スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアルな出来事☆奇跡・・・愛で病気を治す方法を教えます。

2012-03-30 00:20:19 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事奇跡・・愛・・病を治す方法

〇治らぬ病を愛の力で治す(奇跡を起す)方法・・・その1

大いなる愛は奇跡を起こし、治らぬ病すらも治してしまう事が有ります。友達の病をヒーリング(手翳し)で治した事は、先日のブログで紹介をしました。その際、天よりの教えに従い手順を踏んて施した・・・と書いて有ります。また、愛・慈愛・慈悲の力が必要とも書いて有ります。

では、大いなる愛・・・とはどう言った事かを説明しましょう。何回か前のブログでご紹介をしていますが、釈迦が前世で餓死寸前のトラに身を投じて餌となりトラの餓死を救った・・お話です。(読んで無い方はお読み下さい)救いたいと思った時、ただただ救いたい。そこには何の打算も有ってはならない。無償の愛でなくては成らない事です。そして自分を犠牲としてしまう事が生じるかもしれない・・。覚悟が必要です。

前回のブログ記載で、ヒーリングで私が治したと言っていますが、正式には神仏であると書いて有ります。私の心身・心魂に神仏が宿り治らぬ病を治したのです。前回のブログで、友達から罵倒を浴びせられ慈悲・慈愛が持てない・・・足らないとヒーリングが出来ないと紹介をしています。

では、何故、慈悲と慈愛を心魂に満たすと神仏がこの身にやどるか?それは、神仏は、神で言う所の御仏言う所の慈愛・慈悲、そのものが神仏で有るからです。

神仏について掻い摘んで説明しましょう。

世の中には色々な宗教が存在します。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は本元は一つで有り、思想により分かれたものですが、キリストでは主とかメシアとか、日本の神道では寸神・仏教では大日如来と言い方は変わりますが、宇宙の創造者を現しています。

宇宙の創造者は、人間の思想を遥かに超越した存在で、表現すら難しい。姿形は有りません。一言で説明をするので有れば、愛そのものと言えます。創造者(神)=愛であり、愛により宇宙も地球も我々人間も全ては創造されたのです。究極に言い変えますと、我々人間は、神の子で有ると言えます。聞いた事の有る言葉だと思いますが。

しかし、この神の子(人間)は、五欲と五悪を持つ事と遥か昔に成ってしまっています。

五欲とは、食欲・性欲・物欲(金銭欲も含む)・権威欲・生命欲を言います。それにより生まれたものが、五悪です。

五悪とは、妬み(嫉妬)・嘆き悲しみ・怒り・恨み・殺意の悪しきものを言います。これらは、人間が生み出した悪です。

愛を善とすると五欲は悪と言えます。この五欲・五悪を心魂から消し去り、愛を満たした時に神は人に降りるのです。無(空)の瞬間とも言えます。奇跡を起こす事が可能に成ります。なかなか、どうしてどうして言う事は簡単ですが、難しい事です。しかし、それを可能にしうる方法が有ります。

釈迦の言葉より

 心が縛られる事無く空(じゆう)と成るならば、空(じゆう)となる事て、自分自身を乗り越えられる。私は、座禅瞑想し、内面の安らぎを見出した。」と申しております。釈迦は人の悪しき心魂の部分をテーマに悟りを開いております。瞑想をする事で五欲・五悪を消し去る事を言っています。

前回のブログで、友達の罵倒を浴び、悩み苦しんだのは、正しくこの悪しき部分を消し去れない為の苦悩で有り、瞑想だったのです。

神仏の奇跡・愛によって、救われた命には使命が有ります。生まれ変わらなければ成りません。今後の人生は、愛を与え生きて行かなくては成りません。渇愛(求めるばかりの愛(愛して欲しい)・求めても求めても満足しない愛は、真実の愛とは程遠い欲しい欲しいの我が侭な愛欲に他なりません。様は、自分以外の人の為に役に立つ事です。小さな事でも良いのです。

人は、夢を持ち・目標を持ち諦める事無く怠る事無く懸命に生きる事が大切です。そこには、光明(自分の進む道に光を見出す)・希望を見出しポジティブになれる。そして強く生きる事が出来るのです。

そして、与えられる愛(求める愛欲では無い)と、与える愛(誰かの為にしてあげたい、役に立ちたい)が、人を強くし、体内の病さえも消え去る事が可能に成ります。

そして、五欲・五悪を消し去る・・・。五欲・五悪は、己の心魂も肉体も苦しめエネルギーを消耗させ病を増幅させます。人の不安はここから生まれネガティブも生まれるのです。

