私に依頼される仕事の一つに「供養祭」があります。
日々の供養は家族や因縁のある方がなさる事ですが、なかなか浄化成仏できない霊魂を鎮魂するために出向く時もあります。
しかし、そのような存在はやはり一筋縄ではいかないので、正直あまりお引き受けしたくありません。
大神様に「これをやって私に被害があるならやりません。家族や友達も守ってもらわないとやりませんからね」と 大神様に向かって態度のでかい私。
「大丈夫。少しだけだから」というアンサーに
少しだけ? 少しだけ被害があるの?と問うと
「まあね」という。
いやああああ! 絶対いや
微塵も被害がないならやるけど、ちょっとでも何かあるならやらないからね!
と大神様に対して「やってあげてもいいけど」的私。
「わかった。わしらが守るから、安心せい」という答えに
じゃあ、やってもいいけどさ。絶対、守ってくださいね! と本当に上から態度の私。
そんなこんなのやり取りあって、渋々出かけるのが本当のところです。
しかし、供養をさせていただくと虹が出たり、雨空に太陽がパーッと顔を出したり、蝶がどこからともなく現れたりと 様々な「見せる奇跡」をいただきます。
ビビりながらの私に大神様は励ましをくださっているのだな、と思う瞬間です。
ありがたくって涙が出てまいります。
特段なる御守護を感じることが出来ます。
そんな私のところに、ある日、自分も修業して同じことがしたい、という方がいらっしゃいました。
私に人を教えることが出来るのかな、そもそも他人も このような事が出来るのかな? わからないまま、とりあえずパワーチャージから受けていただいておりました。
数か月しても意志はかわらない、勉強したいとおっしゃるので、じゃあ私も真剣に取り組もうかな、と思ったのですが。
その方の守護霊様リーディングをさせていただいた時。
「お前は真剣にやる気があるのか?」と その方に質問の声。
その方は小さい声で「はい」とお答えになりました。
守護霊様は繰り返し 問われます。
「お前は真剣にやる気があるのか? 真剣にやる気があるのか?
この者(私のこと) この者の隣には邪 (じゃ) も鬼(き)もはりついておる。
それでもやります!と この者は言うからわしらも力を尽くすのじゃ!
お前は そこまでしてやる気があるのか?!」
守護霊様の強い大きな声もあり、その方は委縮して「やめます」と答えました。
私は心の中で ゛おいおい! 私の隣には邪も鬼もはりついてるのかよ! いやあああ
! それに自分、゛それでもやりますって言ってないし ゛
と思った瞬間
「お前はそれでもやりますって言ったよ。だから わしらは守ることにしたんじゃ。 お前の 健気に応えるためにな」
導きと守護の存在の そのお答えに
ふぇぇえ 私はいつ ゛それでもやります ゛って言ったのだあ。と驚きつつ。
潜在意識の奥で こう思ってるっぽい自分を発見したりします。
「大神様の役に立ちたい。」
ささやかな自分の生活を送らせていただきながら、もっと何かできないかなあ、と思っていました。
お坊様や霊能者の友達に供養祭をしている話をしますと 一様に反対されます。
普通このような事に関わっていくと業病にかかったりろくな死に方をしないからです。
わかってます。 でもね、私は特異体質。
供養祭してもピンピンしてて、むしろ毎年健康になっていっている。
この状態を信じよう。
何処に行っても異端の私。
おおかたの理解の範疇を超えたところで「一人宗教」を実践してみよう。
そう思うアンジュであります。
今月は弘前の岩木山神社、来月は 伊勢に「神様にご挨拶」に行ってまいります。