スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

他人霊…百害有って一利無し・・・・あなたは、知らぬ間に困った悪しき霊を付けていませんか?

2016-05-20 18:07:27 | スピリチュアルな出来事

  他人霊…百害有って一利無し・・・あなたは知らぬ間に困った霊を付けていませんか?

 霊・・・にも色々ある。守護霊・先祖霊・他人霊(地縛霊・自縛霊)などである。

 守護霊や先祖霊は有りがたいものなのだが、他人霊には困ってしまう。それも、知らぬ間に気が付かない間に付いてしまう場合が多い。

 その影響は急に来る場合も有れば、徐々に表れる場合もある。決して良い影響は無く全くもって悪い影響のみである。

 

 昔の事ではあるが、私はその経験が有る。それも3年近くも影響を受けていた。

 それは小さな古い借家を借りた時の事だった。1年余り空き家に成っていたのだったが、ここを借りる事にした。

 大家さんの話では、93歳のお婆さんが住んで居たのだけれど終末は病院で亡くなったとの事だった。

 しかし、入居してからどうも気配を感じてしかたが無かった。後で近所の人から聞いて分かったのだが、ある日、そのお婆さんは、

 突然とその家で亡く成ったとの事だった。

 道理で…感じたはずだ。様子が伺われる・・・が、あまり悪い人でも無さそうだし大した悪さはし無いだろうと思い、

 また、93歳まで長生きをしたので有れば、私もあやかりたいくらいだから、さほど気にしないで良いだろうと思ったのだった。

 しかし・・・・その影響は見え隠れたりしながら徐々に影響を及ぼしてきた。

 しばらくしてから、段々と体が重く成ると言うかしんどい・・・やたらとしんどい。ま~仕事の影響だろうと思っていたのだが・・。

 あまりにしんどいので、病院で診察を受けたが、多少コレステロール値が高い程度で大して問題は無い・・と医師から言われたのだった。

 

 年齢も重なれば・・年相応にしんどいのも無理は無いか・・などと思ったものの、それにしてもしんどい・・。とうとう、仕事を辞めてしまう羽目と

 成ってしまった。2~3ヶ月休み色々としたかった事を片付け、休養し充電してからまた働こうなどと思っていたものの、、、やたらとしんどい・・。

 家の中の仕事が精一杯で、働く自信が沸いてこない。

 思う様に事が捗らない…体は益々重い…そうなると今度は、心も重く成る・・。サプリメントを飲んだり運動や散歩を少しやってみても…体が付いてこない。

 直ぐそこのスーパーに行くのも歩くのがしんどい始末だ。

 しんどさは、誰に話しても理解をして貰えない・・・。「そんなもんよ・・。私だってしんどいんよ・・・。」と返事を返される・。そのうち自分でも、こんなもん

 なんだろう・・と思う様に成ってしまっていた。


 あ~そうだった・・。私はすっかり忘れている事に気が付いた。水の神様に水を差し上げなくてはならなかった事をその家に移ってからすっかり忘れていたのだ。

 水の神様に水を差し上げ、そのお水を頂く事が大切だったのに・・・。何で気が付かず忘れていたのか・・?。(悪しき霊の影響だ)

 水を差し上げそれを飲んでから3日・・・すっかり体調が嘘の様に楽に成った。そして力が漲ってきた・・。

  そして気が付いた。

 私は、その93歳の婆さんをなめていたのだ。しっかりと透視を見極め・・そして近所の人にその婆さんの容姿を聞いて確認・・・。間違いなかった。

 相当に頭に来てしまった。婆さんは部屋の隅で正座をし肩をすぼめ、申し訳なさそうにしていた。「どうしてこの家に未だに居るのか・。」と聞くと、「もう少し生きて

 居たかった・・。ここの生活が気に入っていた・・。」との事だった。

 頭に来ても仕方が無い。婆さんを甘く見ていた事。長生きをした婆さんだったらご利益が有り私も長生きが出来るかも・・・「ま~居ても良いか・・。」

 などと隙を見せてしまったのだ・・。知らぬ間に、受け入れをしてしまった事に成る。見えていながら見て見ぬ振りをし、処置をしなかったのだ。

 神仏に文句を言っても仕方が無い・・。自業自得である。

 

 93歳のばあさんの影響で私はすっかり93歳の気力と体力に日を追うほどに成ってしまったのだ。働ける訳が無い・・。

 その後、婆さんは除霊を(天上へ上げる)した。

 関節の痛み・腰通・脱力感・・・しんどい・・・眠れない・・・胃と腸が宜しく無い・・・が、すっかり無くなった。

 ま~年相応に戻ったのだ。「そ~だったんだ・・。こんなもんなんだ・・。」

 と、すっかり本来の自分の体調を忘れていたの事を改めて思い知ったのだった。これも経験・体感なのだろうが、93歳で普通の生活をする事の大変さを知る事が出来た

 ものの、3年近くも無駄にしてしまった。


 世の中には、結構、そういった他人霊を付けてしまっている人が居る。観光地に行って・・。病院にて…老人の施設で・・。引っ越し先で・・などなど、あらゆる

 場所で付けてしまう・・。心の弱った時、情の深さから、体調不良の時、心の隙間(魂)に入ってくる・・。しかし、気が付かない。

 私は、そういった人を良く見ている・・・しかし、言っていいものかどうか?何時も迷ってしまう。


 急激に・・或いはゆっくりと悪い影響を与える・・。病院へ行けばそれなりの病名とお薬を下さるが、いまいち納得が行かない・・・。人に話しても理解をしてもらえない。

 何も出来なく成ったならば周囲は納得をしない・・・家族さえも・・のら・・・の一言で片づける。本人も長きに渡って影響を受けると体調もこんなもんなんだろう

 と思ってしまい、本来有るべき自分の体調が分からなく成ってしまう。そして・・・心が重く成り病んでしまう・・。

 神社に行きお祓いをしてもらっても、家に他人霊が居れば、心が病んでいれば油断をすれば・・一時は離れてもまた付いてしまう・・。

 守護神・守護霊。先祖霊は、本人に寄り添い居るものだが、悪しき霊・・他人霊は、人の心身・魂に入り乗っ取ろうとする・・。故に、性質が悪い。

 どんな立派な守護神・守護霊・先祖霊が居ようとも…お構いなしに付いてしまう・・。故に性質が悪い・・。

 

 以前にお話をしたのだが、死後は未練・欲を残さず天に昇らなければならない・・。どんな理由があろうとも良さそうな霊に見えても

 所詮は、生き欲・支配欲(権威欲)など欲に満ちた霊に他ならない・・。欲から生まれる悪しき心を持ち合わせている。百害有って一利無しである。

 故に、甘い顔・同情は禁物である。説得をし天上に送るかよっぽど性質の悪い霊は消滅も仕方が無いだろう。

 ちゃんとした能力者にお願いをし、処置をしてもらう方が良いのだが、それぞれに得意とする能力が有るので、悪しき霊の霊視が出来、また、処置が出来る方を

 選ぶ事が賢明だろう。

  MACO COISHI

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釈迦・・・おろち(悪魔)退治をする・・。おろち(悪魔)と釈迦とに遭遇する。

2016-05-10 11:14:57 | スピリチュアルな出来事

   釈迦・・・おろち退治をする・・。おろち(悪魔)と釈迦とに遭遇する・・。    スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

  昔の話だ・・。

  甘すぎる自分が居た。相当に手痛い目を見た出来事が有った・・・.

  ただただ落胆し茫然とした日々を送っていた。そんなある日の事。

 お前は、それでも人を信じるのか・・・。人を信じるのは愚かな事だとは思わないか・・。悔しいだろう・・。憎いだろう・・。お前を引き上げてやろう・・。

  相当の財力と地位を与えよう・・。」そんな言葉が、はっきりと聞こえてきた。

 「私は、それでも人を信じる・・。信じる相手を間違えただけだ・・。自分にも非が有った・・甘かったからだ。信じる事を諦めない。人を嫌いにはならない・・。

 お前の力は借りない・・。さっさと帰れ!!・・。」と叫んでいた。怪しいものだと直感で分かった。


 その時、私は、相手を憎んではいなかった。それよりも、ただただ悲しかった。

 どんなに辛い出来事がおきようとも、どんなに酷い目に合ったとしても、私はその相手を憎み恨まない事にしている・・。それは十代の頃に身に着けた考えだ。

 何れ天が裁く。この世で裁かれなかった罪は、天上にて更なる重い裁きを受けるだろう・・・。そう思う様にしてきた。

 でなければ自分の身が持たないからだ。天にお任せをする・・ことにしている。


 信じていた人に手痛い目に合わされ裏切られたとしても・・・それで相当に悲しい思いをしたとても、それでも人を信じる事を諦めない、

 人を嫌にはならない事が大切で有る事を私は身をもって知っている。

 人・・・有ってこその自分の存在・・生きている実感と意味が有り、こうして生きて来れたのも

 色んな人と関わり助けられ、今の自分が有るのが事実だからだ。だから人の為に成りたいと思っている。

 人を信じる・・・それには条件が有る。双方の信頼関係が必要で一方的なもので有ってはならない。信頼関係を築くには関わりが必要で、良い関わり思いやり

 愛情の相互関係が普段から必要で、そこに絆が生まれ・・・はじめて信じる・・・が発生する。一方的なもの・・・それは信じるには値しない。


 あの時、「ささと帰れ・・・」と言って良かった・・。あの怪しい正体は、後に成って分かった事だが、悪魔だった・・。

 悪魔の誘惑を断って良かった・・。後に私は、悪魔を肉眼ではっきりと見る事と成り、その悪魔を釈迦が退治をしてくれる事と成ったのだが

 あの時、誘惑に負けて「では、宜しくお願いします・・。」などと言っていたものなら、今頃は、私は大金持ちに安易に成っていたかも知れないが、死後、

 私の魂は悪魔に取り込まれる事に成っていただろう。悪魔との約束事・・・魂の取り込みは、こちらの承諾なしに、死後「良い思いをさせてやっただろう・・。」

 と、有無を言わさず取り込まれる。知らなかったでは済まされないのだ。


 悪魔の誘惑をきっぱりと断ったからこそ釈迦に出会え、そして助けられたのだ。この時が、はじめての釈迦との出会だった。

 悪魔の誘惑が有ってから数週間後の事だった。時は真昼の出来事。

「裏の空き地の草を刈りなさい・・。」と、誰かの声が聞こえた。

 裏の空き地(所有地)は、家の北側にあり結構広い。ここの所、いろんな嫌な事が重なり気が付けば背丈ほどに草が伸びていた。

「え~これ全部刈るんですか?」

 「では、このまま通れる幅で良いですから、まっすく塀の檜の所まで、刈って道を作りなさい・・。」

 空き地の向こうの端は塀に成っていてその手前に檜が二本生えている・・。丁度、空き地のど真ん中に道を作る感じに草を刈る分けだ。

 鎌で1m幅に北に向かって草を刈って進んだ。結構、疲れた。やっと檜の所までたどり着いた・・。

 二本の檜の間にはツツジが生えている・・。

 たどり付いたその瞬間・・・ツツジに蜂が巣を作っていたのだろうか、蜂達が一斉に飛び立った・・。

 「やばい・・・。」と、思った瞬間・・。私は見てしまった・・。

 檜の間に真っ黒に渦を巻いた蛇・・・。その蛇が、頭を持ち上げた瞬間、目がこちらを睨み付けた・・。その眼は真っ赤・・・この世に見た事の無いおぞおぞしい赤い目・・。

 黒く渦を巻いた胴体も、おぞおぞしい何とも言い表しようの無い黒・・・・闇の黒・・・と言ったところだろうか。直ぐに、この世のものでは無い事が分かった・・。

 目が・・・点になる・・。体が凍る・・。手足のつま先から頭の天辺まで、髪の毛の一本一本までにも恐怖の電撃が走る・・。

 時間が・・・止まった・・。

 あまりの恐ろしさに私は、これまで生きて来て、これほどの大きな悲鳴は発した事が無いくらいの・・悲鳴を上げ、一目散に家に逃げ帰った。

 「悪魔だ・・・。おろちだ・・。」日本では、悪魔はおろちの姿をしている・・。

 

