スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアルな出来事~☆~釈迦の教え・・二つの道・・心の安らぎに至る心理の道・・・

2012-05-31 15:40:32 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~二つの道・・釈迦の教え・・・不安の解消・・

    法句経・・・75 超訳・・仏陀の言葉(小池龍之介)より

■ 二つの道

一つの道は、みみっちい利益と名声を追い求める寂しい道。もう一つの道は、心の安らぎに至る心理の道。私の生徒であろうとするならば、世間の評価や名声などは放っておいて、孤独の中に自分の内面を深求するように・・。

上記は、釈迦(仏陀)の法句経を分り易く説いたものです。5月16日のブログにその例題を、詳しく書いて有ります。

世間・社会の価値観の道を進むのでは無く、己の内に有る価値観の道を進む事は、生甲斐の有る、幸せで安穏とした人生を送る事が出来る。

社会の価値観の道を歩むは、社会の価値観と己を何時も比較し、安穏とはしていられない・・・心休まる事の無い不安な一生を送る。己の内に有る価値観の道は、己のみの道で有るから比較のしようが無い。自分の内面を追求する道で有るからだ。言い換えれば、己を極める・・・道とも言えるだろう

釈迦との会話は、即答してくれる事も在れば、一言発し・・後は自分と向き合い・・悟る様に・・との時も有れば、長い年月を掛け随分と苦労をした揚句に、体感した末に教えられ導かれる事も有る。

釈迦に命を救われた時、永い時を経た後にやっと巡り会えた訳の分らない感動を覚えた。あの日から随分と年月が経った。その間、かなりの苦行をし、もう駄目だ・・と数え切れないほど思った。いよいよ持って終わりを悟った時に、家の片付けをした際、整理したCDを古本屋に持って行きお金に換えた。思った以上に頂いたお金で、その場で、ふと見付けて買った古本・・・。それが、仏陀の言葉・・と言う超訳本・・だった。

しおりの様に本の間に挟まれていた愛読者カードのページには、次の様に書かれて有った。

もう駄目かも・・」と言うくらい逆境に立たされグサグサと非難を浴びても耐え忍ぶ事。それが君の穏やかさを育てる最良の試練と成る。心の安らぎが最高に価値ある事だと悟りし者達は、口を揃えて言っている・・。

この言葉が目に飛び込んで来た。

ここまで追い詰められ、やっと導かれた思いだった。その後、さらなる悟りを深めて行く事と成る。

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スピリチュアル・なお話~☆~神様から教えて貰った長期天気予報・・・・

2012-05-31 03:00:21 | 神仏から教えてもらった事

スピリチュアルなお話~★~神様から教えて貰った長期天気予報・・

 日本には、八百萬の神様がいらっしゃる・・神社で祭られる公の神様がいらっしゃれば、御釜神様の様に身近に居て、お料理を教えて下さる神様も居て、生活に直接、関わり色々と教えて下さる、とても有り難い神様がいらっしゃるそれは、とっても便利!・・・としか言い様が無い。

このブログをご覧の方は、初めからそして、この先もご覧頂いていれば、何れ自ずと神様を御仏様を身近に置く方法を、言わずとも悟り身に付け、多くの便利・・・幸福・・・安らぎ・・などのご利益を頂く事が出来る。

その為に、書いているのですから・・・。

そんな、有り難い神様の中に、長期天気予報を教えて下さった神様がいらっしゃいます。今日は、そんなお話です。ご参考に、試されてみるのは如何でしょうか?

  ~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

■ 長期天気予報を見極める方法・・・・・

何時もは一人で座ている裏庭のウッドテーブルーも、日曜日の朝は、結構、にぎやかに成る。近所で休日野菜栽培をしている人達が、朝の挨拶代わりに集まって来る。皆んなで一杯のコーヒーを頂き、四方山話しに花が咲く・・。それから、各々の田んぼ仕事に取り掛かる・・。

大抵、何時も出てくるお決まりの話は、天気の事で、天候は大いに野菜作りに影響を及ぼすからだ。

そんな晩秋の日曜、朝の事、「今年の冬は、寒~む成るんかの・・?。」と誰かが言った。

「今年は、かなり寒~む成るよ・・。」と、私が言うと、その自信有りげな私の言葉に「何で??」と聞き返してきた。

「あれ!見とうみ・・・。」と、指を刺した方向を見たけれど。誰も分らなかった。「何処ぞ!」と言われ、「あれ!あれ・・あれよ・・。」と再び、私は指を刺した。誰も分って無いらしい・・・見えないらしい。