瞑想は、己を苦しめ不安にさせる根源を打ち消し、己を見つめ直し、安らぎと不動の強さを生み出し、その先に有る神仏との接触を高めます。

立派な学歴も権威も財力も無力で、あらゆる宗教を学び特定の宗教にのめり込む事も必要有りません。普段の生活の中で、懸命に清く正しく(五欲・五悪の無い状態)愛を持って生きる事(努力)が何よりの体感(修行)で有り、なによりの近道です。ヒーリングのみに有らず、そこには、あらゆる可能(奇跡)が生まれます。誰でもが可能な事なのです。

説明を直ぐにご理解頂きます事は、難しいかと思いますが、今後、ブログの中で少しづつ、ご理解頂けます事を願っております。

つづく

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スピリチュアルな出来事☆ 治った癌の不思議なお話

2012-03-28 21:35:04 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事治った大腸癌・・・続き3

〇治った大腸癌・・・けれども

誤解が有っては困る。彼女は食事療法(マクロビ)で、病が治った訳では無い。しないよりは良かったのだろうし、役にも立ったのだろうが、それはついでの事に過ぎない。私にとって、過度の食事療法は、正直如何なものかと思う。彼女の拘りと要望に答えたに過ぎない。

彼女の癌を消滅したのは、私のヒーリングによるもので、正式に言えば、私を通じての神仏の力に他ならない。ヒーリングは、彼女が来る様になり、癌病完治まで2回行った。ヒーリングの仕方は、神仏の教えに従い行った。神のみに有らず、御仏の力も併せてのヒーリングで、私は手翳しと言っている

2回のヒーリングの際、1回目に行った際の事、彼女は、目をとじだその後、物凄い体験をした。

ヒーリング際し天より言われた手順を行ている最中、彼女はいきなり起き上がり、涙して「済みません御免なさい。」・・と何遍も言い出した。「口が過ぎる・・・。」と怒られた。そう言って、再び横になり目を閉じた。その後、彼女は宇宙の様な空間に身を置き、輝く幾つもの光を見た・・今までに経験の無い気持ちの良い美しいものだった。けれど、最初は、夥しい数の切り立った竹やりの上空で、物凄い風に吹き飛ばされそうに成ったと様子をヒーリング後に話してくれた。私は、最初に彼女に施した事は、彼女の悪しきものを除く事から始め、後に治療を行ったmのだ。吹き飛ばされそうに成ったのは、悪しきものを除く際の出来事である。

2回目のヒーリングの際は、怖い事は起こらず、言葉にならないほどの素晴らしい美しい光の噴水を見た。体は宙に浮き上がっていた感覚で、言われ事は、「お前は、〇〇を軽く見てはいないか・・。共に助け合いなさい。」と言葉が聞こえたそうです。〇〇は、私の事で有る。

2回目のヒーリングは、最終の病院検査に合わせ、数日前に行った。最終ヒーリングを行う前夜に、彼女は食事をしながら、かなり私を罵倒した。絶えられない言葉の数々だった。ただただ、耐えた。

最終ヒーリングの日、朝から私は、仕事をしながらも辛く悲しくやり切れない思いでいっぱいに成った。このままでは、ヒーリングは出来ない。

ヒーリングを行うには、限りない愛が、慈悲と慈愛の力が必要だ。それは、天より教えられていた事だった。しかし、昨夜の彼女の罵倒の言葉が私の頭の中から離れない。何とか、そんな気持ちを打破しなければならないが出来ない。

彼女は、例の如く平然とやって来た。何時ものように食事を済ませ、今日はヒーリングをする。その時間がとうとうやって来た。しかし、私の心は整理が出来ず、慈悲も慈愛も持てない。ヒーリングをするには愛の力が足らない・・。

私は、一人別室に入り瞑想し、天にお願いをした。「何とか彼女を救いたいけれど、昨日の彼女の言葉が頭から離れず苦しい・・このままではヒーリングは出来ません。とうか慈愛と慈悲を心魂にいっぱい満たせます様に、、、。」と懇願をした。すると「今、お前が着ている服は、誰から貰ったか?今、履いてる履物はだれからの物か?今、座っている椅子は誰からのものか?」と言われた。

普段着のお古だけれども、履き古しの草履だけれども、彼女が、「家で仕事するのなら汚れても気兼ねが要らないから。」とくれた物だった。気が付くと服もズボンも履物も座っている椅子も彼女から頂いたものだった。私は、涙があふれ出た。決して高額な物では無いけれど、彼女の心遣いを思い出し、色々としてもらった事を次々と思い出した。

