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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる住まいその2

2012-10-24 10:24:30 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・・運気を引き寄せる住まいを考える・・・その2・・・貧乏神・・退散

先に、風通しの良い家・間取り・・風通しを良くする事が重要で有る事を申ましたが、他にも重要な事が幾つも有ります。その中で、どんな運気の良い家や間取りだとしても、何よりも肝心な事は、常に掃除を綺麗にする事が大切です。

もし、あなたが、持ち家に住まわれているのでしたら、家の中に止まらず、玄関や庭先・庭周りも何時も綺麗に掃除をしなければ成りません。そして、もう一歩踏み込んで、庭に止まらず自分の敷地周辺の道も綺麗に掃除をしましょう。

今般、精々、庭止まりで掃除を済ませて居る方が多いでしょうが、昔は、屋敷の塀の外の道も庭ぼうきで掃除をしたものです。何故・・・そこまで?と思われるかも知れませんが、人は、家の景観を道を含めて見るものです。塀の外にゴミが有ったり、草が伸びたままでは、幾ら庭・屋敷・室内が綺麗で有っても、景観を損ねてしまいます。そして、運気も逃してしまうでしょう。

運気や有り難い神々が、風に乗って或いは訪問をしようとした時に、「ここはとても良い感じだ・・・」と、思った所に引き寄せられて訪問します。

もし、あなたの屋敷の塀の外に草が生えていたり、道路にゴミや犬の糞などが有ったとしたら、良き運も神々も避けて通られる事と成るでしょう・・。一度、ご自分の屋敷を道を挟んでの景観を観察・ご確認してみて下さい。

そして今度は、言われた通りに、道も綺麗に掃除をし、もう一度、家の景観をご確認下さい。きっと、輝くもの・・良い空気間を肌で・・「なるほど・・」とご納得を頂けるでしょう。

道を綺麗にする事は、馬鹿らしいと思われるかも知れませんが、他人には結構良い印象を持ってもらえますし、少々では有りが、世の中に貢献をする事に成りも成り、気分も清々しく成ります。気持ちが良くなる・・・ポジティブに成る・・これは、相当に、己にとってプラスと成ります。夏場などは、水打ちをするもの良いでしょう。

掃き目・・・と言って、庭ぼうきや竹ぼうき・・目に見えなくても、掃いた感じは残ります・・。これは、魔を掃き祓い清める・・・事に成りますから、感じるものです。誰もが、感じ取れます。

もし、お店などを経営している場合には、なお更に、大切な事です。掃除の行き届いた店には、人が自然と集まって参ります。

掃除・・・それは、家の中だけでは無い事を知って頂きたいと思います。

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では、ここで少し実例をお話しましょう。お恥ずかしいながら、今回は、私に起きました不思議で・・・有り難く無いお話と成ります。

貧乏神・・・・を追い払う。

我が家には、色々な神々が訪問されますが、誰もが有り難く無い貧乏神・・が現れた事が有ります。そんな神とは、縁を持ちたく無いものではあるが・・・、この時ばかりは、聊か驚きました。

貧乏神・・とは、神の中でも神としての仕事を放棄し働かない神であり言わば、のら神・・神の外れ者と言えるでしょう。悪さはしませんが、住み着かれると、貧乏に成ってしまいます。住む所は、汚く掃除の行き届かない場所を好みます。大抵は、人に同乗・便乗をしてやって来ます。多分、自分で移動をするもの面倒くさいのでしょう。

掃除の大切さは、神からお聞きし教えられ、指導された事でした。不要の資材やなんだかんだと家の庭の周辺には色んな物が溜まっており、おまけに空き地と成っていた裏庭には結構な草が生えて伸びていました。その頃は、仕事の余りの忙しさに周辺の掃除が行き届いておりませんでした。

運気が落ちたのが先か、掃除が行き届かない為にそうなってしまったのか・・。どちらが先か分らない・・。気が付けば、仕事も宜しく無い状態と成り、気分も落ち込み、身体も思う様に動けなく成ってしまってしまいました。

