スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・自分の中に沈むそれ・・に勝つその3

2012-07-30 01:40:35 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・自分の中に沈む・・それ・・に勝つ(その3)・・・ブッダの言葉より・・

◎「ポジティプ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブ」な心に勝つ・・。その2

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懸命に相当に働き続け時期があった・・。364日・・早朝から晩まで働き続けた・・。身を酷使し得たものは・・・?。

そうする事で今の現状を少しでも良くしようと思った・・思考する事から神事から逃げようともしてみた・・。何か悟れる事が有るかも・・とも思ったりもした。働き尽くし、無(空)に成ろうとしたのかも知れない・・。が、もはや思考は支離滅裂となってしまっていた。

そんな中でも、一日の一時をボーっと言う感じの瞑想らしきものを気が付けばしていた。そして、そんな時は、何時も天に問いかけてみた。

問うても問うても教えてくれない・・。関係の無い他人の危機や災いなどは知らされる・・。当分経ってから・・「チョト遅すぎる・・今さら・・」ともその時は思ったが、それは、分り易く、神話らしいもので聞かされた。

その神話らしき話を、掻い摘んでお話をしよう。

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題名は・・・「つるりん葉(パ)!」と言う。

夏の暑い早朝から、蟻の軍団(行列)が、今日も一路・・食物を確保に歩いて行く。すると、何処からか今までに無い美味しそうな匂いが漂ってきた。今日は、その美味しそうな匂いの正体の食べ物を確保する事とし、その高い高い草木に登る事とした。

リーダーを先頭に、次から次へと蟻達は登って行く・・。最後に、まだ未熟な青年蟻・・も登って行った・・。

高い高い一本筋の茎はどこまでも続いていた。この美味しい匂いの正体は、「つるりん葉・・の実」である。このつるりん葉の実は・・通常の果物の様な生り方をしてい無い。葉っぱの先にくっ付いている。それは、まるで雨上がりの水の雫が葉っぱの先に垂れ下がっている様子にそっくりだった・・

蟻達は、高い高い茎をよじ登りやっと葉っぱの部分に辿り着き、実が見える位置だ。そして、蟻達は、つるりん葉に手足を乗っけた・・・その瞬間に、つるりん・・パ!と次から次へと蟻達は落ちてしまった・・。

このつるりん葉は、よく滑りその葉の上に乗っかったものは落っこちてしまう・・。次から次へと蟻達は落ちて行く・・。そしてとうとう残ったのは、青年蟻1匹と成ってしまった。

青年蟻は、必死でしがみ付きならが、次から次へと他の蟻達が落ちて行く様を見ていた・・。落ちて行く蟻達の叫びは暗い闇の中に消えて行く・・。落こちても何の音もしない・・静かだった。青年蟻は思った・・。「これは相当に高い位置に自分は居て、落ちれば死んでしまうだろう・・。」と・・次から次えと悪しき思考・・ネガティブが襲い掛かってきた。

青年蟻は、必死でしがみ付きながら、神に祈った・・。「どうか神様・・助けて下さい・。私は、真面目に懸命に働いてきたのです・・ですから、どうか私を助けて下さい・・」と必死に祈った・・。しかし、神は現れず、もはや限界の極致と成った・・。

青年蟻は、思った・・。「何で自分はこんな目に合わなくてはならないんだ・・」と。

丁度、そこへ、そよ風がやって来た・・次から次へと風を運び、つるりん葉を揺らす・・。青年蟻は、そよ風に向って「この葉を揺らすのは止めてくれないか・・。見て分るだろう。。私は、今、正に奈落の底に落ち掛けているのだチョットでもお前が揺らすと私は落ちて死んでしまう・」するとそよ風は「それじゃ・・落ちれば良いじゃないか・・」とにこやかに言って立ち去った。

青年蟻は思った・・。神も仏も居ない・・と。

この話の続きは、無い。後は、自分で考えよ・・と言う事である。しかし、どう言った意味かが分らなかった。後に成ってその意味とこの話の結末が分る事と成った。

その後も、私は限界を感じながらも働き続けた・・。それは、まるで,いじめられても尚も死ぬまで学校に通い続ける・・子供の様だった。思考する事など出来なくなってしまっていた。タダタダ、働く事が唯一の希望に繋がる・・救いになる・・或いは、義務であり責任で有り・・楽をする事は許されないと思い込んでいた。

そんな或る日の事、それは岩盤浴で寝そべり瞑想に近い状態に有った時だった。

もう、手を離しなさい・・。」と。「まるで、荒波に必死に逆らって泳いで居る様なものです。泳ぐのを止めても良いんですよ・。荒波に向って必死に泳いでも意味は有りません。身を海の底に沈めるとよいでしょう・・・。海の底は静かです・・。時が経てば、やがて自ずから泳ぎ浮かび上がり、身を波に任せると、今度は、軽く泳ぐだけで、波に大きく乗っかり進む事も可能に成ります・・。覚悟を決める事です」と・・。優しく申された。

相当に、気が楽に成った・・。でも、死ぬかもしれないとも思った。

私は、神仏がそうおっしゃってくれたから・・救われた。しかし、地獄の場へ毎日、通う子供は誰が言ってくれるのでしょうか・・。それは、はき捨てる様に言うものでは無く、優しい救いの言葉と成らなければならない。

では、つるりん葉!の結末の、話をしよう。後に、分った事である。

無論、青年蟻は、おっこちる結果と成った。でも、死ななかった。

先に落ちて行った多くの蟻達は、さっさと次の食物確保に行き、その場には誰も居なかった・・。他の蟻達は、落っこちたのは、さほどに苦には成って無かった。今までに多くの経験・・・落ちる経験をしていたから、この程度高さで落っこちても大した事は無い・・怪我もしない・・。自分達、蟻が身が軽い事を知っていたのである。故に、落ちた音もしなかった・・。

青年蟻は、経験が無かった・・。落っこちる事を考えた事も無かった。おっこちる事を悪い事と思っていた・・。ネガティブが四面楚歌を呼び、落っこちる自分の心魂を重いものにしてしまっていた。

あの時、やって来たその風・・「落ちれば良い・・」とにこやかに言ったそよ風こそが、神であった・・。

ポジティブは、おっこちてから、多くを失った後に、無(空)に成ってこそ、持てる思考である。ポジティブな思考は、多くのよき事を引き寄せる・・。それは、波に乗っかりスイスイトと気が付けば、軽やかな心で泳ぐ様である。 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・自分の中に沈む・・それに勝つ(その2)

2012-07-28 02:50:36 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・自分の中に沈む・・それ・・に勝つ(その2)・・・ブッダの言葉より・・

◎「ポジティプ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブ」な心に勝つ・・。

自分の人生で、幸せに成る為の重要な一つの思考がポジティブ・・である・・。が、これがなかなか難しい・・。必要とされる時こそなお難しい・・。

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ポジティブに成りなさい・・と言われても、苦悩に不安に支配されている状態の中では、ポジティブに成る事は難しい・・。言われなくても、そんな事は分っている・・と言いたくも成る。

それは、火事に遭遇し大焼けどを受けた怪我が、相当に爛れ絶えられないほどの痛みに有る状態に、「あ~なんと気持ち良いのだろうか・・。」と、痛みを快感に転換する様なもので、幾らイメージしてみても、そんな事は無理な話である。

では、どうするか・・。先ずは、火事の災難から身を守りその場から逃げる事である。そして、次に怪我の治療をする事・・。その後に、ポジティブな思考をすると言う手順に成る

痛み(苦悩)と共に、大きなネガティブの波は自分に押し寄せ襲ってくる・・。すると、今度は、「大丈夫だ・・心配ない・・。」などと自分に言い聞かせが、ポジティブな思考をしてみる・・。すると、ネガティブの波が去って行く・・。が、直ぐにまた痛み(苦悩)と共にネガティブの大波が押し寄せ襲い掛かる・・そんな繰り返しの揚句に、とうとうネガティブの大波に飲み込まれてしまう・・。

このネガティブの波・・普通の波と違って、自ら引き下がる事が無い・・。ネガティブの波はポジティブの波でしか押し返せない・・。次から次へと襲ってくる。

では、このネガティブの波・・思考は何処から来るのだろうか・・?

それは、欲する・・或いは保っするを失うだろう不安・・或いは無くしてしまった現実を受け入れる事が出来ない不安・・又は、得られない・・と言った人間の欲・・から大方はやってくる。

金銭や財・・を失ったら・・・愛する人と別れる事に成ったら・・又は、幾ら思っても得られない人・・・名誉・・・権威・・を無くしたら・・・などと失う・・・得られない・・欲からおきる悪しき心・・不安や苦悩・・からネガティブの波は始まる。

ネガティブ・・の大波に飲み込まれたら、下手をすると命を落としかねない場合も有る・・。たから、そんな時は、欲から手を離す・そこから逃げる・・諦める・事が先ずは、肝心である。火事の災難から身を守りその場から逃げる・・に当たる。

治療をする・・は、瞑想を意味する・・自分と向き合う・・を言う。そして、自分の欲深さを知る・・。無くした現実を認める・・。そうやって、己の心魂がシンプルに成って、はじめてポジティブ・・は始まる・・。しっかりと大きなポジティブの大波を自ずと造りだせる・・。ネガティブの波を押し返し飲み込んでしまえる。

己の心魂がシンプルに成った時に、本当の価値あるものを悟る・・自分の道が始まる・・そして希望や目標が生まれる・・進む道には光明がある・・。

そうなると、苦しい時も難儀な事も価値が有るものに変わる・・・。故にポジティブの大波・・しか存在しなくなる。

全ての原理・・相対性の原理・・からは、目に見えないあらゆるエネルギーは、同様・・同類のものが引き寄せられ集まり大きなエネルギーと成る仕組みと成っている。

悪は悪のエネルギーを引き寄せ、善(愛)は善のエネルギーが引き寄せられ集まろうとする様に・・エネルギーは、拡張・拡大を図ろうとする・・。それは、まるで意志を持っている様でもある。そうやって集まりしものは、相反するものと反発をする。

科学のプラス・・マイナス・・の関係・・磁石の様な関係・・と同様である。科学とスピリチュアル・・な世界は、切り離せない関係にある。

よって、ポジティブからは、さらなるポジティブを・・良い運気・・やチャンスなど・・よき事が集まってくる・・。

逃げる・・・諦める・・・手から離す・・・美徳の思考から考えると眉をひそめる・・良い事とは感じないかもしれないが・・そうでは無い。

例えば、毎日、通う学校・・・まじめに行かなければ・・ならない・・からと頑張っていたら、何れ、耐えられなく成って死んでしまう。命より尊いものは無い。先生にいくら言っても助けてくれない・・・同級生も見てみない振り・・・そんな学校に何の価値があろうか・・・?だから、手放す・・逃げる・・諦める・ので良いのである・・。

学校に行かないと社会の価値感・・のレールから外れてしまう・・。そのレール(道)は、人間が社会の欲が創り上げたレールである。他人に、箸にも棒にもひかから無い・・ばか者と言われても結構・・。その箸も棒も社会が人間が造った欲で出来上がった価値の無いものだから・・・ひかからないのが幸いである。

子供は、社会のレールに乗っていなければ成らない・・と身に付いて教えられ、必死にしがみ付いている・・。だから・・死ぬまで学校に行く・・。子供にとって親は、プレッシャーにしか他ならない・・。

