スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

他人霊…百害有って一利無し・・・・あなたは、知らぬ間に困った悪しき霊を付けていませんか?

2016-05-20 18:07:27 | スピリチュアルな出来事

  他人霊…百害有って一利無し・・・あなたは知らぬ間に困った霊を付けていませんか?

 霊・・・にも色々ある。守護霊・先祖霊・他人霊(地縛霊・自縛霊)などである。

 守護霊や先祖霊は有りがたいものなのだが、他人霊には困ってしまう。それも、知らぬ間に気が付かない間に付いてしまう場合が多い。

 その影響は急に来る場合も有れば、徐々に表れる場合もある。決して良い影響は無く全くもって悪い影響のみである。

 

 昔の事ではあるが、私はその経験が有る。それも3年近くも影響を受けていた。

 それは小さな古い借家を借りた時の事だった。1年余り空き家に成っていたのだったが、ここを借りる事にした。

 大家さんの話では、93歳のお婆さんが住んで居たのだけれど終末は病院で亡くなったとの事だった。

 しかし、入居してからどうも気配を感じてしかたが無かった。後で近所の人から聞いて分かったのだが、ある日、そのお婆さんは、

 突然とその家で亡く成ったとの事だった。

 道理で…感じたはずだ。様子が伺われる・・・が、あまり悪い人でも無さそうだし大した悪さはし無いだろうと思い、

 また、93歳まで長生きをしたので有れば、私もあやかりたいくらいだから、さほど気にしないで良いだろうと思ったのだった。

 しかし・・・・その影響は見え隠れたりしながら徐々に影響を及ぼしてきた。

 しばらくしてから、段々と体が重く成ると言うかしんどい・・・やたらとしんどい。ま~仕事の影響だろうと思っていたのだが・・。

 あまりにしんどいので、病院で診察を受けたが、多少コレステロール値が高い程度で大して問題は無い・・と医師から言われたのだった。

 

 年齢も重なれば・・年相応にしんどいのも無理は無いか・・などと思ったものの、それにしてもしんどい・・。とうとう、仕事を辞めてしまう羽目と

 成ってしまった。2~3ヶ月休み色々としたかった事を片付け、休養し充電してからまた働こうなどと思っていたものの、、、やたらとしんどい・・。

 家の中の仕事が精一杯で、働く自信が沸いてこない。

 思う様に事が捗らない…体は益々重い…そうなると今度は、心も重く成る・・。サプリメントを飲んだり運動や散歩を少しやってみても…体が付いてこない。

 直ぐそこのスーパーに行くのも歩くのがしんどい始末だ。

 しんどさは、誰に話しても理解をして貰えない・・・。「そんなもんよ・・。私だってしんどいんよ・・・。」と返事を返される・。そのうち自分でも、こんなもん

 なんだろう・・と思う様に成ってしまっていた。


 あ~そうだった・・。私はすっかり忘れている事に気が付いた。水の神様に水を差し上げなくてはならなかった事をその家に移ってからすっかり忘れていたのだ。

 水の神様に水を差し上げ、そのお水を頂く事が大切だったのに・・・。何で気が付かず忘れていたのか・・?。(悪しき霊の影響だ)

 水を差し上げそれを飲んでから3日・・・すっかり体調が嘘の様に楽に成った。そして力が漲ってきた・・。

  そして気が付いた。

 私は、その93歳の婆さんをなめていたのだ。しっかりと透視を見極め・・そして近所の人にその婆さんの容姿を聞いて確認・・・。間違いなかった。

 相当に頭に来てしまった。婆さんは部屋の隅で正座をし肩をすぼめ、申し訳なさそうにしていた。「どうしてこの家に未だに居るのか・。」と聞くと、「もう少し生きて

 居たかった・・。ここの生活が気に入っていた・・。」との事だった。

 頭に来ても仕方が無い。婆さんを甘く見ていた事。長生きをした婆さんだったらご利益が有り私も長生きが出来るかも・・・「ま~居ても良いか・・。」

 などと隙を見せてしまったのだ・・。知らぬ間に、受け入れをしてしまった事に成る。見えていながら見て見ぬ振りをし、処置をしなかったのだ。

 神仏に文句を言っても仕方が無い・・。自業自得である。

 

 93歳のばあさんの影響で私はすっかり93歳の気力と体力に日を追うほどに成ってしまったのだ。働ける訳が無い・・。

 その後、婆さんは除霊を(天上へ上げる)した。

 関節の痛み・腰通・脱力感・・・しんどい・・・眠れない・・・胃と腸が宜しく無い・・・が、すっかり無くなった。

 ま~年相応に戻ったのだ。「そ~だったんだ・・。こんなもんなんだ・・。」

 と、すっかり本来の自分の体調を忘れていたの事を改めて思い知ったのだった。これも経験・体感なのだろうが、93歳で普通の生活をする事の大変さを知る事が出来た

 ものの、3年近くも無駄にしてしまった。


 世の中には、結構、そういった他人霊を付けてしまっている人が居る。観光地に行って・・。病院にて…老人の施設で・・。引っ越し先で・・などなど、あらゆる

 場所で付けてしまう・・。心の弱った時、情の深さから、体調不良の時、心の隙間(魂)に入ってくる・・。しかし、気が付かない。

 私は、そういった人を良く見ている・・・しかし、言っていいものかどうか?何時も迷ってしまう。


 急激に・・或いはゆっくりと悪い影響を与える・・。病院へ行けばそれなりの病名とお薬を下さるが、いまいち納得が行かない・・・。人に話しても理解をしてもらえない。

 何も出来なく成ったならば周囲は納得をしない・・・家族さえも・・のら・・・の一言で片づける。本人も長きに渡って影響を受けると体調もこんなもんなんだろう

 と思ってしまい、本来有るべき自分の体調が分からなく成ってしまう。そして・・・心が重く成り病んでしまう・・。

 神社に行きお祓いをしてもらっても、家に他人霊が居れば、心が病んでいれば油断をすれば・・一時は離れてもまた付いてしまう・・。

 守護神・守護霊。先祖霊は、本人に寄り添い居るものだが、悪しき霊・・他人霊は、人の心身・魂に入り乗っ取ろうとする・・。故に、性質が悪い。

 どんな立派な守護神・守護霊・先祖霊が居ようとも…お構いなしに付いてしまう・・。故に性質が悪い・・。

 

 以前にお話をしたのだが、死後は未練・欲を残さず天に昇らなければならない・・。どんな理由があろうとも良さそうな霊に見えても

 所詮は、生き欲・支配欲(権威欲)など欲に満ちた霊に他ならない・・。欲から生まれる悪しき心を持ち合わせている。百害有って一利無しである。

 故に、甘い顔・同情は禁物である。説得をし天上に送るかよっぽど性質の悪い霊は消滅も仕方が無いだろう。

 ちゃんとした能力者にお願いをし、処置をしてもらう方が良いのだが、それぞれに得意とする能力が有るので、悪しき霊の霊視が出来、また、処置が出来る方を

 選ぶ事が賢明だろう。

  MACO COISHI

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釈迦・・・おろち(悪魔)退治をする・・。おろち(悪魔)と釈迦とに遭遇する。

2016-05-10 11:14:57 | スピリチュアルな出来事

   釈迦・・・おろち退治をする・・。おろち(悪魔)と釈迦とに遭遇する・・。    スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

  昔の話だ・・。

  甘すぎる自分が居た。相当に手痛い目を見た出来事が有った・・・.

  ただただ落胆し茫然とした日々を送っていた。そんなある日の事。

 お前は、それでも人を信じるのか・・・。人を信じるのは愚かな事だとは思わないか・・。悔しいだろう・・。憎いだろう・・。お前を引き上げてやろう・・。

  相当の財力と地位を与えよう・・。」そんな言葉が、はっきりと聞こえてきた。

 「私は、それでも人を信じる・・。信じる相手を間違えただけだ・・。自分にも非が有った・・甘かったからだ。信じる事を諦めない。人を嫌いにはならない・・。

 お前の力は借りない・・。さっさと帰れ!!・・。」と叫んでいた。怪しいものだと直感で分かった。


 その時、私は、相手を憎んではいなかった。それよりも、ただただ悲しかった。

 どんなに辛い出来事がおきようとも、どんなに酷い目に合ったとしても、私はその相手を憎み恨まない事にしている・・。それは十代の頃に身に着けた考えだ。

 何れ天が裁く。この世で裁かれなかった罪は、天上にて更なる重い裁きを受けるだろう・・・。そう思う様にしてきた。

 でなければ自分の身が持たないからだ。天にお任せをする・・ことにしている。


 信じていた人に手痛い目に合わされ裏切られたとしても・・・それで相当に悲しい思いをしたとても、それでも人を信じる事を諦めない、

 人を嫌にはならない事が大切で有る事を私は身をもって知っている。

 人・・・有ってこその自分の存在・・生きている実感と意味が有り、こうして生きて来れたのも

 色んな人と関わり助けられ、今の自分が有るのが事実だからだ。だから人の為に成りたいと思っている。

 人を信じる・・・それには条件が有る。双方の信頼関係が必要で一方的なもので有ってはならない。信頼関係を築くには関わりが必要で、良い関わり思いやり

 愛情の相互関係が普段から必要で、そこに絆が生まれ・・・はじめて信じる・・・が発生する。一方的なもの・・・それは信じるには値しない。


 あの時、「ささと帰れ・・・」と言って良かった・・。あの怪しい正体は、後に成って分かった事だが、悪魔だった・・。

 悪魔の誘惑を断って良かった・・。後に私は、悪魔を肉眼ではっきりと見る事と成り、その悪魔を釈迦が退治をしてくれる事と成ったのだが

 あの時、誘惑に負けて「では、宜しくお願いします・・。」などと言っていたものなら、今頃は、私は大金持ちに安易に成っていたかも知れないが、死後、

 私の魂は悪魔に取り込まれる事に成っていただろう。悪魔との約束事・・・魂の取り込みは、こちらの承諾なしに、死後「良い思いをさせてやっただろう・・。」

 と、有無を言わさず取り込まれる。知らなかったでは済まされないのだ。


 悪魔の誘惑をきっぱりと断ったからこそ釈迦に出会え、そして助けられたのだ。この時が、はじめての釈迦との出会だった。

 悪魔の誘惑が有ってから数週間後の事だった。時は真昼の出来事。

「裏の空き地の草を刈りなさい・・。」と、誰かの声が聞こえた。

 裏の空き地(所有地)は、家の北側にあり結構広い。ここの所、いろんな嫌な事が重なり気が付けば背丈ほどに草が伸びていた。

「え~これ全部刈るんですか?」

 「では、このまま通れる幅で良いですから、まっすく塀の檜の所まで、刈って道を作りなさい・・。」

 空き地の向こうの端は塀に成っていてその手前に檜が二本生えている・・。丁度、空き地のど真ん中に道を作る感じに草を刈る分けだ。

 鎌で1m幅に北に向かって草を刈って進んだ。結構、疲れた。やっと檜の所までたどり着いた・・。

 二本の檜の間にはツツジが生えている・・。

 たどり付いたその瞬間・・・ツツジに蜂が巣を作っていたのだろうか、蜂達が一斉に飛び立った・・。

 「やばい・・・。」と、思った瞬間・・。私は見てしまった・・。

 檜の間に真っ黒に渦を巻いた蛇・・・。その蛇が、頭を持ち上げた瞬間、目がこちらを睨み付けた・・。その眼は真っ赤・・・この世に見た事の無いおぞおぞしい赤い目・・。

 黒く渦を巻いた胴体も、おぞおぞしい何とも言い表しようの無い黒・・・・闇の黒・・・と言ったところだろうか。直ぐに、この世のものでは無い事が分かった・・。

 目が・・・点になる・・。体が凍る・・。手足のつま先から頭の天辺まで、髪の毛の一本一本までにも恐怖の電撃が走る・・。

 時間が・・・止まった・・。

 あまりの恐ろしさに私は、これまで生きて来て、これほどの大きな悲鳴は発した事が無いくらいの・・悲鳴を上げ、一目散に家に逃げ帰った。

 「悪魔だ・・・。おろちだ・・。」日本では、悪魔はおろちの姿をしている・・。

 