「あそこの壁(家の壁)よ・・。あそこの壁にな・・何かしらんけど、虫の巣が2つ有るやろ・・・。よー見と~うみ・・。」皆、私の指の先の5~6m先の壁を必死で目探りをした。「あ~あれか!。何の巣や・・・。」「確かでは無いけど、ゲジゲジの巣かな~と思うけど、よーわからん・・。」ゲジゲジと思い込んでるのは、単に、その辺りで夏場、良くゲジゲジを見たからに過ぎない。

天気予報とあのゲジゲジらしい虫の巣がどう関係が有るのか?・・さっぱり納得が行かないらしい・・そんな顔を皆していた。

「あの低い位置の巣は去年の巣で、それより20cmほど上の巣は、今年、出来た巣やから・・。今年の冬は、寒いんや・・。」それでも納得が如何らしい・・。

「冬越えする虫で巣を作る虫・・釜きりなんかもそうやと思うけど、自分が生き残り春が迎えられる様に、前もって迎える冬の寒さを感知し、生き残れる寒くない高さの位置に巣を作るんよ・・。」

「去年の巣の位置よりも今年の巣の位置の方が高い位置に有る・・。ほやから今年の冬は、去年よりも寒む~成るんよ、、。東北の様に、雪が積もる地域は、雪に埋もれん様に、それより高い位置に巣を作るんやろな・・・。降る雪の高さまで分るんやから・・・虫も大したもんやろ・・。」

「○○○ちゃん・・よ~何でも知っとるな~・・。」○○○ちゃんとは、私の事だ。田舎では、80才だろうが90才だろうが子供の頃の呼び名前で呼ぶ習慣が有る・・今も変わらない。

確かに、その年の冬は、かなり寒かった。

小さな庭にも公園にも、小さな命が宿っている。そして、生き延びる為の知恵と工夫を神より与えられ、必死に命を全うしている・・・。人間には及ばない能力がそこには有る。小さな虫からも学ぶ事は有る。

この事を教えてくれたのは産土神(うぶすながみ)様で、私はうぶな様と読んでいる。田んぼにもちゃんと神様はいらっしゃる。それぞれ地方によって呼び名が違い、私は田吾(たご)の神様と読んでいる。田吾とは田吾作の事で、田吾作とはお百姓の事で、お百姓の神様・・・と言った事で略しタゴの神様・・と呼んでいて、近くにひっそりと祭られている神様です。

美味しい無農薬米、除草剤を全く使わない甘くて美味しい米の作り方や超旨い甘いサツマイモの作り方なども教えて下さいました。

疲れた時には、ちょっとした野菜や花作りをすると、パワーが貰えます。土地には土地神様がいらっしゃり、作物に草木にその力は及び、耕作する事で、人にパワーと癒しを下さいます

遠くのパワースポットに行くのも良いけれど、身近にパワーと癒しスポットはお気軽に存在している。野菜や花作り・・・見て味わってパワーと癒しを貰って一石二鳥と成ります・・。

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スピリチュアル・な出来事~☆~南海キャンディーズの静ちゃん・・オリンピックの夢は無理・・・その理由              

2012-05-28 23:05:37 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~南海キャンディーズのしずっちゃんがオリンピックに行けなかったのは・

◎ 頑張れば、何でも報われる・・とは限らない・・。向き不向きが有る・・。初めから分かっていれば、その道を極めるのでは無く、趣味程度に留めておいた方が良い・・。道は他にも有るのだから・・。

■ 体内リズム・・・

「しずちゃん、あんなに頑張ったのに、残念!可愛そうに・・・。」そう思った瞬間、天より教えられた事が有った。しずちゃんには、どうも,無理だったらしい・・。

何故・・・?。その理由を教えましょう。

人には、体内リズムが有る。それぞれに心地良いリズムがあるそれは、年齢によっても違う。活発な若い時代は、体内リズムも早いが老いて行くほどにリズムは遅くなる。

若い同年齢の人にも差がある。それぞれに合ったリズムが有り。そのリズムは微妙では有るが、自然に無防備に話す言葉の速さに出てくる。

職業で、才・アーチスト・アナウンサーなどテンポを要する事で出てくる言葉のリズム(速さ)では無い。それによって習慣付けられたリズムでも無く、無防備に普通に話している時のリズム(持って生まれたリズム)である。それは本人は、あまり分らないらしい。