親は、言わずとも社会のレールに乗る事を社会と一緒に成って子供に求めている・・。故に、子供は親を愛していてもプレッシャーを感じて何も言えない・・。死ぬまで学校に行く・・。

尊い子供・・愛しい子供の命・・に代えられるものは無い。だったら、さっさと言えばいい・・。「そんな先生や同級生の居る学校なんか行かなくて良い・・。手を離しなさい・・と。学校が無くっても勉強はいくらでも出来る・・夢も目標も・あなたの未来はとても明るい・・と。」言ってやりなさい・・。そしてその子の価値あるスタート・・歩むを一緒に成って応援してやりなさい・・。

手を離す・・諦める・・捨てる・・・落ちる・・・。それは、価値有る生き方をする為のスタート地点にしか他ならない・・。すがり付くほどに・・ネガティブの波は襲ってくるのだから・・。

全ては、シンプルに成ることからはじまる・・、

命が有れば、治らない傷は無い・・。残った傷跡は、竹の節の様なもので自分の強さへと変わる・・。

已む無く・・或いは自ら手放したものへの執着は、分ろうとしても失った現実に苦悩する・・事が有る。それは、まるで火傷が急に痛くなったり治まったり・・の繰り返しをしながら治って行く様なもので、時間が必要である・・。

傷を治すのは時間だけでは無理で、薬と成る神や御仏の愛である正しい教えが必要で有る・・・そして、周りの人の愛が傷を早くに治す要因となる。

時には、諦め手放す・・事が必要な時が有る・・・後で、振り返ってみれば、何とくだらないものにしがみ付いて居たかを悟る事となる。無くして空になって始まる希望や目標が有る・・そうしなければ、ポジティブには到底成れない場合があるのだから・・。

今日から始まる・・・オリンピック・・そこからも例題を上げてみよう。

懸命に練習と努力を重ねた結果が、一瞬によって決まる・・。

はじまる瞬間・・・己との戦いが始まる・・。金メタルが欲しい・・・と欲を出す・・みんなの期待(欲)が、プレッシャーと成る・・瞬間・・ネガティブの大波が押し寄せ襲ってくる・。悪いイメージ・・スタートを失敗したら・・金メタル取れなかったら・・みんなの顔が浮かブ・・悪しき結果が思い浮かぶ・・・。

金メタル・・が欲しい・・思いが・・期待されているのに得る事が出来なかったら・・と欲が不安が生まれる・・。ネガティブの大波がどんどん襲ってくる・・。

て・・・ここでもって、欲を捨てる・・。手を離す・・。諦める・・。一瞬の間に思考する。

欲を捨てて、無になって、はじめて良いイメージが浮かぶ・・。練習や大会で一番良かった時の事をイメージする・・。それは・・げんかつぎ・・の仕草・・やルーティンとやらの形に表れる・・。それはポジティブに変わった瞬間でもある。ポジティブは良い結果・・良い運気・・良い事を招く・・。結果が、金メタルと成る・・。

欲を捨て・・瞬時にシンプル・・無に成った時に、ポジティブに成れる・・。

ポジティブ・・・良いイメージ・・げんかつぎ・・仕草・・ルーティンとやらに注目をしオリンピックを観るのもいいかもしれない・・。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・自分の中に沈む・・・それ・・に勝つ

2012-07-26 07:24:17 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・自分の中に沈む・・それ・・に勝つ(その1)・・・ブッダの言葉より・・

 怒らない事を武器にして自分お中に沈む「怒り」に勝つ・・。「ポジティプ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブな心」に勝つ・・。「分け与える事」を武器にして、自分の中に沈む「ケチ」に勝つ・・。「事実のみを言う事」を武器にして、自分の中に沈む「嘯つき」に勝つ・・。

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生きて行くには、人との関わりが欠かせない・・。好きな人もいれば、嫌いな人だっている・・。学校で職場で近所で・・と生まれた時から関わりは、はじまり人間関係は続く。大人に成れば成るほどに、それは重く圧し掛かってくる。故に、人とは出来るだけ厄介な関わりを持ちたく無い。見て見ぬ振りをする事も有れば、相手に合わせて心無い嘘(同調)を言う事もある・・。

学校で、とことんじめられ・・それでも学校に行く。とうとう学校に行けれなくなってしまう・・。職場に行く・・・人間関係が上手く行かない・・。とうとう職場に行けなく成る・・。そのな時、周りの目は批判の目に変わる・・。益々、人が嫌になる・・そして怖くなってしまう。

いじめられる方にも問題がある・・。親の育て方悪い・・。社会の落ち毀れだ・・人間失格・・のレッテルを貼られてしまう・・。

心配しなくて良い・・。社会の決めた価値感・・レール(道)からは、そんなくだらないものからは、さっさと降りるに限る・・。悪いのは子供でも親でもない。社会人と成ったあなたでもない。そして、それは己の人生の本当の価値感を見直し得る為の始まりでもある。良いチャンスなのであるのだから・・・

何処が悪い・・と聞いてみれば、あそこだここだと言われても、みんなそんなところを持っている。完璧な子供も大人も一人もいない・・。親の育て方が悪い・・・ではどこが?と聞いてみれば、あ~だこうだと言われても、親とはそんなもので、完璧な親など一人もいない・・。

だから、自分を決して責めてはいけない・・。かと言って、他人の所為にしてしまっても恨んでもいけない・・。

そう成ってしまったのは、たまたまである・・。何時、誰がそういった立場に成るか分らないのが今の世の中である。

誰かが、投げた石が、たまたま通り掛かったが為に、たまたま当たってしまった。昔だったら、当たった人を周りの人が気遣い駆け寄り心配し、当たった箇所をさすってくれただろう・・。しかし、今は、違う。当たった事が面白い・・。だからまた寄ってたかって皆が石を投げる・・。人の苦しみを快感としてしまう人がいる・・・。それを観て、知らん顔をする人達がいる。

昔は、見て見ぬ振りもしなければ、人の苦しみを快感とするやからがいたら、その人間をたたきのめし二度とするなと周りの者が戒めた・・。が、今の社会はそれが無い・・。

人間の心魂を視る事は出来いないが、あえて言うならば、それは光輝くエネルギーである。悪しき者は心魂の輝きが淀んでいる。光輝くエネルギーからは、光の光線・・絆と言われるものが放射線の様に放たれているそれは言い換えれば、愛の光線・・である。それが今の時代とても少ない人が多い。故に、何か有っても知らん顔・・視て見ぬふりをする。

社会と関わっている以上、悪しき場面に何時、自分が遭遇するかも知れない。知らん顔をするから悪化をしてしまう。絆・・・愛の少ない時代が故に、そうなってしまったのである。

だから、自分を責めてはいけない。だからと言って、社会を憎んでも人を憎んでもいけない。

その理由は、人間は人と関わって生きて行く・・そして、喜びも幸せもそこに存在をするからである。

例えば、美味しいお料理を作った・・。一人で食べても美味しくは無い。誰かと一緒に食べて、美味しい・・ねと言われて嬉しくなる。誰かがいるから美味しいお料理を作りたくも成る。一人だとコンビ二物か冷凍物に成ってしまうかも知れない。自分の誕生日・・・自分に自分がおめでとう・・と言っても空しい。誰かがおめでとう・・と言ってくれるから喜びがある。

自分では気が付かないかもしれないが、誰かの為に役に立ちたい・・言い換えれば誰かに愛を与えたい・・と無意識のうちに自分の中にそんな思いが存在をしている。それは、元々、人間がそう言う存在だからだ。

宇宙を地球を動物を植物を自然をそして人間を造りし神(創造主)は、愛そのものであり愛と言うエネルギーで全てを創造された。故に、人間も愛によって造りだされた存在である。故に、私達人間は、神の子である・・とも言われている。神の子は、人間だけでは無い。自然だって猫だって目にする全てのもの、はそうである。尊い愛の形であり命である。

 しかし、人間は愛(善)たる心魂に悪を生みだしてしまった。何時も己の心魂の中で善と悪が戦う羽目と成ってしまった。

一人一人の心魂の中の悪しき部分が寄り集まり、悪しきエネルギーと成れば、集団いじめだって戦争だっておきてしまう。悪しき心魂が集まると恐ろしい大きなエネルギー魔と成り・・エスカレートしてしまう。

それを食い止めるのは人の善である愛の心魂の部分で有り・・絆である。愛(善)のエネルギーが集まれば大いなる救いと成り、いじめも無くなり戦争も無い平和な幸せな世の中がやってくる。

求めるばかりの我がまま・・愛もどき・・が多い世の中、愛・・絆の少なくなった今の世の中が生み出した、悲劇が沢山ある。

今の世では、人との関わり(関係)・・それはとても難しい・・。しかし、上手く関わって行く必要が有る。それは、そこに幸せが存在するからだ。

人との関わりでは、相手との戦いの様に思うかもしれないが、相手と向き合う時、本当は、自分と向き合っている事になる。自分の中の愛(善)と悪との戦い・・と成る。

 「怒らない」事を武器にして、自分の中に沈む「怒り」に勝つ・・。 

怒りがおきるのは、自分の事を理解してくれないから、思う様に相手が成らない・・故に腹が立つ・・。

人の心魂には入れないし、取り入れる事も出来ない。その行為は、相手の心魂の上に位置しようとする従わせようとする権威欲にしか他ならない。その事を肝に銘じておけばよい

そうすれば、人間だから腹も立つ事も有るが、一時的には腹を立てても、怒っても直ぐに治まる。冷静に成れる。言うべき事は言っても、冷静だからちゃんとした意思表示が出来る。かと言って、それが思う様に成らないからと怒る事は無くなる。腹立ちを流し消す事も出来る。ストレスが少なく成る。

人との関わりでは、付かず離れず・・の距離が丁度良い・・。それは心魂の有り方を言い、良く相手も自分の事も冷静に見える。

何時だったか、有る事が有って、「どうしてあの人は、分ってくれないのか・・」と嘆き天に聞いてみた事がある。すると、「思う様にしようとする・・は、我が思うまま・・我がままである。付かず離れず・・が丁度良い・・」と言われた・・。「こんなに為に成って・・頑張って来たと言うのに、何で私が我がままなのか・・・?」と期待はずれの天からの言葉に又、腹を立ててしまった事があった。

今、考えてみれば天への腹立ちも、自分の我がままに他ならない権威欲・・だった事に気付かされる・・。  

つづく・・・次回は、「ポジティブ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブな心」に勝つ・・。について記載をします。     

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・神は時として、どん底に落とし込める

2012-07-23 23:09:29 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・神は時として、人をどん底・・・暗闇に落としこめる・・

◎ あまりに苦しくて・・天に聞いてみたら・・「昼間も星は出ているが誰も気づかない・・。夜に成ると星は良く見えるが、さらに月夜の夜よりも暗闇の中でこそ星は良く見える・・。故に、良く目を見開き観よ・・」と。

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苦労・難儀の多き人生は、この暗闇に星を観る様なものだと・・。星を幸せと例えるならば、あんな些細な事もこんな当たり前の様な事も本当は幸せだった事に気付かされる。