 「よくも、、、見付けたな・・・。ただではおかぬ・・・。」

 逃げ帰ったのに・・・悪魔が私の中に入ってきた。入ったのが分かった・・。しかし、自分も居る・・。

 悪魔が何とも悍ましい声で叫んでいる・・。自分が話しているのだが・・・悪魔が話し、それを自分が聞いている・・。

 何とも恐れ入った状態・・。

 「どうしたものか・・。何とかしなくては・・。」と、心の中で思考している自分も居る。

 そして、悍ましい悪魔の魂が自分の中に居る・・。

 その時、相棒(友達)がやってきた・・。

 「どうしたん・・・」…と相棒・・・。グットタイミング・・・これも神の時間合わせわざだ。

 「変なもんが入っとる・・。背中・・たたいて・・」やっとの思いで声を出す・・。

 相棒が呪文を唱え思い切って背中をたたく・・。その瞬間・・悪魔が出て行ったのが分かった・・。

  やれやれ・・・。

 体・・全体が、わなわなに・・・がくがくに成り、震えがなかなか止まらない・・。

 何とも恐れ入った体感だった。

 しかし、悪魔が入ってきた瞬間、一瞬にして事の全貌が分かった。

 どんな理由で何処からやって来てどうするつもりだったのかが・・一瞬にして理解が出来た。

 この近年の低迷…運気の無さ・・頑張っても報われない理不尽な事態、人に裏切られる・・などなど・・・こいつのせいだった・・。


 話が後先に成ってしまったが、草を刈る様に言ったのは釈迦だった・・。最初は誰だかがわからなかった。

 檜の所まで草を刈る約1m手前で、私は門が開くと言うか何かの壁・仕切りが取り除かれる繋がると言うか言い表しにくいけれど、それに似た感情を受た。

 とても懐かしくやっと会えた(釈迦に)・・再会の喜びに歓喜し涙を流したのだったが、今いち、何でこんなに喜んでいるのかちょっと不思議とも思えた・・。

 「え~何で???」と言った感じだ。

 その後、さらに1mほど進み、何とも悍ましい体験をしたのだった。

 この日、私は、最高の感激的な再会と最高に悍ましい恐怖の体験をしてしまったのだった。

 そして、悪魔(おろち)は、釈迦が・・すんなりと消滅してしまった・・。

 聞くよりも読むよりも見るよりも体感が何よりの修業であると釈迦は言っておられるが、いきなりの体感は如何なものか・・・心臓に悪い・・。

 出来れば説明を先にして頂ければ、それなりの覚悟もあろうものを・・と思う所だが、

 悪魔の甘い誘いに乗るか否か…試されたのかもしれない・・。

 

 おろち・・と言えば、須佐能の尊・・・。後に、お会いする事となる・・。


 おろちが見えた事にも意味が有り、須佐能の尊にお会いしたのにも意味が有った・・。

 悪しきものが見えなければ退治…消滅は出来ない・・。須佐能の尊にお力をお借りしなければ、退治・消滅も難しい・・。

 後に私は、悪魔・・おろち退治のお役目・・・・能力を頂く事と成った・・。


 何とも信じ難い出来事なのだが、本当の事で有って、嘘でも夢でも無い。文章を書く事は大の苦手で有る。

 何よりも日々、必死に生きている身の上なので嘘つく暇も無いのだから。

 MACO COISHI

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八百万の神々と我が家の御釜神様

2016-03-26 17:01:30 | スピリチュアルな出来事

    八百万の神々と我が家の・・・御釜神様。                   スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

神様と言えば・・・八百万の神様・・。それぞれに特徴が有り、お役目をお持ちにになり各専門分野で力を発揮されておられます。

そして、人それぞれに必要とされる事柄とその人の能力を理解し、向上へとお力を貸して下さいます。

そのお力を頂くには、清く正しく・・そして懸命に努力を怠る事の無い人に、言い換えれば一生懸命に真面目に生きる努力を

されている方に共感し、降臨されます。

それぞれの道を究め様とする人は、声なき声を自然と聞いている事が有ります。それはヒラメキ・・にも似たものと言えるでしょう。

努力無しに、あるいは卑しい志を持つ者には決して降臨する事は成りません。それほどに神は真白きもの・・・だからです。

人は何かをし懸命の状態にある時、無に近い・・或いは瞑想に近い状態と成り、そんな時に降臨される・・と言った感じでしょうか。


お釜神様・・は知られる所の御荒神様とはちょっと違います。共に火を司る神では有りますが、どちらかと言うとお釜神様は、お料理をされる

神様・・と言った所でしょうか。穏やかで優しい神様です。

神事の際に神様方のお料理を作られる神様でも有りますが、料理を志す職人さんに降臨される場合も有れば、

一般の者に降臨される場合も有ります。それぞれの能力向上と必要に応じて対処をして下さいます。


以前、友達と二人で神社へ御釜神様のお札を頂きに参った事が有りました。

友達が「うちの御釜神さまは、ちっとも働かないんだけど・・。」と、言ったので友達の家の様子を透視をし見てみると、

御釜神さまは、何と横たわり肩肘で頭を支え、暇そうにしていました。

その様子を友達に話し、二人で大笑いをした事が有りました。

友達は、あまりお料理を作る事が好きでは無く、出来合いの物を良く買っていましたので、やはり努力をしないものにはご利益は無理なようです。

私は下手なりにお料理を作るのが好きで、また、必要とする理由も有りました。その時々に導き支えて下さっております。

とても優しい神様で、時には励まし、慰め、たまに褒めても下さいます。


ある時の事、その頃は、必死で這うような思いでくたくたに成るまで働らいていた時期でした。

疲れ切ってもなおも、家族の為に食事を作っていたのでした。

その頃、娘も簡単な食事くらいは作れる年頃でしたが、家の手伝いはほとんどしない甘えた子でした。

娘が休日に、ソファーで、ごろごろと、うたた寝をしていると「お母さん・・。誰かが私の腕をつかんで、引っ張り起こそうとするんよ・。」と、飛び起きて必死に話すのです。

私には、直ぐに分かった事でした。

母親がくたくたに成るまで必死で頑張っているのに、休日に何の手伝いもしないで、ごろごろと寝てばかりいる娘に、お釜神様が腹を立て

たまにはお母さんの為に食事を作ってあげてはどうですか・・。」と、腕を引っ張り起こしたのでした。

穏やかで優しい神様がよっぽど腹に据えかねたのでしょう。神様はちゃんと何時も見ていますから・・。

また、経済的に苦しい時期には、お金をほとんど使わずとも、工夫し美味しい食事を作って下さり、体調の悪い時は、薬を使わずとも食事療法で治す方法を教えて

下さいました。


神様は、どんなにお願いをしても、なかなかお金を安易には下さいません。しかし、心・・白く真っすぐに頑張る者には、側に寄り添い、ちゃんと救いの手を貸して下さいます。

それは、転んだり傷ついてもう歩けない・・・そんな時に、安易に抱っこしおんぶをして下さるのでは無く、杖になり或いは草鞋(履き物)になり、寄り添い歩く事を支えて

下さるのです。あくまでも、歩いて前に進むのは己自身でなくてはならないのです。

人は図に乗ります。私もそうです。安易に抱っこしおんぶをされれば、まだ、そうなる事を期待し甘えて、自分で進む事をしなくなります。

御仏もまた、同じです。

神様も御仏も、人に指図をしたり命令をしたりはしません。何故なら、人生は自らが選び進むものであり、魂は何人も束縛をしてはならないものだからです。

神仏共に、人に寄り添い、その人に本当に必要な手助けをして下さいます。だから、甘くは無いのです。

指図し命令し魂を取り込もうとするものこそが、悪しきもの悪魔であるからです。

心・・・真白き者は神を降臨し、心・・・卑しき者は悪しき悪魔を降臨させる。


直ぐにくじけてしまう自分がいる。直ぐに諦めてしまう自分がいる。そんな自分に、教えて下さった神様の言葉が有ります。

「諦める事無く、怠る事無く、亀の様にコツコツと夢を持って目標を持って進みなさい・・。」そう、おっしゃいました。

その日、私は、意外な場所で亀を2回も見てしまいました。


毎日、私は、美味しい食事を頂いております。一般的には決して贅沢とは言えない質素なものなのですが、

それが、言葉にならないほどの美味しさなのです。そこには、ちょっとした工夫とお釜神様の愛情が入っているからなのでしょうね。

至福の時間を日々、頂いております。

お釜神さまの・・節約レシピ・・健康レシピ・・機会が御座いましたら、徐々にご紹介を致したいと思います。


maco-coishi

 

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お久しぶり・・・???(誰かに)助けてもらった事。

2016-02-23 01:31:39 | スピリチュアルな出来事

  ブログを休んでいましたが、また、ぼちぼち始めようかと思っています。宜しく!

早速ですが、あなたは普段の生活の中で、あ~誰かが何者かが助けてくれたんだ・・・と思う事は有りませんか?

事故に危うく遭遇する所を、その日に限って違うルートを歩いたり或いは車で走ったり・・。

なんと無くそうしてしまったり、虫の知らせ・・と言った感じでそれに従って結果、助かった・・そんな事ってないですか?

私は、何回もそう言った事が有り、幼い頃から何回も死んでいたかもしてない・・と後に成って思う事が有りました。

が、今回は、そうでは無く、実感の強いものを紹介します。

カンとか虫の知らせの働かない時・・・・それは、何かに夢中になり気を取られている時です。

 

それは、パソコンに向かって検索したりブログを書いたりしていた時の事。

「ど~ん!!」と物凄い音が廊下から聞こえてきた。

その音にビックリし廊下に出てみると何も無い・・・誰もいない・・・どうしたのかな・・・何も変わった様子はない。

しかし、よーく見てみると廊下に立てかけていた収納3段箱(まだ組み立てて無く箱に入ったままの物)が、反対側の壁に斜めに倒れ掛かっていた。

そのうちに組み立てようと思って壁に立てかけていたものだ。

廊下は狭く例え反対側に倒れ込んでも床には届かない・・だからあんな大きな音はしないはず・・?

それに倒れる様な置き方はしてい。

それは、倒れたのでは無く、誰かが懇意に思い切り力を込めて反対側の壁にぶつけた音の様だった。

あ~びっくりした・・と思いつつ何と無くその隣のドアーを開けてみてビックリ!

そこは台所です。

物凄い熱気で発火寸前の空気温度に成っていた。

私は、コンロに火を付けやかんを掛けたままなのをすっかり忘れていた。

やかんの取っ手は解け落ち焼け焦げやかんの色は変わり・・発火寸前。

パソコンに向かう前に火を付けていた。もうかれこれ1時間は経っていただろう。

最近は自動で熱を持つと消えるコンロが多いのだろが、それはそういった機能が無いものだった。

恐ろしい・・・火事に成る所だった。

普段は、それなりに聞こえて来る天の声も…パソコンに夢中で全く聞こえてなかった・・。

だから、収納の箱を思い切ってぶつけて倒し、すさましい音を立て知らせたのだ。

滅多に無い・・・物を動かす・・・そういった神業、神事だ。

それは…誰なのか???私には、ちゃんと分かっています。

本当に、ありがとう。大変な事に成る所でした。


スコティッシュフォールドの仔猫紹介↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる住まいその2

2012-10-24 10:24:30 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・・運気を引き寄せる住まいを考える・・・その2・・・貧乏神・・退散

先に、風通しの良い家・間取り・・風通しを良くする事が重要で有る事を申ましたが、他にも重要な事が幾つも有ります。その中で、どんな運気の良い家や間取りだとしても、何よりも肝心な事は、常に掃除を綺麗にする事が大切です。

もし、あなたが、持ち家に住まわれているのでしたら、家の中に止まらず、玄関や庭先・庭周りも何時も綺麗に掃除をしなければ成りません。そして、もう一歩踏み込んで、庭に止まらず自分の敷地周辺の道も綺麗に掃除をしましょう。

今般、精々、庭止まりで掃除を済ませて居る方が多いでしょうが、昔は、屋敷の塀の外の道も庭ぼうきで掃除をしたものです。何故・・・そこまで?と思われるかも知れませんが、人は、家の景観を道を含めて見るものです。塀の外にゴミが有ったり、草が伸びたままでは、幾ら庭・屋敷・室内が綺麗で有っても、景観を損ねてしまいます。そして、運気も逃してしまうでしょう。

運気や有り難い神々が、風に乗って或いは訪問をしようとした時に、「ここはとても良い感じだ・・・」と、思った所に引き寄せられて訪問します。

もし、あなたの屋敷の塀の外に草が生えていたり、道路にゴミや犬の糞などが有ったとしたら、良き運も神々も避けて通られる事と成るでしょう・・。一度、ご自分の屋敷を道を挟んでの景観を観察・ご確認してみて下さい。

そして今度は、言われた通りに、道も綺麗に掃除をし、もう一度、家の景観をご確認下さい。きっと、輝くもの・・良い空気間を肌で・・「なるほど・・」とご納得を頂けるでしょう。

道を綺麗にする事は、馬鹿らしいと思われるかも知れませんが、他人には結構良い印象を持ってもらえますし、少々では有りが、世の中に貢献をする事に成りも成り、気分も清々しく成ります。気持ちが良くなる・・・ポジティブに成る・・これは、相当に、己にとってプラスと成ります。夏場などは、水打ちをするもの良いでしょう。

掃き目・・・と言って、庭ぼうきや竹ぼうき・・目に見えなくても、掃いた感じは残ります・・。これは、魔を掃き祓い清める・・・事に成りますから、感じるものです。誰もが、感じ取れます。

もし、お店などを経営している場合には、なお更に、大切な事です。掃除の行き届いた店には、人が自然と集まって参ります。

掃除・・・それは、家の中だけでは無い事を知って頂きたいと思います。

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では、ここで少し実例をお話しましょう。お恥ずかしいながら、今回は、私に起きました不思議で・・・有り難く無いお話と成ります。

貧乏神・・・・を追い払う。

我が家には、色々な神々が訪問されますが、誰もが有り難く無い貧乏神・・が現れた事が有ります。そんな神とは、縁を持ちたく無いものではあるが・・・、この時ばかりは、聊か驚きました。

貧乏神・・とは、神の中でも神としての仕事を放棄し働かない神であり言わば、のら神・・神の外れ者と言えるでしょう。悪さはしませんが、住み着かれると、貧乏に成ってしまいます。住む所は、汚く掃除の行き届かない場所を好みます。大抵は、人に同乗・便乗をしてやって来ます。多分、自分で移動をするもの面倒くさいのでしょう。