 「よくも、、、見付けたな・・・。ただではおかぬ・・・。」

 逃げ帰ったのに・・・悪魔が私の中に入ってきた。入ったのが分かった・・。しかし、自分も居る・・。

 悪魔が何とも悍ましい声で叫んでいる・・。自分が話しているのだが・・・悪魔が話し、それを自分が聞いている・・。

 何とも恐れ入った状態・・。

 「どうしたものか・・。何とかしなくては・・。」と、心の中で思考している自分も居る。

 そして、悍ましい悪魔の魂が自分の中に居る・・。

 その時、相棒(友達)がやってきた・・。

 「どうしたん・・・」…と相棒・・・。グットタイミング・・・これも神の時間合わせわざだ。

 「変なもんが入っとる・・。背中・・たたいて・・」やっとの思いで声を出す・・。

 相棒が呪文を唱え思い切って背中をたたく・・。その瞬間・・悪魔が出て行ったのが分かった・・。

  やれやれ・・・。

 体・・全体が、わなわなに・・・がくがくに成り、震えがなかなか止まらない・・。

 何とも恐れ入った体感だった。

 しかし、悪魔が入ってきた瞬間、一瞬にして事の全貌が分かった。

 どんな理由で何処からやって来てどうするつもりだったのかが・・一瞬にして理解が出来た。

 この近年の低迷…運気の無さ・・頑張っても報われない理不尽な事態、人に裏切られる・・などなど・・・こいつのせいだった・・。


 話が後先に成ってしまったが、草を刈る様に言ったのは釈迦だった・・。最初は誰だかがわからなかった。

 檜の所まで草を刈る約1m手前で、私は門が開くと言うか何かの壁・仕切りが取り除かれる繋がると言うか言い表しにくいけれど、それに似た感情を受た。

 とても懐かしくやっと会えた(釈迦に)・・再会の喜びに歓喜し涙を流したのだったが、今いち、何でこんなに喜んでいるのかちょっと不思議とも思えた・・。

 「え~何で???」と言った感じだ。

 その後、さらに1mほど進み、何とも悍ましい体験をしたのだった。

 この日、私は、最高の感激的な再会と最高に悍ましい恐怖の体験をしてしまったのだった。

 そして、悪魔(おろち)は、釈迦が・・すんなりと消滅してしまった・・。

 聞くよりも読むよりも見るよりも体感が何よりの修業であると釈迦は言っておられるが、いきなりの体感は如何なものか・・・心臓に悪い・・。

 出来れば説明を先にして頂ければ、それなりの覚悟もあろうものを・・と思う所だが、

 悪魔の甘い誘いに乗るか否か…試されたのかもしれない・・。

 

 おろち・・と言えば、須佐能の尊・・・。後に、お会いする事となる・・。


 おろちが見えた事にも意味が有り、須佐能の尊にお会いしたのにも意味が有った・・。

 悪しきものが見えなければ退治…消滅は出来ない・・。須佐能の尊にお力をお借りしなければ、退治・消滅も難しい・・。

 後に私は、悪魔・・おろち退治のお役目・・・・能力を頂く事と成った・・。


 何とも信じ難い出来事なのだが、本当の事で有って、嘘でも夢でも無い。文章を書く事は大の苦手で有る。

 何よりも日々、必死に生きている身の上なので嘘つく暇も無いのだから。

 MACO COISHI

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神仏と悪魔…天国と地獄。

2016-04-16 00:11:24 | 神仏から教えてもらった事

.   神仏と悪魔・・・天国と地獄・・・あなたはどちらを選びますか・・。        スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

人には、欲が有る・・。性欲・食欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲・・・大きく分けて五つの欲を・・五欲と言う。

生きる為に必然と生まれたものでは有るが、何れも度が過ぎる事を良しとしない。この五欲は厄介なもので、求める程に満足を知らない。

一時的に満足をしたとしても、直ぐにまた、もっともっと成ってしまう…これを喝欲と言う。砂漠に水を灌ぐ様なものである。

求めるほどに多くを欲するほどに不安が付きまとう事と成る。失うを恐れる事と成る。

安穏とは暮らせなく成ってしまう。真の幸せからはほど遠く成ってしまう。

 

人は生きるにあたり、思うように欲を満たす事が出来る訳では無い・・。或いは失ってしまう事も多々ある・・。

思う様に欲を満たせない・・・失う事の心の葛藤がら生まれるもの・・・それを五悪と言う。

嘆き・悲しみ・怒り・憎しみ(恨み)・殺意・・の五悪である。この五悪は・・・心(魂)を苦へと導く・・・生きながらの地獄を背負う事と成る。

五欲も五悪も人として持って生まれた宿命とも言えるのだろう・・。

だから苦しむ事と成る・・・故に、釈迦は、この世は苦である・・と言っている。


心(魂)が苦(苦しむ)であれば、当然、幸せには成りえない。 人が羨むほどに欲するものに満たされている様でいても・・

人に見えない心(魂)は苦るしみ・・生き地獄の渦中にいるかもしれない。

それぞれ別に各々が持ちえる魂しいだから他人には計り知れない・・。己自身が、己の魂を地獄の渦中から救わなければならない。

故に、釈迦は、欲しなければ、悪は生まれず、苦しむ事も無くなる・・・それを・・空・・と言い表し、

空・・こそが、心が安穏といられる手段であり・・・安穏こそが幸せで有ると言っている。


生きるは…生活で有り、生活する中では、五欲もある程度は必要で、それにより生まれる五悪も生まれるのが現実で有る。

故に、苦しみも生じる・・・そんな時、神仏の教えが光明となり導かれる


喝欲から生まれる・・・五悪・・・。悪は、人がもたらしたもの・・。人がもたらした悪・・・そこから生じるものが悪魔である。人の産物である。

この悪魔・・・形を変え姿を変え小さなものが引き寄せあい大きな悪魔と成って行く。生きる人の悪しき心(魂)から生み出されるものと

死した者の悪しき魂を引き寄せ大きく成長し、悪魔・・或いは魔神となり神々と対座し存在する。

生前、悪しき魂を持つものは、死後、当然、悪魔に魂は有無を言わせず引き込まれてしまう。これを地獄に落ちると言う。

全うな清き魂は、引き寄せられる様に天上に上る。これを天国・或いは極楽へ行くと言う。

死後、未練を残した魂は、悪魔に取り込まれぬ様に気を付けなければならない・・。そうならない様に、神仏は導きをされている。


悪魔は厄介だ・・。死後の悪しき魂から生きし人の悪しき魂から・・引き寄せ形を成し巨大化してしまう・・。巨大化した悪魔は、戦争の導きをしてしまう事もある。

或いは、人に降臨し悪事の導きをする事も有る。

故に、喝欲・・・多くの欲を持たない・・・悪しき心(五悪)を滅する努力をしなくては、魂は、天上には上れない。

悪魔に取り込まれた魂は、二度と天上には上れない。

死後、迷う魂は、説得をし天上へと上げられるが、悪魔に取り込まれた魂は、もはや自分の魂としては成り立たない・・。

故に、神々或いは御仏により消滅をするしかない・・。

神仏は、生きる人の魂を清くする為の教えを説き幸せへと導き、清き魂を天上へと導き、迷える魂をも天上へと導き、悪しきもの・・悪魔を消滅する。


私は、悪魔を見た事が有る見る・・・とは、透視と肉眼で見る・・・とが有り、肉眼では、はっきりと2回、見ている。

悪魔はあらゆる姿に変貌し、国によっても見え方や呼び名は違うのだろうが、ここ日本では、おろち・・として現れる事が多い。

私が肉眼で見たものは、おろち・・だ。スサノオの尊に出てくる類いのものだ。

詳しくは、近いうちに話をしようと思っているが、実際、見てしまうと悪い事は決して出来ない・・・と思う。

経験をさせられ体感させられ教えが真実である事を証とし指し示される。

読む・・聞く・・よりも、実際の経験・体感は、何よりの修業である。


神仏は後に先に教えを説き・・経験・体感を教えの証とし指し示し、修業は続いて行った。

つづく。

maco-coishi

 

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イエスキリストさまって???…天国と地獄・・・のお話し。

2016-04-04 00:35:42 | 神仏から教えてもらった事

 イエスキリストさまって?・・・天国と地獄・・・のお話し                                 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへスコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧

 

 心清き者は、神仏を降臨させ、心卑しき者は、悪魔(魔神)を降臨させる・・。この言葉は大変、重要で、長い修業の中で、戒めとして心に深く刻んでおります。

 悪しき心は、正しい教えを聞き誤り、悪しき神の言葉を聞き入れてしまう恐れが有るからです。

 「私・・・のみを信じなさい・・。」と、ある宗教の教えで他の教えは邪道である・・と言われていますが、、、神と交信をされた際、

 悪しき心を少しでも持っていると、正しき神の御声を教えを聞いたつもり見たつもりが、魔神の教えを見聞きする恐れが有ります・・。

 それほどに神と魔神(悪魔)は、近くに対座し、交信の際に、同時に現れる場合も有れば、神に化けた姿を見せる場合も有ります。

 魔神(悪魔・悪しきもの)は、神にさえ簡単に化けてしまうとても厄介な存在なのです。

 ですから、「私・・・のみを信じなさい・・。」と言われたのは、交信の際、悪しきものが近くに存在したのかもしれません。

 

 心(魂)白き者に神は必要によって姿を変え名前を変え現れます・・・求める人に降臨されます。

 

 真白ろき・・限りなく聡明で美しく清き魂に私は出会った事があります。初めでの経験でした・・・。

 そのお方は、イエスキリストで、あのお方ならば確かに正しい神の教えをお受け取りに成ったのだろうと確信がでました。

 神の教えは、見聞きした本人が書き記したものでは無く、伝道師・・弟子と言った方々が後に書き記した物なので、

 微妙に真実と違う場合も有るかもしれません。今と成っては、分かりかねますが・・。

 

ここで、少しイエスキリストについてお話をしよう

 イエスキリストは、大工の子とし生まれ、父親を手伝いその後、父親を亡くしその後は、兄弟や母親の面倒を見、家族の為に生計を立てていた。

 子供の頃から宗教の勉強を怠らなかった。30才頃に、洗礼を受けた時に目覚めた。その後、教えを説き、やがて弾圧を受け、十字架に処せられた。

捕まった時に、それまで同行していた弟子達は、捕まるのを恐れ、イエスキリストを知らぬと嘘を付き、イエスから離れた。イエスの死後、悔い改め伝道師と成った。

 そして、イエスキリストは、黄泉の国では無く、神の国に入られた。

 目覚める以前を考えても、恵まれ豊かな生活をしていた訳では無い様で、目覚めた後は、住む場所も財も何も持たず、教えを説いて弾圧を受け、最後には、

弟子に裏切られ、苦痛の十字架に処された。

両手両足を釘で打たれ、腰骨を砕かれ、横隔膜で息をする苦痛を3時間にも渡り受けた後に、召された。

「我が神・我が神・・・どうして、私を見捨てられたのですか。」と十字架でイエスの最後の言葉が有る。

しかし、その言葉には続きが有る。詩篇第22である。「それでも、私は、神を愛し信じ悪しきものと戦う・・・。」と言った内容の詩篇である。


イエスキリストが「どうして、私を見捨てられたのですか・・?」と、言った言葉は、分かる気がします。

どん底の場では、全く神仏の言葉も姿も無く、気配さえも感じない時が有ります。

それはまるで、「それでも私を信じ受け入れますか・・。」と、試されている・・そんな感じがします。

 