そんなある時、ある神が現れて、掃除の伝授がはじまり、家の周辺の掃除が始まりました。全くもって大変で、今から考えると、あれほどに重い沢山の色々な物を良くも片付け、綺麗にしたものだ・・と、関心をしてしまいます。それと同時に如何に掃除が行き届いていなかったを改めて思い知りました。

いつの間にか、汚く成ってしまった事も気が付かず、見ている様で視野に入らず気が付けば、悪しき事がどんどん増えて、心身も動けず事と成り、一層に掃除が行き届かない・・・そう成ってしまうのです。これが貧乏神の影響です。

掃除の最後の仕上げ・・それは、貧乏神の退散・・・追い払う事でした。その貧乏神の居た場所は、外玄関の天井部分でした。幸い、家の中には入る事は有りませんでした。それは、家の中は、綺麗に掃除をしていた為に入れなかったのです。外玄関の天井は吹き抜けに成っており、掃除をしようにも手も届かず、外玄関の角部分には、気が付けば蜘蛛の巣が幾つも有りましたが、全くもって気が付きませんでした。

神の指導のもと、家の周辺の掃除が終ると、その神は、「気が付かぬ振りをせよ・・。」と言われましたが、何の事やらさっぱり分りませんでした。貧乏神がそこに居た事は、後に成って分った事でした。

言われたままに知らぬ顔をし、言われた物を準備し言われた事を行い・・やがでお払いが始まり、玄関に至った時に、一気に貧乏神を呪文と共に追い払う・・・。そう言った手順でした。追い払いの儀式と同時に、「ドスーン!!」と、外玄関の天井部分から者影が落っこちるのを感じ、その者影が、素早くデッキの下に隠れたのを視ました。すると、神は、「元へとっとと返れ!!・・帰らぬならば、只ではおかぬ・・!!」と言われた。すると貧乏神は、慌てて逃げ出し、元の主の場へ帰って行ったのでした。

私は、まさか貧乏神が居たとは知らなかったもので、「ドッスーン!!」と落っこちた者影を視た時には、言葉にならない怖さと驚きで「あれが・・・貧乏神 なのか・・」と、あ然としてしまいました。

誰が貧乏神を連れて来たものか、そして連れて来た人の家の何処に住んで居たのかを後で神より聞かされました。家の中は綺麗に普段から綺麗にいていた為に、幸い中に居座る事は無かったのですが、それでも、玄関先で居座られたのでは、良い運気が逃げてしまい悪い事が起きてしまうでしょう。

貧乏神・・・まさかそんな者が・・・と思われるかも知れませが、実際、本当に居る神で、それは、人に便乗しやって来る事が多いのです。何時、そう成るか・・・それは、誰にでも起き得る事です。「私は綺麗好きで何時も掃除をしているから大丈夫・・・」そう思って侮ってはいけません。

悪しき事が起きると、人は気が重くなり体が動かなく成り、気が付けば掃除が行き届かなく成ります。悪循環は重なり、やがて汚くなった事も視野に入らず、気が付くと相当に汚く成り、やがて気が付いても心身動かずどうして良いかも分らず、益々持って宜しく無い状態に陥ってしまいます。

気分が滅入った時こそ、宜しく無い事が起きた時こそ、動けぬ体を動かし一層、掃除をし、心身ともに清々しくポジティブに成る事が大切です。

貧乏神・・・その神を、退治・消滅に至らなかったのは、神崩れ・・の神で有る事、己の心がけと掃除をする事で、誰でもが追い払う事が出来るからの事でした。また、例え、退治・消滅をした所で、己が変わらなければ、再び、何処からか引き寄せる事と成るでしょうから・・。