掃除の大切さは、神からお聞きし教えられ、指導された事でした。不要の資材やなんだかんだと家の庭の周辺には色んな物が溜まっており、おまけに空き地と成っていた裏庭には結構な草が生えて伸びていました。その頃は、仕事の余りの忙しさに周辺の掃除が行き届いておりませんでした。

運気が落ちたのが先か、掃除が行き届かない為にそうなってしまったのか・・。どちらが先か分らない・・。気が付けば、仕事も宜しく無い状態と成り、気分も落ち込み、身体も思う様に動けなく成ってしまってしまいました。

そんなある時、ある神が現れて、掃除の伝授がはじまり、家の周辺の掃除が始まりました。全くもって大変で、今から考えると、あれほどに重い沢山の色々な物を良くも片付け、綺麗にしたものだ・・と、関心をしてしまいます。それと同時に如何に掃除が行き届いていなかったを改めて思い知りました。

いつの間にか、汚く成ってしまった事も気が付かず、見ている様で視野に入らず気が付けば、悪しき事がどんどん増えて、心身も動けず事と成り、一層に掃除が行き届かない・・・そう成ってしまうのです。これが貧乏神の影響です。

掃除の最後の仕上げ・・それは、貧乏神の退散・・・追い払う事でした。その貧乏神の居た場所は、外玄関の天井部分でした。幸い、家の中には入る事は有りませんでした。それは、家の中は、綺麗に掃除をしていた為に入れなかったのです。外玄関の天井は吹き抜けに成っており、掃除をしようにも手も届かず、外玄関の角部分には、気が付けば蜘蛛の巣が幾つも有りましたが、全くもって気が付きませんでした。

神の指導のもと、家の周辺の掃除が終ると、その神は、「気が付かぬ振りをせよ・・。」と言われましたが、何の事やらさっぱり分りませんでした。貧乏神がそこに居た事は、後に成って分った事でした。

言われたままに知らぬ顔をし、言われた物を準備し言われた事を行い・・やがでお払いが始まり、玄関に至った時に、一気に貧乏神を呪文と共に追い払う・・・。そう言った手順でした。追い払いの儀式と同時に、「ドスーン!!」と、外玄関の天井部分から者影が落っこちるのを感じ、その者影が、素早くデッキの下に隠れたのを視ました。すると、神は、「元へとっとと返れ!!・・帰らぬならば、只ではおかぬ・・!!」と言われた。すると貧乏神は、慌てて逃げ出し、元の主の場へ帰って行ったのでした。

私は、まさか貧乏神が居たとは知らなかったもので、「ドッスーン!!」と落っこちた者影を視た時には、言葉にならない怖さと驚きで「あれが・・・貧乏神 なのか・・」と、あ然としてしまいました。

誰が貧乏神を連れて来たものか、そして連れて来た人の家の何処に住んで居たのかを後で神より聞かされました。家の中は綺麗に普段から綺麗にいていた為に、幸い中に居座る事は無かったのですが、それでも、玄関先で居座られたのでは、良い運気が逃げてしまい悪い事が起きてしまうでしょう。

貧乏神・・・まさかそんな者が・・・と思われるかも知れませが、実際、本当に居る神で、それは、人に便乗しやって来る事が多いのです。何時、そう成るか・・・それは、誰にでも起き得る事です。「私は綺麗好きで何時も掃除をしているから大丈夫・・・」そう思って侮ってはいけません。

悪しき事が起きると、人は気が重くなり体が動かなく成り、気が付けば掃除が行き届かなく成ります。悪循環は重なり、やがて汚くなった事も視野に入らず、気が付くと相当に汚く成り、やがて気が付いても心身動かずどうして良いかも分らず、益々持って宜しく無い状態に陥ってしまいます。

気分が滅入った時こそ、宜しく無い事が起きた時こそ、動けぬ体を動かし一層、掃除をし、心身ともに清々しくポジティブに成る事が大切です。

貧乏神・・・その神を、退治・消滅に至らなかったのは、神崩れ・・の神で有る事、己の心がけと掃除をする事で、誰でもが追い払う事が出来るからの事でした。また、例え、退治・消滅をした所で、己が変わらなければ、再び、何処からか引き寄せる事と成るでしょうから・・。

予断ですが、以前にお話をしました、霊能力者の所に、ある時、伺った時に、「あれ!・・貧乏神が居る・・・。この前には居なかったのに・・・?」そう思い、「次回、準備をし追い払うか・・・」そう思い、その時は、何も言わず帰り、再び、次に訪れると彼女は私が言わず前に「貧乏神か居たんよ・・・。それで、話をしたんやけれど、これからは働く・・・と反省をし、山手の海近くに出て行った。無事、働く事と成ったその時は、海の幸を届ける・・」そう言って出て行ったそうです。やがて若布や魚がその後に届けられたそうです。が、貧乏神は、そう言ったしろものでは無く、口先だけの事でしょう。

彼女の家には、色んな人が相談事にやって来るのですが、時として有り難く無いものを置いて帰るもので、その度に、祓ったり消滅したりと、私は何かと大変で、少々、神事が出来ても祓ったり消滅したりが出来なければ、そう言った強さと技が無ければ手を出しては成らない・・と常に思う所です。

あの貧乏神は、誰かが連れて来たのでしょうが、次に私が来たならは、とんでもない目に合うと察知し、逃げ出した事は明白な事でした。彼女の家の中も外も、綺麗に掃除が行き届いていませんから、居座ったとしてもおかしくは有りませんから・・。

如何に、家とその周辺の掃除が大切か・・を、少しご理解頂けましたでしょうか。次回は、スムースに綺麗に掃除をし、保つかの方法をお話しましょう。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・・そのⅠ住まいを考える

2012-10-16 01:50:32 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・その1・・・住まいを考える

理屈ではない不思議な現象がこの世には沢山有ります・・。そんな中で、誰もが住む所・・住まいについて、今日はお話をしたいと思います。

住む場所や間取り・・部屋のあり方などで、大いに運気は変わって来きます。最近では、風水などが世間では知られる所で、運気が良くなるとか悪いとか言われると誰もが気に成る所でしょう。

日本にも古くから、家相・・と言われるものが有ります。風水も家相も、どちらとも、現実的に「なるほど・・・」と言った理に適った所が有ります。

そこで、運気が良くなる住まいのあり方・・また、今の住まいの状態が悪くは無いか・・・のチェックをしてもらう為のお話を、具体的な例も含めてお話をしましょう

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風通しを良くする・・・。

窓から風を入れると、必ず、風が抜けるもう一つの窓が必要と成ります。の入る箇所と入った風が抜ける箇所が必要です。それで、はじめて風が通る事と成ります。

運気を引き寄せる為には、先ずは、風通しを良くする事が大切です。今般、エアコンなどの普及により、窓を余り開けなく成ってしまっていますが、朝の爽やかな風(午前中~日中)は、特に良いので、暑くとも寒くとも天気の良い日は、窓を一時的に、開けると良いでしょう。休日の天気の良い日には、窓だけに止まらず、押入れなど、部屋の普段開けない棚などの扉も開けて空気を入れ替えましょう。

この事は、現実から考えても、湿気の多い日本では、空気の入れ替えにより湿気がこもる・・・カビが生える・・・そう言った不健康を防ぐ事にも繋がります

新しい風・・・空気を入れる・・・それは、邪悪・又は、悪しきものを寄せ付けない、追い払う事にも成ります。特に、気分が滅入った事が多く有った時には、淀んだ悪しき空気を追い払います。そうする事によって相当に、気分も良い方向に変わって来ます。

淀んだ湿気の有る暗い箇所には悪しき者・・色んな悪いものが好む所で、決して運気を上げる事は、有りません。

ここで一つ例を上げてみましょう。

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私の親戚の話です。

その親戚は、お爺さんとお婆さん(叔父夫婦)に夫婦と子供3人の7人家族なのですが、有る時期に、家を新築する事と成り、家が立ち上がる間、何処か他の場所に住む事と成りました。

近くに丁度、適当な空き家が有り、借りる事と成りました。その住まいは、息子さん家族が転勤の為に、空き家に成っており、丁度良かった・・と喜んだのもつかの間・・・。そこに移転をしてから、孫の一番下の女の子の様子が変に成り、体調を壊し、夜中には訳の分らない言葉を発し鳴いたり喚いたり・・の繰り返しの日々が続きました。

何時もだと、霊とか占いとか鑑定や祈祷など、全く信じない叔母も、孫の突然の変貌に驚いた様子でした。そこで、「如何したものか・・・?」と相談を持ちかけられたもので、早速に、家を見てみる事としました。すると、家の間取りの悪さ・・・特に、廊下に問題が有りました。

その廊下は、廊下の役目を果たしていない行き止まりだったのです。それはとても異様なものでした。廊下の片方の壁から、浮遊霊が行き来している様が視え、湿気の多さと押入れの中には、悪しき者を感じ、一人に有らず、結構な数の浮遊霊が出入りをしていた様だった。「ここの廊下の突き当たりの壁・・・ここ良くないよ・・・」と指を刺すと、その場所で、孫を寝させていたとの事でした。一軒家では有ったものの、家族の人数も荷物も多かった為に、孫は、仕方なく、その廊下の場所で寝起きしていたとの事・・。早速、場所を変える様に指示し、窓も開け空気の入れ替えを良くする事、そして、押入れもその際は、開ける様に伝え、霊を祓う事としました。

その後、問題は全く無くなったとの事でしたが、叔母は、私を信用しなかったものか、よっぽど怖かったものかは分りませんが、念の為、他の鑑定士か祈祷師に見てもらったそうです。すると、同じ事を言われ、「既に、事を処理してあるので、問題ない・・・」と、言われたそうです。

物事が人生が上手く行っている人は、普段は鑑定や祈祷や巫女・・・霊・・など、信じないのでしょうが、事、医者にもどうにも出来ない訳の分らない事が起きれば、こうなるのだろう・・。

つづく

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・全てに執着をしない・・・2

2012-10-10 03:02:47 | スピリチュアルな出来事

  スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・何事にも執着をしない・・・2

お金に、物に人に時(過去・未来に)など、・・あらゆる物に事柄に過去や未来にさえも執着をしてはならない・・全てにおいて少し距離を置くべきだ・・・とも言えるのだろう・・。

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一つの事柄に集中し諦めず頑張る事を美徳とし、懸命に頑張る・・。そう、特に、日本人は思うところが大きい。

しかし、一つの事柄に集中し懸命に頑張りすぎると、肝心な大切なものを見失ったり、ストレスを抱え込んだり、思う様に事が運ばなければ落胆をしてしまったり、生きる事が苦しくなってしまう場合がある・・。行き詰る・・そう成ってしまう場合も有る。

仕事・・・必死で頑張る・・・。朝から晩まで、家に帰ってからも仕事の事が頭から離れない・・。家族と一緒に居ても、ちっとも家族の方を見ていない・・。向き合う事が出来なく成ってしまっている・・。

仕事への思考は、帰り道の途中でキッパリと捨ててしまう・・。駅の改札口を通り抜けたら・・、或いは、橋を渡ったら、その道の角を曲がったら・・・すっかりと仕事への思考は捨ててしまい、そこから先は、大切な家族への思考へと自分の時間へと変換をする。

子供・・・

人並みの教育を与える為には、両親共に働いて、教育資金を稼ぐしかない時代・・。そうやって気が付けば、家族皆、時間に追われ、子供も塾で忙しい・・・。すれ違いの家族・・・。同じ屋根の下で生活をしていても、心が向き合える時間と心の余裕が無い・・。親の口にする言葉は、学校はどうだ・・勉強は成績はどうだ・・・と決まり文句の様に並べたて、子供は適当に答える。見ている様で見ていない。分っている様で何も分っていない家族の関係・・。何が大切なものが抜けては居ないのか・・・。

まるで、養鶏場の鶏が、煌々と明るい光の下で、夜中にも餌を与えられ、必死で食べ続け丸々と大きく、思惑道理に育って行く様によく似ている。教養ばかりが身となり肉と成って行く・・。肝心な人間形成が抜けてしまっている。教育ばかりに執着をしてはならない。

いじめ・・・

もしも、大切な子供が、学校でいじめに合い辛い思いをし、絶えがたきを忍び学校に今も通っているの成らば、安心をし学ぶ事の出来ないくだらない場所に執着をしては成らない・・。学ぶ方法も場所も他に幾らでも有る事を知り、そこが全てでは無いと言い、学校に執着をしては成らない。

何かに懸命に成り過ぎると、それはいつの間にか執着に変わってしまう事が有る・・。執着し過ぎると、肝心なものを見失ってしまう・・。人に対し自分にすらも・・・物事に対し全てにおいて少し距離を置くと良いだろう・・。近過ぎず遠すぎず・・の心持で丁度良い・・。その方が、何かと良く見えて来る・・。そして、心も安穏としていられる。

執着は・・・多くの欲を根源として成り立ち増幅して行く・・。欲によって生まれた執着は、人生を決して良きもの幸せに導く事は有り得ない・・。執着を集中とか継続とか懸命とか体の良い言葉に摩り替えてはいけない。執着は、心の自由と正しい思考を奪ってしまう・・。

釈迦の言葉・・・

持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・執着をしては成らない・・と釈迦は言っている

全てにおいて、距離を置くは・・・心のゆとりと安らぎを見出す。

あの時、釈迦から言われた言葉・・・、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」と言われ、そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・言われた。