しかし、「それでも私は、神を愛し信じ、悪しきものと戦う・・。」その意味も良く理解ができます。

私もそう思ったからで、今もそう思っております。

イエスキリストの言う「悪しきものと戦う・・。」それは、この世で弾圧した悪しき者達との戦いを意味するものばかりでは無く、

死後も神となられた後も、悪しき者(悪魔・魔神)と戦うとの意味でもあります。


正しき神は、悪魔の消滅を目的とする・・。悪しき心を打ち払う為の教えを説き、愛の意味を説き人々を幸せへと導かれる。

正しき神は、代償を求めない・・。


悪しき神は代償を求める・・。死後、魂の取り込みをする。「いい思いをさせてやっただろう・・。願いを簡単に叶えてやっただろう・・。だから代償にお前の魂をよこせ・・。」と。

取り込まれた魂は、悪魔と一体化される・・。これを地獄に落ちる・・とも言います。魂は、天には上れない。

それはまるで同様のものが、磁石にひき寄せられる様に似ています。


神も御仏も、甘くはありません。なかなか簡単には望みを叶えてはくれません。

しかし、どんな境遇の中でも正しく清く生きたものは、天上へと導き迎え入れられます。これもまた、同様のものが磁石に引き寄せられる様に似ています。

これを天国・極楽への導きと言います。

つづく・・。

maco coishi

 

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神仏と共に生きる・・・確固不抜の魂

2016-04-02 22:27:18 | 神仏から教えてもらった事

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   ある日、突然に目覚めた・・。苦しい時期を過ごしていた頃の事・・。家の中の掃除をしていると・・いきなり「掃除は外からするものじゃ・・。」

 そんな他愛もない言葉がはっきりと聞こえ始めてから、随分の年月が経ってしまった。

 それまでにもその傾向は幼い頃から有った様に思うが・・・逃げて避けてきた。命も度々、救われた事が有った。救われる度にただ事でない事も分かっていた。

 幼い頃、バイクに跳ね飛ばされ宙を舞ったが、痛くも無かったしかすり傷一つ無かった。池に落ち藻が足に絡みつき危うくおぼれ死にそうに成った時も、たまたまいた近所の人に助けられた。

 記憶には無いが肺には肺炎の跡が有る・・。他にも死にかけた事は数回かあった・・。


 十代の頃…悩み多き頃・・・聖書を読んでいた時期に、聖書を閉じ電気を消し寝床に入って間もなく・・私の上を光がぐるぐる・・とゆっくり回っていた・・。

 慌てて飛び起きて電気を付けた・・。神社にたまたま一人で・・誰も居ない時・・・気配(声かけ)を感じ・・逃げて帰ってた・・。夢で何回も霊山と言われる処からお誘いが有った・・。

 私は怖がりでそんな時は「わ~わ~」と打ち消す様に、悲鳴にも似た大声を上げ逃げまわる。関わらない事にしていた。

 現実の世界で、生きる事に精一杯だった。関わる気も無ければ暇も無かった。

 なのに・・・とうとう関わってしまう事と成ってしまった。

 

 他愛も無い呼びかけから始まり「お前は忙しいだろうから言葉で教えよう・・。」そう言われ一人黙々働く中、色々な神仏が現れ、入れ替わり立ち代わり次々と教えを説き、

 「分からない事は質問せよ。答えよう・・。」と、教えが始まり、そして不思議な経験も数多く有った・・。また、不思議な力も頂き、神仏のお使いをする事も有った。

 一人では信じがたい事・・ちょっと頭が変に成ったのでは・・と、思う頃には、ちゃんと相棒を用意して下さり、経験の証人となり・・・「これって・・本当に起きた事なんだ・・。」

 と、確信をする事が出来た・・。そしてその相棒には随分と助けられた。


 ただ、それだけでは無かった。想像を絶する・・・苦難の修業が待っていた。

 誰だって、神仏を近くに感じれば、苦しい事態を救って下さるのでは・・と、どこかで期待をしてしまう・・・当てにもしたくなる・・・助けて下さると思ってしまう。

 が・・甘くはない・・全くその逆である。

 あがいても・・あがいても、物事はさらに上手くいかない・・・。それどころか、突き落とされる・・そんな感覚さえあった。

 だから、私は逃げたかった・・。関わりに成りたく無かったのだ。、生まれて間もない赤子の時に、とても気が重かったのも

 このせいで・・ずーっと無意識の中、避けてきた。

 

 修業は十数年続いた・・・。苦難に必死であがき続け立ち向かっていた。

 そんな中、瞑想をしている時に、「手を離せ・・・。激流を逆に泳いでも無駄である・・。疲れるばかりである。流れに身を任せよ・・。」と、言われた。

 一人、深い深い海の底で沈み横たわる自分が見えた。

「時期が来ればやがて流れに乗り浮上するであろう・・。」とも言われた。深い深い海の底は、静かで・・そして無であり・・それでも光に包まれていた。


 私は、全く持って全てを無くしてしまった・・。神仏に深く関わるとはそう言う事なのである。だから、下手に関わらない方が良い。

 関わらず、普通に生きていれば、今までどうり、少々、何が有っても頑張れば事は足りて上手く行く人生を送っていただろう。苦労は多かったけれど、苦労を踏み台にし

 生きる自信は、経験から身に着けていたからだ。それなのに・・・「しまった・・」としか言いようが無かった。人生は、大いに狂ってしまった。


 人には、欲が・・5欲が有る・・。その欲から生み出されるものが、5悪である。嘆き・・悲しみ・・怒り・・憎しみ・・殺意・・。大きく分けるとそうなる。

 その悪から生み出されるもの・・・。それが悪魔と言うものである。人が生み出したもので有る。

 

 神々も御仏もあらゆる正しい信仰とされるものの教えは、全ての根源として5悪を消滅する事に尽きるだろう。

 故に、日本の神々は、払いた給え清め給え・・・白す・・・と。そして、御仏では、空・・無・・と言っている。


 5欲を捨てなければ、5悪を生み出してしまう・・。真に神仏の手足と成り務めるものは、欲を捨てなければ、力を発揮できない。正しき神を見失う。

 悪魔は、神仏のすく側に対座している・・。欲深き者は、心卑しきものは、神を見聞きしたつもりが、魔神(悪魔)の声を見聞きしてしまう。

 魔神(悪魔)は、時として安易である・・。時として7分8分目、もっともらしい事を言う・・。後の2分で本性を現す・・。


 考えてみれば、修行僧は何も持っていない・・。シスターも、神父も・・本来は、そうなのであろう。

 マザーテレサも、何も持って無かった・・。

 しかし、宗教さえ、一歩間違えれば、権威欲や物欲(金銭欲)にまみれてしまう場合が有る。そこに集まる人々の欲が・・悪が・・魔神(悪魔)を降臨させてしまう。

 

 深く深く・・沈んだ海の底で、私は、当面、苦しんだ。無くした現実を受け入れる事が出来なかった・・。そして、如何に取り戻そうか・・と思考していた。

 だから、相当に苦しんだ。

 そのな中、度々、以前に行っていた神社の分社に行く機会があり、泣き言を言いまくると「いさぎ良しとせよ・・。」の一言・・。

 ちーとは、慰めのお言葉を頂けるものかと思ったら、つれない一言・・。ぴしゃ・・と言われてしまった。私は、執着の極み・・だった。

 足掛け…十数年・・。人とは厄介なものだ・・。あれだけ長い間、あれほど教えられても…理屈で(頭)分かっていても・・・行動と心(魂)は伴わない。

 本当に疲れてしまった。


 時は流れた・・。静寂で・・孤独の時・・。

 そして、教えられた事がやっと身に付いた・・と言うか、納得が出来た・・この身と頭と心(魂)が、やっと教えと一体に至る事が出来た。

 随分と時間が掛かってしまった・・。

 その後は、清々しく、有難く日々をすごしている。

 

 ここまで難儀な時を長く過ごすには、意味が有った。確固たる動じない魂を創る必要が有ったからだ。

 そして・・・私のすべき、お役目が待っていた。

 つづく・・。

 maco-coishi

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八百万の神々と我が家の御釜神様

2016-03-26 17:01:30 | スピリチュアルな出来事

    八百万の神々と我が家の・・・御釜神様。                   スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

神様と言えば・・・八百万の神様・・。それぞれに特徴が有り、お役目をお持ちにになり各専門分野で力を発揮されておられます。

そして、人それぞれに必要とされる事柄とその人の能力を理解し、向上へとお力を貸して下さいます。

そのお力を頂くには、清く正しく・・そして懸命に努力を怠る事の無い人に、言い換えれば一生懸命に真面目に生きる努力を

されている方に共感し、降臨されます。

それぞれの道を究め様とする人は、声なき声を自然と聞いている事が有ります。それはヒラメキ・・にも似たものと言えるでしょう。

努力無しに、あるいは卑しい志を持つ者には決して降臨する事は成りません。それほどに神は真白きもの・・・だからです。

人は何かをし懸命の状態にある時、無に近い・・或いは瞑想に近い状態と成り、そんな時に降臨される・・と言った感じでしょうか。


お釜神様・・は知られる所の御荒神様とはちょっと違います。共に火を司る神では有りますが、どちらかと言うとお釜神様は、お料理をされる

神様・・と言った所でしょうか。穏やかで優しい神様です。

神事の際に神様方のお料理を作られる神様でも有りますが、料理を志す職人さんに降臨される場合も有れば、

一般の者に降臨される場合も有ります。それぞれの能力向上と必要に応じて対処をして下さいます。


以前、友達と二人で神社へ御釜神様のお札を頂きに参った事が有りました。

友達が「うちの御釜神さまは、ちっとも働かないんだけど・・。」と、言ったので友達の家の様子を透視をし見てみると、

御釜神さまは、何と横たわり肩肘で頭を支え、暇そうにしていました。

その様子を友達に話し、二人で大笑いをした事が有りました。

友達は、あまりお料理を作る事が好きでは無く、出来合いの物を良く買っていましたので、やはり努力をしないものにはご利益は無理なようです。

私は下手なりにお料理を作るのが好きで、また、必要とする理由も有りました。その時々に導き支えて下さっております。

とても優しい神様で、時には励まし、慰め、たまに褒めても下さいます。


ある時の事、その頃は、必死で這うような思いでくたくたに成るまで働らいていた時期でした。

疲れ切ってもなおも、家族の為に食事を作っていたのでした。

その頃、娘も簡単な食事くらいは作れる年頃でしたが、家の手伝いはほとんどしない甘えた子でした。

娘が休日に、ソファーで、ごろごろと、うたた寝をしていると「お母さん・・。誰かが私の腕をつかんで、引っ張り起こそうとするんよ・。」と、飛び起きて必死に話すのです。

私には、直ぐに分かった事でした。

母親がくたくたに成るまで必死で頑張っているのに、休日に何の手伝いもしないで、ごろごろと寝てばかりいる娘に、お釜神様が腹を立て

たまにはお母さんの為に食事を作ってあげてはどうですか・・。」と、腕を引っ張り起こしたのでした。

穏やかで優しい神様がよっぽど腹に据えかねたのでしょう。神様はちゃんと何時も見ていますから・・。

また、経済的に苦しい時期には、お金をほとんど使わずとも、工夫し美味しい食事を作って下さり、体調の悪い時は、薬を使わずとも食事療法で治す方法を教えて

下さいました。


神様は、どんなにお願いをしても、なかなかお金を安易には下さいません。しかし、心・・白く真っすぐに頑張る者には、側に寄り添い、ちゃんと救いの手を貸して下さいます。

それは、転んだり傷ついてもう歩けない・・・そんな時に、安易に抱っこしおんぶをして下さるのでは無く、杖になり或いは草鞋(履き物)になり、寄り添い歩く事を支えて

下さるのです。あくまでも、歩いて前に進むのは己自身でなくてはならないのです。

人は図に乗ります。私もそうです。安易に抱っこしおんぶをされれば、まだ、そうなる事を期待し甘えて、自分で進む事をしなくなります。

御仏もまた、同じです。

神様も御仏も、人に指図をしたり命令をしたりはしません。何故なら、人生は自らが選び進むものであり、魂は何人も束縛をしてはならないものだからです。

神仏共に、人に寄り添い、その人に本当に必要な手助けをして下さいます。だから、甘くは無いのです。

指図し命令し魂を取り込もうとするものこそが、悪しきもの悪魔であるからです。

心・・・真白き者は神を降臨し、心・・・卑しき者は悪しき悪魔を降臨させる。


直ぐにくじけてしまう自分がいる。直ぐに諦めてしまう自分がいる。そんな自分に、教えて下さった神様の言葉が有ります。

「諦める事無く、怠る事無く、亀の様にコツコツと夢を持って目標を持って進みなさい・・。」そう、おっしゃいました。

その日、私は、意外な場所で亀を2回も見てしまいました。


毎日、私は、美味しい食事を頂いております。一般的には決して贅沢とは言えない質素なものなのですが、

それが、言葉にならないほどの美味しさなのです。そこには、ちょっとした工夫とお釜神様の愛情が入っているからなのでしょうね。

至福の時間を日々、頂いております。

お釜神さまの・・節約レシピ・・健康レシピ・・機会が御座いましたら、徐々にご紹介を致したいと思います。


maco-coishi

 

