スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

神仏と悪魔…天国と地獄。

2016-04-16 00:11:24 | 神仏から教えてもらった事

.   神仏と悪魔・・・天国と地獄・・・あなたはどちらを選びますか・・。        スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

人には、欲が有る・・。性欲・食欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲・・・大きく分けて五つの欲を・・五欲と言う。

生きる為に必然と生まれたものでは有るが、何れも度が過ぎる事を良しとしない。この五欲は厄介なもので、求める程に満足を知らない。

一時的に満足をしたとしても、直ぐにまた、もっともっと成ってしまう…これを喝欲と言う。砂漠に水を灌ぐ様なものである。

求めるほどに多くを欲するほどに不安が付きまとう事と成る。失うを恐れる事と成る。

安穏とは暮らせなく成ってしまう。真の幸せからはほど遠く成ってしまう。

 

人は生きるにあたり、思うように欲を満たす事が出来る訳では無い・・。或いは失ってしまう事も多々ある・・。

思う様に欲を満たせない・・・失う事の心の葛藤がら生まれるもの・・・それを五悪と言う。

嘆き・悲しみ・怒り・憎しみ(恨み)・殺意・・の五悪である。この五悪は・・・心(魂)を苦へと導く・・・生きながらの地獄を背負う事と成る。

五欲も五悪も人として持って生まれた宿命とも言えるのだろう・・。

だから苦しむ事と成る・・・故に、釈迦は、この世は苦である・・と言っている。


心(魂)が苦(苦しむ)であれば、当然、幸せには成りえない。 人が羨むほどに欲するものに満たされている様でいても・・

人に見えない心(魂)は苦るしみ・・生き地獄の渦中にいるかもしれない。

それぞれ別に各々が持ちえる魂しいだから他人には計り知れない・・。己自身が、己の魂を地獄の渦中から救わなければならない。

故に、釈迦は、欲しなければ、悪は生まれず、苦しむ事も無くなる・・・それを・・空・・と言い表し、

空・・こそが、心が安穏といられる手段であり・・・安穏こそが幸せで有ると言っている。


生きるは…生活で有り、生活する中では、五欲もある程度は必要で、それにより生まれる五悪も生まれるのが現実で有る。

故に、苦しみも生じる・・・そんな時、神仏の教えが光明となり導かれる


喝欲から生まれる・・・五悪・・・。悪は、人がもたらしたもの・・。人がもたらした悪・・・そこから生じるものが悪魔である。人の産物である。

この悪魔・・・形を変え姿を変え小さなものが引き寄せあい大きな悪魔と成って行く。生きる人の悪しき心(魂)から生み出されるものと

死した者の悪しき魂を引き寄せ大きく成長し、悪魔・・或いは魔神となり神々と対座し存在する。

生前、悪しき魂を持つものは、死後、当然、悪魔に魂は有無を言わせず引き込まれてしまう。これを地獄に落ちると言う。

全うな清き魂は、引き寄せられる様に天上に上る。これを天国・或いは極楽へ行くと言う。

死後、未練を残した魂は、悪魔に取り込まれぬ様に気を付けなければならない・・。そうならない様に、神仏は導きをされている。


悪魔は厄介だ・・。死後の悪しき魂から生きし人の悪しき魂から・・引き寄せ形を成し巨大化してしまう・・。巨大化した悪魔は、戦争の導きをしてしまう事もある。

或いは、人に降臨し悪事の導きをする事も有る。

故に、喝欲・・・多くの欲を持たない・・・悪しき心(五悪)を滅する努力をしなくては、魂は、天上には上れない。

悪魔に取り込まれた魂は、二度と天上には上れない。

死後、迷う魂は、説得をし天上へと上げられるが、悪魔に取り込まれた魂は、もはや自分の魂としては成り立たない・・。

故に、神々或いは御仏により消滅をするしかない・・。

神仏は、生きる人の魂を清くする為の教えを説き幸せへと導き、清き魂を天上へと導き、迷える魂をも天上へと導き、悪しきもの・・悪魔を消滅する。


私は、悪魔を見た事が有る見る・・・とは、透視と肉眼で見る・・・とが有り、肉眼では、はっきりと2回、見ている。

悪魔はあらゆる姿に変貌し、国によっても見え方や呼び名は違うのだろうが、ここ日本では、おろち・・として現れる事が多い。