それは、どう言った意味なのか・・・。

子供の頃は、将来の夢を色々と描く・・・。やがて大人に成って、その夢へと邁進が出来る者は少ない・・。

何を成すべきか・・・?このままで良いのだろうか・・・?そんな焦りと共に20代を終え、30代・・40代・・50代へと進んで行く・・。60代に成れば、子育ても大方に終わり、自分の余生を考える・・。その先は、段々と、体力も劣りえ、日常生活も思うように出来無くなり、認知症も始まって来る。

老いは誰にでもやって来る。事故や災害や病で途中、命が尽きる事無く無事に老いて行けば、誰もが経験をする

20代を境に、年を取る事が嫌に成る・・。30代に成れば先の40代を思い、40代に成れば、50代を思い50代に成れば60代を思い・・老いる事を恐れ嫌に成る。しかし、どの年齢に差し掛かっても、一番、重要視し大切と思えるのは、生きている今の年齢で有り、今、この時である過ぎ行く過去も未来も幻にしか過ぎない。

老いて、日常生活に不自由をし認知症に成ってしまえば、何も分らない様に周囲は思うかもしれないが、そう成っても尚も、悲しみ辛さ喜びや寂しさ楽しさなどの人としての感情・心は変わり無く働く。

何事も無く、無事に年を取ると言う事は、やがて自分にもそう言った時がやって来ると言う事である。言い換えれば、老いを今の瞬間、時として迎える時がやがてやって来て、全ては過去と言う幻と成り、希望有る未来は無い・・・その瞬間がやがて来る・・。その時が、幸せで無ければ、輝かしい過去も溢れる財産も何の価値も無くなる。

老いの渦中に居ない自分達は、何処かで、老いてしまえばお仕舞いだ・・。老いた者に価値を見出さない・・。余計者・・。そう思っているだろう。社会の何処かの片隅に追いやり見て見ぬ振りをする・・。手が掛かる・・・。勝手にしてくれ・・。面倒だ・・。自分の事で手がいっぱいだ・・。そうやって言い訳をし、知らん顔をする・・。恵まれた財産が残っておれば、それをどうするか・・が、気になる所だろう・・。

老いて行く親を持て余す・それが今の社会であり、いい加減な大人に成った子供達である。その子供達は、我が子にばかり目が向けられている。やがて、自分達も、子供が離れ夫婦二人と成り、やがて一人と成る時が来る。子供達とは別々の方が気が楽だ・・・。そう思っているかもしれないが、その考えは、間違っていた事に、やがて気が付く時がやって来る・・。

社会の片隅で、一人暮らす老人・・。長く暮らした場所・故郷と言える場所で体が動く限り田畑を耕し守り続ける老人・・・。人知れず寂しく死んでしまう場合も有るだろう。または、やがてグループホームに入るのかも知れないし、老人ホームに入るのかもしれない。

大いなる出世をし皆から頭を下げられた人も、多くの富を築いた人も、どんなに気位の高い人も、そう言った場所に行けば、大方のものを持っては行けない。グループホームでは、小さな洋服ダンスに、小さな和ダンスは一つ・・。僅かな季節の洋服と下着くらいしか持って入れない。勿論、地位も名誉も気位も・・持っては行けない。残された財産は、子供達の物と成る。決められた生活に従い、生活を送る事と成る・・。

老人向けの病院は、重症の患者が入院をする。歩ける者は、早くに歩けなく成る。決められた時間にしかオムツも替えてもらえない事が多い。洋服もも何も大方は何も持って行けない・・。ここで、人生の終わりを迎える事と成る。例え、認知症でも感情は生きている。尊厳されるべき命がそこに有る。

97歳のおばあさん・・・大方が認知症だけれども、「まだ、死なへんから、連れて帰って・・・」多くの苦労を重ね、多くの富を築いた人だ。三人の娘を一人で育て上げた70代の母親・・・。認知症が始まったばかりだ。家族の手助けが有れば、まだ、歩けるし小さな手伝いなら出来るだろう・・。しかし、娘達は、誰も引き取らない・・。「早く、死にたい・・・。」そう言っていた。95歳のお爺さん・・・。節約し、多くの財産を残したけれど、入院し直ぐに歩けなく成ってしまった。「豪華客船に乗って世界一周でもするか・・。」娘に、出来ないと分っていて話してみた・・。時として、まともに戻る思考の中で、そんな事を発する時が有る・・。

老後は価値の無い時代・・と思っているかもしれないが、人生の最終章・・。本当は、それが一番に大切な時代でやがて自分達にも必ず来る時、瞬間であるその瞬間、時が幸せかどうか・・・?。それによって、生きて来た人生・過去が一気に変わってしまう。

幸せな人生の最終章・その時、瞬間は如何すれば、迎えられるか・・?それは、家族と共に終わりまで一緒に暮らす事である。そして、老いても尚も、家族の一員として、己の出来る事を最後まで全う・・協力し働く事に尽きる。必要とされる・・・。それは、自分から進んで働く事に有る。

腹の立つ事・うざい・・と思う事など嫌な所も含めて、一緒に食事をし、そこに居てこそが家族である。都合の良い事ばかりを求めたり、老いて手が掛かる事を避けたり逃げたり・・それは、もはや家族では無い・・。老いて、尚も働き、家族と共に過ごしてこそ、認知症を遅らせ生甲斐も幸せも存在する。家族の他愛もない話声を耳にする・・孫やひ孫の声が聞こえる・・・それだけで、幸せで居られる。

釈迦の言ったあの世には何も持っては行けない・・」それに続いての「現状を良く見よ・・。」その言葉は、人の最終章にお置いても、大方に何も無くなる・・。家族と過ごす時間こそが大切で有る。しかし、今の社会では、老いる者は家族から省かれ、一人、寂しく終わりを迎える・・悲しい現状を時代を指して言った言葉だろう。

終わりを幸せに過ごす・・。終わりを知る・・。それを悟れば、今をどう生きるべきかの大切なものが見えてくるだろう。

そして、執着をしない・・。 持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・。着かず離れず・・の心持で、思考する・・。その事が大切なのだろう。

90%以上の、人達が幸せだ・・・と、答えるブータン国の人達・・・。その国の人に、「どうして幸せなのか・・?」と尋ねたら、当たり前の様に、「それは、家族が一緒にいられるからだ・・・。」と、意とも簡単ににこやかに答えていた。

私達、日本人は、何か大きな勘違いをしては居ないだろうか・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・運気を引き寄せる・・お金を引き寄せる為の財布

2012-09-22 08:09:49 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・・お金を引き寄せる為の財布

もうすっかり秋らしく成って参りましたね。田んぼの稲穂も実り、もう直ぐ黄金色に色づく頃と成って参りました。秋は、稲をはじめとし実りの季節・・です。そして、日本の各地で稲の収穫のお祝いをし、秋祭りが模様されます。そんなめでたい季節には、日本の神様達も大いに喜び、人々と共にお祝いをされます。

以前に、日本の神様は、とても有り難い・・・記載をした事が有りますが、何れ、何故、どうして有り難いのかを詳しくお話をしたいと思っていますが、今日は、めでたい実りの秋を迎えるに当たり、とっておきの情報を皆様に、お伝えをしようと思います。

何時も、自分と向き合う事について多くを記載していますが、それは大変な事であります。それでも何時も熱心に読んで頂き、お付き合いを頂いております皆様にお礼と感謝とそして幸せに成って頂けます様にとの思いを込めて、明るい前向きな情報をお知らせしたいと思います。

その為に、少し日本の神様についてお話を致します。何故ならば、これからお話をします情報は、神様から教えて頂きました情報です。その確実性を知って頂く為に、お話をするものです。

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お金の集まる財布を生み出す

日本の神様は、とても明るく、宴・・や賑やかな事がとてもお好きです。イザ鎌倉・・・と言った大切な前にも、また、収穫のお祝いなど事ある度に、舞を踊り酒やご馳走を並べ宴を模様しされます。何時でも、明るいのです。

元々、収穫のお祝い・・・には、どの神様も縁が深く、何れの神社においても豊年満作・五穀豊穣などのご利益を掲げて、後はそれぞれの特徴あるご利益を頂ける事と成っております。

五穀豊穣・・・それは、日本人のルーツ、遥か昔から稲作を中心とした農耕民族で、豊作を春に願い実りの秋には収穫を感謝をする・・そんな事から深く神と結ばれている縁とも言えます。故に、何れの神社でも五穀豊穣のご利益が深く存在しています。豊富に実る稲の収穫は、人々の豊かな暮らしを支え、生きる事に結び付きます。年に一度の米の収穫で、一年間の食を支え生きる事が出来るのですから・・。

神社や神棚にお供え奉納されます物は水・塩・お米・酒などが中心ですが、それは、日本人で有る私達の一番大切な物を神様に奉納している事に成ります。例えば、災害に合い非難をした場合、私達は、米でご飯を炊き塩を持っておにぎりを作りお水を頂き、生きるを支えます・・。生きる為に一番大切な物を奉納している訳です。祭典に当たっては、その他、山の幸、海の幸や田畑の幸を奉納します。お酒もまた、お米から作られるものです。

そう言った事情を考えると、実りの秋のこの季節は、大いなる神とのご縁を頂ける時期でも有ります。年に一度、お正月にお参りをすいる・・・だけでは、もったいないお話と言えるでしょう。

そんな訳で、実り行く稲穂を目にするこの頃、思い出す事が有ります。

昔、財布を買おうとした時期が丁度、秋時で、秋の財布は飽きる・・とか言って良く無い・・と聞いた覚えが有り、財布は、正月以降の春に買う物だ・・と聞いた事があった・・。春までは、待てない・・。財布が破れてしまいこのまま敗れた財布では、お金が益々出て行ってしまう・・。縁起が悪い・・。しかし、秋に買うのもな~と悩んでいた時の事、神様が教えて下さった事が有りました。

以下、教えて頂きました事を、私なりにご説明をしましょう。

秋は、実りの秋だから秋に買っても良いとの事です。スーパーなどのレジの場で、黄色い財布を持っている方をお見かけする事が良く有ります。あ~風水か・・。と思うのですが、山吹色は、実りの色・・お金を表す色でも有ります。確かに、間違ってはおりませんが、財布の扱い方を間違えると意味が有りません。山吹色の財布・・・お持ちの方、お金・・・溜まりましたか?

財布には、財布癖・・が有ります。有ると言うよりも人が癖を付けるのです。もし、お金を貯めたいので有れば、または、多くのお金が入って来る様にするので有れば、良い財布癖を付ける必要が有ります。

その方法は、買った財布に1万円札を、先ずは入れ使わない様にします。約1ヶ月くらいはそうすると良いでしょう。そして、使う必要が有れば使っても好いのですが、また、必ず1万円を切らさない様に入れておきます。その財布に入ってくるお金の単価を1万円に単位にします。お金の単位の癖を付けます。

財布を買って、千円や小銭しか何時も入れないとその財布には万円札が入って来ない・・・そんな癖が付きます。また、むやみやたらと出費をしてしまうと、万円札は入って来ても直ぐに出て行ってしまう・・。お金の留まる事の無い癖が付いてしまいます。

財布を買った時に、この財布は、お金を貯める為の財布だと意識をし扱います。普段の買い物をする為の財布は、別に小銭入れ・・として、千円単位くらいから別に用意をすると良いでしょう。普通に考えても、つい財布に大きなお金が入っていると、有るのだから・・・と思い、つい油断をし余計な物を買ってしまうのもです。

また、貯める為の財布には、レシートなど買った証の物を入れない、クレジットカードなどは入れない・・・(クレジットは結局は借金カードですから)。神社などのお金が溜まる・・などの縁起物を入れるのも良いですし、五円・・(ご縁)を入れる事も良いでしょう。

また、お金を貯める財布は、安い粗末な物では駄目です。出来れは、ワニ皮・・・(食いついたら離さない)や、トカゲ皮・・(尾が切れても又生えて来る)や、蛇皮・・・(お金の眷属)など、少し無理をしてでもそうする事によって、財布の価値に似合った単価のお金を入れる意識と自然と成ります。

お金が入って来る・・。先ずは、入って来たお金を出来るだけ出さない・・使わない事が大切で基本です。さっと万円札が直ぐに出せるデザインの物よりも、取り出しに難儀をするくらいの財布の方が良いでしょう。また、カードを入れるならば、預金カードにます。

そうやって、財布にお金の溜まる癖と自分の意識改革を持つ事が何よりも大切です。財布の色は、黒・・・が良いでしょう。風水によるカラーでもOKです

そんな事を、神様は教えて下さいました。

お金を増やす・・それは、一攫千金を望むよりも、懸命に働き得た大切なお金を無駄にしない・大切にする事を意味します。益々、厳しく成るだろうこの先を、イザ・・と成った時に、役立てる・・。自分を救ってくれる・・。そんな価値あるものとする為のものですから・・。

先ずは、早速、試してみては如何でしょう・・・。

もう、一つ・・。物事には、相対性の原理が有り、全ては、エネルギーの存在で有るとも言え、同類の物・・者・・物事・・・全ては、引き寄せ合い結び付き、相対性の位置に収まります。故に、そうやって、こつこつと頑張っていると、お金はお金を引き寄せるエネルギーへと変わって行きます。反対も有ってしかるべき・・とも言えます。