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釈迦の教え・・…安穏と暮らせる事こそが何よりも幸せ・・その為には・・。

2016-03-13 21:59:18 | 釈迦との会話・教え

                                                                     スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

人には、欲が有る…欲は、大きく分けて5つの欲に分けられる。

食欲・性欲(色欲)・物欲(金銭欲)・権威欲・そして生命欲である。そして欲は尽きない・・。

欲を滅する事が何より大切で、安穏と暮らす為には必要不可欠な事で、

「安穏と暮らせる事が何よりの幸せである。」・・と釈迦は申しております。


所が人は、安穏と暮らす為には5欲が必要不可欠で、色んなものを欲(ホ)しようとする。

欲する事で安穏と幸せに暮らせると思い込んでいる。そしてその欲望(欲する)はもっともっとと尽きる事が無い。

その尽きる事の無い欲を渇欲と言う。人は、本当の幸せの真逆の思考を持って歩んでいる。

だから己の人生において悩み苦しみが尽きない。何か有ればすぐ動揺をしてしまう。

これは人間が生まれ持った本能とでも言うべきか性と言うべきものかもしれない。

だからこその釈迦の教えとも言える。その教えが必要なのである。


般若心経・・・だれでもが知っているだろう。しかし、内容についての解釈は難しい・・。

内容を超簡単に説明すると、「何も持っては行けませんよ・・。未練も思いも何もかも空(から)にして、さ~さ~

あの世に旅立ちましょう・・。」そう言った所だろうか。

欲する事から生まれる資産も権威も色んな思い恨みも悔しさも悲しみも怒りも、さ~さ~お捨てなさい。

捨てなければ、成仏は出来ない・・天には上れない・・魂は救われない。

どんな理不尽な死に方をしようとも、するべき事が残っていようとも幼子を残そうとも、先ずはあの世に行きましょう。

と言った事です。

欲深き魂は天には上れない。いつまでも留まろうとする。その魂がどうなるかは何れ詳しくお話をするとして、良くは無い事は当然である。


老いる・・・ほどに人は色んなものを失って行く。失ってはじめて解る事・・悟が有る。分かろうとしない者は何時までも悶え苦しむ。

そして、老いていくほどに5欲も当然に失せて行く。老いるほどに失うほどに悟り魂を軽くして行かなければならない。

人は何時死を迎えるかは分からない。だからこそ、日々を正しく懸命に過ごさなければならない。正しく懸命に生きる者は何時でも天昇できる。


の欲は尽きる事が無い。己の思う様に財を成す(物欲)と、今度は、もっともっとと成る(渇欲)。財を成すと今度は人を世の中を己の思う様に操ろうとする(権威欲)。

女を沢山はべらしたく成るかも知れない(性欲)。美味い物を上等な物を沢山食べようとするかも知れない(食欲)。贅沢三昧をしたくなる。

そして今度は、何時までも長生きしたいと望む(生命欲)。それが無理となると今度はそれらを子孫に残そうとする。

死してなおも残したものが気にかかる。

欲深い者・欲する者・・・保(ホ)する者は死んでなおも欲が尽きない・・。だから天昇が出来ない。


誰もが知っている徳川家康・・・老いてなおも欲が尽きない者。老年にして天下を取り死しでなおも欲深く、

徳川家の繁栄を願い江戸城に向かって今も立ったままで埋葬されている。

権威欲で得た繁栄は何れは滅びる・・。滅びた今も彼は立ったままでいる。これからも未来永劫、死んでなおも心の休まる事は無い。

安穏・・・幸せなどとは程遠い。彼がもし、天下の者(国民)の繁栄と幸せを願っていたのであれば、天に向かい横たわり、手を合わせ天昇しただろう。

彼が望んだのは徳川家のみの未来永劫の繁栄である。


我々、凡人には権威欲などは程遠い・・・と安心をしてはいけない。家族が・・他人が・・職場で・・・思う様に成らない・・と思う事・・。

それは言い換えれば自分の思う様にしようとする事に当たる。他人(自分以外の者)を、その人の為とか愛しているとか正しい事だから・・と言い訳し、

自分の意思に従え押し付けようとそうとする事・・・。それもまた権威欲である事を忘れてはいけない。

思う様に成らないから腹を立てる・・怒る・・苦しく成る・・。安穏とはいられなくなる


人は、欲深い・・・。欲したもの保したもの・・資産・権威…多ければ多いほど・・高ければ高いほど、失う事を恐れる。

それでいて、自分はそうはなならない(失う)・・と何処かで信じている。心配しなくても何れは空(から)になる。この世に残せば、

死してからも空になるを歯がゆく見守る事と成る。

己の魂が卑しければ卑しいほど苦しむ事と成る。故に、欲深き事は良しとしない。

欲した保っしたものが多い者ほど、自分の思考や言う事は正しいと勘違いをする。そんな愚かな者に惑わされてはならない・・。自分も愚か者に成ってしまうから。


子孫に多くの資産を残す必要は無い。目に見えないものこそ・・・そこに大切な残すべきものが有る。


欲が無ければ、人はやる気を無くすだろう・・。そんな心配はいらない。

自分の為に生きる・・・それは、自分を破滅に追い込んでしまう。心を魂を弱化し苦しむ。

人は、他人(自分以外の人)の為に生きる事で、強く正しく、めげずに生きる事が出来る。生きる価値観と希望と幸せを見出す様に成っている。

家族の為は勿論の事、仕事で言えば、レストランなら美味しい食事を作り喜んでもらう・・。製品なら、人の為に良い物を作ろう・・。

医師なら病気を治そう・・。どんな仕事もお金儲けが先に成ってはいけない。人の為、人が望む必要なもの・・が先ず来なくてはならない。

人は、人の笑顔を見て・・・ありがとう・・と言ってもらえる事で満足が出来る生きる価値を自分の存在感を見出し幸せを感じる事が出来る。

これもまた、持って生まれた人の性・・と言えよう。これを人は愛・・と呼ぶのだろう。


猿と人のDNAはほとんど一緒らしい。猿だって賢い。子供への愛情も深い。仲間意識も強い・・。ルールも有る。

しかし、大きな違いが有る。食べ物をいくら猿に与えても他の猿に分け与える事は無いらしい。

人は、わずかな食糧でも皆で分けて頂く・・。分かち合う・・助け合う・・・。遠い昔…人が人で有る・・始まりからの習性である。

愛の始まりなのだろう。

人の始まりの頃、人は強い力も早い足も無く夜に成ると目も見えず、猿の様に木から木へと飛びはね果実を頂く事も出来ない

猿にも劣る2本足の生き物だったのだろう。洞穴で隠れ住み、わずかな食糧をみんなで分かち合い助け合って生きていたのだろう。

そうする事で人間は滅ぶ事無く現在に続いて来たのだろう。


故に、人は助け合い分かち合う・・人が居なくては生きる価値を見出せない・・・自分を見失う。

愛が必要で与え与えられ関わっていかなければ強く生きては行けない

欲を尽くしても人は満足はしない・・・渇欲は空しい。そんな満足感は、直ぐに失われまた次へと欲望が走る。


人に必要なのは人・・そして人の愛である。与え与えられ関わり生きる・・。

御仏の世界では、慈悲・慈愛と言うところだろうか

人と関わる事がうざい煩わしいと思う事が多い時代に成ってしまったが、一人は気楽で良い・・と思っても、

一人でいると切れた電池の様にパワーを無くしてしまう。

周りに人が居ない・・「私は独りぼっち」・・と自分の孤独を哀れんではいけない。

先ずは一歩外に出て、自分から人に寄り添っていかなければいけない。

話の苦手な人は…人の行為に対し「ありがとう・・。」の一言から始めると良いだろう。

つづく

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あなたにも出来るかもしれない・・・・指先透視・・・・やってみよう!!

2016-03-06 00:09:44 | 神仏から教えてもらった事


❤・・・・あなたにも出来るかも知れない・・・指先透視・・・・やってみましょう!!   にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ 

                                                                                                                                       

 釈迦の話に成ると・・・どうにも重く成ってしまう。何時も重い話ばかりでは申し訳が無いので、今日は気分転換をしましょう。

 神様は、明るい・・戦いの時すら、どんちゃん騒ぎをし、いざ出陣・・・祭り事が大好きである。

 明るく笑って過ごせ・・・と言うのが、神の教えでもある。

 今日は、神業(かみわざ)・・とまではいかないが、あなたにも出来るかもしれない指先透視術を伝授しましょう。良かったらやってみましょう。

 その前に、ここ最近のお話からはじめましょう

 近所のスーパーでは買い物金額の累計5000円で1枚の抽選券をくれます。月に1回、決められた日に抽選会が有り、

 お菓子やらティッシュやら色々と当たれば貰える。勿論、はずれも多い。段ボール箱に丸い穴が開いていて手を入れくじを引く。

 本来、私はくじ運が悪い・・。なので普通は全く当たらない。抽選日を忘れている事も多い。

 で、最近気まぐれで、神業(かみわざ)訓練・・・と称して、指先透視を試してみる事にした。

 店員さんに・・「選んでいい?触ったらわかるから・・・。」と笑いながら言った。

 と言っても10枚くらいしか手には出来ない。申し訳が無いからだ。その中から・・・「あ~これだ。でも大したことはないな・・。」と思った。

 ペットボトルの水が当たった。その一月後、今度は、生ガキを当てた。前回と同じ店員さんだったので、びっくりしていた。

 指の先で分かるのだ。指先で見えると言った方が良いかもしれない。

 では、指先透視の方法を伝授しましょう。

 皆さんは、練習には、トランプを使うと良いでしょう。出来ればシンプルなもの。

 方法は、前頭葉に全神経を集中する・・・。そして、指先に目が有るとイメージし、触る・・。たっだそれだけの事。しかし、なかなか出来ない。

 その時、肝心な事は、無欲に成る事。何も考えない事。欲を出してはいけません。集中有るのみです。訓練すれば出来る様になる方が居るはずです。

 トランプで先ずは、赤か黒か・・を当てる。次に、マークを当てる・・。次に数字を当てる・・。数字は多いか少ないか・・それからはじめます。

 順を追って練習しましょう。そうやって確立を高めます。

 以前に、宝くじ売り場で、試した事が有ります。スクラッチとか言う・・コインでこするものです。確か、1万円くらい当たったと思います。

 宝くじも試した事が有ります。しかし、「こりゃ手ごたえが無いな・・。」と思ったら、やっぱりはずれ。

 宝くじを触らせてもらえる枚数はしれている。例え、何十枚を触る事が可能だとしても宝くじは相当に確立が悪い。だから手ごたえが無い・・はずれが分かる。

 選びようが無い。触っていながら当たってないからと買うのを止める訳にもいかない。はずれているのを分かっていて買うのは馬鹿らしい・・・。せめて、抽選日くらいまでは夢を見ておきたい。