そして、彼女への感謝の気持ちと慈愛と慈悲の思いを満たし、無事、ヒーリングをする事が出来た。

ヒーリングの翌日に、癌の完治の様子を天より見せられ、この翌日に彼女が確信的な不思議な出来事を体験し、その翌日、病院の検査で、癌消滅を確信したのだった。

人は2面性を誰しもが持っている。善と悪の心を持ち合わせ、良い所も悪い所も持っている。肉親で有ろうが友で有ろうが夫婦で有ろうが、全てを満たす人などは居ない。良い所は当たり前で見え難い。悪い所、気に入らない所ばかりが浮き出て見えてしまう。近くに居れば居るほど尚更である。

もし、気に入らない周りの人間を全て入れ替えたとし、気に入った人ばかりを回りに置き交えたとしても、やがては気に入らない所が浮き上がって目に付く様になる。気に入らない所ばかりを見続けると、やがては回りに人が居なくなり、自身も煩わしい人付き合いを避けてしまう。

しかしながら人は一人では、生きて行けない。今は良いとしても、永い人生の間には、必ず助けられたり助けたり人を必要とする。言い換えれば、愛されたり愛したりが必要なのだ。側に人の息づかいが有ってこそ人は生きて行けるものだろう。

つづく

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スピリチュアルな出来事☆不思議なお話・・・癌が治った!

2012-03-28 00:13:28 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事不思議なお話 (続き3)

愛で病は治せるか・・・・?

信じてもらえないだろうが・・・・全て本当の出来事です。

大腸癌の彼女は、早速、翌日からやって来た。

食事療法とは、マクロビとか言うらしく、それに関した本とビデオを私に差出、勉強をする様にと言い、圧力鍋も幾つか持って来た。「明日から宜しく・・・」そう言ってその日は帰った。

翌日から、早速、マクロビの料理が始まった。彼女は、正午12:00~1:00頃にはやって来た。私は、朝、7;00頃から自分の仕事を始め、彼女がやって来る頃までに休み無しに働いて、やっと自分の最低限の仕事を終えていた。気が付けば、朝食も昼ごはんも食べていないままの日が多かった。それに、彼女が来るまでに、私は、食事作りの材料の買出しにも行かなくては成らなかった。もう、それだけでくたびれた。

砂糖、肉、魚、卵、調味料など一切使わないご飯は、玄米ご飯だ。それを2時間~4時間掛けて食す。良く噛んで食べないといけないらしい。

彼女が来てから直ぐに作り始め、3時のおやつから始まり、夕飯には8品目以上作り食し、翌朝の食事も作って持って帰る。ご主人の分まで気が付けば、私は作らされる事と成っていた。

彼女が帰宅するのは夜8時頃である。3時頃から食べ始め、出来上がったお料理を次から次えと彼女は食べた。一口をあんなに時間を掛けて食べるのだから、結局は、3時頃のおやつから始まって、7時過ぎても食べている。

毎日毎日、一日も休む事無く2ヶ月あまり、彼女はやって来た。「出来る事はする。」そうは言ったものの、ここまで食事療法に拘り、こんなに大変だとは予想を遥かに越えていた。我が家にはエアコンが無い。暑い台所で、火を使い長時間居る事自体、相当に疲れた。

彼女が帰った後は、もう疲切って気が付けば、自分の仕事も全く出来ない毎日だった。最初に、自分が大変な事に成る・・と予想した事は、現実と成ってしまった。全く収入は入らず、予定していた収入は0である。ただでさえ大変だと言うのに・・・。

私は、天にお願いをしていた。彼女が来始めた頃の事「私は、きっと予定の収入が入らなくなります。その金額は、〇〇円です。彼女の面倒を見ると、その収入は恐らく無となるでしょう。どうかその金額を私にご用意下さい。お願いします。」と、具体的な金額を提示していた。

彼女の事は好きだけど、とても我が侭だったと思う事が多々有った。上げ膳据え膳で楽しく食事をしていたけれども、急に怒り出し私を罵倒した事も有った。病気だから仕方が無いと思い我慢をしたけれど、辛くって悲しくて彼女が帰った後、その度に私は泣いた。

私は彼女の事を、神仏にお願いを何時もしていたののだけれど、ある日の事、天より「今回は、お前に免じて救おう。」そう返事を頂いた。

「お前に免じて・・・?。」私は、彼女の事がとても好きでしたので、「免じて・・・。」その意味がこの時は、まだ理解が出来なかった。その理由は、後々、分かる事と成った。