頑張りましょう・・・。

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・執着をしない・・その1

2012-09-12 23:54:56 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・執着をしない・・その1・・過去・未来に執着しない。

  朝夕、すっかり秋らしく成って来ました・・。季節の移り変わりを普段、人は、暦で知り得て感じている様に思うかもしれないが、それよりも、五感で感じているらしい。

聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚の総称によって知る事と成る。

夏場、主役だった賑やかだった蝉時雨の鳴き声も、今は、夜に鈴虫やコオロギの涼やかな音色を聞く事と成り聴覚で感じ、朝夕の温度の低下を肌で感じ(触覚)、日の出や日の入りの光の有り様の時間差を視覚で感じている。

花屋の店先を飾る花の入れ代わり・・ふと目に留まった道端に咲く草花で・・スーパーで並ぶ野菜や果物や魚の変化によって、時には、何処かの夕食の秋刀魚を焼く匂い(臭覚)・・などからも季節の移り変わりを感じる。

忙しく流れ行く社会の時間の中で、私達は、今日、やるべき仕事や計画・・など、追われる様に生きている・・・そして、知らず知らず時間や暦のみに有らず、五感によって季節の移り変わりを知る事を忘れそうに成ってしまう。

そんな移ろい行く・・・流れる時間の中に、今が現在が有り、自分が存在している・・。そして、自分が移ろい行く自然の中の一部に過ぎない事を無意識の内に、何処かで感じるのだろう・・・。

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自分の一生に与えられた時間・・それには限りが有る。今のこの時を現在と言う・・。現在を中心に、過去が有り未来が有る・・。しかし、過去も未来も幻にしか過ぎない・・・。確実に、存在しているのは、今・・・の時・・・瞬間である。

時に、人は過去に思いを巡らせる事が有るが、それは夏場の夜空に見たあの美しい花火の様なもので、その時に幾ら感激をし幸せを感じたとしても今と成っては、薄れてしまう感情で有る。

それは、過去が、幾ら満たされ豊かで幸せだったとしても、今がこの時・・この瞬間が満たされ、幸せだと思う事が出来なければ、何の価値も無い空しい思い出と成ってしまう・・。今が満たされていてこそ、過去の幸せを感じる事が出来るものである。今が、苦悩に満ちたもので有れば、過去は空しいものへと変貌をしてしまう・・。

何ら変わり得ない歩んで来た人生(過去)さえもが、今の状態によって変貌をしてしまう・・。それほどに、今のこの時・・・この瞬間と言うものは、大切なものである。

未来・・・これも、また、幻にしか他ならない・・。将来の夢や目標を思い描き計画を立て、日々の努力を怠らない事は、無論、大切な事では有るが、その計画は、悪までも慎ましく日々(今日)の努力の積み重ねを根源とした確かな階段を一歩づつ歩むもので無ければ意味が無い。

漠然とした空想にも近いものだったり、明るい楽しい幸せな未来ばかりを描いもので有れば有るほどに空しい幻にしか成らず、己を支えるものとは成らない・・。また、それが物やお金(物欲)や権威欲などの欲に塗れたもの成らば、なお更に空しい結果を招く未来と成るだろう。

先に言った、日々の努力の一歩づつの積み重ねは、今日この時の積み重ねが有ってこそ、確実な未来と成り、直ぐ先の瞬間・・へと移行する。

漠然とした或いは、欲の伴う未来を思う時・・・人の心は、不安にしか辿り着けない・・。そう言った未来へ思いを巡らし執着をしては成らない。

今のこの時(瞬間)が充実し満たされたものでなければ、決して良い未来はやって来ない・・。現状が今が苦しく宜しく無い状態ならば、なお更に今を大切にしなければ成らない。

「この世は、無常で有る・・・。常に物事は変化する・・」これは、釈迦の言葉であるが、現在ばかりに有らず、過去も未来も常では無い事を言っている。

確実に歩み終わった変わりの無い過去さえも、今の心持ち(心魂)の状態で変化してしまいまた、未来さえも、変化してしまう事を言っている。

また、幾ら先を未来を思い描き巡らせても自分の思う様には物事は成らない事も言っている。災いや世の中の変化や関わる人との関係によっても変わって行く・・様を釈迦は言っている。

今のこの瞬間・・時間が、過去を未来を変えてしまう・・。それは、今の心魂が満たされているかどうかの事を指す。それは、過去に執着せず、未来にも執着せず、今のこの瞬間・・時間を充実したものへと己の心魂を導き行動をする事に尽きる。

そうすれば、過去も良きものへと変貌し、未来も良きものへと変わって行く。

或る時の事、今の現状を仕事の事を思った時に、「何としんどい事だろうか・・・。こんな事に成ってしまって・・・。本当だったら、今頃は、のんびりと過ごす事も出来ただろうに・・。」と過去を思い・・「この先・・どうなるいのだろうか・・・?明るい未来など私には無い・・・」と、疲れ切った体を横たえ暗いため息を付いていたら、釈迦が、現れ物申した。久方ぶりである・・。

「一個のおにぎりを目の前にし、あ~昔は、もっと旨い物をたらふく食ったのにな~とか、未来永劫・・自分は、こんなものしか食べれないのか・・・と落胆したり、将来は、贅沢三昧に旨い物を食べてやる・・・などと思い、おにぎりを頂くよりも、頑張って働いたから、お腹も空いた・・何と美味しいおにぎりだろうか・・と、満足し感激する事の方が大切である。その安穏とした心の安らぎこそが大切で有り、その心の安らぎこそが、一歩づつ歩み登り行く幸せの未来の階段に繋がって行く・・。未来が開ける・・」

そんな事を言われた・・。

過去に執着せず、遠い漠然とした未来に執着せず、今を現在を今日を、明るく安穏と安らかに過ごす事が何よりも大切で有る・・。

失った過去への執着・・・まだ来ぬ未来への執着・・・これらの執着は、元を手繰り寄せて見れば、大抵は、己の欲にたどり着くものである。

そう・・・釈迦は、お見通し・・である。私は、多くを失った過去に、拘り執着をしていたのだ・・。そして、漠然と将来を思い落胆と不安を感じていた・・。

きっと、今日、精一杯頑張って働き、誰かの役に立ち、誰かが喜んでくれて、それで一日が終わりる・・・。

家に帰り、一杯のビールが旨かったり、他愛も無い話をし家族と一緒に食事をしたり、お風呂に入って「あ~極楽・・極楽」などと、年寄り臭い言葉を発してみたり・・・の、ちょっとした幸せ感・・・そんな事が、安らか・・幸せ時・・と言えるのだろう・・。それが、とても大切だと、釈迦は言っているのだろうと思う・・。

人が思い悩む多くの事柄は、物やお金や人との関わりなど自分の思う様に成らない・・現状が、ほとんどの事で、それは、自分の欲による執着にしか他ならない・・。過去を未来を思った時にも、同様の事が言えるのだろう・・。

次に、釈迦は、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」とも言われた。そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・。

この事に付いては、次回にご紹介をしましょう。

その現状を思い巡らした時に、さらに、「なるほど・・・」欲深い・・執着者の私は、気付く事と成った。

つづく

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・その日は突然やって来る・・・3

2012-09-01 05:00:16 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・その日は突然やって来る・・その3

◎ ある日、突然に導かれ・視せられ、その通りのもが有って、受け取った大切な神からの預かり物・・・それは生涯の終わりまで預かる事に成る・・。その意味や重みは後々に思い知らされる事と成るが・・・・その時には、不思議な出来事に・・ただだた驚きと戸惑いが有った・・そして、気掛かりを抱えたままに・・暗い山道を歩いて降りて行った。

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帰り道は、大方に暗く成ってしまい、誰も居ない山道を二人で降りて行った・。あの暗い山道が・・・見えないはずの山道が・・どう言った訳か、自分達には良く見えた・・。

山道を降り切って、駐車場に付いた時には、もう9時頃の時間と成ってしまっていた・・。気掛かりな事をいよいよ持って、友達に告げなくては成らない・・。困ってしまった・・。

しかし、言うしか有るまい・・。「○○さん・・もう、車のガソリンが全く無いんよ・・。来る途中に気が付いたんやけど・・時間、無かったし・・・」と、恐ろる恐ろる話してみた・・。

麓から登って来る時には既に大方、ガソリンは無かった・・・。登り始めて直ぐに赤いランプが付いてしまい・・・「こりゃ・・駄目だ・・」と、思った。なので、もう、一滴のガソリンも無いだろう、、。

今から帰るにも帰れない・・。宿泊設備らしい物がこの場所には1軒くらいは有る様だが、今更、突然には宿泊は無理だろうし、持ち合わせも無い・・。例え、山を降って行ったとしても、山の麓に確か一軒有ったガソリンスタンドは、この時間だし田舎だから既に閉まっているだろう・・。今夜は、ここにでも泊まって、明日の朝、明るく成ってから考えるしか無いだろう・・。

きっと友達は、また、怒り出すだろう・・・。疲れているし・・気が付けばお腹も空いている・・。覚悟を決めて話した・・・その返事は、意外なものだった。

彼女は、意とも簡単に、怒る事も無く「大丈夫よ・・・降りて帰ろう・・・」と、あっさりと答えた・・。「え・・え・・降りて行ってもガソリンスタンドはもう閉まっているし・・」と、言いながらも、こう成ったら仕方が無い・・と思い降りる事とした。

今から考えてみれば、彼女で無くても、あの場面では、普通は誰もが怒るだろう・・。が、あっさりと答えた彼女・・・。あの時点でもまだ、彼女に神は付いていたのだろう・・。だからこそ、あっさりと帰ろう・・・と言った言葉・・それは、確信を持った答えだった・・。

イザ・・覚悟を決めて坂道を降り帰る事とした・・。

勿論、ガソリンは無い・・。その為、エンジンを切ったままに、坂道を下って行った・・。全く持っての急な坂道で・・車は、止まる事無く、ブレーキを踏みスピードを調整しなければならないほどだった・・。帰りながら、これほどの曲がりくねった急な坂道を、来る時には、1時間も掛からず、よくも登り切ったものだと、改めて神懸りの凄さを思い知った・・。

車は、どんどん降って行った・・。そして、とうとう麓までたどり着いた・・。「もう、これ以上は、進め無く成ってしまうだろうな・・。止まった所で、車の中で一晩、過ごすしか無いだろう・・」そう、思った時だった・・。

すっかり寝静まった麓の村・・・進む方向の左側に、煌々と光が灯っている・・。「ガソリンスタンド・・・だ!この時間に・・・まさか!・・」開いていた・・。信じられなかった・・。が、確かに、開いていた。

車は、まるでここまでたどり着く事を目的としていた様に、す~と、ガソリンスタンドに吸い込まれる様に入り、止まった・・。これ以上は、平坦で、進む事など出来ない・・・、そんな処だ・・。それにしても、どうしてこの時間に、ガソリンスタンドが開いていたのだろうか・・・?考えられない事だった・・

しかし、その答えは、直ぐに分った・・ガソリンスタンドの店主が、長電話していた・・。たまたま・・その為に、開いたままに成っていた・・。店主は、意外な時間に、たまたま入って来た客に、慌てて電話を切って、現れた。

その様子は、めったにしない・・いや、ほとんどしない長電話・・・。話が長引き・・電話口から離れられず店を閉められず・・かと言って電話を切るタイミングにも困っていて・・これて電話を切る事が出来、おまけに客も来てくれてラッキー・・・。そんな感情が伝わって来た。

ラッキーだったのはこちらの方で有る・・。しかしながらこれは、ただのラッキーでも偶然でも無い・・。神の成せる業である。神の意図する時間合わせ事合わせにしか他ならない・・。友達の意図も簡単に「帰るよ・・・」の言葉の意味がここに有る・・。

静まり返った麓の村・・明かりが消されたガソリンスタンドを後にして、私達は、帰り道へと急いで車を走らせた・・・。

 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導き・・その日は突然にや・その日は突然やって来る2

2012-08-26 02:08:32 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・その日は突然やって来る・・その2