 だから…私は、買わない。

 お金にも善と悪が有る。「悪銭身に付かず・・。」と言うが、宝くじの様なものは悪銭の部類になります。当たればお金の使い方が荒く成る・・。その習慣は直らない。

 一度、甘い汁を味わうと、また、当たる・・と妙に思い込んでしまう。何れ当たる・・と確信すら持ってしまう。悪い習慣は直らない。だから当たった以上の資産を失う結果となる。

 神は、懸命に働いたお金を良しとする。

 しかし、訓練をし、景品のくじやおみくじなどを引いてみる…ちょっとした景品でも嬉しく成る・・。おみくじを引いて大吉が出れば・・気分が良い。

 ちょっとしたスリルと自分だけの楽しみがそこには有る。そのくらいだったら神様も許してくれるだろう。

 では、本来の指先透視は何の役に立つのか・・。私は、人の体を触り病を見つける。そして、手の平で治療する。

 神に問う。「どうすれば治せるのか?」と・・。すると「深くて強い愛が必要である。」と言われた。欲深くては、病気は治せない・・。


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釈迦の教え・・・覚悟を決める  NO1

2016-02-27 02:40:00 | 釈迦との会話・教え


    釈迦の教え・・・・・覚悟を決める  NO1                  

  人は誰しもが幸せに成る為に、生まれて来る・・。そんな言葉を耳にした事が有りませんか。両親は生まれた子供に幸せに成って欲しいと誰しもが願うもの・・。

 しかし、大きく成り人生を歩むほどに、幸せ・・・その言葉が重く空しく感じる時がやってくる。こんなはずじゃ無かった・・・なんで自分はこれほどに辛く苦しい

 難儀な思いをするのだろうか・・・。努力をすれば報われる・・。頑張れば良く成る・・のはずなのに、なかなかそうはいかない・。そういった事を経験をする時がやってくる。

 そんな事は無い・・・。そう思っている人も何れはやって来る・・。苦しみ悶え身も心も動け無い身の置き所の無い・・・そんな時が時期がやってくる。

 誰しもが避けたいけれど避けて通れない・・。そういった時期・・出来事を理不尽・・・では無く、私は理不・・理不神の時 ・・・理不神の時期と呼んでいます。

 理にあなわない出来事・・・ぶっ倒れるほどの努力をしても・・必死で最善策を尽くしても思う様に全くならない・或いは突然の悲劇・・・地獄の底に落ちる感覚・・・。

 神も仏も居ない・・。そう思ってしまう時期の事を言います。

   

  私の幼い時の一番古い記憶を遡って思い出してみると、天井でくるくる回っているガラガラ・・・色落ちをし飾りの花びらも数カ所取れてしまって今にも壊れそうなもの・・。

 回る・・音・・赤やピンクの色・・やがて止まってしまう。布団を覆う蚊帳・・・・折りたたみ式の四角い骨組みのに蚊帳が張ってある赤ちゃん用の物だ・・。

 それが何だか臭い・・カビ臭い・・。誰も居ない・・泣く・・誰も来ない・・そして動けない・・起きれない・・つまらない・・・飽きる・・泣きつかれまた寝る・・。

 あのガラガラも蚊帳も4歳違いの姉のお古だ。長い間押し入れに仕舞い込んでいた物なのだろう。

 は夏の生まれ、あの光景は生まれて間もない頃だったのだろう・・。聴覚・視覚・臭覚・・未だに覚えている光景と思考がある。

 その頃からずっと私は良く泣いていた・・。お腹が空いた…お尻が気持ち悪い・・・寂しい・・お母さんの温もりが欲しい・・そんな時には勿論泣いていたのだろう・・。

 しかし、それとはまた別な思い感覚で泣いていた様に思う。

 その感覚や思いは言葉ではいい表しずらいもので、重苦しいもので嫌なもので暗いもの・・・そして空しいものだった。

 泣かなくなった・・泣けなくなった時期からもその感覚はずーっと近年まで続いてきた。

 しかし、最悪の理不神を迎え終えるとその暗く重苦しい感覚が無くなった。心が軽く成った・・。無く成ってみて分かった事がある。

 今から考えてみるとそれは、あの赤子の時から、この先に迎えるべく多くの苦難と難儀な人生を予知していて泣いていたのだろういと思う。

 この世に生まれた事が嫌だった・・のかもしれない。自分から望んで生まれて来た様には思えない。

 案の定、幼い頃から私は人並み以上の難儀を次から次へと重ねて来た。やたらと多かった。

 あの重苦しい暗い空しい感覚がずーっと続いていた事はとても難儀な事だった。

 人は生まれる時に、誰しもが産声を上げ生まれてくる・・。あの産声は、もしかすると、これから始まる苦難に満ちた人生を歩む事に対しての悲鳴にも似た重苦しい雄叫びの一声かもしれない。

 そして覚悟の一声かもしれない。そして、その一声で忘れてしまうものが有るのかもしれない

 私は、未熟児で生まれたらしいので、産声も小さかったのかもしれない。その為、忘れるべき事が残り覚悟もし切れなかったのかもしれない。

 

   この子は幸せに成るものだと信じ幸せに成って欲しいと願いを込めて大人達は名を付け呼びかけ微笑む・・。しかし・・・そうはなかなかいかない人生が待っている。

 釈迦が言った言葉・・。「この世は苦である・・」

 人は、何か苦難や理不神な時期になると、自分の身の不幸を恨めしく思い他人の誰しもが幸せそうに見えてしまう・・。自分と比較をしてしまう。そして・・・。

 しかし、釈迦の言う通り、この世は人生は苦難に満ちている・・ひとの人生なんぞは苦難そのもの・・・。

 苦難の人生・苦難・理不神は有って当たり前。そでれも幸せに成ろうと見つけようと努力をし生きるべきと覚悟を決めて生き進む。苦難の人生の中に幸せを掴む覚悟。

 人は幸せに成る為に生まれてくるもの・・・なんぞと甘く考えていると、幸せに成るはずだった人生に不幸・理不神事がやってくる・・理不神に出会ってしまうと、

 こんなはずでは無かった・・・どうして私だけが・・・と成ってしまう。

 泥の中に咲く水連の如く、泥を苦難の人生・この世そのものと悟り、たとえ頭まで泥まみれであろうでも泥すら栄養にし、なおも頭を持ち上げたくましく美しく咲く水連の花の如く

 覚悟を決め生きるならば、人生は変わる。

 釈迦の言葉・・・この世は苦である・・。なんだか耳障りの良くない暗くなりそうで避けて通りたい言葉の様に思っていたけれど、今は、納得がいく。

 「己の人生・・・覚悟を決め生きよ・・。」そう言われているのだろう。

 以前、釈迦に・・「あなたは生まれ変わらないのか・・?。」と聞いてみた。愚問である事は分かっていたが、あえて聞いてみた。

 すると、「生まれ変わらない・・」と返答が有った。その返答の際、相当の苦難苦行をされた事を私は一瞬にして覚った。

 だからこその教えの言葉なのであろう。

 つづく

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お久しぶり・・・???(誰かに)助けてもらった事。

2016-02-23 01:31:39 | スピリチュアルな出来事

  ブログを休んでいましたが、また、ぼちぼち始めようかと思っています。宜しく!

早速ですが、あなたは普段の生活の中で、あ~誰かが何者かが助けてくれたんだ・・・と思う事は有りませんか?

事故に危うく遭遇する所を、その日に限って違うルートを歩いたり或いは車で走ったり・・。

なんと無くそうしてしまったり、虫の知らせ・・と言った感じでそれに従って結果、助かった・・そんな事ってないですか?

私は、何回もそう言った事が有り、幼い頃から何回も死んでいたかもしてない・・と後に成って思う事が有りました。

が、今回は、そうでは無く、実感の強いものを紹介します。

カンとか虫の知らせの働かない時・・・・それは、何かに夢中になり気を取られている時です。

 

それは、パソコンに向かって検索したりブログを書いたりしていた時の事。

「ど~ん!!」と物凄い音が廊下から聞こえてきた。

その音にビックリし廊下に出てみると何も無い・・・誰もいない・・・どうしたのかな・・・何も変わった様子はない。

しかし、よーく見てみると廊下に立てかけていた収納3段箱(まだ組み立てて無く箱に入ったままの物)が、反対側の壁に斜めに倒れ掛かっていた。

そのうちに組み立てようと思って壁に立てかけていたものだ。

廊下は狭く例え反対側に倒れ込んでも床には届かない・・だからあんな大きな音はしないはず・・?

それに倒れる様な置き方はしてい。

それは、倒れたのでは無く、誰かが懇意に思い切り力を込めて反対側の壁にぶつけた音の様だった。

あ~びっくりした・・と思いつつ何と無くその隣のドアーを開けてみてビックリ!

そこは台所です。

物凄い熱気で発火寸前の空気温度に成っていた。

私は、コンロに火を付けやかんを掛けたままなのをすっかり忘れていた。

やかんの取っ手は解け落ち焼け焦げやかんの色は変わり・・発火寸前。

パソコンに向かう前に火を付けていた。もうかれこれ1時間は経っていただろう。

最近は自動で熱を持つと消えるコンロが多いのだろが、それはそういった機能が無いものだった。

恐ろしい・・・火事に成る所だった。

普段は、それなりに聞こえて来る天の声も…パソコンに夢中で全く聞こえてなかった・・。

だから、収納の箱を思い切ってぶつけて倒し、すさましい音を立て知らせたのだ。

滅多に無い・・・物を動かす・・・そういった神業、神事だ。

それは…誰なのか???私には、ちゃんと分かっています。

本当に、ありがとう。大変な事に成る所でした。


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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる住まいその2

2012-10-24 10:24:30 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・・運気を引き寄せる住まいを考える・・・その2・・・貧乏神・・退散

先に、風通しの良い家・間取り・・風通しを良くする事が重要で有る事を申ましたが、他にも重要な事が幾つも有ります。その中で、どんな運気の良い家や間取りだとしても、何よりも肝心な事は、常に掃除を綺麗にする事が大切です。

もし、あなたが、持ち家に住まわれているのでしたら、家の中に止まらず、玄関や庭先・庭周りも何時も綺麗に掃除をしなければ成りません。そして、もう一歩踏み込んで、庭に止まらず自分の敷地周辺の道も綺麗に掃除をしましょう。

今般、精々、庭止まりで掃除を済ませて居る方が多いでしょうが、昔は、屋敷の塀の外の道も庭ぼうきで掃除をしたものです。何故・・・そこまで?と思われるかも知れませんが、人は、家の景観を道を含めて見るものです。塀の外にゴミが有ったり、草が伸びたままでは、幾ら庭・屋敷・室内が綺麗で有っても、景観を損ねてしまいます。そして、運気も逃してしまうでしょう。

運気や有り難い神々が、風に乗って或いは訪問をしようとした時に、「ここはとても良い感じだ・・・」と、思った所に引き寄せられて訪問します。

もし、あなたの屋敷の塀の外に草が生えていたり、道路にゴミや犬の糞などが有ったとしたら、良き運も神々も避けて通られる事と成るでしょう・・。一度、ご自分の屋敷を道を挟んでの景観を観察・ご確認してみて下さい。

そして今度は、言われた通りに、道も綺麗に掃除をし、もう一度、家の景観をご確認下さい。きっと、輝くもの・・良い空気間を肌で・・「なるほど・・」とご納得を頂けるでしょう。

