオも軽快な音楽が流れはじめた。 まだ早いのではないか、と思う気持ちとにほっとする気持ちとない交ぜだ。 ガソリンもやっと入れることが出来たし昼には外食もした。 涙が出た。 ガソリンを入れて猫の世話や家族の見舞いにいける。 おいしいランチをいただく事が出来る。
地震以前は゛当たり前゛のことが、今は感謝の涙の出来事だと知る。
今までは食事の量もすすまなかった。 被災地ではろくに食べる物が無い人達がいるのに、自分が腹いっぱい食べることが気が引けてしようが無いし、 コーヒーやお菓子まであることが申し訳ない。 家族も同様の気持ちだったらしく、昨日しっかりご飯を食べて「ああ。久しぶりにお腹一杯食べたね」と言い合った。
食べる意味、それは現実をこなすためだ。 次々にやってくる現実をこなすためには食べないといけないし、眠らないといけない。
段々とテレビは通常に戻るだろう。CMも放送されるようになるだろう。 その時「元通りに」ろくに考えこまれていないバラエティ見て馬鹿みたいに笑ったり、食事を粗末に扱ったり、電気を使いまくったりという「元通り」になったら日本人は大ばか者の集団なのだろう。
飲みに行くもの買物するのも野球もコンサートも経済回復と気持ちを明るくするために、必要なのだと思う。
大切なのは今までの当たり前が当たり前ではなかった事に 「気づきながら楽しむ事。気づいて大切に味わうこと。そんな自分に変わること。」
地震の霊的意味ー気づけ。気を失ってる場合じゃないぞ。起きろ。
何回地震が来ても 多くを失っても「自分」が変わらないと意味がない。