人生において、どん底・・暗闇・・死んだ方が楽だ・・死にたい・・などと思い、自分の不運と愚かさを責め続け、生きる価値が無いと思い、夢も目標も消え人も財も無くし・・命のみの存在と成った時に・・もしかすると神さえも恨みたく成るかもしれない・・そんな時は、「大きく目を見開き天を観よ・・」と言われる・・。天とは己と向き合い神と向き合い正しい教えに目を向け悟りなさいと言う事であろう。

どんなに頑張っても運から見放され頑張るほどに落ちていく・・。何が悪いのかも変わらない・・。どうにかこうにかそれでも生きて来た。

そんな時は、神は死なない程度にしか手を貸さない・・。手を貸しながらもどん底に落ちて行くのを見守っている・・。

なので神さえ恨みたく成ってしまう。私は、腹いせに聖書を焼き捨てた事が有る・・。今、考えれば何と罰当たりな事だろうか・・。

遥か昔に、聖書を続けて読んていた時期が有った・・。電灯を消灯し床につき眠ろうとした時、頭上を光がゆっくりと自分の上を廻っていた事が有った・・。意味が分らなかった・・。

幼い頃にバイクに跳ねられ宙を舞い死ぬところが、怪我一つしなかった事や、池に落ちて藻が手足にからみ危うく死に掛け、助けられた事もあった・・他に2回ほど確実に死にかけた時が今までに有った。

が、さっぱり楽はさせてはもらえない・・。聞こえても見えても人の役に立っても自分は厳しい立場に何時も追いやられてしまう・・。それどころか、人を助ける度に、感謝もされず図に乗られ利用され揚句に裏切られる・・・そんな事ばかりの繰り返しだった。あまりのお人よしの自分に腹が立ち嫌に成ってしまった。

聖書の教えの様に、イエス・キリストの様に自分を犠牲とし人に尽くしたり、また、受ける難儀をただ我慢をしても何にもならない。

右の頬を打たれ左の頬を出し耐え忍んだら、今の世の中は、なぶり殺されてしまう・・。重い荷物を背負い100歩進めと言われさらに自分から100歩多く進め・・なんてしていたら、死ぬまで思い荷物を背負い歩く事に成ってしまう。

イエス・キリストの教えに従っていたら幾ら命が有っても足らない・・そんな世の中なのだから・・そう思った事もあった。考えてみれば何とイエス・キリストはお人よしなんだろうか・・。そんな立派な人間では無いけれど、おひとよしの自分と合い重なってしまう処があった。

どん底に陥った時に、腹が立って仕方が無かった・・そんな訳で聖書を燃やしてしまった。「罰を当てれるものなら当ててみよ・・。好きにしてくれ・・・。」と思った事もあった。

人に愛を与える・・人の為に尽くす・・その代償が報われるならばそれでもまだ救われるが、今の世の中は、絆を持たない者が多すぎるしてもらう・・求める者ばかりが多すぎる・・。この人はしてくれる・・と思ったら求めるばかりで時が経てば当たり前となりそれを過ぎると不平不満が始まる・・。感謝の念は無い。故に、生き辛い世の中に成ってしまっている

与える愛を意識し生きて行くには、多くを犠牲としてしまう事も有る。イエスの教えは、まるで戦場に武器も何も持たず裸で進み挑む様なものだ時間の問題で潰れてしまう。決して、教えが間違って居るわけではないが・・。

戦いに挑み安全にわが身を守り進んで行く為には、身を守る鎧も兜も盾も剣(矛)も必要だ。身を守りながら襲ってくる災難(悪)を打ち払い進んで行かなければならない。尊い自分の命を守らなければ成らない

その鎧・兜・盾と矛(剣)に当たる教えが釈迦の教えにはある欲しない・・悪を生み出さない・・執着をしない・・それらの煩悩と言われるものを己の中なら消滅をする・・・。何も無い(空)に成る事が、何事にも動じない強い心魂を造り上げる・・。それこそが、己を最強に守る鎧・兜・盾と矛(剣)となる。空こそが最強なり・・と言えるだろう。

これに日本の神道・・神様が加われば大いなる加勢と成る。日本の神様は、大変ありがたい・・。清く懸命に頑張る者の後押しをして下さる。

何処かの国では、宗教によるトラブルが今も有る。遠い昔から今も続いていて、多くの人々が亡くなっている。何の為の信仰か・・が問われる。

それに引き換え、日本人は上手く宗教を取り入れ上手く融合させてきた・・良い所取りをし自分の為に役立ている。

何回も死に損ね生きている・・・生かされている・・。それはまだ生きて行く必要が有るからだろう。暗闇に落っこちてしまった・・・それも、又、必要が有ったからだろう。

確かに、自分の思うままの人生を歩んで来たならば、多くの星(幸せ)を知り多くを学ぶ事は出来なかった・・。もし、体感がこの世での目的で有るならば、暗闇の底も難儀も価値が有る・・必要とされるものだろう・・。全てには意味が有り・・神の意図とするものだろう・・。 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・諦めずに生きる時(小石真子)

2012-07-21 21:30:18 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・諦めずに生きる時・・・・

 年間3万人以上の人達が、自らに大切な命を断っている・・。自殺をした人は10%らしい・・と言う事は、30万人以上の人達が年間に自殺を試みている事に成る。自殺者は、10年で30万人以上にのぼる・・事と成る。残された家族の悲しみ・・・身近な両親2人としても、年間6万人以上の関係者が悲しみと苦悩を背負う事と成る。それは一生続く・・。

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死にたい・・・と思って亡くなった方も、本当は生きて行きたかった・・。誰もが、幸せに成りたいと願っていた・・。

それでも苦しみに耐えられず、この世に身の置き場も心の置き場も無く、行く先に希望や目標を失ってしまう・・。真っ暗闇の世界に陥ってしまう。

誰もがとは言えないが、死にたい・・死んだ方が楽だ・・と思った人はいるだろう。突然の災害や事故で自分の意志とは別に命を落とす場合も有れば、病に犯され余命が宣告される場合も有る・・。已む無く失われる命・・行きたくても生きれない命も、自ら死を選ぶ者も又、本当は生きたい・・のである。

生きとし生ける者の定め・・・生命欲がそこにはある。

先のブログで、理不尽の極み(限り・限界)が有っても、落胆してはいけない。肉体と心魂を合わせ持つのが人間であるから、結果は黄泉の国に有る・・と。イエス・キリストの処刑は、それを示していると記載をした。般若心経は、さ~さ~何もかも捨てて無(空)に成り黄泉の国へ行こう・・と超訳すればそう言っている。

共に、死の世界への推進(勧め)をしている様に思うかもしれないが、そうでは無い。

例え、どんなに苦しい辛い出来事や思いをしても、幸せが無いと感じても、理不尽の極みが有ったとしても、生きなさい・・。その結果が、黄泉の国に有る・・。報われる場が幸せの場が在る・・待っている事を説いていますだから、安心をしなさい。心配は何も要らない悩む事も無い。

故に、諦める事無く怠る事無く、夢と目標を持って胸を張って堂々と明るく生きて行きなさい・・と言う事に尽きる。

釈迦は、その為に、瞑想を進めている。どんな苦も悩みも瞑想をし、その根源で有る過ぎたる人の心魂の欲を滅し悪を消す事で、苦悩を離れ再び生きる事が出来ることを示している。

死に至るは苦悩するが為・・その苦悩は己の中に有る過ぎたる欲であり、それによって生まれる悪・・・苦悩を指し示す・・。誰が悪いとか誰の所為・・とかの問題では無く、そう言った余計な事も瞑想では、滅してしまう事と成る。

そうする事で、己の心魂をシンプルにする事が出来る・・余計な思考・悩み憎しみ・・を滅し本当の自分の目標や夢や生きる意味・・・を知る(悟る)事が出来る。

神・御仏・神道の神々・・・色々と名前を変え姿をどの様に変えようとも神は、黄泉の国や神の国でただ、指を咥えて待っているのでは無い。すぐ側に、あなたと共に居てくださる。手を差し伸べて下さっている。

神が幾ら手を差し伸べても、あなたが救って欲しい・・・と手を伸ばさなければ手は繋げない。また、その手が欲と悪に塗れた手であれば、神とは決して手を結ぶ事は出来ない。故に、瞑想の必要が有る。

神の業・・・意図する処は、この世に溢れる人が造りし悪を滅する事に有る。悪を滅するは、この世と人の幸せ幸福を願っての事であり目指すものである。そして、そこには神・・神の愛が存在する・・・故に、神は愛そのものと言える。

しかし、人の肉体の中に宿る欲・・・から生まれる悪しき心・・これは、神でもどうにもならない。己・・自分自身が消滅しなくてはならない・・。その為に、釈迦は瞑想を勧めている。

多くを欲しない・・執着をしない・・それらは、清き心を生む・・そして正しく生きる道を見出し、己を強くする。

そして、与える愛・・の悟りに至った時に、さらに強く成れる・・。

人が自らの死を留める時、誰かが悲しむ・・迷惑を掛ける・・まだ、するべき事が残されている・・責任がまだ有る・・など、それらは人に向けられる愛が有るから留める事が出来る。

人から、この世から自分が必要とされている・・・役に立つ・・だから生きて居る価値が有る。必要とされていない・・自分には生きる価値が無い・・だから死ぬ・・。

そうでは無い。必要とされる様に、自分から愛を与える・・与えてゆく行動が生きるに結びついて行く・・。それは、誰からも褒められるものでも、労ってもらうものでも無くまして認められるを求めるものでもない。誰かが助かり誰かの状態が良くなる事・・誰かが喜ぶ・・それを肌で感覚し体感をするものである。

懸命に生きる・・・そんな人達に神の愛は多く向けられる・・。上手く行かない理不尽が有る・・・そんな所に何時もいらっしゃる。どん底・・・その暗闇に、神は静かに手を伸ばしている。故に、そこから這い上がり諦めず懸命に生きなさい・・とおっしゃっている。

例えば、御仏である観音様・・は、観音経を読んでみれば分る。観音様は何時でもどこでも参上し、助けてくれる・・と説いてあるが、それは、懸命に頑張って生きてる時におきるどうにも成らない理不尽・・・、その時、救って下さる・・と説いてある。

怠慢をし楽をし悪しき行いをし、欲を出し都合よく観音様の名を読んでも何の効果も無い。

多くの神々は、暗闇の底で静かに物言わず待っている・・。あなたが諦めず再び立ち上がり生きる事を・・そしてあなたが動きだすと共に、また神も動かれる・・。諦めない事・・・そして生きる事・・。

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スピリチュアルな出来事~☆~地震を鎮める・九州の地にて・・・

2012-07-20 15:31:42 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~地震を鎮(しず)める・九州の地にて・・・

◎ 数日前のブログで「次に大きな震災が起き時、2回目の原発事故が発生した時、日本は信用を無くす・」・その結果に齎らされる事を記載したけれど、大飯原発の再起動がはじまる。大飯原発ともう一つどこかを聞き逃してしまったが、2つの原発の下には活断層が有るかもしれない・・との事。

電力サイトによる調査はいい加減なものだろう・・。自分達の都合の良い見解しか示さない・・。数日前に、天より聞いた言葉・・が重く・・脳裏を過ぎって離れない。悪しき事に成らない様に願いたい・・。

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以前に、ブログで九州に地震を鎮めに言った話を少し記載した事が有る。今回、もう少し詳しくお話をしよう。

それは、以前に福岡沖合いで何回かの地震が発生した後の事・・。或る日、突然、「九州に地震を鎮めに行く・・」と天から聞かされた。

卵焼きなどちょっとしたおかずとおにぎりとサンドイッチを作り、コーヒーとお茶を作り保冷器に入れ、マップと旅費を用意し車に乗り出かける事とした。

九州に行く・・・ことしか他には何も分らない。

訳の分らないままに旅立をした・・・。走っている最中に不思議な光景に出会った・・。山道の途中の岩崖・・が、緑?青?金?銀?・・・言葉で表現の出来ない色に岩崖全体が光輝いていた・・。ものすごく綺麗・・・「あ~なんと綺麗んだろう・・」と思った。そして、「こんなに宝石の様に輝き綺麗な岩崖・・・誰も採取しないのか・・観光名所に成らないのか・・・はたまた誰も気が付かないのか・・・?」と思った。

が、違っていた。それは私にしか見えない光景で有り、ここからが、神・御仏の領域であり、これから神仏と共に行うべき事の旅の始まり・・入り口で有った自分の中で何かが変わった・・。

フェリー乗り場で往復の切符を購入し臼杵に渡った・・。そして、到着・・・さてどうしたものか?