道を綺麗にする事は、馬鹿らしいと思われるかも知れませんが、他人には結構良い印象を持ってもらえますし、少々では有りが、世の中に貢献をする事に成りも成り、気分も清々しく成ります。気持ちが良くなる・・・ポジティブに成る・・これは、相当に、己にとってプラスと成ります。夏場などは、水打ちをするもの良いでしょう。

掃き目・・・と言って、庭ぼうきや竹ぼうき・・目に見えなくても、掃いた感じは残ります・・。これは、魔を掃き祓い清める・・・事に成りますから、感じるものです。誰もが、感じ取れます。

もし、お店などを経営している場合には、なお更に、大切な事です。掃除の行き届いた店には、人が自然と集まって参ります。

掃除・・・それは、家の中だけでは無い事を知って頂きたいと思います。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

では、ここで少し実例をお話しましょう。お恥ずかしいながら、今回は、私に起きました不思議で・・・有り難く無いお話と成ります。

貧乏神・・・・を追い払う。

我が家には、色々な神々が訪問されますが、誰もが有り難く無い貧乏神・・が現れた事が有ります。そんな神とは、縁を持ちたく無いものではあるが・・・、この時ばかりは、聊か驚きました。

貧乏神・・とは、神の中でも神としての仕事を放棄し働かない神であり言わば、のら神・・神の外れ者と言えるでしょう。悪さはしませんが、住み着かれると、貧乏に成ってしまいます。住む所は、汚く掃除の行き届かない場所を好みます。大抵は、人に同乗・便乗をしてやって来ます。多分、自分で移動をするもの面倒くさいのでしょう。

掃除の大切さは、神からお聞きし教えられ、指導された事でした。不要の資材やなんだかんだと家の庭の周辺には色んな物が溜まっており、おまけに空き地と成っていた裏庭には結構な草が生えて伸びていました。その頃は、仕事の余りの忙しさに周辺の掃除が行き届いておりませんでした。

運気が落ちたのが先か、掃除が行き届かない為にそうなってしまったのか・・。どちらが先か分らない・・。気が付けば、仕事も宜しく無い状態と成り、気分も落ち込み、身体も思う様に動けなく成ってしまってしまいました。

そんなある時、ある神が現れて、掃除の伝授がはじまり、家の周辺の掃除が始まりました。全くもって大変で、今から考えると、あれほどに重い沢山の色々な物を良くも片付け、綺麗にしたものだ・・と、関心をしてしまいます。それと同時に如何に掃除が行き届いていなかったを改めて思い知りました。

いつの間にか、汚く成ってしまった事も気が付かず、見ている様で視野に入らず気が付けば、悪しき事がどんどん増えて、心身も動けず事と成り、一層に掃除が行き届かない・・・そう成ってしまうのです。これが貧乏神の影響です。

掃除の最後の仕上げ・・それは、貧乏神の退散・・・追い払う事でした。その貧乏神の居た場所は、外玄関の天井部分でした。幸い、家の中には入る事は有りませんでした。それは、家の中は、綺麗に掃除をしていた為に入れなかったのです。外玄関の天井は吹き抜けに成っており、掃除をしようにも手も届かず、外玄関の角部分には、気が付けば蜘蛛の巣が幾つも有りましたが、全くもって気が付きませんでした。

神の指導のもと、家の周辺の掃除が終ると、その神は、「気が付かぬ振りをせよ・・。」と言われましたが、何の事やらさっぱり分りませんでした。貧乏神がそこに居た事は、後に成って分った事でした。

言われたままに知らぬ顔をし、言われた物を準備し言われた事を行い・・やがでお払いが始まり、玄関に至った時に、一気に貧乏神を呪文と共に追い払う・・・。そう言った手順でした。追い払いの儀式と同時に、「ドスーン!!」と、外玄関の天井部分から者影が落っこちるのを感じ、その者影が、素早くデッキの下に隠れたのを視ました。すると、神は、「元へとっとと返れ!!・・帰らぬならば、只ではおかぬ・・!!」と言われた。すると貧乏神は、慌てて逃げ出し、元の主の場へ帰って行ったのでした。

私は、まさか貧乏神が居たとは知らなかったもので、「ドッスーン!!」と落っこちた者影を視た時には、言葉にならない怖さと驚きで「あれが・・・貧乏神 なのか・・」と、あ然としてしまいました。

誰が貧乏神を連れて来たものか、そして連れて来た人の家の何処に住んで居たのかを後で神より聞かされました。家の中は綺麗に普段から綺麗にいていた為に、幸い中に居座る事は無かったのですが、それでも、玄関先で居座られたのでは、良い運気が逃げてしまい悪い事が起きてしまうでしょう。

貧乏神・・・まさかそんな者が・・・と思われるかも知れませが、実際、本当に居る神で、それは、人に便乗しやって来る事が多いのです。何時、そう成るか・・・それは、誰にでも起き得る事です。「私は綺麗好きで何時も掃除をしているから大丈夫・・・」そう思って侮ってはいけません。

悪しき事が起きると、人は気が重くなり体が動かなく成り、気が付けば掃除が行き届かなく成ります。悪循環は重なり、やがて汚くなった事も視野に入らず、気が付くと相当に汚く成り、やがて気が付いても心身動かずどうして良いかも分らず、益々持って宜しく無い状態に陥ってしまいます。

気分が滅入った時こそ、宜しく無い事が起きた時こそ、動けぬ体を動かし一層、掃除をし、心身ともに清々しくポジティブに成る事が大切です。

貧乏神・・・その神を、退治・消滅に至らなかったのは、神崩れ・・の神で有る事、己の心がけと掃除をする事で、誰でもが追い払う事が出来るからの事でした。また、例え、退治・消滅をした所で、己が変わらなければ、再び、何処からか引き寄せる事と成るでしょうから・・。

予断ですが、以前にお話をしました、霊能力者の所に、ある時、伺った時に、「あれ!・・貧乏神が居る・・・。この前には居なかったのに・・・?」そう思い、「次回、準備をし追い払うか・・・」そう思い、その時は、何も言わず帰り、再び、次に訪れると彼女は私が言わず前に「貧乏神か居たんよ・・・。それで、話をしたんやけれど、これからは働く・・・と反省をし、山手の海近くに出て行った。無事、働く事と成ったその時は、海の幸を届ける・・」そう言って出て行ったそうです。やがて若布や魚がその後に届けられたそうです。が、貧乏神は、そう言ったしろものでは無く、口先だけの事でしょう。

彼女の家には、色んな人が相談事にやって来るのですが、時として有り難く無いものを置いて帰るもので、その度に、祓ったり消滅したりと、私は何かと大変で、少々、神事が出来ても祓ったり消滅したりが出来なければ、そう言った強さと技が無ければ手を出しては成らない・・と常に思う所です。

あの貧乏神は、誰かが連れて来たのでしょうが、次に私が来たならは、とんでもない目に合うと察知し、逃げ出した事は明白な事でした。彼女の家の中も外も、綺麗に掃除が行き届いていませんから、居座ったとしてもおかしくは有りませんから・・。

如何に、家とその周辺の掃除が大切か・・を、少しご理解頂けましたでしょうか。次回は、スムースに綺麗に掃除をし、保つかの方法をお話しましょう。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・・そのⅠ住まいを考える

2012-10-16 01:50:32 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・その1・・・住まいを考える

理屈ではない不思議な現象がこの世には沢山有ります・・。そんな中で、誰もが住む所・・住まいについて、今日はお話をしたいと思います。

住む場所や間取り・・部屋のあり方などで、大いに運気は変わって来きます。最近では、風水などが世間では知られる所で、運気が良くなるとか悪いとか言われると誰もが気に成る所でしょう。

日本にも古くから、家相・・と言われるものが有ります。風水も家相も、どちらとも、現実的に「なるほど・・・」と言った理に適った所が有ります。

そこで、運気が良くなる住まいのあり方・・また、今の住まいの状態が悪くは無いか・・・のチェックをしてもらう為のお話を、具体的な例も含めてお話をしましょう

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風通しを良くする・・・。

窓から風を入れると、必ず、風が抜けるもう一つの窓が必要と成ります。の入る箇所と入った風が抜ける箇所が必要です。それで、はじめて風が通る事と成ります。

運気を引き寄せる為には、先ずは、風通しを良くする事が大切です。今般、エアコンなどの普及により、窓を余り開けなく成ってしまっていますが、朝の爽やかな風(午前中~日中)は、特に良いので、暑くとも寒くとも天気の良い日は、窓を一時的に、開けると良いでしょう。休日の天気の良い日には、窓だけに止まらず、押入れなど、部屋の普段開けない棚などの扉も開けて空気を入れ替えましょう。

この事は、現実から考えても、湿気の多い日本では、空気の入れ替えにより湿気がこもる・・・カビが生える・・・そう言った不健康を防ぐ事にも繋がります

新しい風・・・空気を入れる・・・それは、邪悪・又は、悪しきものを寄せ付けない、追い払う事にも成ります。特に、気分が滅入った事が多く有った時には、淀んだ悪しき空気を追い払います。そうする事によって相当に、気分も良い方向に変わって来ます。

淀んだ湿気の有る暗い箇所には悪しき者・・色んな悪いものが好む所で、決して運気を上げる事は、有りません。

ここで一つ例を上げてみましょう。

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私の親戚の話です。

その親戚は、お爺さんとお婆さん(叔父夫婦)に夫婦と子供3人の7人家族なのですが、有る時期に、家を新築する事と成り、家が立ち上がる間、何処か他の場所に住む事と成りました。

近くに丁度、適当な空き家が有り、借りる事と成りました。その住まいは、息子さん家族が転勤の為に、空き家に成っており、丁度良かった・・と喜んだのもつかの間・・・。そこに移転をしてから、孫の一番下の女の子の様子が変に成り、体調を壊し、夜中には訳の分らない言葉を発し鳴いたり喚いたり・・の繰り返しの日々が続きました。

何時もだと、霊とか占いとか鑑定や祈祷など、全く信じない叔母も、孫の突然の変貌に驚いた様子でした。そこで、「如何したものか・・・?」と相談を持ちかけられたもので、早速に、家を見てみる事としました。すると、家の間取りの悪さ・・・特に、廊下に問題が有りました。

その廊下は、廊下の役目を果たしていない行き止まりだったのです。それはとても異様なものでした。廊下の片方の壁から、浮遊霊が行き来している様が視え、湿気の多さと押入れの中には、悪しき者を感じ、一人に有らず、結構な数の浮遊霊が出入りをしていた様だった。「ここの廊下の突き当たりの壁・・・ここ良くないよ・・・」と指を刺すと、その場所で、孫を寝させていたとの事でした。一軒家では有ったものの、家族の人数も荷物も多かった為に、孫は、仕方なく、その廊下の場所で寝起きしていたとの事・・。早速、場所を変える様に指示し、窓も開け空気の入れ替えを良くする事、そして、押入れもその際は、開ける様に伝え、霊を祓う事としました。

その後、問題は全く無くなったとの事でしたが、叔母は、私を信用しなかったものか、よっぽど怖かったものかは分りませんが、念の為、他の鑑定士か祈祷師に見てもらったそうです。すると、同じ事を言われ、「既に、事を処理してあるので、問題ない・・・」と、言われたそうです。

物事が人生が上手く行っている人は、普段は鑑定や祈祷や巫女・・・霊・・など、信じないのでしょうが、事、医者にもどうにも出来ない訳の分らない事が起きれば、こうなるのだろう・・。

つづく

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・全てに執着をしない・・・2

2012-10-10 03:02:47 | スピリチュアルな出来事

  スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・何事にも執着をしない・・・2

お金に、物に人に時(過去・未来に)など、・・あらゆる物に事柄に過去や未来にさえも執着をしてはならない・・全てにおいて少し距離を置くべきだ・・・とも言えるのだろう・・。