◎ 不思議な出来事・・・そんな事に遭遇すると、考え方も生き方も変わってしまう・・・そして、戸惑い悩み思考する・・神や御仏の存在を思い知るこ事と成る・・悟らなければ成らない・・・決して甘くは無い神仏道を歩む事と成る・・。その始まりの出来事・・・導きだったのだろう・・。

~~~~~~★~~~~~★~~~~~★~~~~~~

ロープエイは、静かな山間を登って行く・・・。到着だ・・。

目的の場所は、きっとこの山の頂上だろう・・。この山の頂上には、誰もが知っている神の象徴の○○○の像が有るらしい・・。そこまで暗くなるまでに辿り着くと良いのだけれど・・・。急がなければならない

頂上まで続く山道は、思ったよりもなだらかだった・・。そして、もうこの時間に昇り降りをする者は誰もいない・・・。自分達だけである。どう言う訳か、導かれる時は、何時も誰も居ない時間と成ってしまっている・・・。

なんやかんやと、また友達の話が始まり、その話を聞き流しながら細い山道を登って行った・・。

どのくらい登って来たのだろうか・・?道が二つに分れている箇所に出くわした。恐らく、真っ直ぐ行くと頂上にたどり着くのだろう・・。もう一つの道は、さらに細い道で誰もこちらに進む者はいないだろう道である。

その二股の近くには祠が有った・・。二人は、当然の様に、その祠に手を合わせお参りをした。その直後、「あ~そうか、進むのはこちらの道なんだ・・・」と、導き閃きの様なものを感じた。恐らく、あの祠の神が教えてくれたのだろう・・。すると、既に、友達には神が降りて来たらしい・・。「○○さん・・・こちらよ・・」と、当然の様に、私の閃きの方向の道を進み始めた・・。普通では無いものを感じた。

二人は、確信の道を進んで言った・・。やがで妙な箇所にたどり着いた・・。もう道が無い様だ・・。そこは、大きな岩が寄り添い聳え立っていた。手を合わせ祈る・・。するとその岩は魂を得た様に、姿を変えて行く・・。友達は「凄い・・・」と言いながらも落ち着いて居る・・。

さてさて・・これからどちらに進むのだろうか・・?目的の場所は、ここでは無い様だ・・・。何と無くその事に納得をしている・・。すると聞こえてきた・・。「さ~どちらに進むかの~?」・・・どうも試されて居る様だ・・。そう言われても・・・周りを見渡しても何も何処にも道は無い・・。「ん~困った・・!」すると、既に友達は、道らしい道を見つけたらしく・・「○○さん・・・こっち・・こっち・・・!」と言っているが姿が見えない・・。「水よ・・・水を探さんと・・いかん・・・」と、言いさっさと進んでいる・・。「やっぱり付いているな・・・」と、思った。

声の方向に進んで行く・・・・。先を、さっさと進む友達・・・。せかされる様に追いかけかけて行く・・。たどり付いた場所・・。そこには祠が有った・・。その祠は南向きに有って、見晴らしも良く、遠くの山々が良く見える・・。そして、その祠の後ろには湧き水が有った・・。

良く見てみる・・。恐らく、お告げを頂いた場所はここで間違いが無いのだろう・・。そう思いながら、更に良く見渡し視てみると・「視たまま・・や・・。ここ・・ここで間違いが無い・・」お告げで視せられたそのものの箇所が有った。しかし、そこには肝心の印が無い・・。「無いんよ・・印が・・見つからん・・」・・・「どうしたらええんやろうか・・・」この先、どうするのかが分らない・・。

祠を目の前に手を合わせる・・。しかし、何をどうすれば良いのか・・何も変わらなかった・・。

すると友達が、「こいつが・・これが、邪魔をしとるんよ・・・」と言うと、どこから見つけた来たものか・・杖の様なもので、祠の前に根付いて咲いていたアザミの花を、根元から退けはじめた・・・。そこには、他には何も無いと言うのに、アザミのとげとげしい花が一株・・・意志を持っているかの様に咲いていた・・。その姿は、あのとげとげしい様相で、何かを守っている・・そんな様子にも見えた・・私も一緒に成って、そのアザミを取り除いた・・。

そのとたん・・見えて来た・・。神のお告げで視たあの・・・印・・が、はっきりと岩壁に浮かんできた。「見えた・・・見えた・・はっきりと・・。これ・・これや・・。」と、興奮をし叫んだ・・。

すると、スサノオ尊が私に降りて来た・・。呪文を唱えると、いきなりそこの湧き水をかき混ぜ勢い良くその水を、或る箇所に向って掛けはじめた・・。すると、「ゴオーゴオー・・」と水か唸る音を立て始め・・その音は、しばらく止まなかった。それは、何とも不思議な音色で、表現が出来ない音色だった。

そして、南向きに向うとさらに呪文を唱え、太陽神に向かい大きなポーズを取る・・。私は私で有りながら既に、私では無い・・。一体、何と言う事をしているのだろうか・・?と思いながらも、その意味はちゃんと理解が出来ている・・。その瞬間、太陽神からの光が私達とその神の祠に差し込む・・。何ともす様しい神々しい光である・・。

その瞬間、私は、確かに、この場で、お告げて言われた神からの大切なものを受け取った・・。このものは、私の人生の終息まで預かる事と成る事・・。そして、このものを、この世で大いに人と世の為に役に立たせる事に使う事・・。悪しき使い方は出来ない事を一瞬にして聞かされ悟った・・

その時・・友達はと言うと、「あれ・・・見て!虹色に・・神々が輝いて居る・・・。綺麗・・・凄い・・・○○さんも、早よう見て・・・」と、先ほどのそびえる岩壁を見ていた・・。私は、早くそれを見ようとしたが、頭をどういう訳か持ち上げる事が出来ず・・やっと持ち上げ仰ぎ見た時は、大方に神々の姿は消えようとしていた。それでも、その物凄い神々しい輝きの静まり行く姿をはっきりと見たが・・・ほんの僅かな時間で・・・なんとも残念としか言い様が無かった・・。

その時は、自分はまだまだ至らないから、見させて貰えなかったのだろう・・と思っていたが、今に成ってみれば良く分る・・。私の立場は、ご利益を自分が頂く立場では無く、神仏と一緒に成り働き、人にご利益を与えるべく立場で有るから、あの時、まるで頭を押さえ付けられていた感覚が有ったのだろう事。そして僅かに見せて貰った事は、あの時の不思議な出来事の確信をする為の意味が有った事が分る・・。

あの時に、お預かりした大切な神からの贈り物は、その後、おおいに役に立ち不思議の力を発揮した・・。そして、今も大切にお預かりしているが、肝心な時に使う事しかしない・・。むやみやたらと使うものでは無いからだ・・。

それにしても、私は損な役割であるとつくづく思うが、仕方有るまいと納得をしている。神仏の手足と成り役に立つ事・・・それは、人の状態が良くなり人の幸せと喜びを自分の喜びとする・・それが、神仏の意とするところだから、自分もそう有るべきなのだろうから・・と思っている。

無事、目的を果たし私達は、急いで山を降った・・。帰りはロープエイは無い・・止まっている。自分の足が頼りと成るが、もうすっかり夜の域に差し掛かってしまった。細い山道を月の明かりを頼りに降りて行った・・。

友達は、もの凄い不思議なものを見た為も有って、かなり機嫌が良かった。しかし、私には気掛かりな事が有って、その事が頭から離れず、降りながらも如何したものか・・困ったものだ・・・と思案に暮れていた。

つづく・・・

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導き・・その日は突然にやって来る・・その1

2012-08-20 05:26:57 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・導き・・その日は突然やって来る・・その1

◎ 最初は、訳も意味も分らず・・・その日は、突然やって来る・・。敢えてその場所の名は控えさせて頂くとして、突然にある日・・行く様に言われた場所が有る・・。大切な或る物を受け取りに来る様にとの神の導きである。

~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~~

例の如く、また、友達・・・相棒と導かれるままに、その場所に出向く事と成った・・。

例の如く、またまた、お弁当を作って飲み物とチョットしたおやつを持って・・例の如く出立の時間も予定よりも遅くなってしまい、導かれた場所に出向く事と成った。

途中、何時も通り、途中休憩をしお弁当を頂く・・・。そしてまた出立をする。今回も、やっぱり遠い場所で、はじめて出向く場所である。この頃は、まだ、友達は機嫌が良い・・何時もの事だが・・。

なんやかんやと話をし、自分が運転をする・・。途中、道が分らなく成ってもどういう訳か、行った事もない場所でも、友達が「こっちこっちよ・・」と言いながら確実な道筋に辿り着く。

今回も神が祀られている有名な山の場所である。が・・・。山の麓で足止めを食らってしまった。もう3時を過ぎてしまった・・。麓の道筋の看板に、4時まで通行止め・・の看板が立て掛けられていた・・。

何てこった・・。寄りによって・・この日に・・この時間に・・・困ったものだ・・。折角、遠くからここまで来たと言うのに・・・何と運がついていないんだろうか・・」大きなため息と共に気落ちしてしまった。

と・・・やっぱり今回も友達の機嫌が悪く成ってしまった。「なんでこんな事に成るんよ・・・○○さんと出かけると何時もこ~やから・・。もう少し早く出発していたらこんな事にはならんのに・・・」と、言うと相当に機嫌が悪く成ってしまった・・。「また始まったか・・神の時間合わかもしれん・・・・」と、思う・・・。言われても仕方が無いのは確かだが・・。

友達の文句から逃げる様に車から降りて、これからどうするか・・・を考えてみる・・。すると、後を追う様に、友達も車から降りて来て再び文句が始まった。

4時に、ここから山の入り口まで行くには、この車(軽四)だと1時間半は掛かるやろう・・。登り坂やし・・・山のロープエイの運行時間は5時までやから・・。もうその時間には間に合わんし・・・どうするんよ・・」

全くもって困ってしまった・・。神聖な場所に出向く途中には悪しき領域が有る・・。この場はもしかすると、そうかも知れない・・。そう思い周りを見渡す・・。あまり良い空気感では無い・・。「やはり邪魔が入ったか・・。」と思った。

相当に考えた・・。「導き・・・それには意味が有る・・。必要だからこそ、この日、この時間に導かれたに違い無い・・。あの瞑想で視た場所とそこに有る印・・が、必ずあるはずだ・・。大切な○○○を受け取りに行かなければ成らない・・。信じよう・・・。神を御仏を・・。導かれた事を・・・。ここまで来たのだから・・。何が何でも帰る訳には行かない・・。」

そんな決意をし、友達に「とにかく・・登るから・・。導かれたんやから、何が何でも、先ずは、ロープエイまでは行く事にするから・・・」と、告げた・・。

それからも、随分と友達の文句は続いたけれど、やっと4時がやって来た。

「○○さん・・。危ないから、後ろの席にお乗り・・。飛ばすからな・・。必ず、5時に5分前には、行って見せる・・。ロープエイの時間に間に合う様にするから・・。覚悟して後ろに乗っときや・・・」と、言うと、友達は、慌てて後ろの席に乗り込んだ・・。

さ~出発や・・・行くぞ!」決意をした時に・・誰かが、私に降りて来た。

頼む・・」と私は言うと・・・その言葉と共に、猛スピードで車が走り出した・・。自分では無い・・誰かが、運転をし、もう一人の誰かが道案内をする・・。

曲がりくねった道筋・・離合の出来ない狭い道幅・・・急な上り坂・・・そんな道を、猛スピードで走り抜けて行く・・。ここは、もはや別世界の感覚である。

背中が燃える様に暑く成る・・。これは一体誰なのか・・・?不動明王である・・・。その事が、有り有りと分る・・。先々で、物申し・・案内をするのは役行者で有る・・。「お~来たか・・有り難い・・」と思う・・。先の道が映像に成って見える・・。現状では、進む曲がりくねった道の先は、全く見えない・・。しかし、進む道の先がどう成っているのかが・・自分にははっきりと視えている・・。

役行者・・・そのお方は、山の達人で有り、実在した人物で有る。日本の多くの山々に神仏を祀っり神仏を降ろされた豪いお方である。普段にも良く現れる・・。

霊峰石鎚山に登った際にも現れ遭難しかけた際に導かれた事も有る・・。日常でも良く現れる・・。道を車で走っていても、前の車がどちらに進むか・・・などとクイズの様なやり取りをしてみたりもしている・・。常に名を呼び頼りにしている・・。

いつぞやは、山登りの訓練だと言って近くの山で共に修行らしきものをした事が有って、方向音痴の私はやっぱり道に迷ってしまい・・困っていると、何かしらないが、誰から山中でラッパを吹いていて、その方向に進み道に出たりした事も有った。「何でこんな所で、ラッパ吹いているんやろ・・?でも助かった・・わ・・」と不思議な偶然を感じた事も有った。多分、向こうも「何で、こんな所に、人が急に現れるんだろうか・・?」と思った事だろう・・。

そんなこんな事・・色々含めてお世話に成っている・・。事、山に関しては達人で、もはや神・・と言える存在で有る。山登りに出かける時・・・山に迷った際は・そんな時にはその名を呼ばれると救いに来て下さるでしょう・・。厳しくも優しい・・・まるで山・・そのものの様なお方で有る・・。

さてさて、先の全く見えない急な坂道・・・それは、大方にその状態は続く・・・、背中が暑い燃える様だ・・・荒々しくも豪快でパワー溢れる不動妙王・・・。「そう言えば、不動明王は背中に燃える火を背負っていたな・・」そんな事も思ったりしながら、全く先の見えない道筋を走りながら・・自分自身は・・「恐ろしい・・・!」と、一言の心持だけれども、全くもって動じない・・不動妙王・・。この二方の考えられない不思議の力・・で、私は、目暗同然の走りをし、車の速度メーターを見る事も余裕も無く・・それでも、言った通りに5時に5分前にロープエイの場所に到着をした。