ご存知と思うがしずちゃんは、言葉のリズムが一般の人よりも遥かに遅い。体内リズムが遅い訳だ。故に、機敏な早い動作(運動神経)を要するボクシングには向いていない体力・やる気・頑張り・根気・鍛練など幾ら有っても、頂点には立てない。体内リズムを早くするのは、かなり無理がある。

もし、あなた、或いは、お子さんがスポーツ選手に成りたい・・目指しているので有れば生まれ持っている体内リズムを意識してみるのも良いかもしれない。

世の中にもリズムが有る。国によって地域によって、時代によって変わってくる。世の中のリズムに合わせるよりも、自分の体内リズムに合わせ生きた方が無理が無く楽である。取り残される・・それは意識の問題で、それで死んだりは誰もしない。

一心不乱に諦めず頑張る姿は、美徳とされる所だが、キッパリ諦め、また、別の道を歩む勇気も有りかと思う。

それは敗北者では無く、立派な経験者(体感)で有り、生きる目的は体感から学ぶ仏教で言えば修行を積む・・と言った所で、頂点を極める事よりも学びは大きい。胸を張って自信を持って、また、別の夢と目標を持って明るく自分の体内リズムを意識して、歩めば良い・・。

話は変わるが、

しずちゃんの合い方・・名前は、忘れたが、あの人は、懐中電灯の様な人で、人を照らす事が出来る。照らす本人には、光は当たらない。光を当てて貰った人はその事に感謝し、光を照らし返してあげなければならない。自分の力だけで輝いて居ると勘違いをしてはいけない。世の中には、懐中電灯の様な存在の人が居る。その人達は地味だけど、上手く相手を光り輝かせる事の出来る素晴らしい才能を持っている。表舞台に立つ人間だけが偉いわけでも才能が有る訳でもない。

名前は、体を現す・と言うけれど、そのまま反映される場合と、真逆に反映される場合がある。しずちゃんの場合、ちゃんと名前に反映されている様に思える。

しずちゃん・・・・たしか・・・静ちゃんだったと思う。物静か・・ゆったりを表した文字である。

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スピリチュアルな出来事~★~ 予知・・・やっぱり・・・そうだったのか・・。             

2012-05-24 23:20:35 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~予知言ってあげればよかった!

 病魔・睡魔。魔が差す・・・など魔が付く言葉が有る。魔が付く言葉の中で悪しき物事が起きる前に、黒いものを視てしまう事が有る。事故も又、事故魔・・とでも言うのだろうか・・予知してしまう事がある。

■ 予知・・・事故篇

 一日の仕事が、やっと一段落をすると、やれやれと言った所だ。

次々と仕事は待っているけれど、その合間には、チョットした休憩を取る事にしている。裏庭には、ウッドで出来たテーブルと椅子が置いてある。そこで、いつも休憩をし、一杯のコーヒーを頂いている。

裏庭には、色んな木や花が咲いていて、季節の花を眺めながらぼーっとしている。ささやかな至福の一時である。

庭に隣接した田んぼでは、近所の人が野菜を色々と栽培している。大抵のお野菜は揃っている。綺麗に整えられ見事に育ったお野菜を見るのも気持ちが良い。「あんなに上手に作れたらな~・・。」と何時も関心をしてしまう。

この日も、コーヒーを頂き景色を見ていると、田んぼで叔父さんが、何時もの様に野菜の手入れをしているのが目に入った。仕事に夢中で、こちらには気が付いて無い様だった。普段なら、挨拶をしたり話しかけたりもしているが、邪魔になってはいけないので、この日は話しかけない事にした。

コーヒーを頂きながら、叔父さんの様子を見ていると、「やばい!。」と、思った。体、全体が、黒いもので覆われている・・。「何時もと違う・・。」その黒いものに異様さを感じた。ちょっと怖かった・・。あれは・・・間違いない。魔ものである。