すると、「臼杵の石仏に行く・・」と言われ、マップを広げチェックをした。地図地理・・は大の苦手・・・。おまけに方向音痴・・である。途中、迷ったが何とか無事に到着・・。

もう5時を過ぎている。観光客も誰もいなかった・・。臼杵の石仏は平安・鎌倉時代に築かれたらしい・・60体ほどの大日如来をはじめとする御仏が有る。とても物静か・・・だ。

が、ここから少し離れた場所に不動明王と御荒神の石仏が有る・観光客は誰も気が付かないだろう場所。地元の人達しか知らないひっそりとした場所にそれは有った。勿論、私も知らなかった・・。

先ずは、言われるままに導かれ、行く途中に蜘蛛の巣に行く手を阻まれたりもしながら、退けて細い道を行くと不動明王と御荒神の場所に辿り付いた。

体に鳥肌が立って来る・・・止まらない・・・物凄い強い御霊を感じた。その後、60体ほどの石仏にお会いした。誰も居ない中、御仏様達と向き合う・・。

[これからの道中を共に参る・・共に鎮めよう・・]との事を申された。勿論、不動明王と御荒神様も一緒である・・。

もう直ぐ、日は暮れる・・。何時も、神事をする時は、人の居ない時間と成る。途中に迷ったのも時間あわせに過ぎない・・。

それから随分と走らせ、湯布院に到着・・・温泉に入り再び出発をした。夜通し走る訳だ・・。夜中の2時も過ぎた頃・・・もはや誰も通る車も無い時間・・私は、山中、道に迷った・・。嫌な感覚を覚えた・・が、御仏様達と同行している・・。途中、引き返し、事無きと成り再び走った・・。

その後、私は大宰府天満宮や生目神社などの用事をを済ませる事と成ったが、肝心の地震を鎮める・・・為に、阿蘇山登った・・。

阿蘇山の頂上には神社が有る・・。そして、その近くには、御荒神様が祭られていた。あの臼杵の石仏・・・で、同行をする事と成った御荒神様と同じで有った。ビックリした。

言われる様に、地震を鎮める・・行事・・神事を済ませ・・一路帰る事とした。

帰り道、相当の疲れも有って、帰り道が分らなく成ってしまった。マップを見ながら確認をしながら走ったはずなのに・・迷ってしまった。

と・・・!突然、見覚えの有る場所に辿着いた・・臼杵の石仏の前で有る。え~!何で・・ここに・・?。」と思ったら、共に同行をして来た御仏様達から、「私達はここで降ります・・。ご苦労様で有った・・」と言われ・・そうか・・その為に迷いここまで導かれた事を悟った。

ご挨拶をし私は帰る事とした。フェリー乗り場に近い処に温泉が有り、時間も頃合に有ったので、温泉に浸かり・・その後、フェリーで帰った・・。温泉も神仏のご苦労様・・と言う労いの証・・お導きである・・事を知った。

全てはタイミング良く・・神仏の意のままに仕組まれた道中だった。

途中、私は何と馬鹿げた訳の分らない事をしているのだろうか・・時間もお金だって余裕など無いと言うのに・・とも思った。おまけに相当に疲れた・・。

まして、何のご褒美が有る訳でも無い・・。

しかし、不思議な経験・体感は言葉には表せない確信を持つ事と成る。神仏に導かれる・・・図り事・・全てのタイミングの良さ・・を思い知る。

相当の疲れと出費で何の利にも成らない様に思うかもしれない馬鹿げた事をと思うだろうが、私は、神仏の手足と成って役に立ちたいと何時も願っている。故に、何も要らない。

現に、九州では、あれから大きな地震が一度も無い・・。それが普通と言えば普通なのかもしれないが、その何も無い地震が起きて無い事が私の喜びで有るのだから・・他には何も無い。

地震を・・・鎮める・・そんな事が出来るのだろうか・・?

と、不思議に思うかもしれないが、あの東日本大震災で視た空一面の黒い悪魔の姿・・原発のメルトダウンした場所に居た悪魔・・・私は、震災・原発事故・・そこに魔を確かに視た。

故に、魔たる存在と戦い消滅する事が神や御仏の一つの大きな役目で有り目的とするのであるから・・・出来て然るべきである・・・のかもしれない。

もう一つの役目・・・それは、愛を与える事である。 

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・欲を捨てる(物欲)

2012-07-18 19:37:03 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~幸せに成る為の学び・欲を捨てる(物欲)・・

 自分の身の回りに沢山有る・・物・・・。台所から始まりタンスの中まで物で溢れている・・。その中でどれだけの物が今、実際、必要で使う事と成るのだろうか・・。

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無かったと思って、また買ってしまっだおとふ・・そんな無駄買いの物が冷蔵庫には無いだろうか・・。もう・・数年、冷蔵庫で眠ったままに成ってしまっている物は無いだろうか?使うでも無く捨てるでもない・・。

そうやって食品が冷蔵の中でぎゅうぎゅう詰めに成っている。結果、イザ、お料理を作ろうとすると扉を開けたままに、何を作ろうか・・と悩んでしまう・・。冷気が悩んでいる間に抜けてしまう・・。多くの食品を詰め込んだ冷蔵庫は冷えない・・電気代も掛かる・・。

流行を追いかけ次から次へと買われた洋服がタンスで眠っている・・行き場の無い沢山の洋服・・・捨てるに捨てれない・・片付けに困る・・。把握が出来ないからまた、似たような物を無かったと思い買ってしまう・・。何を着ようか・・と悩む毎日・・。

勉強部屋・・・「片付けなさい・・」と言われても物が沢山あり過ぎて、片付けるのも大変だ・・。鉛筆・・多くて5本も有れば良いだろう・・。ボールペンだって数本有ればいい・・。使いかけて終わったノートの数々・・。可愛いグッズだの拘りのフィギアなどや、おもちゃにゲーム類にぬいぐるみに漫画本・・その他・もろもろ・・。勉強には関係の無い程遠い不必要な物で室内は溢れている・・。

だから片付かない・・。片付けるには時間と労力が掛かる・・。

物が沢山有りすぎる・・とは、無駄な時間を使い買う・・をし、無駄なお金を使い・・無駄な片付けとストレスを生む・・。

必要不可欠な物・・それだけに留めて置くと、物が無い・・空間は、スッキリとし、片付けの労力も少なくストレスもおきない。無駄なお金を使わなくてすむ。どれにしようか・・何処に有ったかな~と探す手間も少ない。

物・・・全ては、自分が又は親が懸命に働いた代償で稼いだお金で買っている・・。物欲に執着し溢れかえる物・・・懸命に働いた労力の代償・・・お金を無駄にした事と成る。無駄にしたのは他にも有る。働くとは、自分の時間を提供する事でもある。極端に言えば自分の人生を提供している事でもある。

あ~わさびが無い・・仕方無いと買い物に行く・・。ついでにと他の物を買ってしまう。ショッピングに行く・・何も買わないと時間の無駄をした気分に成ってしまう・・。街に出かける・・何かを買ったり食事をしたり・・お金を使わないと気が済まない満足しない。

物欲は、一時の満足を得られるが、満足は直ぐに消えてしまう。だから又、買う・・次から次へと買い続ける。やがて買わないと満たされない・・買えなく成るとストレスと惨めに陥る。

価値(財産)あるものは、お金だけでは無い。物を得る為にお金を稼ぐ・・・その為に多くのエネルギーと時間を対やする。それは何かを得れば何かを失う事でもある。失うのは、自分の時間・・・その時間は単なる時間では無い。価値ある財産である時間だ。

多くの物を欲しない者は、時間を大切に使う。そして、お金を物欲に返還しない。自分の思考の為の時間や家族や友達やボランティアなど人との愛の絆を築く為に使ったり、自分の希望や目標に懸命に取り組んだり、勉強したりと人生の体感に勤しんでいる。物欲の時間を保っしない・・そんな暇も意識もない・・故に満たされている。

物欲の為に必要なお金を得ようとエネルギーを使い(働く)者は、価値ある働き方が出来ない。不平不満が多い・・。故に満たされない。

スッキリとした空間・・・部屋は、整理整頓が出来ていて風通しが良い・・よって、風水的にも良運を齎す・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・地震が来る時・・・・

2012-07-17 13:21:40 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・地震が来る時・・・

◎ 近年、再び大きな地震が来たならば・日本の信用は無くなる・・・その意味はどう言った事なのだろうか・・・?天よりの言葉・・は、一瞬にして入ってくる・・。

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それは、他国から観た日本経済の信用性の事を指している。大きく経済が麻痺をし経済の立ち直りは難しいだろう・・と他国が推測をした時に、先ずは株が急落をし急激な円安となる。

多くの物・特に必要不可欠の食料と原油を輸入に頼っているから大変で有る。当然、ガソリンも食料品などあらゆる物が高くなる。災害で生産は出来ず例え出来たとしても滞る・・流通が上手く行かなく成る。かと言って、必要な物は輸入をする事に成る。と成るとどんどん懐からお金が出て行く。今まで100円で買っていた物が150円・・もしかすると200円となるかもしれない・・。

災害が起きた時に、便利で快適な生活をしているほどに機能は麻痺をしてしまう。電気・ガス・ガソリン・水・通信・・など文化的生活は先ず、止まってしまう。

快適で便利な生活をするにはお金が必要で有る。お金で便利で快適な生活を手に入れて来た・・・。都会での生活はそう言った事で成り立っているから、地震災害が起きると生活が機能しなくなるからパニックになる。

田舎で有る処に住む60才以降の年代の人達が、地震災害に合ったとしても生きる力は兼ね備えている。サバイバルな事柄に強い。

どんな物を使ってでも火を熾し炊き出しが出来る・・。ちゃんと蓄えのお米も有れば野菜も植えてある。漬物だって自分で漬けているだろう・・。チームワークも村の祭典や行事や集会・普段の付き合いが有るから、イザと成ったら何でも出来る。そしてリーダーがちゃんと居る。そして言わずとも、それぞれの役割分担が出来る・・。そうやって助け合える・・。年は取っていても知恵が有り経験が有り絆がまだある。