友達はと言うと、車の後ろの席で、まるで芋が左に右にと転がり跳ねる・・そんな様子にそっくりで、すっかり恐怖で文句も言えず、後ろの席の持ち手に縋り付いていた。それでも車酔いする事も無くよろよろと車から降りて来た・・。

「5分前に着いたよ・・・。私は、乗るけど・・○○さんは、どうするの・・?」と、聞くと・・「乗るよ・・」と、勢い込んで言った。

二人は、急いでロープエイに乗った・・・。上に登るほどに友達の機嫌はかなり良くなった・・。「あ~~綺麗・・気持ち良い~」の連発を繰り返していた・・。確かに風景は良かった様にも思うが、彼女の言うほどには無い様にも思った・・。感銘を受けているそんな彼女の姿を見て・・不思議に思った・・。

それにしても、驚いたのは・一時間も経たない内に、ちゃんと言った通りの時間に着いた事だ・・・、これを神業・・と言うのだろう・・。5分前には着く・・と言い、約束を守ったのは、私では無く、不動明王だった・・。

もう、二人以外に昇り降りする者は誰も居ない・・・ロープエイは、二人を乗せて静かな頂上を目指し登って行った・・。

つづく

 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導かれるその4・・神の船着場へ行く・・

2012-08-18 13:07:00 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~不思議な出来事・・神の船着場へ行く・・導かれる4

  神の船着場に出向き、2隻の神の船が出港をした・・あの不思議な出来事・・。あれから・・かなりの年数が経過をてしまった。胸を弾ませ降って行った山道・・・。あれって、一体何の意味が有ったのだろうか・・?。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

あの時、これで自分は救われる・・多くの困難の渦中に居た自分は、これからは全てが順風満杯で思う様に事が運び全てが良くなる・・・そう思い込んでいた。

が、現実は、全くもって反対で、益々、状況は悪化し弱り目に祟り目・・・これでもかと言った具合に、悪い事が弾みを付けて押し寄せて来る・・。何のこれしき・・・と頑張ってみても、いや頑張るほどに裏目に出てしまう・・。

それは、頑張れば報われる・・とまでは行かなくても、ある程度の良い結果が齎されるのは当然・・常識・・・そんな粋を遥かに超越した事ばかりが起きる・・。首の皮一枚・・と言った状態がかなりの年数続いた・・。死なない程度の救いの手が差し伸べられる・・・。そう言った状況だった。何故なのだろうか・・?如何すれば良いのだろうか・・?思考の粋を超えてしまった・・。

四方八方塞がり・・・と言う言葉が有るが、私の場合は10方塞がりである。

四方八方は東西南北・・・自分の周辺を表すが、後の2方・・とは、天と地獄を表すものである。

目覚めた当初、色々な神仏や守護霊などが次々と現れ教えてくれた沢山の事柄・・。天の事・・神々の事や死後の事・・そして地獄の意味・・・など、それは懸命に働く中で、「忙しいだろうから・・働きながら聞くが良い・・・分らぬ事は質問せよ・・」そんな感じで次々と教えられ見せられ体感させられて来た。なまじっかそんな事を知ってしまえば、安易に死ぬ事も出来ない・・。

全く持ってえらい世界に首を突っ込んだものだ・・と思い知らされた。生きるに生きれない・・・死ぬに死ねない・・・身の置き場も無い・・心魂の置き場も無い・・。絶望の中をただただ生きて行く・・。人は絶望の中では生きられない・・。それでも生きて行けた理由は・・?その事は何れ話すとしよう。

そんなある日の事、とうとう、質問に答えてくれる日がやって来た・・。なかなかと言うか自分の至らなさ・・欲深さ・・故に教えて貰えなかったのだろう。が、やっと答えてくれた事・・・。

それは、あの2隻の神の船の事である。「あの2隻の神の船・・・私は、乗ったはずなのにどうしてこうも物事が上手く行かないのか?それ所か、こうまでも悲惨な目に合うのか・・?あれは一体、何たっだのだろうか?如何なっているのか・・?」と言う質問だった・・。難儀の渦中にて、日々、問いかけた質問だった・・。

とうとう答えてくれた言葉・・・皿を良く見よ・・・」の言葉だった。皿・・・それは、あの神社でお祓いを受けた際に御札と一緒に頂いた、お供え様のお皿の事である・・。その皿を良く見てみて・・びっくり驚いた・・。「そうだったのか・・」そして、・・悟った。

そのお皿には、そこの神社のしるしが記して有った。そう、あの2隻の船にも有る、しるしで有る。大いなる勘違いをしていたのだ・・。そのしるしは、自分が思い込んでいたものでは無く、祠のしるし・・・神のしるしだった。

そうだったんだ・・。あの船は、神のお助け船なんだ・・自分を救うものでは無く、世と人々を救う為のお助け舟なんだ・・」と、はじめて悟った。

欲を捨て切れない・・・欲深い自分は、大いなる勘違いをしてしまった。自分が救われる・・ものとばかり思い込んでいた。確かに、お人よしで、自分の事を放り出し犠牲にしても、人の事に目が行き手を差し伸べてしまう・・。その為に、酷い目に沢山合って来た事が多々有った・・。

「ここらで少しは救われても良いだろう・・」と・・心の何処かで思っていた。しかし、ほんのチョットでも微塵にも己の欲を持つ事は、この船に乗る以上は許されない・・事で有り、神仏と共に居る・・と言う事は、そう言う事で有るのだ・・と悟った・・。常に、自分以外の人の為を思い自分の事を考える事は許されない・・。己の欲は一切捨て切らないと成らない・・。そう言った場が船上に居られる条件と成る・・。が、人がそれに至るには相当の修行が必要だろう・・。

故に、どんどん落とされて言った・・。悟れ・・とばかりに苦難を背負わされた。働いて働いて・・体を酷使し・・夜には、体の関節の一つ一つが全部痛い・・風邪で高熱が出た時の関節の痛みの様なもので、痛くてい眠れない・・痛みで心も病んでしまう・・・。お箸と茶碗を持ったまま、座ったままに眠る・・食せない・・ままに眠る・・。もう、明日の朝には死んでしまっているかも知れない・・明日なんて来なければいい・・と思った。

が、容赦なく朝は来る・・。酷使して働く・・・。貧乏は底知れない・・。とうとう立ち上がれ無くなった・・。物にすがって立ち上がり・・気力だけで働きはじめる・・・。そんな日々が当分続いた・・。それでも人は死ねないものなんだな~とつくづく思った・・。

そんな有る日の事孟子の言葉に出くわした・・。神仏は、時として人を介したり書物を持って教えたりもする・・。

孟子の言葉は、全く持ってその通りだった。偉い難儀な目に合った事は同様で有る。ただ、大任を荷うほどの人間では無い・・。蟻の様に小さな働きしか出来ないだろう・・し、そんな野望も持ち合わせない。

その言葉は、下記の様なものである。

「天の将(まさ) に大任を是の人に降 (くだ) さんとするや
必ず先ず 其の心志(精神) を苦しめ 
其の筋骨を労(疲労) せしめ
其の体膚を窮餓 (餓え苦しむ)せしめ 
其の身行(行動) を空乏(空しく) せしめ
其の為さんとする所 (意図)を 
ふつ乱(散らかり乱れ) せしむ。
 
心を動かし(発奮させ)  性(性格) を忍ばせ(辛抱強くし)
其の能くせざる所 (できないところ)を 
増益(できるように) せしむ所以なり
人恒(つね) に過(あやま) ちて 然る後に能く改め 
心に困しみ慮 (おもんばか)りにみちて 
然る後に立ち上がる 
苦しみが色(顔色) にあらわれ 声に発して 
然る後にさとる
 
「天がこの人を、世の中の人のためにひと働きさせたいと思ったときは、
まず、その人の精神を苦しめるようなことを起こす。
酷な労働を強いて、疲労困ぱいさせてしまう。
それで投出すような人には、任せられない。
 
とにかく、食べられないような状況や、 収入が絶たれるような状況をつくってみる。
それに耐え、我慢できるなら、やってもやっても、成果が出ない状況に追い込む。
それでも志を失わないかどうかを見る。
 
いろいろと計画しても、全部うまくいかない状態をつくって、 それでも潰れないかどうかをみる。とにかく、 それでも頑張って辛抱強く、その出来ないというところを、出来るようにしていく。
 
そういう困難に打ち克ってこそ、いままで出来ないと思っていたことが、 出来るようになっていく。 人は間違いを起こして初めて、悔い改める。
心が苦しみ悩みに満ちて、初めてこれではいかんと、心を奮い立たせる。
 
苦しみが外からわかるほどになって、初めて悟るのです。
どこまで耐えられる人物であるかを、天が試しているのです。
とにかく試練を与えてみよう。
それでも這い上がってくるような者に、重要な仕事を任せる 
 
 全くもってその通りだった。
 
が、今と成って言える事は、多くの苦難が有ってこそ学ぶ事は多かった。そして、何よりもこの体感は、苦難の渦中に居る人の心が良く理解が出来る・・。
神・・御仏の愛や慈悲の御霊は、その人に先ずは寄り添う事からはじまる。多くの苦難の体感こそが、苦難や苦悩の渦中に居る人の御霊に寄り添う事が出来る・・・大切な条件で有ると知った。
寄り添う事・・・一緒に居る事・・・それは愛で有る。
 
 
故に、多くの苦難や苦悩は、私にとっては必要な事だったのだろう。感謝をするべきなのだろう・・。それらの経験は、世の中の事・・人との関わり・・・生きる意味など、全ての思考と・・見る目をすっかり変えてしまった・・。
 
つづく
 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導かれるその3・・神の船着場へ行く・・

2012-08-15 06:56:04 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★導かれる・・・神の船着場へ行く・・

 生きていると・・一生のうちには、考えられない不思議に出会い導かれる事が有るかもしれない・・私は、神と共にいて、神と御仏の手足と成り、世と人の為に尽くしたい・・・そう何時も願って来た。故に、導かれ、不思議に遭遇したのだろう・・。

しかし、その道は、想像以上に厳しい・・。卑しい野望を微塵でも抱いていれば、それは全て見抜かれてしまう・・。そして、与えられる苦難の数々の道・・・試される事柄・・厳しい修行・・・言葉に言い尽くせないものがある・・。

それに比べれば、少々、山を登る事などは大した事では無い。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~~

神懸りと成った友達は、私を案内し、どんどん進んで行く・・・。私よりも、10歳ほど年上で、普段、運動は全くしない労を好まない友達が、スイスイと私の前を歩いている・・。そう言えば、あの時もそうだった・・。(何れ、その時の不思議な出来事もお話しましょう・・)

そんな事を思いながら、確信の道へと更に登って行った。

大方、薄暗く成ってしまった・・。「このままでは帰りは、どうなる事だろうか・・?」そんな事やお腹も空いたし・・喉も渇いたし・・・足ももう引きつってきた・・。

あれほどおしゃべりだった友達も、すっかり口が重くなっていた・・。神懸りのせいだろうか・・・?それとも、疲れている為だろうか・・・?

そんな事を考えていたら・・・行き成り広い高台にたどり着いた・・。どうも、ここが行き止まりらしい・・。

あ~やれやれ・・・。」二人共に、大きな安堵のため息をつく・・。

高台からは、平野が良く見えた・・。そして空も・・・。

登り切った高台の正面には祠が有った・・。「あの祠は一体、何なんだろうか・・?」すっかり疲れてしまった二人は、休めそうな場所に腰を下し休憩をし、飲み物を頂き、やっと生き返えった・・。

落ち着いてから・・周りを見渡す・・。「船着場はここで良いのだろうか・・?」そうは言っても、不安は拭えない・・。

と・・その時、あのお誘い・・・導きで教えてもらっい視たもの・・・そっくりの場所が有った・・。

「○○さん・・・ここよ・・・これ!これを視たんよ・・これこれ・・・視たそのままや・・!」私は、疲れも忘れ興奮と感激で大声を出していた。

が、何の変哲も無い只の岩壁である・・。幾つもの石がまるで誰かの仕業の様に積み重なった・・・・そんな感じの岩壁である。

と、突然・・スサノオ尊が私に降りて来た・・。「しばらくは、ここで休む・・」というと、どっしりと腰を下した・・。

来たな・・・スサノオ尊・・・」と思った・・。人間だったら人格・・神様なら神格・・とでも言うのだろうか・・。スサノオ尊が大きな何かをする時に今までにも何回も現れている・・。正しく、男の神様で・・パワーは半端では無い・・・。豪快・・そのものである。

神又は御仏が降りる時・・は、直ぐ側に居る場合も有れば、我が身我が心魂に入る事が有る・・。我が心魂に入った時は、その神や御仏の神格を一瞬にして感じる・・。我が身に入った時には、不思議の力を興す時がほとんどである・・。以前にも話したが、容易には神仏は人の心魂には入らない・・。白き清き心魂のみに入られる・・。

私は、白き清き心魂を持っているかと言うとその自信は無い。しかしながら、何時も神仏の手足と成り役に立ちたい・・そう願っていた。その思いは今も変わらない・・。故に、多分だか、神仏が降りて下さるのだろう・・。

それにしても、すっかり暗くなってしまった・・。もう、夜・・の領域に完全に入ってしまった・・。なのに・・、スサノオ尊はのんびりと腰を下したままである・・。「どないなっているんやろう・・」と思う・・。こんな時は、心魂の一部には自分の意識も存在している・・。自分で有りながら自分で無い・・・と言った所で、表現は難しい・・。

一時経った頃・・。時間を見計らった様に、「さ~はじめるか・・・」とスサノオ尊が言うと、祠の前に立ち何やら呪文か祝詞か・・・?聞いた事も無い言葉を発しはじめた・・それは、早々に終わった・・。言わずとも分る事・・・。それは、その祠の神に許可を頂いたらしい・・・。この船着場の主・・番神なんだろう・・。