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一つの事柄に集中し諦めず頑張る事を美徳とし、懸命に頑張る・・。そう、特に、日本人は思うところが大きい。

しかし、一つの事柄に集中し懸命に頑張りすぎると、肝心な大切なものを見失ったり、ストレスを抱え込んだり、思う様に事が運ばなければ落胆をしてしまったり、生きる事が苦しくなってしまう場合がある・・。行き詰る・・そう成ってしまう場合も有る。

仕事・・・必死で頑張る・・・。朝から晩まで、家に帰ってからも仕事の事が頭から離れない・・。家族と一緒に居ても、ちっとも家族の方を見ていない・・。向き合う事が出来なく成ってしまっている・・。

仕事への思考は、帰り道の途中でキッパリと捨ててしまう・・。駅の改札口を通り抜けたら・・、或いは、橋を渡ったら、その道の角を曲がったら・・・すっかりと仕事への思考は捨ててしまい、そこから先は、大切な家族への思考へと自分の時間へと変換をする。

子供・・・

人並みの教育を与える為には、両親共に働いて、教育資金を稼ぐしかない時代・・。そうやって気が付けば、家族皆、時間に追われ、子供も塾で忙しい・・・。すれ違いの家族・・・。同じ屋根の下で生活をしていても、心が向き合える時間と心の余裕が無い・・。親の口にする言葉は、学校はどうだ・・勉強は成績はどうだ・・・と決まり文句の様に並べたて、子供は適当に答える。見ている様で見ていない。分っている様で何も分っていない家族の関係・・。何が大切なものが抜けては居ないのか・・・。

まるで、養鶏場の鶏が、煌々と明るい光の下で、夜中にも餌を与えられ、必死で食べ続け丸々と大きく、思惑道理に育って行く様によく似ている。教養ばかりが身となり肉と成って行く・・。肝心な人間形成が抜けてしまっている。教育ばかりに執着をしてはならない。

いじめ・・・

もしも、大切な子供が、学校でいじめに合い辛い思いをし、絶えがたきを忍び学校に今も通っているの成らば、安心をし学ぶ事の出来ないくだらない場所に執着をしては成らない・・。学ぶ方法も場所も他に幾らでも有る事を知り、そこが全てでは無いと言い、学校に執着をしては成らない。

何かに懸命に成り過ぎると、それはいつの間にか執着に変わってしまう事が有る・・。執着し過ぎると、肝心なものを見失ってしまう・・。人に対し自分にすらも・・・物事に対し全てにおいて少し距離を置くと良いだろう・・。近過ぎず遠すぎず・・の心持で丁度良い・・。その方が、何かと良く見えて来る・・。そして、心も安穏としていられる。

執着は・・・多くの欲を根源として成り立ち増幅して行く・・。欲によって生まれた執着は、人生を決して良きもの幸せに導く事は有り得ない・・。執着を集中とか継続とか懸命とか体の良い言葉に摩り替えてはいけない。執着は、心の自由と正しい思考を奪ってしまう・・。

釈迦の言葉・・・

持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・執着をしては成らない・・と釈迦は言っている

全てにおいて、距離を置くは・・・心のゆとりと安らぎを見出す。

あの時、釈迦から言われた言葉・・・、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」と言われ、そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・言われた。

それは、どう言った意味なのか・・・。

子供の頃は、将来の夢を色々と描く・・・。やがて大人に成って、その夢へと邁進が出来る者は少ない・・。

何を成すべきか・・・?このままで良いのだろうか・・・?そんな焦りと共に20代を終え、30代・・40代・・50代へと進んで行く・・。60代に成れば、子育ても大方に終わり、自分の余生を考える・・。その先は、段々と、体力も劣りえ、日常生活も思うように出来無くなり、認知症も始まって来る。

老いは誰にでもやって来る。事故や災害や病で途中、命が尽きる事無く無事に老いて行けば、誰もが経験をする

20代を境に、年を取る事が嫌に成る・・。30代に成れば先の40代を思い、40代に成れば、50代を思い50代に成れば60代を思い・・老いる事を恐れ嫌に成る。しかし、どの年齢に差し掛かっても、一番、重要視し大切と思えるのは、生きている今の年齢で有り、今、この時である過ぎ行く過去も未来も幻にしか過ぎない。

老いて、日常生活に不自由をし認知症に成ってしまえば、何も分らない様に周囲は思うかもしれないが、そう成っても尚も、悲しみ辛さ喜びや寂しさ楽しさなどの人としての感情・心は変わり無く働く。

何事も無く、無事に年を取ると言う事は、やがて自分にもそう言った時がやって来ると言う事である。言い換えれば、老いを今の瞬間、時として迎える時がやがてやって来て、全ては過去と言う幻と成り、希望有る未来は無い・・・その瞬間がやがて来る・・。その時が、幸せで無ければ、輝かしい過去も溢れる財産も何の価値も無くなる。

老いの渦中に居ない自分達は、何処かで、老いてしまえばお仕舞いだ・・。老いた者に価値を見出さない・・。余計者・・。そう思っているだろう。社会の何処かの片隅に追いやり見て見ぬ振りをする・・。手が掛かる・・・。勝手にしてくれ・・。面倒だ・・。自分の事で手がいっぱいだ・・。そうやって言い訳をし、知らん顔をする・・。恵まれた財産が残っておれば、それをどうするか・・が、気になる所だろう・・。

老いて行く親を持て余す・それが今の社会であり、いい加減な大人に成った子供達である。その子供達は、我が子にばかり目が向けられている。やがて、自分達も、子供が離れ夫婦二人と成り、やがて一人と成る時が来る。子供達とは別々の方が気が楽だ・・・。そう思っているかもしれないが、その考えは、間違っていた事に、やがて気が付く時がやって来る・・。

社会の片隅で、一人暮らす老人・・。長く暮らした場所・故郷と言える場所で体が動く限り田畑を耕し守り続ける老人・・・。人知れず寂しく死んでしまう場合も有るだろう。または、やがてグループホームに入るのかも知れないし、老人ホームに入るのかもしれない。

大いなる出世をし皆から頭を下げられた人も、多くの富を築いた人も、どんなに気位の高い人も、そう言った場所に行けば、大方のものを持っては行けない。グループホームでは、小さな洋服ダンスに、小さな和ダンスは一つ・・。僅かな季節の洋服と下着くらいしか持って入れない。勿論、地位も名誉も気位も・・持っては行けない。残された財産は、子供達の物と成る。決められた生活に従い、生活を送る事と成る・・。

老人向けの病院は、重症の患者が入院をする。歩ける者は、早くに歩けなく成る。決められた時間にしかオムツも替えてもらえない事が多い。洋服もも何も大方は何も持って行けない・・。ここで、人生の終わりを迎える事と成る。例え、認知症でも感情は生きている。尊厳されるべき命がそこに有る。

97歳のおばあさん・・・大方が認知症だけれども、「まだ、死なへんから、連れて帰って・・・」多くの苦労を重ね、多くの富を築いた人だ。三人の娘を一人で育て上げた70代の母親・・・。認知症が始まったばかりだ。家族の手助けが有れば、まだ、歩けるし小さな手伝いなら出来るだろう・・。しかし、娘達は、誰も引き取らない・・。「早く、死にたい・・・。」そう言っていた。95歳のお爺さん・・・。節約し、多くの財産を残したけれど、入院し直ぐに歩けなく成ってしまった。「豪華客船に乗って世界一周でもするか・・。」娘に、出来ないと分っていて話してみた・・。時として、まともに戻る思考の中で、そんな事を発する時が有る・・。

老後は価値の無い時代・・と思っているかもしれないが、人生の最終章・・。本当は、それが一番に大切な時代でやがて自分達にも必ず来る時、瞬間であるその瞬間、時が幸せかどうか・・・?。それによって、生きて来た人生・過去が一気に変わってしまう。

幸せな人生の最終章・その時、瞬間は如何すれば、迎えられるか・・?それは、家族と共に終わりまで一緒に暮らす事である。そして、老いても尚も、家族の一員として、己の出来る事を最後まで全う・・協力し働く事に尽きる。必要とされる・・・。それは、自分から進んで働く事に有る。

腹の立つ事・うざい・・と思う事など嫌な所も含めて、一緒に食事をし、そこに居てこそが家族である。都合の良い事ばかりを求めたり、老いて手が掛かる事を避けたり逃げたり・・それは、もはや家族では無い・・。老いて、尚も働き、家族と共に過ごしてこそ、認知症を遅らせ生甲斐も幸せも存在する。家族の他愛もない話声を耳にする・・孫やひ孫の声が聞こえる・・・それだけで、幸せで居られる。

釈迦の言ったあの世には何も持っては行けない・・」それに続いての「現状を良く見よ・・。」その言葉は、人の最終章にお置いても、大方に何も無くなる・・。家族と過ごす時間こそが大切で有る。しかし、今の社会では、老いる者は家族から省かれ、一人、寂しく終わりを迎える・・悲しい現状を時代を指して言った言葉だろう。

終わりを幸せに過ごす・・。終わりを知る・・。それを悟れば、今をどう生きるべきかの大切なものが見えてくるだろう。

そして、執着をしない・・。 持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・。着かず離れず・・の心持で、思考する・・。その事が大切なのだろう。

90%以上の、人達が幸せだ・・・と、答えるブータン国の人達・・・。その国の人に、「どうして幸せなのか・・?」と尋ねたら、当たり前の様に、「それは、家族が一緒にいられるからだ・・・。」と、意とも簡単ににこやかに答えていた。

私達、日本人は、何か大きな勘違いをしては居ないだろうか・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・運気を引き寄せる・・お金を引き寄せる為の財布

2012-09-22 08:09:49 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・・お金を引き寄せる為の財布

もうすっかり秋らしく成って参りましたね。田んぼの稲穂も実り、もう直ぐ黄金色に色づく頃と成って参りました。秋は、稲をはじめとし実りの季節・・です。そして、日本の各地で稲の収穫のお祝いをし、秋祭りが模様されます。そんなめでたい季節には、日本の神様達も大いに喜び、人々と共にお祝いをされます。

以前に、日本の神様は、とても有り難い・・・記載をした事が有りますが、何れ、何故、どうして有り難いのかを詳しくお話をしたいと思っていますが、今日は、めでたい実りの秋を迎えるに当たり、とっておきの情報を皆様に、お伝えをしようと思います。

何時も、自分と向き合う事について多くを記載していますが、それは大変な事であります。それでも何時も熱心に読んで頂き、お付き合いを頂いております皆様にお礼と感謝とそして幸せに成って頂けます様にとの思いを込めて、明るい前向きな情報をお知らせしたいと思います。

その為に、少し日本の神様についてお話を致します。何故ならば、これからお話をします情報は、神様から教えて頂きました情報です。その確実性を知って頂く為に、お話をするものです。

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お金の集まる財布を生み出す

日本の神様は、とても明るく、宴・・や賑やかな事がとてもお好きです。イザ鎌倉・・・と言った大切な前にも、また、収穫のお祝いなど事ある度に、舞を踊り酒やご馳走を並べ宴を模様しされます。何時でも、明るいのです。

元々、収穫のお祝い・・・には、どの神様も縁が深く、何れの神社においても豊年満作・五穀豊穣などのご利益を掲げて、後はそれぞれの特徴あるご利益を頂ける事と成っております。

五穀豊穣・・・それは、日本人のルーツ、遥か昔から稲作を中心とした農耕民族で、豊作を春に願い実りの秋には収穫を感謝をする・・そんな事から深く神と結ばれている縁とも言えます。故に、何れの神社でも五穀豊穣のご利益が深く存在しています。豊富に実る稲の収穫は、人々の豊かな暮らしを支え、生きる事に結び付きます。年に一度の米の収穫で、一年間の食を支え生きる事が出来るのですから・・。

神社や神棚にお供え奉納されます物は水・塩・お米・酒などが中心ですが、それは、日本人で有る私達の一番大切な物を神様に奉納している事に成ります。例えば、災害に合い非難をした場合、私達は、米でご飯を炊き塩を持っておにぎりを作りお水を頂き、生きるを支えます・・。生きる為に一番大切な物を奉納している訳です。祭典に当たっては、その他、山の幸、海の幸や田畑の幸を奉納します。お酒もまた、お米から作られるものです。

そう言った事情を考えると、実りの秋のこの季節は、大いなる神とのご縁を頂ける時期でも有ります。年に一度、お正月にお参りをすいる・・・だけでは、もったいないお話と言えるでしょう。

そんな訳で、実り行く稲穂を目にするこの頃、思い出す事が有ります。

昔、財布を買おうとした時期が丁度、秋時で、秋の財布は飽きる・・とか言って良く無い・・と聞いた覚えが有り、財布は、正月以降の春に買う物だ・・と聞いた事があった・・。春までは、待てない・・。財布が破れてしまいこのまま敗れた財布では、お金が益々出て行ってしまう・・。縁起が悪い・・。しかし、秋に買うのもな~と悩んでいた時の事、神様が教えて下さった事が有りました。

以下、教えて頂きました事を、私なりにご説明をしましょう。

秋は、実りの秋だから秋に買っても良いとの事です。スーパーなどのレジの場で、黄色い財布を持っている方をお見かけする事が良く有ります。あ~風水か・・。と思うのですが、山吹色は、実りの色・・お金を表す色でも有ります。確かに、間違ってはおりませんが、財布の扱い方を間違えると意味が有りません。山吹色の財布・・・お持ちの方、お金・・・溜まりましたか?