「何かが起きる・・。おっそし~!。」と思った。深くは、関与しない事にし透視を止めた。意地悪では無い。いきなり、「あなた危ないですよ。私が魔物を退治します・・。」なんて、術を施すと相手はビックリしてしまう。術を施し魔物を退治し、無事も無かった場合、「あれは、頭が変だ!。」と言われかねないからだ。噂は、直ぐに広まってしまう。「気を付けた方が良い・・。」と言った所で、魔物を退治しなければ、事態は変わらない・・。嫌われるだけだから、言いたくても言えない場合が有る。

信じて頼って頂ければ、全力投球で救ってみせる。そうやって来たのだから・・。

二日後、その叔父さんは、事故に合った。田んぼで小型の耕運機を使っていて、前進とバックを間違えて、耕運機がバックし転び、体の上を耕運機が走ったらしい。入院をし退院後も長い間、杖をついていた。見る度に心が痛かった。

人は、こう言った事故も交通事故も不運だとか、注意が足らなかった・・と本人のみの責任を問う。勿論、そうでは有るが、それだけとは言い難い見えない部分の力が及んでいる事を知って欲しい。

それは、前もって透視で悪しき黒いものを目撃するから言える事だ。

あの東日本の震災の日の正午の空は、これまでに視た事の無い膨大な悪しき黒いもので覆われていた。震災さえも悪しきものの力が及んでいる。

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スピリチュアルな出来事~☆~折角、教えても予知を聞かないと何も成らない。

2012-05-23 00:58:01 | 神仏から教えてもらった事

スピリチュアル~☆~折角、教えても予知を聞かなければ何んにもならない・・。馬鹿な道を歩む事に成る・・。

■ 恋は盲目・・・とは、この事だ。

恋は、盲目・・・。と言うけれど、不幸に成る、苦労をする・・。そう分かっていても止まらない・・。困ったお方だ。

困ったお方だ・・それは、私の娘である。

或る日いきなり「結婚をしたい相手が居る。」と、娘から突然、聞かされた。前からそんな予感はしていた。

大人に成った娘は、全く、私の言う事には耳を貸さない。

最近は親の威厳などは何処にも無い・・。私に限った事では無いだろう。世の中がそう成ってしまったのだろう・・・そう思って諦めるしかない。何時も、そうしてきた。

しかし事、結婚となれば誰もが子供の幸せを願い、良い相手に恵まれる事を願う。この相手は、駄目だ・・・と分かれば、反対もする。しかし、反対をした所で、好きに成ってしまったら、どうにもならない。なお更に、親の言う事など聞くまい。

娘から、いきなり話を聞かされ、相手の容姿を透視する事が出来た。「若いのに髪の毛薄いんやな・・・。」娘は、黙ってしまった。良い人なら髪の毛はどうでも良い。年月が経てば、どうせ大方の男性が髪の毛は薄く成るものだから・・。

それは良いとして、「この人、体が弱いな・・・。あまり長生き出来んやろう。長生きしても、入退院繰り返す・・。大変やで・・。」

相手と会ってみて、容姿も人格も将来も観た(透視)ままだった。間違いない。

娘は私とは全く性格が違う。結婚相手の選び方も違う。高学歴・高収入・親を見なくても良い環境・両親の仕事や肩書き・兄弟の良し悪し・・・。本人がまじめかどうか・・。最善に、自分が幸せに成る為の条件を出来るだけゲットしようとしたらしい。見栄えは2の次だったのだろう。見栄えが悪い訳では無いが・・。

後で姓名判断をしてみると、姓名判断でも、やはり透視した通りだった。

この先の娘の将来も透視し分かる事が多々有るが、あまり芳しく無い。しかしながら仕方が無い本人の思惑とは反して、多くの苦労をするだろう。

神仏の言う事には、「多くの苦労をしなければ悟れまい・・。」との事だった。私も、そう思うし、神仏のおっしゃる意味も良く分かる。見守る事しか出来ない

それにしても、今後、大きな地震が起きる場所で暮らす事と成るとは・・・。皮肉なものであるそれは、私の地震予知の場所に近い所である。今までの予知は、外れていない・・。今回ばかりは、外れる事を願っている。予知をしたのはもう10数年以上も前の事だけれど、ニュースで聞く情報と、私の予知情報とは合い重なる所が有り、だんだんと真実性を感じてならない