彼女は、私の所に通いながらその間、病院にも検査の為、何回か通っていた。相変わらず、彼女の大腸癌の様子は、私には見えていた。ある日の事、

天の声で、その癌が「黒いかさぶたとなり剥がれ落ち治る・・・。」と言われ、その光景が飛び込んで来た。

翌日、彼女が来た際に、「今朝、トイレで黒い丸いかさぶたの様な物が便と一緒に出たのだけれど、一瞬にしてそれが消えてしまった。」と、手でその大きさを示し不思議がった。それは昨日私が、天より示され見たもので、事実と成った事だった。私は、「彼女の大腸癌は治った。」と、確信をした。

その数日後、彼女は病院の最終検査で、「癌が消えてしまった。」と医師から言われ、医師は、かなり不思議がったそうだ。

その翌日は、秋祭りだった。そして、彼女が食事をしている最中、携帯に電話が入った。株が値上がりし利益と成ったとの証券マンからの知らせだった。その金額は、正しく、私が天にお願いしていた金額そのものだった。私は、細かく半端な金額まで提示していた為、それが天より私に贈られたものだと確信した。

彼女は、「ご褒美だ・・・ご褒美だ、、。」と有頂天に成って喜んだ。

癌、消滅のお祝いとお礼を兼ねて、近くの八幡様へ二人は出かけた。

今日は、本当にめでたい・・お祭りだ。

つづく

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スピリチュアルな出来事☆釈迦との対話体験

2012-03-26 09:03:00 | スピリチュアルな出来事

   スピリチュアルな出来事不思議な実話

 

●人を愛で救えるか?・・・ 先日の続きのお話

 やっぱり・・・そうだったのか・・。

 天より聞かされていた通りに、半年過ぎて「助けて欲しい・・」

 そう言って私に抱きついた友達が次に言った言葉は、「病院では治さな

 い。手術は受けない。自分で食事療法で治したい。でも、食事を作る

 元気がもう無いので、こーちゃん(私)に、食事を作ってもらいたい。娘は仕事

  しているし、仕事、首になったら困るし・・。」

  一瞬の間に、色んな思いが私の頭の中をかすめた。

  しかし、正確に言うと考える前に、もう、私は返事をして

  しまっていた。「いいよ。私に出来る事なら・・。」と。

  考えたのは、後からの事だった。

  娘が仕事を首になる?・・・私は、それ所では無い。全てを失い

  かねない。彼女を助ける事は、全てを無くし自分の死を意味する事で有り、

 今の自分の状況を考えると、恐らくそうなるだろう。

 様は、自分の命を掛けて友達を救う事を覚悟しなければ成らない訳だ。

 彼女の娘はパートで有る。確かに離婚をし、子供を育てる為に働か

 なくてはならない・・。しかし、仕事はまた見つけられる。

 友達は資産家で預金もかなり有る。娘の経済的な事は、どうにでも

 成るはずだ。

 半年前に、自分勝手に怒りだし「もう、あんた所には行かん。」

 そう言って、いきなり電話を切った彼女は、半年後こうやって

 私の前に現れた。

 可愛い娘の負担にならない様に、お人好しの私なら断らない

 だろうと見込み、このくらいはしてもらっても良いはずだと言う彼女の思いも

 そして病院でも食事療法だけでも彼女の癌は治らない、私の協力がなければ

 治らない事が、癌の組織や病状が・・。

 彼女に抱きつかれた時に、一瞬にして私はそれらの事が

  解ってしまった。

 そして、私の返事を聞き、彼女の、しめしめ・・・と言う心の声も、

 不安でたまらない思いも聞こえた。

 そして、この事が自分の命取りに成りかねない大変な事で有る事も解った。

 解っていて、私は、彼女を受け入れた。

 ただただ、彼女を救いたかったから。生きていて欲しかったから。

 しかし、後に、私は悩み苦しむ事となった。

 の時(悩み苦しんだ時)の事だけれども、私は釈迦に問いかけた。

 「あなたは前世で、トラ達が餓死寸前の時に、自分の身を投じて

 崖から飛び降り自らトラの餌と成ったと聞いていますが、後悔は

 無かったのですか?怖くは無かったのですか?人ならともかく、たかがトラ

 では無いですか?自分は、バカをしてしまったとは思わなかったのですか?」

 すると、釈迦は申された。

 「人間が価値が有り、トラは価値が無い・・。人間が偉いと誰が決めた。

 誰か(何か)を救おうとする時、そこには、慈悲と慈愛のみが存在する。

 例えば、駅でホームから落ちた人が居て、そこへ電車が通過をする。危ない!