スサノオ尊が許可を得る・・・すると、真っ暗なはずの周辺が、明るく成ってきた・・。「何だ・・・?何かが始まる・・?」と、私は思っている。

やがて、岩壁が明るく成り、はっきりと見えてくる・・。その光・・・明るさ・・は、何処からのものなのだろうか・・・?分らない・・。表現が出来ない・・・。ただただ、幻想的で見た事も無い明るさである。

ただただ・・凄い・・としか言い様が無い。

岩壁がその明るさで浮かび上がり良く見える・・。様子が変わってきた・・。岩壁の下の部分には恐ろしい様相の物が幾つも両脇に現れる・・。あの狛犬の様に恐ろしい様相・・それ以上であろうか・・・。それは、悪しき者を寄せ付け無い守り神達で有る・・。上に行くほど現れる神々が変わり様相も変わってくる・・。一番高い位置には、それはそれは大きな天狗か千人の様な顔が現れる・・。

私達は、ただただ・・・あっけに取られ・・見守っている・・。

すると間も無く、その岩壁から2隻の船が徐々に現れた・・。大きな大きな船で有る・・。一隻の帆頭は、鳳凰の姿で恐ろしい様相・・と胸元の鱗か羽目の模様がはっきりと見え、それは船の下部分まで続く・・。そう、あの万円札に出ている鳳凰そっくりであるもう一隻は、帆頭が龍に成っている。胸元・・・それは、鱗・・に成っていて下まで続いている。

その二隻の船は音も無く・・静かに前へ前へと出てくる・・。尚も、光輝き、はっきりと見えて来る・・。すると、スサノオ尊がその2隻の船を引っ張り出し、海に浮かべた・・。神の海・・・それは、空で有る・・神の船は空に浮かぶ・・。ここから見える広い平野・・・。その上に神の船は浮かぶ・・。私達は、この船に乗っかるらしい・・・。鳳凰の船は神の船・・・龍の船は御仏の船・・である。共に、船出である・・。

説明は、無いがスサノオ尊が居るので言わずとも理解が出来る・・。

神の船は、夜に出立をした。振り返ると・・岩壁は、静かに段々と明るさを失って行き、普段となんら変わり無い様相に戻って行った。

私が、何時も手を合わせ祈り願っていた事・・神仏と共に居て・・神仏と共に・・この世と人の為に役に立ちたい・・・その願いを受け入れてもらう事が出来た訳である。

しかし、その道は、相当の苦難の道で、死を目の前に・・死んだ方がよっぽど楽で有る・・と日々思い知らされる・・が、死ぬ事も出来ない・・・そんな苦難が数年続く事と成る。その数年は・・数十年に値するもので有った。

或る鑑定士が、私に言った事が有る・・。「あなたの魂(心魂)は、80~90歳ほどの年齢と成っている・・何故なのか・・・?」と・・。無理も無い・・・。それほどに成るまでの苦難を受けたのだから・・。身を心魂を削る・・そんな処だろう。当然、容姿も変わってしまった・。まるで浦島太郎・・と言った感じで、数年前の面影は全く無い・・。年寄り・・・そのものと成ってしまった。

至らない自分は修行と言う道を歩まされる事と成っていた・。

その時は、そんな事も分らず知らず、ただただ、あまりの不思議な出来事に、魅了され興奮し、私達は起こった出来事をあ~だこ~だと確認しながら、興奮冷め切らずままに、心弾ませ、山を一気に下って行った。

普通ならば、これほどの不思議な出来事が有れば、前途洋々・・順風万班・・何事も上手く思う様に、いや、それ以上に成る・・そう誰しもが思うだろうだろう・・。が、全くその期待は裏切られる事と成る・・。神の意とする所は全く別のところにある。

それが分るのは、当分経ってからの事と成った。

安易に船を出し乗っかるものでは無い・・。厳しい物事・・人生が待っている・・。

重要なお知らせ

このブログを、お読み頂き、この神社に心当たりがお有りの方もいらっしゃるでしょう。記載に当たっては、この神社の主・・神にお伺いを立て許可を得ました。その際に、申されました事を申しお伝え致します。

この船着場に来られる者は、決して小石一つ、土ひと掬い持ち帰る事は成らない。触る事も相成らぬ・・・。持ち帰る者触れる者には災い(罰)を与える・・しき心魂(野心・欲望)・興味本位で、或いは持ち帰りし者は迎い入れる事無かれ・・。心清く、世と人の為に尽くさんとする者は、この場にて、神を感じ視る事が出来る・・。神のご加護を得る事も出来よう・・。己の心魂の有り様を、確かめ知るも良し・・。

との事です。実際、私達が導かれお伺いをしました際は、お祓いを受け、触る事もせず、何一つ持ち帰ってもおりません。この事は、きつくきつく申し伝えておきます。お心得下さい。

神は、間違いなく意とも簡単に、罰を当てられる・・。その事は、確信を持って言えます。安易な行動を取られないように・・ご自分の為ですから・・。

それと共に、お伝えします事は、自分よりも人を重んじ愛を尽くされる方には深い大きなご加護を頂けます事も確かな事です。日本の神道・・御札・・は、たっだ一枚の小さな紙に書かれました文字に過ぎませんが、そこには大いなる神の御霊が宿り、お力が宿っておられます。清き心にて、真剣に御札を祀られれば、大いなるお導きと力を頂けます。それ程に、日本の神・・神道は有り難いものなのです。もし、出向かれます場合には、お祓いを受け、御札を頂きます事をお勧め致します。大いなるお力を頂けます。

つづく 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導かれるその2・・神の船着場へ行く・・

2012-08-08 04:14:29 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・導かれる・・その2・・神の船着場・・へ行く・・

◎ 神に導かれる・・・今までに、何回有っただろうか・・。その度に、考えられない不思議に遭遇し導かれ、与えられたもの・・それは、神の存在の確信と自分の役目を知る事・・。

何時の頃だっただろうか・・。まだ、目覚めて間もない頃に、観音様が現れ言われた言葉・・「疑う事なかれ・・。」と言われた・・。その言葉の意味は、これから出会う色んな不思議な出来事や不思議な力を・・そして、神や御仏の存在を・・・そして、こうして神仏と会話し導かれる事を指していた・・・。

そして、これから多くの苦難・苦悩をさらに迎え・・どん底・・死と直面するに居たるまで導かれて・・それでも尚も神を信じなさい・・と言う意味だった事は・・・等分経って分った事だった。

そんな事も知らず気付かずその当時、私と相棒(友)は、心弾ませ、導かれるままに、出掛けて行った。

~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~

今回、導かれた神様・・神社は県外であり、かなりの距離があり時間が掛かる。

何時もの事だが、早朝に家事を済ませ、仕事の用事も済ませ、手作り弁当を2人分作る・・。そして、お茶やコーヒー、おやつにバナナ・・などなど・・。まるでピクニックの様だが、こうでもしないと経費が掛かってしまう・・なので、仕方が無い・・。

早朝に出かけるつもりでも何時もの事だがやたらと時間が経ってしまい、結局は1時間以上の予定が出だしからはみ出し、狂ってしまう事と成る・・。

友達は、何時も手ぶらでやって来る・・。まめな方では無いから何もしないが、道中の経費などは全て彼女(友)が負担をしてくれる・・。別に、取り決めた訳では無いが、私に余裕が無い為に結果、そう成ってしまう・・。彼女は、何の文句も言わない・・。自分の役目の様に自然体で経費を荷ってくれる・。無理をしている様子も無い・・。

ただ、何時も大抵は、旅の途中で機嫌が悪く成る・・。それは、私の所為で、出だしから予定が何時も遅く成り後々、大変な思いをしてしまうからだ。

その当時は、自分がとろくさい・・ルーズだから・・と思っていたが、今、考えればやっぱり変で、どうも変で、相当に前から準備を始めても、結局、遅い出だしと成ってしまう・・。これは、出だしから神の仕組まれた事に他ならない・・。何故・・?かは、後ほど分るだろう。

そんなこんなで、最初は機嫌よく出かけ、途中、風景の良さそうな場所で、お弁当を頂き・・・なんやかんやと話しながら、私が運転をし目的の神社に着いた・・。

とたんに・・友達の機嫌がやっぱり悪く成る・・。

これから、あの長い階段を登って上に付いて、祈祷が出来る時間は5時やけど、もう、ぎりぎりやない・・間に合わんかもしれん・・。もう少し早く出かけていたらこんな事にはならんのに・・。」

何時も聞く・・・言葉とパターンである・・。こう言った時、私は、反論も出来ず、ただ黙っている・・。

そう言いながらも、二人は、階段を登り始めた・・。階段の左右にはお土産店が軒を連ねている・・。今日は、平日でも有り、もう午後三時を過ぎている時間でも有った為に物静かだった・・。

長い階段は、結構きつかった・・。

この神社に来るのは、これで3回目と成る。1回目は、小学生の1年か2年生の頃の正月で、階段の後ろも前も大人・・人ばかりで、背の低い自分は、足元と人の背中とお尻ばかりを見ていて、やたらとほこりっぽくて、相当に階段がきつかった・・辛かった記憶しかない。

2回目は、大人に成ってからだった・・が、子供の頃の印象と違い、「この階段・・もっと長くてきつかったはずなのに・・・結構、楽だな~」と思った。そんな印象しか残ってなかった。

あれから何十年?今、こうして階段を登ってみると、、今回は、結構きつい・・。老いていっている・・事を実感した。

友達は、良くしゃべる・・。何をしゃべっていたのか?記憶には無いが多分くだらない他愛も無い事だったのだろう。息をきらせながらしゃべるもので、ただでさえ息が切れそうなのに・・「よくしゃべるな~」なんで思った事は覚えているが、、、そんなおしゃべりのお陰で、階段を登る辛さも半減した様に思う。

残り3分の1くらいに差し掛かった処から、私に異変がはじまっ・・。やたらとアクビが出る・・。止まらない・・。連発で出るもので、お陰で、涙が止まらない・・。「やたらとアクビが出て止まらん・・のやけど・・。どしたんやろか?何か変なもん感じるわ・・・」

そう言っても友達は、平然と気にもせず登って行く。

そんな辛い思いをしながら、顔は涙でグジュグジュに成りながら、やっと鳥居へ辿り付いた。両脇に狛犬が居たので、狛犬の手を触り「お願い・・この睡魔・・魔を退けてください・・。とお願いをすると、とたんに睡魔がきえアクビが出なく成った。神社の狛犬は、悪しきものを追い払う番犬の役目を果している。

あの睡魔が始まった場所から鳥居までは、人の悪しきものがうごめいている。様は、人が煩悩を払いながら鳥居を潜っているのだ。払い落とした悪しきもの・・が、私に襲い掛かって来た訳で、これから始まる事の、邪魔をしていたのである・・。

神聖な場所・・そこに行くに当たっては、途中、人々が払い落とした悪しきエネルギーのうごめく溜まった場所がある・・。例えば、山登り・・・などでも同様の事が言える・・。登れば清々しい・・。それは、途中で悪しきものを振り払っているからだ・・。なので、癒しスポットだろうが神社だろうが山登りだろうが、甘く見てはいけない・・。悪しきスポットに嵌らない様にしなくてはならない・・。

さて、ようやく神社に辿り付いた・・。5時に、わずか5分ほど前だった・・。友達と二人、ぎりぎりにお払いを受ける事が出来た。

もう、周りにはほとんど・・いや、誰も居ない・・。さて、どうしたものか?

階段を登りながら、アクビをし涙をながしながら考えていた事・・。お誘いの・・この神社の主・・神様からのお導き・・「あれは本当だったのだろうか?あの視た場所は何処に有るのだろうか?」そんな不安を感じていた。

誰も居ない神社・・大きくて立派・・他にも建物は色々と有った・・が、船着場らしきものは何処にも無い・・。「なにやっているんだろうか・・しんどい目して]、ふと、我に返る・・。そんな事を思いながら、それらしい船着場を探してみても何も無い・・・。あの導きの時に見せられた光景・・の場所が無い・・。

これは怒り出すぞ~」と思った・・。友達の事である・・。

と・・・その時、「○○さん・・」と、私の名を向こうで友達が呼んでいる・・。

どしたん~・・?」と近寄り聞いてみる・・。

「船着場・・・こっちよ!」と言うと友達は、既にそちらに向って歩きだしていた。機嫌が良い・・良過ぎる・・・?その道は、境内から外れた場所にある細めの道で、ひっそりとした場所に有り、一般の人は気付かないだろう場所・・。地元の人しかしらない場所なんだろう・・。さらに上を目指す道だった・・。

当然、誰も居ない・・。曲がりくねった山道をどんどんスイスイ・・友達は登って行く・・。途中、幾つもの立派な祠に出会い、その都度、無事に神の船着場に辿り付けるように祈願をした。

それにしてもかなり歩いて来た・・。誰も居ない初めての場所で有り山道である。只でさえ、随分と階段を急いで登って来た為に、かなり疲れて居る・・。もう既に、子一時間以上この細い山道を登っている・・・。さらに、深い不安に陥る・・。

「この道で、間違いないのだろうか・・・?」と、不安もピークに差し掛かった時に、天より声がした・・。「お前は、大切な物は、何処へ納めるか・・?」と言われ・・閃く・・。「そうだ神棚・・だ清き神のもの・・・ならば、当然、高い位置に有ってしかるべき・・・。この道は、間違いが無い・・。」と確信をした。

前を見れば、友達は、相変わらず機嫌よく登って行く・・。気が付いた・・。

そう・・。友達は、神懸りと成り、私を案内しているのだ・・。私よりも、10歳ほど年上で、普段、運動もしない労を好まない友達が、スイスイと私の前を歩いている・・。そう言えば、あの時もそうだった・・。

そんな事を思いながら、確信の道へと更に登って行った。

つづく・・。

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