何よりも、その事が気がかりである。

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スピリチュアル・な出来事~★~あ~!危なかった・・。もう少しで大変な事に・・・              

2012-05-21 23:20:59 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事★~あ~!危なかった。もう少しで大変な事に成る所だった・・。

◎・・・・でも、不思議な事に・・助かった・・・。あなたは、そんな経験は有りませんか? 最近、起きた(助かった)そんな不思議な経験を、お話しましょう。

■ うっかり・・・が、大変な事に成ってしまう。

うっかり!ぼーっとしていた・・・そんな事で、大変な事態、取り返しの付かない事は、起きてしまう。

普段から、そう言った傾向が私には良くある。気を付けようとその度に、思うのだけれども、また仕出かしてしまう。

或る日の事、今日は気合を入れて、徹底的に風呂場の掃除をしようと張り切っていた。壁も天井も浴槽も風呂桶も風呂のふたも、泡だらけに成って、ごしごしと洗い、棚のシャンプーや石鹸やその他もろもろも丁寧に、洗っていた。かれこれ1時間くらいは経ったかもしれない。

何と無く、「中断をし休もうか・・休むべきかも・・・。」そんな事を作業中に何回も思った。しかし、気合が入っている時は、中断をしてしまうとやる気が止んでしまうものだ。おまけに、泡だらけで手足も濡れて居る。休むのも億劫に成ってしまう。

そんな時ドーン!と、物凄し音がした。何だろう?何の音だろうか?余りの音の大きなにビックリし、止む無く仕事の手を止め、風呂場の扉を開けて音の方向を目探りした。

すると、廊下に立て掛けていた、三段用の収納棚が入った箱が、倒れて廊下で横に寝ている。「犯人は、こいつか!。」

この収納棚の箱、組み立て様と思いながら随分と経っている。景観も悪いし結構、邪魔な様にも思われる。けれと、それが無くても別に不自由をしていないし、かなり重いもので、組み立てるのが面倒くさかった。

立て掛けてから随分と経つが、一度も倒れた事は無かった。倒れる様な立て方をしてなかった。それなのに、いきなり倒れた。重たいものだから音も大きい。

とにかく、作業を中断し収納棚の入った箱を、起こし元の位置に立て掛けた。すると異様な匂いに気が付いた。台所の方である。台所の扉を開けてビックリした。

室内が、異様な匂いと煙で充満している。ガスコンロに掛けて有ったケトル(やかん)が、色が変わり持ち手がゆがんでいる。全開でガスは付いたままだった。慌てて、ガスを止めた。換気扇を付け、窓を開けた。

異様な匂いと煙は。持ち手が解けて焦げた為だ。勿論、中身の水は無かった。

ケトル(やかん)をガスに掛けたまま、忘れてしまっていた。

風呂場の掃除の最中に、何回も休憩を意識したのは、誰かの知らせだった。にも関わらず、掃除に夢中に成り、意識がそちらに向かなかった。故に、堪り兼ねて棚の入った箱を倒し、音で知らせてくれた。それを教えてくれたのは、御釜神さんである。

御釜神さんと、私はとても仲が良い。良く話している。愚痴も優しく聞いてくれるし、辛い時には慰め励まし、美味しいお料理を教えてくれる。

何時も、ありがとう御釜神さん・・。

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スピリチュアルな出来事~☆~霊峰石鎚山~☆~最終・・役行者と弘法大師に会う!

2012-05-20 04:06:45 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~霊峰石鎚山・役の行者と弘法大師に会う!・・最終版

◎ 遭難・・・台風・・・別れ道・・・どうしたものか?