予断ですが、以前にお話をしました、霊能力者の所に、ある時、伺った時に、「あれ!・・貧乏神が居る・・・。この前には居なかったのに・・・?」そう思い、「次回、準備をし追い払うか・・・」そう思い、その時は、何も言わず帰り、再び、次に訪れると彼女は私が言わず前に「貧乏神か居たんよ・・・。それで、話をしたんやけれど、これからは働く・・・と反省をし、山手の海近くに出て行った。無事、働く事と成ったその時は、海の幸を届ける・・」そう言って出て行ったそうです。やがて若布や魚がその後に届けられたそうです。が、貧乏神は、そう言ったしろものでは無く、口先だけの事でしょう。

彼女の家には、色んな人が相談事にやって来るのですが、時として有り難く無いものを置いて帰るもので、その度に、祓ったり消滅したりと、私は何かと大変で、少々、神事が出来ても祓ったり消滅したりが出来なければ、そう言った強さと技が無ければ手を出しては成らない・・と常に思う所です。

あの貧乏神は、誰かが連れて来たのでしょうが、次に私が来たならは、とんでもない目に合うと察知し、逃げ出した事は明白な事でした。彼女の家の中も外も、綺麗に掃除が行き届いていませんから、居座ったとしてもおかしくは有りませんから・・。

如何に、家とその周辺の掃除が大切か・・を、少しご理解頂けましたでしょうか。次回は、スムースに綺麗に掃除をし、保つかの方法をお話しましょう。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・・そのⅠ住まいを考える

2012-10-16 01:50:32 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・運気を引き寄せる・・その1・・・住まいを考える

理屈ではない不思議な現象がこの世には沢山有ります・・。そんな中で、誰もが住む所・・住まいについて、今日はお話をしたいと思います。

住む場所や間取り・・部屋のあり方などで、大いに運気は変わって来きます。最近では、風水などが世間では知られる所で、運気が良くなるとか悪いとか言われると誰もが気に成る所でしょう。

日本にも古くから、家相・・と言われるものが有ります。風水も家相も、どちらとも、現実的に「なるほど・・・」と言った理に適った所が有ります。

そこで、運気が良くなる住まいのあり方・・また、今の住まいの状態が悪くは無いか・・・のチェックをしてもらう為のお話を、具体的な例も含めてお話をしましょう

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風通しを良くする・・・。

窓から風を入れると、必ず、風が抜けるもう一つの窓が必要と成ります。の入る箇所と入った風が抜ける箇所が必要です。それで、はじめて風が通る事と成ります。

運気を引き寄せる為には、先ずは、風通しを良くする事が大切です。今般、エアコンなどの普及により、窓を余り開けなく成ってしまっていますが、朝の爽やかな風(午前中~日中)は、特に良いので、暑くとも寒くとも天気の良い日は、窓を一時的に、開けると良いでしょう。休日の天気の良い日には、窓だけに止まらず、押入れなど、部屋の普段開けない棚などの扉も開けて空気を入れ替えましょう。

この事は、現実から考えても、湿気の多い日本では、空気の入れ替えにより湿気がこもる・・・カビが生える・・・そう言った不健康を防ぐ事にも繋がります

新しい風・・・空気を入れる・・・それは、邪悪・又は、悪しきものを寄せ付けない、追い払う事にも成ります。特に、気分が滅入った事が多く有った時には、淀んだ悪しき空気を追い払います。そうする事によって相当に、気分も良い方向に変わって来ます。

淀んだ湿気の有る暗い箇所には悪しき者・・色んな悪いものが好む所で、決して運気を上げる事は、有りません。

ここで一つ例を上げてみましょう。

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私の親戚の話です。

その親戚は、お爺さんとお婆さん(叔父夫婦)に夫婦と子供3人の7人家族なのですが、有る時期に、家を新築する事と成り、家が立ち上がる間、何処か他の場所に住む事と成りました。

近くに丁度、適当な空き家が有り、借りる事と成りました。その住まいは、息子さん家族が転勤の為に、空き家に成っており、丁度良かった・・と喜んだのもつかの間・・・。そこに移転をしてから、孫の一番下の女の子の様子が変に成り、体調を壊し、夜中には訳の分らない言葉を発し鳴いたり喚いたり・・の繰り返しの日々が続きました。