田舎を不便・・と言って、祭典や行事や集会や近所の付き合いを嫌がり面倒がり、楽を好みお金を出して何でも出来合いの物を買って済ます・・。便利をお金で買って済ます都会での生活に明け暮れている者は、隣の人の事も良く知らない・・集会なんど行った事も無い関係ない生活・・絆の無い生活をしている・・。

そんな人達は、イザとなった時、お金が役に立たない・・事を思い知る。そして絆の無さ・・何も出来ない事を思い知らされる・・。特に、若い人はそうだろう・・。勉強ばかりをし他の経験が無い・・。

赤ちゃんにミルクが無い・・。さて、若いお母さん・・・あなたならどうしますか?只々、支援物資が届くのを待つか・・誰かが助けてくれるのを待つのか・・?都会での震災は、3日~1週間・・ミルクが手に入らないかもしれない・・。

分らなければお年寄りに聞くとちゃんと教えてくれます。昔は、ミルクなど無い時代も有ったし、母乳の出ない場合も有り、それでもちゃんと赤ちゃんを昔のお母さんは育てたのだから・・。

親との同居を嫌い、親を疎んじ、地域や近所との付き合いを軽んじ、都合の良い事や言葉しか受け入れず楽を好み絆も薄く幼い頃から勉強と部活しか知らず家の手伝いもせず、只、便利で快適な生活をお金だけで買って居る・・・そんな生活をしていたならば、大きな災害が来た時・・・生き抜いていけないかもしれない。

イザとなった時、そんな人ほど国が機関が助けてくれる・・のが当然と思い誰かが助けてくれる・・と思ってしまう。助けて貰う事ばかりを考える・・。本当は、助け合いが大切である・・事を知らない。そんな時こそ、国は直ぐには、当てには成らない。

原発の再起動が始まろうとしている・・。電気が不足する・・高額に成る・・そんな理由が挙げられているが、今度、震災で同じ様な原発事故が起きたならば、被害は無論の事だけれども、狭い日本で2箇所の原発事故が起きたなら、それこそ、もう日本は御仕舞いだ・・と他国から見切りを付けられる。信用が無くなる・・株が暴落・・・急激な円安・・に確実に成る輸出製品も売れない・・。故に、安心・・の為の預金の価値も急落・・・ふところから預金が消える・・。

お金に価値を置きお金の為に働き、便利も何もかもお金で済ませる・・・そんな人間は、お金が無くなると絶望をする・・。動けない・立ち直れない・・・何も出来ない・・。そんな人間ほど絆も持ってないからイザと成ったら助けてくれる人も居ない。

お金に価値を置く人間は、惨め・・である。愛の絆では無く、お金の絆で人間関係が成り立っている・・。だから、お金の無い人間を馬鹿にし如何にも自分は偉い・・と勘違いをしている・・。そんな人間が、お金を失うとお金で出来上がっている人間関係・・の絆が簡単に、あっと言う間に切れてしまう。全ての物を失う震災に置いては・・・特に惨めに成る。

2回目の震災・・・お金の価値が激減する時・・・お金に頼らなくても生きて行ける・・サバイバルに強い生き方と愛の絆・・が、今から重要視される。

原発の再起動・・のニュースを見、懸念したが故に天より頂いた言葉である。誰もが考える以上の事態が待っている・・。過酷で長く続くサバイバルな時・・・もしかすると時代・・・が待っている・・。

目先の事よりも、今を辛抱し原発の再起動はするべきでは無い。東日本の原発事故・・その地域は、住民の希望は叶わない・・。現実を知らなければ成らない。半世紀は完全に住めない。命より大切なものは無い。同じ不幸と過ちを繰り返しては成らない。

必ず、今後起きる・・大きな地震・・・それに対しての意識と対処と価値観の変換とライフスタイルの見直しをしなければならない。

震災では、多くの物を失う・・。家と中に有る全ての物・・便利な生活・・そして何より大切な命・・である。 命・・・守らなければ成らない・・そして生きて行かなければ成らない・・。

いきなり失う事の現実・・・がある。受け入れなければ成らない・・現実がある欲・・物欲を捨てなければ・・欲が有るほどにショックが大きい・・。愛しい命を失う事・・・の現実がある残った者は、生きて行かなくては成らない現実が・・有る。

人は辛く難儀な事・・・どん底に至った時に、何よりも人の愛・・絆が救いと成り再び立ち上がり進む事が出来る・・事を知っておかなければ成らない。

価値感について・・多くの欲を保っしない事・・何よりも愛が絆が大切である事を今までに説いています。更に、今後、必要な事柄を記載して行きます。

今後に起きる震災・・苦難や難儀・・迎えたくは無いけれど・・そう言った現実がこの先待っているかもしれない・・。

それを頭の隅に置いて頂き、このブログを読んで頂ければと願っています。

価値感・心魂のあり方・ライフスタイルの変換・・が出来ます事を願って今後も書き進めて参ります。

何が有ってもおきても不動の精神とたくましいさと幸せを手に入れる事が出来る為に・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・もしも、地震が来たならば・・

2012-07-15 18:39:14 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・もしも地震が来たならば・・・

◎ もしかするとここ5年先に、そして大方には、ここ半世紀の間に大きな地震が来る事と成るかもしれない・・。「箍が外れる時・・・海が火の海で火の竜巻がおきる・・・富士山の形が変わる」・・と12年も前に瞑想をした再に浮かんだ光景と言葉・・・である。

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この頃は、まだまだ未熟なもので、当てには成らないし、全く持って自信が無い・・。それほどに自然に関する予知は難しい・・。ただ、念の為に忘れない様に・・と書いたメモがこの春に引き出しの奥から出てきた。

その時の瞑想シーンを思い出すと、湾・・東京だと思う・・海が火の海だった。その火が大きな竜巻と成っていた。時期はずれるのかもしれないが、富士山が噴火し形が変わる・・灰・・が降る・・と聞かされた。

箍(たが)が外れる・・とは、おけなどを止めている金具の事を言うが、もしかするとその意味は、重なった二枚の板が外れる事を意味しているのかもしれないし、気が緩む頃を指しているのかもしれない・・。

南海地震も予想はされるが、私のイメージでは、南海地震よりも関東方面の方が順番から言うと早い。

再度・・・言うがこの予知には責任も持てないし自信が無い。しかし、ここの所、地震の専門家・研究者達の情報をテレビなどで見ていると満更嘘でなも無い様にも思える。

一つには、地震の後には山で噴火がおきる・・富士山がそうなるかも知れない・・と言っていた。12年も前には全くそんな情報は聞いた事も無かった。12年前の瞑想で、富士山の形が変わる・・なんて視たり聞いたりした際は、自分自身で「そんな馬鹿な・・」と思ったくらいだった。東京で三つのプレートが重なっている事も全く知らなかった事だし、「海が火の海に成る・・なんて海が燃える・・なんて可笑しい・・海で火の竜巻が・・?」なんで意味が分らなかった。しかし、今は、理解が出来る。あの東日本大震災での気仙沼の海の様子を見れば、石油コンビナートが海岸沿いに沢山有る東京湾なら、瞑想で視たあの恐ろしい光景は納得が行く。

多分だが、海の火の竜巻は、陸に向って進み広がるだろう。海の温度が上がれば温度の低い方に向って進む・・と思うのだが、研究者の話では、川を伝って行くらしい・・。

問題は、箍が外れる時・・との言葉であるが、重なったプレートが外れる事を意味しているのか、それとも東日本大震災から後、気が緩む・・頃を指しているのかが今一つ分らない・・。

まだ他にも理由が有る。

新潟で地震が起きてから、良く地震の予知が入って来た。が、何時も、自信が無かったが、一週間から2日前に入ってくる予知は、必ず当たっていた。

新潟地震は寒い季節たった。度々、地震後も軽い地震が有ったもので、クリスマスも近い頃、「この寒い時に、クリスマスも近いと言うのにもし、新潟でまた地震が起きたなら気の毒で成らない・・・・大丈夫か・・」と尋ねると日本では無い・・と言われ、インド洋・・スリランカ・スマトラ沖付近の地図が目に飛びこんで来た・・その2日後、大きな地震がおきた。中国での地震の時もまさが中国で地震なんで聞いた事が無い・・と思ったその2日後、南米チリ付近・北欧の噴火・・大きな地震は1週間から2日前には、地図が飛び込んで来る・・。が、地理には疎い・・。

あの東日本の震災の時も、そうだった。タスマニア沖地震で日本人の方達が犠牲と成った時に何と・・可愛そう・・お気の毒・・もう、地震は近い内には無いよね・・と尋ねると、東北沖の海の地図が飛び込んで来た。あ~東北の海か・・・あそこは良く地震が有るから・・と、勝手に軽く解釈をしてしまった。

あの地震の1週間前の事だった。

地震2日前に、私は他の用件では有ったが、東北の新聞社の電話番号を調べていた。東京の本社確か読売だったと思うが、仙台でなければ支社が無いと言われ聞いた支社の電話番号を握ったままに、地震の前日の午後2時頃、今までに経験のした事の無い異様なしんどさに、そのまま翌朝まで寝てしまった。早朝、(地震の当日)あ~神棚の前で瞑想をしなくては・・と相当に強く思った・・。仕事・・・何時だって有給も無しに働き日曜出勤も惜しまない364日正月以外は働く・・・そういった私が、この日ばかりは仕事を休みたい・・・休まないと・・瞑想しなくては・・と思った。はじめての感情だった・・。

お昼・・・異様な疲れ・・空一面、真っ黒な空(透視)・・・なんだろう・・?怖かった。午後2時過ぎ帰宅・・テレビを付けて見て驚いた・・。異様なこの2日間・・と、1週間前の知らせを無視・・今朝、後ろ髪を引かれる様な思いをしながらも神棚にて瞑想をしなかった後悔・・。東北の新聞社の電話番号を調べ握り締めたまま・・。

自分の事で明け暮れていた為に・・無視をし見逃してしまった後悔・・。

当日、何で子供が・・・東京に・・いるのか?仕事のはずなのに・・?大きな柱の影に居る・・。電話が出来ない・・環境に居たので、テレパシーを送り他の者に電話をしてもらった・・相当に疲れていた・・動けなかった・・。

原子炉のメルトダウン・・・3日目に瞑想をした・・。魔は何処に居るか?空かと思えば、原子炉の底で黒く渦を巻いて居た。一つの原子炉の魔はえらい年を取っている・・。後から分った事だが、既に、あの時メルトダウンをしていたから、底に魔が居た・・一つの年取った魔は、使った後の燃料棒を収めて居たとの事・・。

この際、亡くなられた多くの方達のご冥福を祈った(儀式)。亡くなられた多くの方は、どの方も自分の事よりも家族や皆の心配をされていた・・。心が痛んだ・・。

悪しきものは、私には黒く見える・・。病・事故・悪しき心魂を多く持つ人・・そして、地震当日のあの黒い空・・自然災害さえも魔の影響は及んでいる事を知った。

これらは全て本当の事である。故に、私が生きている間に能力が持続又は更に極める事が出来たなら、大きな地震の2日前には、遅くても知らせを受ける事が出来るかもしれない・・。その際は、ちゃんと知らせたいと思っている。