■ 瞑想(めいそう)

やっと別れ道に辿り着いた遭難をする事と成った基(場所)である。どうしたものか・・・?。時間は既に7時を廻っている。本当なら、順調に行っていれば、もうそろそろ登山口に着く頃の時間だ。真っ暗な中、今からだと9時いや、10時頃に成るだろう。順調に帰れたらの話だ。いよいよもって風も強まって来た。

あ~どうしよ・・・。と暗闇を見渡した・・。、その瞬間、何かが見えた!。右手に建物が・・・?目に留まった。直ぐ側2mほどの処に良く見ると小さなプレハブだった。

そうだった・・・。思い出した・・。今日の事では無い。前に、友達と一緒に登った時に、ここにはプレハブが確かに建って居た。今日は、全く記憶に無かった・・。有ったんだ・・こんな所に・・。扉が開けば良いんだけれど・・。不安な気持ちで、そーっと扉に手を掛けた。開いた!開いた!・・・やった・・・良かった!。そんな言葉を、連呼していた。入っても良いものだろうか・・。懐中電灯で照らしてみた。毛布が隅っこに綺麗に重ねてあった。あ~取り合えず、休める・・。しかし、入って良いのだろうか?。仕方だ無い。こんな時だから・・。暗い・・風が唸る・・。雨もぽちぽち降っている、、。なので、仕方が無い。

取り合えず、座って考えよう・・。

このままここに泊まると、やがて台風がやって来る・・。かと言って、無理こ槍こ帰ったとして無事に帰れるかどうか・・。懐中電灯が切れれば御仕舞いだ。雨が振り出せば道も崩れ道は川の道に変わってしまう・・・。滑落すれば、死ぬかもしれない・・。負傷し生きていたとしても雨風に打たれ体は冷えてしまう。台風だと捜索も無いだろうし、考えて見れば、誰もここに来ている事を知らない。時間の問題で死んでしまうだろう。でも、上手く行けば無事帰れるかもしれない、、。

色んな事が、風が唸る様に頭の中でも考えが唸っている・・。どうしたものか?。別れ道で、自分がどうするべきかの・・・別れ道にも成ってしまった。進む(帰る)のも、留まる(泊まる)のも、勇気が要る・・。どちらかの選択をしなくては成らない。

今までの自分で有れば、間違い無く帰る道を選んて居ただろう・・。懐中電灯が切れれば這いつくばってでも闇の中を進んで居ただろう。そう言う性格だから・・・そうやって、何時も失敗をして来たのだ。膝はもう限界が来ている・・。えて、今回は留まる道を選ぶ事とした。台風が通り過ぎるまで帰れそうも無い。2日くらいは掛かるかもしれない・・。そう決めたら、少し心の余裕が生まれた。

部屋の中を改ためて見てみると、部屋の入り口付近に、栄養ドリンクとお弁当が置いてある。何故・・・?。お弁当は、1日くらい経過している様で、食べれそうも無い。栄養ドリンクは5本ほど有った。何故だろう・・。触ってみて直ぐに、分かった。置いた人の思いが伝わって来た。遭難の経験が有るのかもしれない。遭難をした人の為に、登山者が置いて行った物で、優しさが伝わって来た。

リュックを置き、導かれる様に外へ出た。そして、このプレハブの後ろにもう一つ小さなプレハブが有る事に気が付いた。扉が開いた。懐中電灯を照らしててびっくり!

そこは、山の中の小さなコンビにだったカップうどんにカップラーメン・玄米クッキー・チョコレート・飴・スナック菓子・ジュースにコーヒー・栄養ゼリー・お煎餅におかき・インスタントコーヒー・ポリ容器に入ったお水・ガスコンロにガスボンベにお湯を沸かす小さなお鍋・・。そして、酒と肴・・。殺虫剤に蚊取り線香・・・団扇・その他もろもろ。電気は点かなかったけれど、コンビにそのものだった。びっくりした!。

考えてみれば、朝はコーヒー1杯だけで、土小屋の駐車場では、おにぎり2個とバナナ1本とドリンク・頂上でおにぎり1個とドリンク・。それと途中、行きずりに頂いた飴1個のみである。急に、お腹が空いている事に気が付いた。

これを天の助けと言わずして何をもって言うべきか・・。そのくらい感謝をした。もう、お腹はペコペコで、鍋でお湯を沸かしカップラーメンとカップうどんと、クッキーとジュースと栄養ゼリーと栄養ドリンクと食後のインスタントコーヒーまで頂いてしまった。やっと生き返った思いだった。

道の途中で頂いた海中電灯も大いに助かった。真っ暗な部屋を明るく照らしてくれた。朝までに時間には、たっぷり有る。今日の一連を考える事とした。それと、考え思った事も多々、有った。