 と誰しもが思う。その時、助けたいけれど、自分も死ぬかもしれない、、。

 痛いかもしれない。残された家族が悲しむかもしれない・・。したい事が

 もう出来ないかもしれない・・。そう考えれば、もう救う事は、出来ない。

 ただただ、救いたい・・それのみの思いで有る。そこには神で言う所の愛で有り、

 仏で言うと事の慈悲・慈愛のみが存在する。後悔などは無い。」

 そう言われた。

 考えてみれば、昨年起きた東日本大震災で、多くの方が亡くなられたけれど、

 津波で流され助けを求める人達を自分の危険も省みず、知らない人であろうが

 家族であろうが、助けようと頑張った人達が居る。

 その時の思いは、 ただただ助けたい。それだけの思いで、他には何も無かった

 のだろう。そこには、我が身の危険も救えないかもし知れない不安も無かった

 のだろう。

 そこには、神の愛で有り御仏の慈悲・慈愛のみが存在したのだろう。

 人と神仏が一体と成った瞬間かもしれない。

 了見の狭い愚かな自分を反省するばかりで有る。

 つづく

  

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スピリチュアルな出来事☆不思議なお話

2012-03-25 04:31:16 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事・・・不思議なお話

〇 それから半年後・・・

私には、大切な友達が居た。

過去の話して有り、今は彼女とは音信不通と成っている。

それでも今も私にとって彼女は大切な友で有り、恩人で有る。

優雅で、おっとりとした上品な物腰と話し方・・・知識豊富で

おっとりとした性格の中に、激しい性格も共存していた。

 

その頃、とにかく彼女は我が家に良くやって来た。

ほぼ毎日、午後からやって来る。

何で気分を害したのか分からないが、心当たりが無いままに、

「もう、あんたの所には行かないから・・・。」

と、急に言い出す事が何回か有った。

が、また平然とやって来る。

 

そして2月3日の事、彼女から電話が掛かって来た。

例の如く、「もう、あんたの所には行かない。」そう一言

言うと電話が切れてしまった。

私は天に聞いてみた。「今度は、何時、彼女は来るのか?」

すると「半年後過ぎて、助けて欲しいと・・・やって来る。」

そう答えが帰って来た。

 

それから半年過ぎて、9月の3日に彼女はやって来た。

扉を開けるといきなり「助けて・・・助けて欲しい。」

そう言って私に抱きついて来た。

「私、癌なんよ。大腸癌なんよ・・・助けて!」

そんな言葉が次にでた。

やっぱり・・・。そうだったんだと私は思った。

 

何時も、彼女は良く温泉に連れて行ってくれた。

近くの大衆浴場ではあるが、代金は何時も彼女が支払ってくれた。

私の経済状態を良く知っていたから、どんなに私が払うからと

頑張っても、決して私に入浴代金を払わせなかった。

お互い、何時も背中の流し合いをしたものでした。

彼女の背中を洗いながら、何時もどうしても手が止まる箇所が有った。

ある時、勇気を出して彼女に「ここ悪いんじゃない?」と

気に成る箇所を押さえ言うと、

彼女は「そこじゃ無く、もっと上がチョッと痛いけど・・何とも無い。」

そう返事が帰って来た。

・・・で、私は、それ以降は何も言わなかった。

ある日の事、何時も通りに彼女の背中を洗っていると、

やはり、その箇所が気に成るもので

私は天に聞いてみた。「この箇所はどうなのか?」

すると、「癌である。」と返事が有った。

しかし、まさか・・こんなに強運に恵まれた人が・・

聞き間違いだろう・・私は無視をした。言え無かった・・。

 

そう、彼女は、まさしく私が指摘した箇所が癌だった。

彼女に抱きつかれた時、わたしは「やっぱり・・。」

そう思った。

そして、ありありと、癌の様子が目に飛び込んで来た。

つづく  

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あっ晴れミーちゃん☆ ソーセージごちそう様

2012-03-23 04:33:27 | 猫話
 

あっ晴れミーちゃん☆ソーセージご馳走様!

 

3代目・・・だっただろうか?