人の明日は無常・・である。明日は分らない・・。だから、そのままを記載する事とした。当てには全くならないが、気を留め置くともしかすると役に立つかもしれない。役に立たない事を願っているが・・。

それと、もう一つ、最近、聞いた事が有る。大きな地震が今度起きると、勿論、被害に合わない・・事も大切ではあるが・・・。

日本が信用されなく成る・・と聞いた。その意味は、経済性の信用の事で、大きな震災により、株の値下がりと急激な円安に成る事を言っているのだろう。多くの物を輸入に頼っている・・。主要な原油も食料も・・である。

円安に成ると言う事は、物を買うに当たって、多くのお金が必要と成る訳だ。地震の災害に見舞われなくても日本全体に影響する。

安心の為にとこの不景気に必死で貯めた預金もあっと言う間に消えて無くなる・・かもしれない。

そう成った時に慌てず対処するには、今からの心・・心魂のあり方、価値感・ライフスタイルの変換が必要になる。

予知の情報・・・それは、全くもって自信が無い。しかし、地震を思った時に聞いた言葉・・・日本が信用されなく成る・・・その事には、大きな意味がある。今回は、どうしてもその事を言いたかった・・。

何時もと違い、今回のブログは一気に書き上げ見直しも無しである。地震の予知に付いては以前に少々、記載をしているが、それよりも今回、聞いた事の重要性を紐解いてみたい・・。そして、今後、どうするべきかを考えてみたいと思う・・。

今日は、一揆書きをした為に疲れた。肝心な事は次回・・・書ければとおもう・・。つづく・・

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・予言者達とブログ・・・

2012-07-14 08:39:43 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・預言者達とブログ・・・・

◎ 預言者とは、霊能者でも霊媒師でも巫女でも無い。神の御名をもって語り、神からの使命を受けた人の事である。神の使者と言っても差し支えない。

霊能者・霊媒師・巫女は、黄泉の国との繋がり(交信)を持つ者を言う。黄泉の国にも神や御仏の意とする御霊(心魂)は、向けられ存在をしている。、無論、この世でも神・御仏の意とする御霊(心魂)は向けられ存在をしている。故に、彼らは黄泉の国から神仏と交信(繋がり)を持つ者もいる。

それに属さない者も心を清め瞑想し己と向き合う事により神仏との交信繋がり)は可能と成る。悪しき欲を抱え、己の希望や望みばかりを願う時、悪魔・・特に、神に化けし魔神を崇める事と成る・・故に、気をつけなければ成らない。

預言者の場合は黄泉の国の遥か上に有る神・御仏と神の創造主で有る神の領域との繋がり(交信)を持つ者である。イエス・キリストは創造主を我が神・我が父よ・・と言っていた。

聖書の三分の一は、大預言者と十二人の小預言者の言葉・予言によって綴られている。

その当時の預言者と称する者は偽預言者も多々居たが、正真証明の本物の預言者達は、相当に貧しい生活をし社会に置いては、地位も財も職業も無く、階級には属さず、また、宗教関係者でもなかった。どんな社会権威も持たず民衆に語るばかりでは無く、王に対しても何ら代わりの無い態度で望んだ故に、迫害をされ悲惨な死を遂げている・・。

大抵が、彼らは、この世では報われない事が大方であった。死後は、神の元に帰る身で有るからだ。この世では、決して恵まれないし報われる事も無い。彼らは、その事を自身で分っていて、覚悟はちゃんと出来ていた。それだけの覚悟無くしては、預言者には成れない。

生活は、相当に貧しく身なりも貧しい。財も家らしいまともな住まいも持たず、財も地位も利権も持たず、大抵が家族とも縁が薄い。様は、何にも無いほとんどが孤独に身を置き、神と大方の時を向き合って過ごしていた。

この預言者達は・・・世の中の危機・・と成る時代に良く現れるそれが今の時代で有る。今の時代に・・沢山の神の使者達が送り出されている。その者達は、それぞれの役目を荷っている。

それらの者達は、勿論、有名な地位の有る者でも無ければ、多くの財を持ち、或いは成功者と呼ばれ賛美される位置にも無く、政治家でもスターと呼ばれる人達でも無い。

或る者は、病を背負い或る者は障害者だったり・或る者は全てを無くして何も持たない者だったり、職を持たなかったり、孤独の身で有ったりと決して恵まれた環境には身を置いていない・・。

それらの者は、恵まれない環境や身で有っても、落胆したり絶望したりはしていない。そう言った時期を乗り越え、尚も清く白く有ろうと懸命に神を愛し信じ愛を人に与えるべく努力をし生きている。伝えよう・・としている。そして覚悟を何時も持っている

が・・・しかし、残念ながら、この世の中に置いての価値感の中で生きている人々達は、地位や名誉・利権・財産・或いは学歴・成功者などにしか耳を目を傾けない・・。

では、どの様にして、彼らは今を過ごし、神の教えを説いているのか・・。時代のニーズにちゃんと神は沿う様にしている。昔の様に路上で語るわけでは無い。この情報社会では、インターネットを使い発信をしている。インターネットに置いても神と魔とが相対性の原理で存在している訳である。

神に聞いてみた。「その様に、貧しい恵まれない何も持たない者ならば、もしかして路上生活者の中にも居るのではないか・・・」と聞くと「居る・・」と言われた。この世からは疎まれ、邪魔者で人として扱われず心無い人間になぶり者にされ死んで行く・・・人として扱って貰えない価値の無い扱いをされている・・。そんな中に紛れて居たのか・・・と思った。

それから数日後、パソコンでブログを見ていた時に、そう言った者に出くわした。神は、こうして確認・・・の様な事を言葉を下さった後に示される事が多々ある。

ブログの中のその人は、多分、まだ若い者だろう・・。今は、していないが、数年前で路上生活を数年していたらしい・・。神に聞いた時に思い浮かんだ光景・・「こいつか」・・その人物である。路上生活に身を置き、永遠と神と向き合っていたのだろう・・・。往々にして有りうる修行であろう。

ブログを読んで・・内容で直ぐに分った。私が天より以前に聞きし事と重なる・・・。なるごど・・と確信をした。

インターネット社会に置いては、数え切れないほどのブログの中に神の使者・・・予言者と言える人達が色んな形と役目を持って書いて記載をしている。それは、華やかな記載では無く、埋もれる様にひっそりと無骨に記載をしている。

一見、訳が分らない・・・如何にも無骨な飾り気の無い、商売下手な利益に結び付かないだろう・・なと言ったブログに他ならない・・。

そんなブログに遭遇すると感激をする・・。「お~頑張っているな・・」と。

そんなブログは、一見、理解し辛いものも有るが、これから、相当に厳しい世の中が来るに当たって、真の価値感・・真の幸せ感など、生きて行く目標や指針を見出すヒントが有る。それは心の有り方に留まらず、今後実際に起きる厳しい事柄に対し、今からどう自分の生活ライフを変えて行くべきかのヒントが隠されている。

そう言った意味で、色々とブログを検索しみてみるのも良いかと思う。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の極み・イエスキリストの場合・・

2012-07-12 15:25:37 | 猫話

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・理不尽の限りの時(極み・限界)の時・・・イエス・キリストから学ぶ(本日・後篇文)

★・・・本日、2話を記載しています・・・先ずは前編からお読み下さい。

◎ 自分の人生を生きて行く時・・もう、御仕舞いだ・・なんでこんな目に・・自分が・・と、どうにも納得の行かない出来事がおきてしまい、のこ世には神も仏も無い・・と心底思う時が有るかもしれない・大いなる理不尽と言える時である・・・そんな大いなる理不尽を経験したのがイエス・キリストである・・。

 ~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

イエス・キリストは神で有る・・。故に、彼の生き方や十字架に掛けられた悲惨な出来事も、神が故に成せる事・・と遠くに置いてみてしまう。

が、イエスキリストが肉体を持ち人として、極一般の貧しい家に生まれたのには意味が有る。必要性が有ったからだ。

これ以降は、あえてイエス・キリストを彼と呼び一人の人として観てみよう。

彼は、大工の子として生まれ、父の仕事を助けていた。早くにして父親を亡くしたその後は、母親と兄弟達の面倒を見ていた。兄弟達が一人前に成った頃に洗礼を受け、神の教えを説いて廻った。彼は、幼い頃から、常に聖書を学んていた。

洗礼後は、愛に重きを置き説いて廻り、弟子にも教えを説いていた。

しかし、彼が処刑に科せられる時に、裏切った弟子や、「イエスを知らないか・・」と聞かれ。「自分は関係ない。何の事か分らない。嘘を付いたら神の罰を受けてもいい・・・」とまで言ってイエスを知らないと嘘を付いた弟子もいた。弟子は、「知っている・・」と言ったならば自分も処刑に成るから嘘を付いたのだ。

彼(イエス)は、愛を説く事を目標とし人々に愛の大切さと神の教えを伝えようとした。しかし、それどころか、一番近くの信じるべきに値する弟子達に裏切られてしまった・・。誰も彼の愛を説く・・を結局は理解をせず、実行には至らなかった・・と言った事に成る。彼は、報われる事無く、人々にあざけられた揚句に死刑になってしまった。

処刑は、相当に苦痛を伴うものだった・・。

手足と両手の上から釘で十字架に打ちつけ、腰の骨は打ち砕いておく。腰の骨が有ると受刑者が身体を支え易くなるからである。腕の力だけで体重を支えなければならない。横隔膜を動かし呼吸をする為に腕だけで胴体持ち上げる必要が有る。そうするほどに激痛が増す・・。やがて力尽きて窒息死してしまう・・。彼は、昼過ぎに十字架につけられ午後三時に死亡した。

その間、空は闇に包まれたとも言われてる。

一人の人間の人生として彼(イエス)の事を考えた時に、真面目に生き、父親の仕事を助け父の死後の後は、懸命に家計を支え働き、その間も聖書を学び洗礼後は、全てを捨て只ひたすらに神の教えを説いた・・。揚句に、人々から罵倒され、弟子達に裏切られ・・肉体の激痛と報われる事の無い理不尽の極みを受け亡くなった・・。

これほどに報われない・・理不尽の極みは無いだろう・・。

彼は、十字架で息耐える前に、最後の言葉を発している。

我が神・・・我が神・・・どうして私をお見捨てに成ったのですか・・。」と言われた・・。人間的な悲痛の叫び・・とも言われているが、これは、詩篇第22編から始まり第31編「私は御手に身を委ねる・・。」まで言ったとの事で続きが有ったのだ。

彼の心魂(御霊)の言葉を私なりに超訳してみよう。

「例え、どんなに理不尽の限り(極み)があろうとも、直ぐ目の前に死が有ろうとも、・・私は、我が神を愛し信じる・・。(例え、神に見放されようともの意味)

私は、神と共に共存光栄し世と人の為に尽くしたい・・。

例え、誰からも愛されず誰からも必要とされずとも私は、神に愛され神に必要とされている事を既に確信しているのだから・・。

私は、神と共に共存共栄し、愛を持ってこの世と人々に尽そう・・。この世と人々の幸せが私の喜びで在り私の存在で有るのだから・・。

神に祝福あれ・・・。」

最後の心魂の叫びである・・。

彼は、死後、黄泉の国では無く、さらなる上・・神の国に入られ神として今もこれからも彼の心魂は・・愛は、私達に向けられている。

彼は、この世では報われる事無い理不尽の極みを受けた・・が、死後、報われる事と成った。相対性の原理・・である。

結果は、この世では無く死後に有る事・・。美徳の思想を持って何が有っても生き抜く・・必要性を説いている。さすれば、人が神の国に入る事が可能で有る・・・事を人間である身を持って示している。