先ず、お湯を沸かしながら思った事は、あの東日本の震災で、悲惨な経験をされた人達の事だった。今日、私は、本当にしんどくって怖い思いをしたけれど、こんなものでは無い、相当に怖かっただろう。お腹も空いて暗くて寒くて・・・心細くって辛くて悲しい思いをしただろう。胸が苦しくなった。

そして、今日の一連を考えてみた。準備の時に用意する物のアドバイス・駐車場の休憩場所で、役行者様と弘法大師様の薀蓄(うんちく)を聞き、教えられた事。祈祷の後に杖が目に入り借りれた事。道の途中で、歩き方や杖を道に迷わぬ様にする為の使い方を教わった事。飴を貰い虫に刺されぬ様に言われた事。もう登る事を諦め様とした時に、南無大師遍照金剛と書いた白衣を着た叔母さんと一緒に登る事と成った事。頂上で祈祷が出来た事。道に迷い暗闇でパニックに成った時に出会った不思議な若い青年の事。必要な懐中電灯を頂いた事。こうして避難が出来る場所と食糧を頂いた事。

「足元のみを見よ・・。」そして、それにより遭難した事にも意味が有った。私の登山での願いは、山中で瞑想し深く考え、神仏と対話をする事で有った。けれども、それは叶わぬ願いと諦めていた事だった。しかし、遭難をする事で、その願いは叶えられた。遭難しなければ、私は瞑想をする事無く帰っていただろう。

雨風に当たる事の無い場所で、ひもじい思いをする事無く、静かに一人山中で、瞑想をする事が出来た。道に迷い引き返し登る道は、膝の悪い私にはかなりきつくしく迷う不安は、正に今の己の心の状態そのものだった。

神事には意味が有り、日合わせ時間合わせが有る。出合った見知らぬ人達の助けと、懸命に苦労して運ばれた有り難い食糧にも、人の優しさが存在している。そして、神仏の一分違わない思惑と仕業がある。

翌朝、まだまだ風は強かったけれども雨はさほどでも無かった。帰り道、誰もおらず一人帰る道すがら、5回ほど大きな蛙が現われ、道のど真中に居座った。これは、無事に帰れる・・・と言う神仏からの知らせである。

石鎚山の美しい風景も又、荒々しいこの風景も、創造主(神)の成せる技である。大きな石鎚山の愛に包まれ、そして登りには、二人同行で弘法大師に導かれ、帰りには役行者に導かれ、色んな不思議と見知らぬ人達の優しさに触れ、神仏の大きな慈悲と慈愛を肌で感じた意味深い登山だった。

最後には、大方足を引きずりながら一歩一歩、歩いて登山口に辿り着いた。登山口の石鎚神社にお礼を言い、大いに助かった杖をお返し、帰った。

次に来る時は、もっと元気な姿を石鎚山には見てもらいたい。そして足腰を鍛え、リュックにいっぱいの食糧を持って、あの避難所に届けよう・・そう思った。

あ!そうだ、私は瞼の上を、なにやら分からない虫にやっぱり刺されて居た。大した事は無かったけれど・・。

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スピリチュアルな出来事~☆~霊峰石鎚山~☆~その3・・役行者と弘法大師に会う!

2012-05-19 23:48:03 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~霊峰・石鎚山にて役行者&弘法大師に出会う・・・その3

 ◎ 遭難・・・・台風・・・それでも一つの希望(望み)が有った・・・・しかし・・・。

■ 希望(望み)・・・敗れたし!

最悪の自体だ・・・でも、一つだけ希望(望み)が、有った。でも、それは呆気なく崩れてしまった。希望とは、こんなもんか!直ぐに崩れてしまう

実は、道を間違え降りる際の途中に、小さな携帯用のテントが有ったのを思い出した。そうだ、仕方が無い。「あの一人用だろう携帯テントには人が居るはずだ・・。事情を話して狭いだろうが泊めてもらおう。鬼が出ようが蛇がが出様が、無理こ槍こにでも泊めてもらおう・・。」そう、登りながら決心をしていた。

間も無く、希望のテントが目に入ってきた。やれやれ・・これで救われた。「済みません・・。チョットいいですか?。」すると中から「チョット待てて下さい。」と若い女の人の声がした。鬼でも蛇でも無なそうだ。