私が肉眼で見たものは、おろち・・だ。スサノオの尊に出てくる類いのものだ。

詳しくは、近いうちに話をしようと思っているが、実際、見てしまうと悪い事は決して出来ない・・・と思う。

経験をさせられ体感させられ教えが真実である事を証とし指し示される。

読む・・聞く・・よりも、実際の経験・体感は、何よりの修業である。


神仏は後に先に教えを説き・・経験・体感を教えの証とし指し示し、修業は続いて行った。

つづく。

maco-coishi

 

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イエスキリストさまって???…天国と地獄・・・のお話し。

2016-04-04 00:35:42 | 神仏から教えてもらった事

 イエスキリストさまって?・・・天国と地獄・・・のお話し                                 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへスコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧

 

 心清き者は、神仏を降臨させ、心卑しき者は、悪魔(魔神)を降臨させる・・。この言葉は大変、重要で、長い修業の中で、戒めとして心に深く刻んでおります。

 悪しき心は、正しい教えを聞き誤り、悪しき神の言葉を聞き入れてしまう恐れが有るからです。

 「私・・・のみを信じなさい・・。」と、ある宗教の教えで他の教えは邪道である・・と言われていますが、、、神と交信をされた際、

 悪しき心を少しでも持っていると、正しき神の御声を教えを聞いたつもり見たつもりが、魔神の教えを見聞きする恐れが有ります・・。

 それほどに神と魔神(悪魔)は、近くに対座し、交信の際に、同時に現れる場合も有れば、神に化けた姿を見せる場合も有ります。

 魔神(悪魔・悪しきもの)は、神にさえ簡単に化けてしまうとても厄介な存在なのです。

 ですから、「私・・・のみを信じなさい・・。」と言われたのは、交信の際、悪しきものが近くに存在したのかもしれません。

 

 心(魂)白き者に神は必要によって姿を変え名前を変え現れます・・・求める人に降臨されます。

 

 真白ろき・・限りなく聡明で美しく清き魂に私は出会った事があります。初めでの経験でした・・・。

 そのお方は、イエスキリストで、あのお方ならば確かに正しい神の教えをお受け取りに成ったのだろうと確信がでました。

 神の教えは、見聞きした本人が書き記したものでは無く、伝道師・・弟子と言った方々が後に書き記した物なので、

 微妙に真実と違う場合も有るかもしれません。今と成っては、分かりかねますが・・。

 

ここで、少しイエスキリストについてお話をしよう

 イエスキリストは、大工の子とし生まれ、父親を手伝いその後、父親を亡くしその後は、兄弟や母親の面倒を見、家族の為に生計を立てていた。

 子供の頃から宗教の勉強を怠らなかった。30才頃に、洗礼を受けた時に目覚めた。その後、教えを説き、やがて弾圧を受け、十字架に処せられた。

捕まった時に、それまで同行していた弟子達は、捕まるのを恐れ、イエスキリストを知らぬと嘘を付き、イエスから離れた。イエスの死後、悔い改め伝道師と成った。

 そして、イエスキリストは、黄泉の国では無く、神の国に入られた。

 目覚める以前を考えても、恵まれ豊かな生活をしていた訳では無い様で、目覚めた後は、住む場所も財も何も持たず、教えを説いて弾圧を受け、最後には、

弟子に裏切られ、苦痛の十字架に処された。

両手両足を釘で打たれ、腰骨を砕かれ、横隔膜で息をする苦痛を3時間にも渡り受けた後に、召された。

「我が神・我が神・・・どうして、私を見捨てられたのですか。」と十字架でイエスの最後の言葉が有る。

しかし、その言葉には続きが有る。詩篇第22である。「それでも、私は、神を愛し信じ悪しきものと戦う・・・。」と言った内容の詩篇である。


イエスキリストが「どうして、私を見捨てられたのですか・・?」と、言った言葉は、分かる気がします。

どん底の場では、全く神仏の言葉も姿も無く、気配さえも感じない時が有ります。

それはまるで、「それでも私を信じ受け入れますか・・。」と、試されている・・そんな感じがします。

 