何時もだと、霊とか占いとか鑑定や祈祷など、全く信じない叔母も、孫の突然の変貌に驚いた様子でした。そこで、「如何したものか・・・?」と相談を持ちかけられたもので、早速に、家を見てみる事としました。すると、家の間取りの悪さ・・・特に、廊下に問題が有りました。

その廊下は、廊下の役目を果たしていない行き止まりだったのです。それはとても異様なものでした。廊下の片方の壁から、浮遊霊が行き来している様が視え、湿気の多さと押入れの中には、悪しき者を感じ、一人に有らず、結構な数の浮遊霊が出入りをしていた様だった。「ここの廊下の突き当たりの壁・・・ここ良くないよ・・・」と指を刺すと、その場所で、孫を寝させていたとの事でした。一軒家では有ったものの、家族の人数も荷物も多かった為に、孫は、仕方なく、その廊下の場所で寝起きしていたとの事・・。早速、場所を変える様に指示し、窓も開け空気の入れ替えを良くする事、そして、押入れもその際は、開ける様に伝え、霊を祓う事としました。

その後、問題は全く無くなったとの事でしたが、叔母は、私を信用しなかったものか、よっぽど怖かったものかは分りませんが、念の為、他の鑑定士か祈祷師に見てもらったそうです。すると、同じ事を言われ、「既に、事を処理してあるので、問題ない・・・」と、言われたそうです。

物事が人生が上手く行っている人は、普段は鑑定や祈祷や巫女・・・霊・・など、信じないのでしょうが、事、医者にもどうにも出来ない訳の分らない事が起きれば、こうなるのだろう・・。

つづく

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・全てに執着をしない・・・2

2012-10-10 03:02:47 | スピリチュアルな出来事

  スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・何事にも執着をしない・・・2

お金に、物に人に時(過去・未来に)など、・・あらゆる物に事柄に過去や未来にさえも執着をしてはならない・・全てにおいて少し距離を置くべきだ・・・とも言えるのだろう・・。

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一つの事柄に集中し諦めず頑張る事を美徳とし、懸命に頑張る・・。そう、特に、日本人は思うところが大きい。

しかし、一つの事柄に集中し懸命に頑張りすぎると、肝心な大切なものを見失ったり、ストレスを抱え込んだり、思う様に事が運ばなければ落胆をしてしまったり、生きる事が苦しくなってしまう場合がある・・。行き詰る・・そう成ってしまう場合も有る。

仕事・・・必死で頑張る・・・。朝から晩まで、家に帰ってからも仕事の事が頭から離れない・・。家族と一緒に居ても、ちっとも家族の方を見ていない・・。向き合う事が出来なく成ってしまっている・・。

仕事への思考は、帰り道の途中でキッパリと捨ててしまう・・。駅の改札口を通り抜けたら・・、或いは、橋を渡ったら、その道の角を曲がったら・・・すっかりと仕事への思考は捨ててしまい、そこから先は、大切な家族への思考へと自分の時間へと変換をする。

子供・・・

人並みの教育を与える為には、両親共に働いて、教育資金を稼ぐしかない時代・・。そうやって気が付けば、家族皆、時間に追われ、子供も塾で忙しい・・・。すれ違いの家族・・・。同じ屋根の下で生活をしていても、心が向き合える時間と心の余裕が無い・・。親の口にする言葉は、学校はどうだ・・勉強は成績はどうだ・・・と決まり文句の様に並べたて、子供は適当に答える。見ている様で見ていない。分っている様で何も分っていない家族の関係・・。何が大切なものが抜けては居ないのか・・・。

まるで、養鶏場の鶏が、煌々と明るい光の下で、夜中にも餌を与えられ、必死で食べ続け丸々と大きく、思惑道理に育って行く様によく似ている。教養ばかりが身となり肉と成って行く・・。肝心な人間形成が抜けてしまっている。教育ばかりに執着をしてはならない。