故に、イエス・キリストは、人として生まれる必要が有った。

私達は、神の国には行けないかも知れない・・。何回も輪廻転生を繰り返し、心魂を清く白く輝かせる為に磨く努力が必要とされる。しかし、黄泉の国にも、段階は存在する・・。より高い位置に属する為に、この世での修行・体感・経験がある。

どんな境遇に置かれていても、美徳の思想を持って懸命に命を全うしなくてはならない・・。報われない・・どんな理不尽の極めが有っても自分を責めたり、落胆などしなくてよいと言う事である。

イエス・キリストの最後の叫び・・「我が神・・・我が神よ・・どうして私をお見捨てに成ったのですか・」・・は、超訳の文面の理不尽の極め・死が目の前・・・に有る時・・・神に見放された・・を指し例えそうだとしても、私は、神を愛し信じる・・・に続く。

生きて行く上で、この世に神も仏も無い・・と心底、思う時が有るかもしれない・・、しかし、そんな時にこそ、暗い闇の底にこそ神は、深い愛を持って静かに存在している。

故に、神を愛し信じなさい・・と言うことに尽きる。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の限り(極み・限界)の時・・

2012-07-12 06:50:51 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の限り(極み・限界)がある時・・

☆。。本日は、前編・後編に分けて記載をしています。どうぞ、両方をご覧下さいませ・・

 この世の中を生きて行く上で、美徳の思想が有る・・その思想を知らぬ間(無意識)に自分達は身に付け指針として生きている・・。その美徳の思想は、時にして大いに自分を苦しめる・・。

美徳とは、美しい徳の有る行い生き方・・道徳に叶った立派な行いを指す。思想とは・・・人生・社会・政治(世の中)などに対する一定の考え或いは、哲学・道徳で思考作用の結果に得られた意識内容・・と言った事である。

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が、この美徳の思想・・・を重んじる人ほど・真面目な人ほどこの世は生き難く自分を責め苦しめる結果と成ってしまう事が有る。それは、結果が美徳の思想に伴わない時であり、報われない時に得てして起こる。それを理不尽と言う。

美徳の思想には、諦めずに頑張れば報われる・・。正しい事は必ず勝利し良い結果が齎される・・。良い行いは報われる・・。懸命に尽くせば何れ分ってもらえる・・。などなど、世の中で良し・・とされる言葉で、考えれば直ぐ側に多々転がっている・・。

例えは、オリンピックに出場を夢見て目標と努力を重ね取り組んだ結果、敗退しオリンピックの夢が消えてしまった・・・。何回も挑戦しても及ばなかった・・。結果が報われない・・・そんな時、努力が足りない・・何か自分に足りないものが有ったからだ・・と自分を責め苦しむ・・。人生の敗北者としての影を背負い、生きるに自信が持てなく成ってしまう事も有る・・。

例えば、この不景気の中、懸命に働き会社と社員とその家族の為に必死で頑張った結果、倒産し多額の借金を背負う羽目と成ってしまった。諦めずに頑張った結果に齎された・・地獄がある。

早くに見切りを付けておいた方が楽だった・・・。頑張っても、どうにも成らなかった・・。結果、自分のやり方が悪い・・自分が至らなかった・・・と多くの負債と苦悩に喘ぎ・・また何処かで美徳の思想が頭をかすめる・・人に迷惑を掛けてはいけない・・と。こんな時こそ、家族は助け合う・・そんな美徳の言葉も空しく、家族からも責められ罵倒され気が付けば離散・・。

例えば、母子家庭で必死に子供の為にだけ生きて育て上げやっと一人前に成った子供達・・。迷惑に成っては成らないからとその後一人頑張ってみたもののついに病に倒れ働けなく成る・・仕方なく子供を頼りにするが、誰も見てくれない・・。頑張れば報われる・・。親の背中を見て子は育つ・・。そんな美徳の思想が空しくよぎる・・。何が悪かったのだろうか・・何処で子供の教育を間違えたのだろう・・と自分を責め続ける・・。生きる希望を無くす。

例えば、学校に通うのも勉強をする事もサボる事無くまじめにしなくてはいけない・・。そんな美徳の思想・・が有る故に、学校でいじめられ続けても懸命に学校に通う・・・結果、行き場を無くす・・心身共に疲れ果て自分に価値を見出せず・・・苦悩の末に人生に幕を引く・・。あわ良く命を繋いでもトラウマと成ったり人間不信社会不信に親子で陥る・・。親子で自分達を責めつづめる・・。自分達の何が悪いのか・・と。

例えば、懸命に生きてきたのに、災害に事故に突然遭遇し、尊い命を奪われたり住む土地も家も耕す土地も失ったり・・・と、人生のどん底を経験する・・。何の自分に責任が無い出来事の時にさえ、何でこんなめに自分が・・。どうして・・・?と自分を責める理由を探し求める・・。自分の今まで生きて来た事の中に何か悪い事をし罰が当たったのだろうか?それとも前世に何か悪い事をした為なのか・・?と頭を過ぎる・・。

例えは、懸命に生きてやっとここまで来たのに、もう先が無い・・。また、数年しか生きてないと言うのにもう終わりが来る・・。人生の途中半ばで・・自分の意志とは別に、命の終わりを迎える・・。幼い子供を残し旅立たなければ成らない・・。命の終わりに、もう愛しい子供に会えない、子供の先行きを心配し続ける・・が、どうにも成らない・・。

美徳の思想・・知らぬ間に生きる指針と成っているもの・・・。結果が伴わない・・それを理不尽と言い己を苦しめて止まない・・。信じて真面目に頑張って生きて来た人ほど苦悩する・・。生きる指針を見失う・・。頑張って・・・と言う言葉・・美徳の思想の言葉・・が重くのしかかる。

美徳の思想・・に叶った(理に適った)生き方をする者も確かにいる。それらの人々は、世の中の手本とされる・・。本人も美徳の思想を生きる自信・・指針とし続ける・・・。それ故に本なんかを出したりもする・・。

美徳の思想に行き着かない者は、そんな人の本を読んで、あ~やっぱり自分は駄目だ・・まだ至らないとまた、頑張ってみたりもする・・。

生きる上で、知らず知らず身についている美徳の思想・・生きる為の指針としているのは、幸せに成る為である。誰もが、幸せを目指しているからだ・・。

叶う者・叶わぬ者・・言い換えれば、勝利者と敗北者・・幸せ人と不幸せ人・・と言ったところだろう・・。そんな人生が合い重なって或いは、綱の様に捩れ絡み合い一本の綱の様な人生・社会でこの世は成り立っている。

美徳の思想・・に、そぐわないと自分に価値観を無くしたり、或いは心が歪んでしまったり落胆したり希望や目標を失ったり反発したりで、興してしまう犯罪や人生に幕を引く者もいる。

美徳の思想を持つが故に、己を苦しめる・・・故に、持たない方が楽だろう。頑張る事も、諦めない事も正しく生きる事からも逃げる・・・見てみない振りをする・・。避け通せれば楽かもしれない・・。

がしかし、たとえ敗北者で有ろうとも不幸人で有っても、美徳の思想を捨ててはならない。何が有っても、胸を張って生きて行こう。どんなに報われず理不尽の極みが有ったとしても、人生の最後まで生きて行こう・・。至福の時が場が待っているのだから・・。

 

結果は、この世では無く、死して尚も存在する愛して止まない心魂の行く先、黄泉の国に有るのだから・・。

 

何故なら、万物創造の神は、神をも造りし神(創造主)は、全ては相対性の原理に基づき成り立つ様に仕組んでいるからだ。

この世で報われない人・理不尽の極み・不幸な人・・それらの全の人はこの世では無く、黄泉の国で反転(相い反)する事と成るのだからだ。

相体性の原理は、物理や化学の上でも宇宙の生業でも全く持ってそうなのだから・・。

また、そうで有る事を、イエス・キリストが証明している。(本日・・後編に記載しています)・・・つづく

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・梅雨明けを知る時・・三島神社にて神様と会話・・

2012-07-09 21:38:00 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・梅雨明けのを知る・・教えてくれる・・。

◎ 何時に成ったら梅雨は明けるのだろうか・・・?今日は、比較的に天気が安定をしている。洗濯物も何とか乾くだろう・・・・うっとおしい梅雨の時期には、梅雨明けの晴れ晴れとした空が待ちどうしい・・。

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近所の三島神社に買い物や散歩の際に、よく寄っている。今日も三島様にお参りをしてきた。

参拝が終わり、腰を下すのに丁度良い岩が有り、何時も参拝が終わるとそこへ腰を下す・・。

静かなはずの神社・・・が、やたらとうるさい事に気がついた。神社の直ぐ側の建物から何やら機械の動く音・・・。チョット不快に成ったもので、三島様に、「普通・・神社はもの静かなもの・・・。これでは、神様もうるさくて不快でしょう・・・お気の毒に・・・」と言うと・・・。

何の事は無い・・。あの建物からあの音がしなく成る時は、あそこで働く人達・その家族が仕事を失い路頭に迷う事である・・。道を走る車の音も子供達の声も活気が有って良ろしい・・。5時を過ぎれば、あの建物からも音はしなく成る・・。夜はもっと静かに成る・・静けさが宜しければ、夕刻か夜にでも来られるが良かろう・・」と申された。

つづいて・・・「耳を清まされよ・・。」と申された。

耳を清ましてみると、「ジージージー・・」と蝉の声らしい。もうそろそろ鳴いても良いだろうかな~と言った感じの遠慮がちで様子伺いのような、2匹ほどの蝉の泣き声だった・・。

あ~そうだった・・。」以前に神様から教わった事があった。

晴れたかと思ったら又雨・・と言った具合で梅雨明けを見極めるのは難しい・・。最近は、天気予報で知らされ分る事だけれども、自然の生業からも確実にそれは分る・・。

蝉が揃って泣き始めたら・・・梅雨明け・・」だと教えて貰った事が有った。

遠慮がちに鳴いていた2匹ほどの蝉・・・。あの建物の機械の音に負けないほどの蝉達の鳴き声が聞こえ始めたら・・・きっと梅雨明けになるんだろう。

これからは、暑くも成る事だし・・・三島様(神様)のおっしゃる通りに参拝は夕刻以降にしようと思う・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・イエス・キリストを感じる・・

2012-07-08 13:56:04 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学びイエス・キリスト・・を感じて思う事・・

◎ 或る日の事、誰かのブログを拝見していたら、鳥肌が立って止まらなかく成った。ブログ・・・メール・・・・携帯・・インターネットなどの通信それとも電波と言うべきなのか、そう言った所からもちゃんと神・或いは仏の世界からの霊波的なものは届けられる・・。

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詳しい説明は省略をするとして、創造の神・・が造りし宇宙は、圧力・摩擦・熱・光・陰陽・プラス・マイナス・磁場・電波・・・などなど科学の世界と密着し存在している・・なので、霊波的なものが、電波に絡み及んでも然るべきであると感じる