しかし、「それでも私は、神を愛し信じ、悪しきものと戦う・・。」その意味も良く理解ができます。

私もそう思ったからで、今もそう思っております。

イエスキリストの言う「悪しきものと戦う・・。」それは、この世で弾圧した悪しき者達との戦いを意味するものばかりでは無く、

死後も神となられた後も、悪しき者(悪魔・魔神)と戦うとの意味でもあります。


正しき神は、悪魔の消滅を目的とする・・。悪しき心を打ち払う為の教えを説き、愛の意味を説き人々を幸せへと導かれる。

正しき神は、代償を求めない・・。


悪しき神は代償を求める・・。死後、魂の取り込みをする。「いい思いをさせてやっただろう・・。願いを簡単に叶えてやっただろう・・。だから代償にお前の魂をよこせ・・。」と。

取り込まれた魂は、悪魔と一体化される・・。これを地獄に落ちる・・とも言います。魂は、天には上れない。

それはまるで同様のものが、磁石にひき寄せられる様に似ています。


神も御仏も、甘くはありません。なかなか簡単には望みを叶えてはくれません。

しかし、どんな境遇の中でも正しく清く生きたものは、天上へと導き迎え入れられます。これもまた、同様のものが磁石に引き寄せられる様に似ています。

これを天国・極楽への導きと言います。

つづく・・。

maco coishi

 

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神仏と共に生きる・・・確固不抜の魂

2016-04-02 22:27:18 | 神仏から教えてもらった事

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   ある日、突然に目覚めた・・。苦しい時期を過ごしていた頃の事・・。家の中の掃除をしていると・・いきなり「掃除は外からするものじゃ・・。」

 そんな他愛もない言葉がはっきりと聞こえ始めてから、随分の年月が経ってしまった。

 それまでにもその傾向は幼い頃から有った様に思うが・・・逃げて避けてきた。命も度々、救われた事が有った。救われる度にただ事でない事も分かっていた。

 幼い頃、バイクに跳ね飛ばされ宙を舞ったが、痛くも無かったしかすり傷一つ無かった。池に落ち藻が足に絡みつき危うくおぼれ死にそうに成った時も、たまたまいた近所の人に助けられた。

 記憶には無いが肺には肺炎の跡が有る・・。他にも死にかけた事は数回かあった・・。


 十代の頃…悩み多き頃・・・聖書を読んでいた時期に、聖書を閉じ電気を消し寝床に入って間もなく・・私の上を光がぐるぐる・・とゆっくり回っていた・・。

 慌てて飛び起きて電気を付けた・・。神社にたまたま一人で・・誰も居ない時・・・気配(声かけ)を感じ・・逃げて帰ってた・・。夢で何回も霊山と言われる処からお誘いが有った・・。

 私は怖がりでそんな時は「わ~わ~」と打ち消す様に、悲鳴にも似た大声を上げ逃げまわる。関わらない事にしていた。

 現実の世界で、生きる事に精一杯だった。関わる気も無ければ暇も無かった。

 なのに・・・とうとう関わってしまう事と成ってしまった。

 

 他愛も無い呼びかけから始まり「お前は忙しいだろうから言葉で教えよう・・。」そう言われ一人黙々働く中、色々な神仏が現れ、入れ替わり立ち代わり次々と教えを説き、

 「分からない事は質問せよ。答えよう・・。」と、教えが始まり、そして不思議な経験も数多く有った・・。また、不思議な力も頂き、神仏のお使いをする事も有った。

 一人では信じがたい事・・ちょっと頭が変に成ったのでは・・と、思う頃には、ちゃんと相棒を用意して下さり、経験の証人となり・・・「これって・・本当に起きた事なんだ・・。」