我が家では、代々、飼う猫の名前はミーちゃんと名付けている。

決まりでも拘りでも無く、猫=ミーちゃん・・・それが当然の事で

血筋が違おうがメスだろうがオスだろうが、そう成っている。

三代目ミーちゃんはメスで、ハンター名人(名猫)で、面白いハプニング

な出来事が多かった。

猫も時代によってする事成す事が大きく変わって来る。

今の時代の完全室内飼いの猫とは違い、生魂たくましい。

4・50年前の猫は、獲物を捕獲すると、自慢げに飼い主に見せに来る。

「どうだ!すごいだろう・・・褒めてくれ・・・!」とばかりに、獲物を咥えて持って帰る。

持って帰るのは常では無く、猫なりに「今日の獲物は素晴らしい!」

と、自分なりに納得した時だけ持って帰る。その当たりは、人と余り変わりが無い。

100点満点のテストを学校から帰り、一目散に母親に見せる子供の様に・・・。

或いは、釣りをし大きな鯛でも釣った時、自慢たらたらと言いながら家族に

見せるお父さんの様に・・。

褒めてもらいたいのは、猫も同様で有る。

持って帰るのは、色々だったけれど、一番、驚きたまげたのは、蛇!だった。

よっぽどの自慢で急いで見せたかったのか、だら~んとした

長い長い蛇の頭と尾っぽが、力無く微妙に動いてる。

「ぎゃー!」いきなりのミーちゃんの登場に、私は驚いた。

私は、世の中で一番嫌いなのは蛇である。

「今日の獲物は、格別デカイ・・どうだ!凄いうだろう・・」

そんな感じで、蛇を咥えたままに、ニャーニャーと言っている。

人もそうだろうが猫も一番好きな人に見せて褒めてもらいたいらしい。

みーちゃんにとって一番好きでお気に入りは、どうやら私らしい。

何時もは褒めてやっていたけれど、この時ばかりは私は、ぎゃー!!!

と叫び、逃げ惑った。

それ以来、ミーちゃんは、蛇を持って帰る事は無かった。

 

それから、30数年後。

この時代のミーちゃんの獲物は変わっていた。

時代と共に捕獲する獲物も変わって来る訳だ。

有る日の事、例の事く、ミーちゃんが獲物を咥えて帰って来た。

蛇・・・?では無い。ソーセージだ。それも4本一束に成ったやつだ。

4本一束のソーセージを咥え「どうだ!すごいだろう・・・・」

そんな感じで自慢げに咥えたまま、ニャーニャーと言っている。

ミーちゃんは、捕獲名人の立派な猫だ。言い換えれば、立派な泥棒猫だ。

 

この時代の日本は高度成長期で、まだ、バブルは弾けていない。

そんな訳で、猫達の食べ物も味覚も大きく変わって来た。

蛇よりもねずみよりも、そりゃー肉や魚の身やソーセージは旨い。

獲物も変わって来る・・故に、立派な泥棒猫に成ってしまった訳だ。

私は、ソーセージの束をミーちゃんの口から取り上げた。

困ったものだ・・・。多分、近所から捕ってきたのだろうが、今更、返しに

行く訳にも行かない。行けば、余罪がいっぱい有るだろうから、文句を

たらたら言われかねない。どうしたものか・・・。

仕方が無い。今回は、ミーちゃんサイドの気持ちに徹する事にした。

「ミーちゃん、偉かったね。凄いね。」そう言って頭をなでてやり、

ソーセージ一本の口を切り与えてやった。

ミーちゃんは満足気に食べていた。

残り3本は、その日、我が家の夕食のサラダに使って頂いた。

そう。私は、泥棒猫の上前をはねた訳だ。

だって、ミーちゃんが、「お母さん、凄いでしょ。一緒に食べようよ。」

そう言っていたから・・・。言っていたと思う・・・。多分・・。

神様、お許し有れ!

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スピリチュアルな出来事☆不思議なお話

2012-03-22 00:10:12 | スピリチュアルな出来事
 

スピリチュアルな出来事☆不思議なお話

 

警備のお兄さん

タクシー乗り場近くのタクシー待機場所で活躍している警備のお兄さん。
体格が良くって真面目に良く働いている。
顔見知りで、仕事の合間に話しかけて来た。
「今朝、通勤(バイク通勤)の際、何時もの通勤路を変えて走ってたら、警察に捕まってしまい、遅くは成るし切符を切られる(罰金)はで、今日は付いてなかった。」と。
悔しそうに話しかけて来た。
誰かに話さないと気が治まらなかったのだろう。

その時「これは守護霊さんの忠告で有り、この先、事故を起すから気を付けなさいとの知らせ。」と天より聞かされた。

 

どう伝えれば良いものか・・・。
そこで私は、「こう言う時は、事故を起すといけないから注意して走りなさい。
と言う事かも知れないし、良い方に考えたら良いよ。
気を付けて運転せんといかんよ。」
と、 私は、2回繰り返して伝えた。

2日後、私はその場に行く事に成っが、そこには別の警備の人が居た。
気になり「何時ものお兄さんは、今日はお休みですか。」
聞くと、彼は昨日、バイク事故を起こし入院しているとこの事。
折角、気を付けてと2回も言ったのに、無駄と成ってしまった。