宇宙・創造の神の話は難しいと言うよりも人間の知識能力を超越している為に説明し辛く思考の域を超えてしまい・・・書く側も多分、読む側も思考するのが嫌になるだろう・・・。幾ら天より教えてもらっても・・そうなのだから、思考するのがしんどくなる・・途中で止めてしまう。次の機会にと小出しの教えと成ってしまう。

なので・・・単に創造の神=愛である・・。宇宙=愛と超訳した方が分り易いし、そうなので在るから・・。

インターネット・携帯などで、神仏、或いは守護霊や先祖霊などスピリチュアル・・と言うろこの域・心魂に触れた時に、鳥肌が立つ場合が有る・・。

そんな関係で、知らない誰かのブログを見た時に鳥肌が立ってしまった。

これは一体何なのだろうか・・。聡明で真っ白く輝く今までに視た事も感じた事も無い、清く美しく繊細で愛おしくも有り・・余りにも清らかな言葉の表現に困ってしまうほどである。

こうも白く汚れの無い心魂・・・悪しきものに狙われる・・かもしれない・・。守って上げたい・・そんな衝動にかられた・・。世の中に、こんな心魂の持ち主が居たのか・・・とその時は思った・・。

それから暫くした或る日の事・・・あ!、あれは人では無い・・。と気付いた。ブログを書いた人に寄り添うイエス・キリストである事に気付いた・・。

道理で、心魂が真っ白・・・黒い部分(魔)が無い・・。人ならば、少なからず心魂に悪しき部分を持っている・・。真っ白な心魂のみを持ち合わせるのは神・・御仏の心魂に他ならない・・。

己の心魂が、もし真っ白に成れたならば、もはや人に生まれ変わる(輪廻)必要は無い・・。神の領域に入る事と成る。キリスト教で言う所のエデンの園・・永遠の命の領域である。仏教で言えば曼荼羅の世界なんだろう。そう言った神や御仏の領域を創造したのもまた神(創造主)である

遥か昔、原始時代に遡てみれば、人間が生きる、命を繋ぎ子孫の継続をするのみに生きていた時代・・食料の確保が何よりも大切だった時代・・生きる為の食料確保が覚束無い人間・・体力的にも弱く何時、狙われ襲われるか分らない人間・・そんな子孫の継続も危ぶまれる弱い人間の最大の知恵が蓄える・確保・保管で有った。

保するは欲するであり、人類が滅ぶ事無く継続が出来た要因でもある。がしかし、欲する・・が、過度の渇欲と成った時に、悪と苦悩が始まった。

生まれた悪・・・悪のエネルギーの集合体である悪魔或いは魔神・・・人の生み出した悪しきものである。それに対し、神(創造主)が造りし神とその領域が在る。

神(創造主)は、神をも造る・・。

悪しきものにより苦悩する人間に対し創造主が造りし神々は、救いを求め指し出された手(心魂)に、その手を添えてそっと繋いで下さる・・。しかし、その為には、己の心魂を清く白きものにしなければならない

悪しき心魂を持ったままに手を伸ばせば・・悪しき者・・悪魔・魔神が喜んで手を差出しニコリとそ手をすばやくサッと握り締める・。

悪魔・魔神の意とする所・目的は、破滅・滅亡・・破壊である。

悟りを求めし者は、欲・悪を財を捨て苦業の道に入り、白き心魂に成るべく努力をし神に手を伸ばす・・。その一人に釈迦が居た。彼は全てを捨て瞑想し白き心魂を得、悟りを開いた・・。

イエスは、恵まれた環境では無かったけれど、洗礼後は、少ないかもしれない全てを捨て神の教えを説いて廻った。

人は生まれた時は、白き心魂であるが生きるほどに悪しき心魂を宿してしまう。イエスは、まるで生まれた時の白き心魂そのままに大人に成長をしている・・。少年期から旧約聖書を学び・・疑問を持った時も有っただろう・・その度に真っ白き心魂が故に神の教えを直接に頂き学んでいった。

悟りを求めし者全てが、真っ白き心魂を宿しては居ない場合もある・・。悪しき心魂を持ち合わせていたならは、神の折角の正しき教えも歪めて受け取り解釈をする事もある・・。

また、神と思えば神に化けた魔神を己の悪しき心魂を持ち合わせるが故に崇め信じる場合も有る。悟りし者が説いた教えを誤って解釈し受け取り伝承をしている・・場合もある。

故に、自分と向き合い悪しき心魂を追い払い神に対し、救いの手をさし出す(向き合う)そうすれば、求める処に神の手は差し伸べられる。

継続は難しいが、一瞬一時的に白き心魂を宿す事は可能である。正しき神の教えを聞き正しい理解が可能になる。迷える時に選ぶべき道は難儀な方で有り楽な道を選ぶ事は往々にして無いものである。

本来の神の姿は無と言って良いだろう・・。それは神は愛であるからだ。愛は見えないものである・・。しかし、姿無きものに人は不安を感じる・・。故に、神は求める者により形・姿を変え現れる。呼び名も変わる・・姿は仮でしか他ならない。

宗教・・その集団に魔神も寄り添い鎮座する。人の集まる所には、お金と権威が付き物で、欲の渦巻く処と成りかねない。宗教が招く争い戦争や悲惨・理不尽も有る。神の居る処に対座して魔神が存在している。しかし、この魔神は神の領域には存在しない・・。人の居る低い位置に視え隠れして在る。

或る男の右手と左手が言い争う・・。

右手が・・「俺の方が優れている故に左手は不要である・・。」すると今度は左手が「俺の方が正しく役に立ち必要とされているのだから・・右手は必要ない・・・」と言う。

また、尻の右側が・・左の尻に向って「お前は汚い・・」と言うと今度は、左の尻が右側の尻に向って・・「お前の尻は醜い・・」と罵りあう・・。同じ一つの体で生じる・・そんな馬鹿げた出来事の様な事が宗教の世界に今も存在している。

或る悟りを求めし者の前に、神が手を差し伸べ申された・・。「私のみを信じなさい・・」と。それを受け取った悟りを求めし者は、大いなる勘違いをしてしまった・・。「そうか・・私の聞いた事のみが正しい神の教えなのだ」・・・と

しかし、真実は違う。く輝く心魂と黒い悪しき心魂を持ち合わせたその者(悟りを求めし者)に対し、両方の心魂を持ち合わせたが故に神と魔神の両方が手を指し述べた・・故に、「惑わされず私のみを信じなさい」・・と申されたに過ぎない・・。

つづく・・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・愛しさ故に心魂を一体化したがる・・

2012-07-06 01:13:59 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・愛しさ故に人は心魂を一体化したがる。。

 愛して止まない・・・人・・それが、彼氏・彼女だったり夫・妻だったり子供だったり・・・と愛する対象者が自分の周りには居る・・。けれど、その人達との関わりでは、愛しさ故に腹を立てたり悩んだり不安に成ったりと・・・苦悩は尽きず心は休まらない・・。

 ~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

どうしてもっとちゃんとしてくれないのか・・・こんなにあなたの為に尽くしているのに分ってくれないのか、協力してくれないのか・・と、不平不満が増幅してくる。

あれほどまでに幸せを感じ先には夢や希望や目標・・・・幸せは続く・・いやもっと幸せに成る・・・と疑う事なんてなかったのに・・・それなのに気が付けば、すれ違いばかりで、話をすれば喧嘩に成りおさまらない・・。気が付けば・・相手の嫌な所ばかりが目に付く様に成る・・。恋人同士なら別れるだろうし、結婚していれば我慢をするか諦めるか・・・思い切って別れるか・・。

仲良く末永く一緒に暮らして行くのはなかなか難しい。

大きなお腹を抱え、生まれる日を楽しみに赤ちゃん用品を買い揃え、可愛い名前も考えたりする・・。生まれる子供に色々と思いを巡らしたりもするが結局のところ、元気で生まれてくれる事を願う結論と成る。

痛い思い・・辛い思いをし、やっと生まれた赤ちゃん・・・、両親は、元気で生まれてくれて良かった・と只々感謝をし喜ぶ。そして、只々愛しく思う。

それがいつの頃からか、気が付けば、あなたの将来の為だからと言っても言わずとも・・・勉強を或いは習い事を色んな事を強要している。

そうやって、子供は、大人から両親から、社会の世の中の価値観の道・・・レールに乗せたられる・。そんな親の期待に答える事が理屈抜きで良い事だと・・子供は期待に答えようと頑張る・・。

しかし、この道・・・このレールは、やたらと狭い・・よって皆が通れない、振り落とされてしまう・・。何も考えず期待をされるがままに歩んで来た道・・・が、自分がその道から落ちてしまうと、もはや自分の道は消えて無くなってしまう。どの段階で、どの年齢で振り落とされる事に成るのだろうか・・。

振り落とされると自分の存在や価値は無くなってしまう。悩む。。。どう生きて良いのか分らない・・まだ若いと言うのに先行きに希望が持てなくなる・・。

運よく社会や世の中の価値観の道・レールを歩き続け親の期待に答えたとして・・・親は気が付けば取り残され、一人ぼっちに成っている事に気が付く。あんなに頑張って子供に尽くしたのに・・・と落胆する。

途中、道・レールから落っこちた子供の苦悩・・・親は泣かされ苦悩する事と成る。親子共に不幸に成る・・。

愛しい・・・はずの人・・・幸せに一緒に成るはずが、苦悩と不幸を招き心通わず絆が途切れてしまう・・。どうしてこう成ったのかも分らない・・。

愛しさ故に、人は心魂を一体化したがる成りたがる。相手の心魂に入りたがる・・・或いは、取り込みたく成る・・。何れも入り込み対等には居られない・・上に成ろうとする従わせようとする・言い換えれば思う様にしたがる・。しかし、人間として生まれた限りは、決して誰とも心魂は一体にはなれない・・。

思うように成らないから、腹が立つ・・苦悩する・・。

愛しさ故におこる人間の欲望・・・渇欲(権威欲)で有る。理屈では分っているのだろうが、実際の行動は、そう言った欲が渦巻いている。

故に、あ~して欲しい・・こ~して欲しい・・・もっと頑張って欲しい・・・欲しい欲しいの渇欲が溢れ生まれてくる・・。

渇欲からは悪が生まれる・・・そして、苦悩し心は休まらない・・。

彼氏を彼女を結婚相手を選ぶ時・・・誰もが優しい人がいい・・と言う。けれど、それ事態が求める・・・欲する・・事に成る。最初の出だしからそうならば、自分の夢描く結婚生活・家庭は渇欲に溢れた夢や目標希望に成ってしまう・・故に、幸せは直ぐに消えてしまう。

愛しさ故に人は心魂を一体化させたがる・・。が、心魂は、決して一体には成れない・・。そう肝に銘じ、愛かそれとも渇欲か・・?を日々、己に問いかけ確かめ、愛しい人達と関わって行かなくては成らない。

出発点で、分度器が、わずが0・01度ずれてしまっていたら、まっすく引いたつもりでも、線のその先は進むほどに大きくずれてしまう・・。一緒に関わり愛しい人と歩む道も、ちょっとずれればその先は、大きく違ってしまう。故に、日々、己に問いかけ確認する必要が有る・・。愛か・・・それとも渇欲か・・・?

間違っていたら軌道修正すればいい・・。しないまま歩んで行くと・・あれ!こんなはずじゃなかった・のに・・と成ってしまう。

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