 と、確信をする事が出来た・・。そしてその相棒には随分と助けられた。


 ただ、それだけでは無かった。想像を絶する・・・苦難の修業が待っていた。

 誰だって、神仏を近くに感じれば、苦しい事態を救って下さるのでは・・と、どこかで期待をしてしまう・・・当てにもしたくなる・・・助けて下さると思ってしまう。

 が・・甘くはない・・全くその逆である。

 あがいても・・あがいても、物事はさらに上手くいかない・・・。それどころか、突き落とされる・・そんな感覚さえあった。

 だから、私は逃げたかった・・。関わりに成りたく無かったのだ。、生まれて間もない赤子の時に、とても気が重かったのも

 このせいで・・ずーっと無意識の中、避けてきた。

 

 修業は十数年続いた・・・。苦難に必死であがき続け立ち向かっていた。

 そんな中、瞑想をしている時に、「手を離せ・・・。激流を逆に泳いでも無駄である・・。疲れるばかりである。流れに身を任せよ・・。」と、言われた。

 一人、深い深い海の底で沈み横たわる自分が見えた。

「時期が来ればやがて流れに乗り浮上するであろう・・。」とも言われた。深い深い海の底は、静かで・・そして無であり・・それでも光に包まれていた。


 私は、全く持って全てを無くしてしまった・・。神仏に深く関わるとはそう言う事なのである。だから、下手に関わらない方が良い。

 関わらず、普通に生きていれば、今までどうり、少々、何が有っても頑張れば事は足りて上手く行く人生を送っていただろう。苦労は多かったけれど、苦労を踏み台にし

 生きる自信は、経験から身に着けていたからだ。それなのに・・・「しまった・・」としか言いようが無かった。人生は、大いに狂ってしまった。


 人には、欲が・・5欲が有る・・。その欲から生み出されるものが、5悪である。嘆き・・悲しみ・・怒り・・憎しみ・・殺意・・。大きく分けるとそうなる。

 その悪から生み出されるもの・・・。それが悪魔と言うものである。人が生み出したもので有る。

 

 神々も御仏もあらゆる正しい信仰とされるものの教えは、全ての根源として5悪を消滅する事に尽きるだろう。

 故に、日本の神々は、払いた給え清め給え・・・白す・・・と。そして、御仏では、空・・無・・と言っている。


 5欲を捨てなければ、5悪を生み出してしまう・・。真に神仏の手足と成り務めるものは、欲を捨てなければ、力を発揮できない。正しき神を見失う。

 悪魔は、神仏のすく側に対座している・・。欲深き者は、心卑しきものは、神を見聞きしたつもりが、魔神(悪魔)の声を見聞きしてしまう。

 魔神(悪魔)は、時として安易である・・。時として7分8分目、もっともらしい事を言う・・。後の2分で本性を現す・・。


 考えてみれば、修行僧は何も持っていない・・。シスターも、神父も・・本来は、そうなのであろう。

 マザーテレサも、何も持って無かった・・。

 しかし、宗教さえ、一歩間違えれば、権威欲や物欲(金銭欲)にまみれてしまう場合が有る。そこに集まる人々の欲が・・悪が・・魔神(悪魔)を降臨させてしまう。

 

 深く深く・・沈んだ海の底で、私は、当面、苦しんだ。無くした現実を受け入れる事が出来なかった・・。そして、如何に取り戻そうか・・と思考していた。

 だから、相当に苦しんだ。

 そのな中、度々、以前に行っていた神社の分社に行く機会があり、泣き言を言いまくると「いさぎ良しとせよ・・。」の一言・・。

 ちーとは、慰めのお言葉を頂けるものかと思ったら、つれない一言・・。ぴしゃ・・と言われてしまった。私は、執着の極み・・だった。

 足掛け…十数年・・。人とは厄介なものだ・・。あれだけ長い間、あれほど教えられても…理屈で(頭)分かっていても・・・行動と心(魂)は伴わない。

 本当に疲れてしまった。


 時は流れた・・。静寂で・・孤独の時・・。

 そして、教えられた事がやっと身に付いた・・と言うか、納得が出来た・・この身と頭と心(魂)が、やっと教えと一体に至る事が出来た。

 随分と時間が掛かってしまった・・。

 その後は、清々しく、有難く日々をすごしている。

 

 ここまで難儀な時を長く過ごすには、意味が有った。確固たる動じない魂を創る必要が有ったからだ。

 そして・・・私のすべき、お役目が待っていた。

 つづく・・。

 maco-coishi

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