言い方は、難しい。気を悪くしない様に言わなくてはならないし、 そーっと、伝えると無視される。
もし、言った事を気に留めてもらっていたら、事故も軽くて済んだでしょう。

チョッとした悪しき出来事は、前もっての守護霊さまからの知らせの時が在る。
私も経験が在る。 きっと、思い返せば、誰にでも在る事だろうと思う。

今日は、ついてないな・・・。
そんな時は、これは注意しなさい! との、知らせかもしれない・・・ 。
そう思うと、ついて無い日も それなりに少しは気分の良いに日変わるかもしれない。

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スピリチュアルな出来事☆不思議な実話

2012-03-20 02:43:45 | スピリチュアルな出来事

 

   信じるか否か?・・・は、あなた次第!

 世の中には常識では考えられない出来事が多々有りうる。
皆と同じでなければ、目に見える事、出来事で無ければ信じてもらえない。
軽はずみに口にすると、「チョッとあの人、変よ!とか、頭、可笑しいんじゃない。」なんて言われて、変人扱いをされたりバカにされたり不気味がられたりされかねない。
いや、された事もある。
だから私は、軽はずみには口にしない。
そう言う事にしている・・・しかし、このままで良いのだろうか?そんな悩みも抱えている。

前もって分かった事が真実と成った時、あの時、勇気を出して話しておけば、あの人は、死ななくて済んだ、あの人は事故を起こし入院しなくて良かった、あんな悲惨な出来事は・・・
結果を持って確信し、悩み苦しむ。

悩みを抱える事は、正直言ってしんどい。話してしまえば、きっと楽になるだろう。
いまさら結果が出てから話した所で仕方が無いのだけれど、
それでも話せば少しは楽になるかも知れない。
だから、私は、今後、ほんのチョとづつだけれとも、こうしてお話をしていこうかと思う。
信じるか否か?は、あなた次第。
信じない人にっとては下手な小説で有り、信じる人にっとては不思議な出来事、実話でしかほかならない。

世の中には、スピリチュアル鑑定士とか、祈祷しとか色々と存在し、怪しい人も中には居るけれ、驚くほどに素晴らしい能力を持つ人も居るのは確かだ。
私は、そう言った人達を何人も知っているが、
私は、そう言った先生と言われる様な人達には、当らない。
ほど遠い存在である。前もって分かった事が、現実と成って初めて自信が持てるのかも知れない。
ここでは、ただ、身に起こった不思議な出来事や結果をお話したいと考えています

タクシー運転手の話☆本当は伝えたかった。


私は、仕事の関係で、タクシー運転手さん達と接触をする機会が多かった。
その時の事を幾つが紹介しましょう。
年齢は、45~50歳くらいのハンサムな運転手さんだった。
私は、ぼーっとその人を観ていた。「この人を見てみよう。(スイッチオン・・)そう思ったが、全く見えない。」
「変だな??」と思った。「集中出来ていないのか。はたまた、ハンサムなのでチョッと意識をしてしまったのかな?いや、疲れているしな・・・。」そう思った。
翌日、また、観る機会が有ったので、今度は集中をする事にした。
「スイッチ・オン・・やっぱり見えない?この人の先が見えない?何で?。私の能力はこんなものか・・・」ずーっと観ている訳にもいかず、
私も用も有るし、それどころではないし、その日は帰った。

2日後、彼は、死んでしまった。脳梗塞で倒れ、病院へ運ばれたけれども、
その翌日には亡くなったとの事を、同僚の運転手さんから聞く事となった。
そう、何も見えなかったのは、先、命がもう無かったからだった。
、私は気が付いていたのでした。
以前から・・・。
「この人、血管がどろどろだ。気を付けないと・・。」
何時も、私は彼を観る度に思っていた。
でも、言えなかった。言えば、きっと気分を害し、怒るだろう。
前もって言ってたとしても、聞き入れてもらえたかどうか?
聞き入れてもらい、病院で検査で分かった所で、その時は、私の言った事は
忘れられる。忘れられても別に言い訳だけど、いずれ嘘吐きとなる。
「病院で検査を受け、治療しないと死じゃうよ!」と、言ったとして
治療し治れば私は嘘吐きで、何も言わす見届けると、それは確信となり不幸な結果が待っている。

ある人に言われた事が在る。
「悪い出来事しか分からないのか?」と、、、。
良い事も勿論分かる。しかし、悪い事の方が気になると言うか、よく分かる。

そう言われ落ち込んだ。
それで、私は、天に聞いてみた。
「どうして悪い事の情報が多いのか?これでは、私は立場が悪いし、
疫病神みたいに思われる。」

すると、「良い事は、突然と来る方が良い。知らないから、喜びも大きい。
努力もする。前もって知れば努力を怠る。誕生日のプレゼントを前もって知らされたら
感動も喜びも少ないだろう。悪しき事は、前もって知らせ災いが及ばぬ様にする。それを良しとする。」