いじめ・・・

もしも、大切な子供が、学校でいじめに合い辛い思いをし、絶えがたきを忍び学校に今も通っているの成らば、安心をし学ぶ事の出来ないくだらない場所に執着をしては成らない・・。学ぶ方法も場所も他に幾らでも有る事を知り、そこが全てでは無いと言い、学校に執着をしては成らない。

何かに懸命に成り過ぎると、それはいつの間にか執着に変わってしまう事が有る・・。執着し過ぎると、肝心なものを見失ってしまう・・。人に対し自分にすらも・・・物事に対し全てにおいて少し距離を置くと良いだろう・・。近過ぎず遠すぎず・・の心持で丁度良い・・。その方が、何かと良く見えて来る・・。そして、心も安穏としていられる。

執着は・・・多くの欲を根源として成り立ち増幅して行く・・。欲によって生まれた執着は、人生を決して良きもの幸せに導く事は有り得ない・・。執着を集中とか継続とか懸命とか体の良い言葉に摩り替えてはいけない。執着は、心の自由と正しい思考を奪ってしまう・・。

釈迦の言葉・・・

持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・執着をしては成らない・・と釈迦は言っている

全てにおいて、距離を置くは・・・心のゆとりと安らぎを見出す。

あの時、釈迦から言われた言葉・・・、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」と言われ、そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・言われた。

それは、どう言った意味なのか・・・。

子供の頃は、将来の夢を色々と描く・・・。やがて大人に成って、その夢へと邁進が出来る者は少ない・・。

何を成すべきか・・・?このままで良いのだろうか・・・?そんな焦りと共に20代を終え、30代・・40代・・50代へと進んで行く・・。60代に成れば、子育ても大方に終わり、自分の余生を考える・・。その先は、段々と、体力も劣りえ、日常生活も思うように出来無くなり、認知症も始まって来る。

老いは誰にでもやって来る。事故や災害や病で途中、命が尽きる事無く無事に老いて行けば、誰もが経験をする

20代を境に、年を取る事が嫌に成る・・。30代に成れば先の40代を思い、40代に成れば、50代を思い50代に成れば60代を思い・・老いる事を恐れ嫌に成る。しかし、どの年齢に差し掛かっても、一番、重要視し大切と思えるのは、生きている今の年齢で有り、今、この時である過ぎ行く過去も未来も幻にしか過ぎない。

老いて、日常生活に不自由をし認知症に成ってしまえば、何も分らない様に周囲は思うかもしれないが、そう成っても尚も、悲しみ辛さ喜びや寂しさ楽しさなどの人としての感情・心は変わり無く働く。

何事も無く、無事に年を取ると言う事は、やがて自分にもそう言った時がやって来ると言う事である。言い換えれば、老いを今の瞬間、時として迎える時がやがてやって来て、全ては過去と言う幻と成り、希望有る未来は無い・・・その瞬間がやがて来る・・。その時が、幸せで無ければ、輝かしい過去も溢れる財産も何の価値も無くなる。

老いの渦中に居ない自分達は、何処かで、老いてしまえばお仕舞いだ・・。老いた者に価値を見出さない・・。余計者・・。そう思っているだろう。社会の何処かの片隅に追いやり見て見ぬ振りをする・・。手が掛かる・・・。勝手にしてくれ・・。面倒だ・・。自分の事で手がいっぱいだ・・。そうやって言い訳をし、知らん顔をする・・。恵まれた財産が残っておれば、それをどうするか・・が、気になる所だろう・・。

老いて行く親を持て余す・それが今の社会であり、いい加減な大人に成った子供達である。その子供達は、我が子にばかり目が向けられている。やがて、自分達も、子供が離れ夫婦二人と成り、やがて一人と成る時が来る。子供達とは別々の方が気が楽だ・・・。そう思っているかもしれないが、その考えは、間違っていた事に、やがて気が付く時がやって来る・・。