財布には、財布癖・・が有ります。有ると言うよりも人が癖を付けるのです。もし、お金を貯めたいので有れば、または、多くのお金が入って来る様にするので有れば、良い財布癖を付ける必要が有ります。

その方法は、買った財布に1万円札を、先ずは入れ使わない様にします。約1ヶ月くらいはそうすると良いでしょう。そして、使う必要が有れば使っても好いのですが、また、必ず1万円を切らさない様に入れておきます。その財布に入ってくるお金の単価を1万円に単位にします。お金の単位の癖を付けます。

財布を買って、千円や小銭しか何時も入れないとその財布には万円札が入って来ない・・・そんな癖が付きます。また、むやみやたらと出費をしてしまうと、万円札は入って来ても直ぐに出て行ってしまう・・。お金の留まる事の無い癖が付いてしまいます。

財布を買った時に、この財布は、お金を貯める為の財布だと意識をし扱います。普段の買い物をする為の財布は、別に小銭入れ・・として、千円単位くらいから別に用意をすると良いでしょう。普通に考えても、つい財布に大きなお金が入っていると、有るのだから・・・と思い、つい油断をし余計な物を買ってしまうのもです。

また、貯める為の財布には、レシートなど買った証の物を入れない、クレジットカードなどは入れない・・・(クレジットは結局は借金カードですから)。神社などのお金が溜まる・・などの縁起物を入れるのも良いですし、五円・・(ご縁)を入れる事も良いでしょう。

また、お金を貯める財布は、安い粗末な物では駄目です。出来れは、ワニ皮・・・(食いついたら離さない)や、トカゲ皮・・(尾が切れても又生えて来る)や、蛇皮・・・(お金の眷属)など、少し無理をしてでもそうする事によって、財布の価値に似合った単価のお金を入れる意識と自然と成ります。

お金が入って来る・・。先ずは、入って来たお金を出来るだけ出さない・・使わない事が大切で基本です。さっと万円札が直ぐに出せるデザインの物よりも、取り出しに難儀をするくらいの財布の方が良いでしょう。また、カードを入れるならば、預金カードにます。

そうやって、財布にお金の溜まる癖と自分の意識改革を持つ事が何よりも大切です。財布の色は、黒・・・が良いでしょう。風水によるカラーでもOKです

そんな事を、神様は教えて下さいました。

お金を増やす・・それは、一攫千金を望むよりも、懸命に働き得た大切なお金を無駄にしない・大切にする事を意味します。益々、厳しく成るだろうこの先を、イザ・・と成った時に、役立てる・・。自分を救ってくれる・・。そんな価値あるものとする為のものですから・・。

先ずは、早速、試してみては如何でしょう・・・。

もう、一つ・・。物事には、相対性の原理が有り、全ては、エネルギーの存在で有るとも言え、同類の物・・者・・物事・・・全ては、引き寄せ合い結び付き、相対性の位置に収まります。故に、そうやって、こつこつと頑張っていると、お金はお金を引き寄せるエネルギーへと変わって行きます。反対も有ってしかるべき・・とも言えます。

頑張りましょう・・・。

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・執着をしない・・その1

2012-09-12 23:54:56 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・執着をしない・・その1・・過去・未来に執着しない。

  朝夕、すっかり秋らしく成って来ました・・。季節の移り変わりを普段、人は、暦で知り得て感じている様に思うかもしれないが、それよりも、五感で感じているらしい。

聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚の総称によって知る事と成る。

夏場、主役だった賑やかだった蝉時雨の鳴き声も、今は、夜に鈴虫やコオロギの涼やかな音色を聞く事と成り聴覚で感じ、朝夕の温度の低下を肌で感じ(触覚)、日の出や日の入りの光の有り様の時間差を視覚で感じている。

花屋の店先を飾る花の入れ代わり・・ふと目に留まった道端に咲く草花で・・スーパーで並ぶ野菜や果物や魚の変化によって、時には、何処かの夕食の秋刀魚を焼く匂い(臭覚)・・などからも季節の移り変わりを感じる。

忙しく流れ行く社会の時間の中で、私達は、今日、やるべき仕事や計画・・など、追われる様に生きている・・・そして、知らず知らず時間や暦のみに有らず、五感によって季節の移り変わりを知る事を忘れそうに成ってしまう。

そんな移ろい行く・・・流れる時間の中に、今が現在が有り、自分が存在している・・。そして、自分が移ろい行く自然の中の一部に過ぎない事を無意識の内に、何処かで感じるのだろう・・・。

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自分の一生に与えられた時間・・それには限りが有る。今のこの時を現在と言う・・。現在を中心に、過去が有り未来が有る・・。しかし、過去も未来も幻にしか過ぎない・・・。確実に、存在しているのは、今・・・の時・・・瞬間である。

時に、人は過去に思いを巡らせる事が有るが、それは夏場の夜空に見たあの美しい花火の様なもので、その時に幾ら感激をし幸せを感じたとしても今と成っては、薄れてしまう感情で有る。

それは、過去が、幾ら満たされ豊かで幸せだったとしても、今がこの時・・この瞬間が満たされ、幸せだと思う事が出来なければ、何の価値も無い空しい思い出と成ってしまう・・。今が満たされていてこそ、過去の幸せを感じる事が出来るものである。今が、苦悩に満ちたもので有れば、過去は空しいものへと変貌をしてしまう・・。

何ら変わり得ない歩んで来た人生(過去)さえもが、今の状態によって変貌をしてしまう・・。それほどに、今のこの時・・・この瞬間と言うものは、大切なものである。

未来・・・これも、また、幻にしか他ならない・・。将来の夢や目標を思い描き計画を立て、日々の努力を怠らない事は、無論、大切な事では有るが、その計画は、悪までも慎ましく日々(今日)の努力の積み重ねを根源とした確かな階段を一歩づつ歩むもので無ければ意味が無い。

漠然とした空想にも近いものだったり、明るい楽しい幸せな未来ばかりを描いもので有れば有るほどに空しい幻にしか成らず、己を支えるものとは成らない・・。また、それが物やお金(物欲)や権威欲などの欲に塗れたもの成らば、なお更に空しい結果を招く未来と成るだろう。

先に言った、日々の努力の一歩づつの積み重ねは、今日この時の積み重ねが有ってこそ、確実な未来と成り、直ぐ先の瞬間・・へと移行する。

漠然とした或いは、欲の伴う未来を思う時・・・人の心は、不安にしか辿り着けない・・。そう言った未来へ思いを巡らし執着をしては成らない。

今のこの時(瞬間)が充実し満たされたものでなければ、決して良い未来はやって来ない・・。現状が今が苦しく宜しく無い状態ならば、なお更に今を大切にしなければ成らない。

「この世は、無常で有る・・・。常に物事は変化する・・」これは、釈迦の言葉であるが、現在ばかりに有らず、過去も未来も常では無い事を言っている。

確実に歩み終わった変わりの無い過去さえも、今の心持ち(心魂)の状態で変化してしまいまた、未来さえも、変化してしまう事を言っている。

また、幾ら先を未来を思い描き巡らせても自分の思う様には物事は成らない事も言っている。災いや世の中の変化や関わる人との関係によっても変わって行く・・様を釈迦は言っている。

今のこの瞬間・・時間が、過去を未来を変えてしまう・・。それは、今の心魂が満たされているかどうかの事を指す。それは、過去に執着せず、未来にも執着せず、今のこの瞬間・・時間を充実したものへと己の心魂を導き行動をする事に尽きる。

そうすれば、過去も良きものへと変貌し、未来も良きものへと変わって行く。

或る時の事、今の現状を仕事の事を思った時に、「何としんどい事だろうか・・・。こんな事に成ってしまって・・・。本当だったら、今頃は、のんびりと過ごす事も出来ただろうに・・。」と過去を思い・・「この先・・どうなるいのだろうか・・・?明るい未来など私には無い・・・」と、疲れ切った体を横たえ暗いため息を付いていたら、釈迦が、現れ物申した。久方ぶりである・・。

「一個のおにぎりを目の前にし、あ~昔は、もっと旨い物をたらふく食ったのにな~とか、未来永劫・・自分は、こんなものしか食べれないのか・・・と落胆したり、将来は、贅沢三昧に旨い物を食べてやる・・・などと思い、おにぎりを頂くよりも、頑張って働いたから、お腹も空いた・・何と美味しいおにぎりだろうか・・と、満足し感激する事の方が大切である。その安穏とした心の安らぎこそが大切で有り、その心の安らぎこそが、一歩づつ歩み登り行く幸せの未来の階段に繋がって行く・・。未来が開ける・・」

そんな事を言われた・・。

過去に執着せず、遠い漠然とした未来に執着せず、今を現在を今日を、明るく安穏と安らかに過ごす事が何よりも大切で有る・・。

失った過去への執着・・・まだ来ぬ未来への執着・・・これらの執着は、元を手繰り寄せて見れば、大抵は、己の欲にたどり着くものである。

そう・・・釈迦は、お見通し・・である。私は、多くを失った過去に、拘り執着をしていたのだ・・。そして、漠然と将来を思い落胆と不安を感じていた・・。

きっと、今日、精一杯頑張って働き、誰かの役に立ち、誰かが喜んでくれて、それで一日が終わりる・・・。

家に帰り、一杯のビールが旨かったり、他愛も無い話をし家族と一緒に食事をしたり、お風呂に入って「あ~極楽・・極楽」などと、年寄り臭い言葉を発してみたり・・・の、ちょっとした幸せ感・・・そんな事が、安らか・・幸せ時・・と言えるのだろう・・。それが、とても大切だと、釈迦は言っているのだろうと思う・・。

人が思い悩む多くの事柄は、物やお金や人との関わりなど自分の思う様に成らない・・現状が、ほとんどの事で、それは、自分の欲による執着にしか他ならない・・。過去を未来を思った時にも、同様の事が言えるのだろう・・。

次に、釈迦は、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」とも言われた。そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・。

この事に付いては、次回にご紹介をしましょう。

その現状を思い巡らした時に、さらに、「なるほど・・・」欲深い・・執着者の私は、気付く事と成った。

つづく

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