「なるほど・・・・。」と私は、納得をした。

そう言えば、良い事も知らせて来た。
何時まで経っても結婚しない息子を心配している母親には、
今度の春には、可愛い女性(嫁)を連れてくるとか、
「自分は、今度、癌で手術をするが、死んでしまう」と、
心細く言った人には、大丈夫だったから、大丈夫と言った
事も在る。
この先の良い出来事は、心配や不安を除く為に言って来た様に思う。
言った事は、その通り確信と成った。

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昔、飼っていた猫のお話☆チョッピリ切ないお話です。

2012-03-17 21:20:10 | 猫話

みーちゃんとチョン

みーちゃんとチョンは、母猫と娘猫で、様は親子猫です。みーちゃんは、ものすごく賢い母猫で、それに引き換え娘猫はチョッと、おバカな娘猫でした。飼っていたのはかなり昔、何十年も前の事で今の様に完全室内飼いをする時代と違い猫は自由気ままに家を出入りする時代でした。その時代にはキャットフードなどと言う言葉も無く、言葉が無いと言う事は、物自体(キャットフード)も無い訳で、もっぱら猫まんまと言う所の花かつおにご飯が当たり前で、人の食べ残しの魚の頭とか骨とか、料理に使った出汁取りの後のいりこなどが餌と言った所で、それでは足りないので、猫達も自分で餌を確保・補充していた。トムとジェリーの話に有る様にネズミを好んで捕獲していた。なので、人と猫はそれなりに協力し合っていたわけで、「猫の手も借りたいほどだ。」と言う言葉の裏には猫は役に立たない・・。そんな意味が有るのだろうが、猫に言わせれば家のねずみを捕獲して協力しているのだから、それは無いだろうと憤慨するかもしれない。この時代の猫は、今の時代の猫と比べると自由気ままで、それなりに幸せだったのかもしれない。食事はいまいち貧しかったかもしれないけれど、それは人間さまもたいした物は食べて無かったのだから、お互い様である。

ミーちゃんは、出産&子育てベテランの母猫で、チョンは図体は母猫に優っていたけれどもまだ一歳に成らない出産未経験の猫でした。ある日の事、みーちゃんが、4匹の子猫を出産しました。その頃の猫は、家の何処かで、例えば物置や長屋と言った所で、隠れる様に出産をしていた。隠れる様に出産をするのは猫の本能では有るがそれとばかりとも言えない。出産後直ぐの事、出産時にそわそわと母猫の様子を伺っていたチョンが、気が付けば、生まれたばかりの子猫1匹を咥え、うろついていた。生まれた子猫を自慢げに私に見せに来たかと思ったら、何時の間にか何処かへ消えて行った。その後、咥えられた子猫の姿は二度と観る事は無かった。おそらく、咥えたまま外に連れ出し死なせてしまったのだろう。自慢の姉妹を可愛さあまり死なせてしまったのだ。

それから数日後の事、学校から帰って来た私は、ランドセルを投げ出しミーちゃんの所に駆け寄ったが、子猫は1匹も居なかった。父親が、生まれたての子猫達を処分してしまったらしい。悲しい事ながら、その時代は、こう言った事は多々有った。その度に私は悲し思いをしていたのだが今の時代だと動物虐待に成るだろうが、この時代は、避妊も無いし私の知る限り、近くに動物病院などは全く無かった。自由気ままに外へ出て行く猫をどうしようも無い訳だ。母猫が隠れて出産するのも、学校が終わったら急いで家に帰り猫が無事なのかどうかを一目散に駆け寄り確認をするのもここに意味が有る。母猫も私も同じ養われの身だから、どうにも文句も言えない。
しかし、今回は、みーちゃんの様子が違っていた。家に入ろうとするチョンをやたらと威嚇し怒って全く入れない。どうにかして何処からか家に入ろうとするチョンを全くみーちゃんは入れようとしない。それはまる一日続いた。チョンに向けられる只ならぬ怒りの声は、「あんたと言う子は、また子猫を連れ出して何処にやったの?また、死なせてしまったんでしょう。お母さんは、許さないから・・・家には入れません。」とそんな感じで、濡れ衣を着せられたチョンは、どうにも困った様子で、ただただうろうろしていたのでした。

それから1年後、親子で出産し一緒に仲良く子育てをするみーちゃんとチョンの姿がありました。

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