社会の片隅で、一人暮らす老人・・。長く暮らした場所・故郷と言える場所で体が動く限り田畑を耕し守り続ける老人・・・。人知れず寂しく死んでしまう場合も有るだろう。または、やがてグループホームに入るのかも知れないし、老人ホームに入るのかもしれない。

大いなる出世をし皆から頭を下げられた人も、多くの富を築いた人も、どんなに気位の高い人も、そう言った場所に行けば、大方のものを持っては行けない。グループホームでは、小さな洋服ダンスに、小さな和ダンスは一つ・・。僅かな季節の洋服と下着くらいしか持って入れない。勿論、地位も名誉も気位も・・持っては行けない。残された財産は、子供達の物と成る。決められた生活に従い、生活を送る事と成る・・。

老人向けの病院は、重症の患者が入院をする。歩ける者は、早くに歩けなく成る。決められた時間にしかオムツも替えてもらえない事が多い。洋服もも何も大方は何も持って行けない・・。ここで、人生の終わりを迎える事と成る。例え、認知症でも感情は生きている。尊厳されるべき命がそこに有る。

97歳のおばあさん・・・大方が認知症だけれども、「まだ、死なへんから、連れて帰って・・・」多くの苦労を重ね、多くの富を築いた人だ。三人の娘を一人で育て上げた70代の母親・・・。認知症が始まったばかりだ。家族の手助けが有れば、まだ、歩けるし小さな手伝いなら出来るだろう・・。しかし、娘達は、誰も引き取らない・・。「早く、死にたい・・・。」そう言っていた。95歳のお爺さん・・・。節約し、多くの財産を残したけれど、入院し直ぐに歩けなく成ってしまった。「豪華客船に乗って世界一周でもするか・・。」娘に、出来ないと分っていて話してみた・・。時として、まともに戻る思考の中で、そんな事を発する時が有る・・。

老後は価値の無い時代・・と思っているかもしれないが、人生の最終章・・。本当は、それが一番に大切な時代でやがて自分達にも必ず来る時、瞬間であるその瞬間、時が幸せかどうか・・・?。それによって、生きて来た人生・過去が一気に変わってしまう。

幸せな人生の最終章・その時、瞬間は如何すれば、迎えられるか・・?それは、家族と共に終わりまで一緒に暮らす事である。そして、老いても尚も、家族の一員として、己の出来る事を最後まで全う・・協力し働く事に尽きる。必要とされる・・・。それは、自分から進んで働く事に有る。

腹の立つ事・うざい・・と思う事など嫌な所も含めて、一緒に食事をし、そこに居てこそが家族である。都合の良い事ばかりを求めたり、老いて手が掛かる事を避けたり逃げたり・・それは、もはや家族では無い・・。老いて、尚も働き、家族と共に過ごしてこそ、認知症を遅らせ生甲斐も幸せも存在する。家族の他愛もない話声を耳にする・・孫やひ孫の声が聞こえる・・・それだけで、幸せで居られる。

釈迦の言ったあの世には何も持っては行けない・・」それに続いての「現状を良く見よ・・。」その言葉は、人の最終章にお置いても、大方に何も無くなる・・。家族と過ごす時間こそが大切で有る。しかし、今の社会では、老いる者は家族から省かれ、一人、寂しく終わりを迎える・・悲しい現状を時代を指して言った言葉だろう。

終わりを幸せに過ごす・・。終わりを知る・・。それを悟れば、今をどう生きるべきかの大切なものが見えてくるだろう。

そして、執着をしない・・。 持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・。着かず離れず・・の心持で、思考する・・。その事が大切なのだろう。

90%以上の、人達が幸せだ・・・と、答えるブータン国の人達・・・。その国の人に、「どうして幸せなのか・・?」と尋ねたら、当たり前の様に、「それは、家族が一緒にいられるからだ・・・。」と、意とも簡単ににこやかに答えていた。

私達、日本人は、何か大きな勘違いをしては居ないだろうか・・。

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