暫くすると、若い女の子が希望のテントから出てきた。「済みません。あの~道に迷ったんですけと・・・。」と言いかけると、女性は「これから降りるんですか?。それは大変ですね。懐中電灯は持っていますか?。」当てが外れてしまったのを感じた。「いいえ。」と答えると、「チョット待って下さい。」と言うと再びテントの中に入り出てきた時には、登山用の懐中電灯を手にして居た。完全に、望みは絶たれてしまった。

そらそうだ・・。もう一人、テントの中には人が居る気配がした。彼氏なんだろう。邪魔をされたくは無かった事が分かった。取り付く暇も無かったが、あのテントに3人はどう見ても無理だ。私は、とんだお邪魔虫・・・だった様だ。希望のテントは絶望のテントに変わってしまった。貰った懐中電灯を手に、お礼を言って再び登りはじめた.

そう言えば、出かける前の準備の際、天から懐中電灯を用意する様に言われた事を思い出した。カッパはともかく、夕刻には充分帰れる予定だったのだから、懐中電灯は要らないはずだった。考えてみれば、初めから遭難する事は分かって居た事なんだ。それは一つの予言だった訳だ。

前に、こんな事が有ったのを思い出した。友達4人で、車に乗って宝くじを買いに行ったときの事、「18・・・当たる」と声が聞こえた。あ~18組買えば当たるんだ!と都合の良い解釈をしてしまった。所が、そうでは無かった。駐車場で車を友達が車庫入れ中に、接触事故をしてしまった。大した事は無かったが、その駐車番号が18番だった。「な~んだ。宝くじじゃ無かったんだ・・。」と思い、「それならそれでちゃんと車が当たる・・と言ってくれれば良かったのに・・。」と文句を言った。

すると分からないので有れば、ちゃんと聞き返せば良い。勝手な解釈はならぬ。問えば、答える・・。」と言われた事を思い出した。今回、準備の際に、「何故、懐中電灯が必要なのか?。」と問い返せば、きっと答えてくれた事だった。ぼーっとしていた。真剣さが足りなかった。ぼーとしていて事故を起こし命を落とす事も有る。一時一時を真剣に意識を持って生きる事が大切なのだろう。杖の件もそうだ・・。「道に迷わない様に杖の頭を行く方向に向けよ。」そう言われた時も、「どうしてそうしなければならないのか?。」と、問うべきだった・・。

私は、何時もぼ~として生きている。何時も心に難儀を抱え込で居る事が、物事への集中力を損ねて居る。そう言った事では、悪しき事を引き寄せてしまう・・。心に隙を作ってしまう。結果、魔に入る隙を与えてしまう。益々宜しく無い事が起きてしまう。注意散漫は、心の弱さから起きている・・。真剣に、一時一時を生きて行かなければならない。あの地震予知の知らせの時も、そうだった・・。

なんだかんだと、思いを巡らせて居る内に、やっと分かれ道に辿り着く事が出来た。時計を見てみると、ジャスト7時だった。もう、すっかり暗く成ってしまった。風も益々、出てきた。雨も降ってきた様だ。

それにしても、「足元のみを見て降りなさい・・。」あの忌々しい声の主は誰だったのだろうか?遭難・・・に成っ原因の張本人っだ。神か仏かそれとも悪しき者なのだろうか・・・?。

もう直ぐ台風も来るだろうし、さて、これからどうしたものか・・。

この後、「足元のみを・・・」と言った者の正体と遭難の理由を私は、知る事と成った。

そう言う事だったんだ・・。不思議は、まだまだ続く・・。

つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~霊峰石鎚山~☆~その2・・役行者と弘法大師に会う!

2012-05-19 00:34:58 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~霊峰・石鎚山にて役行者&弘法大師に出会う・・・その2

 遭難をしてしまった!台風もやって来る・・・大ピンチ!

■ あれは、やっぱり役行者様だ・・・!

何てこった・・。ついに遭難をしてしまった。お先、真っ暗とはこの事だ・・。確かに、目の前は暗くて何も見えない・・。明日か?明後日に成るかな~・・・地方新聞の見出しが目に浮かんできた。あ~写真載るのかな・・。免許書の写真なら最悪だ・・。そんな馬鹿な事を、こんな時は思い浮かぶものなんだ・・。と、自分ながら厭きれてしまった。

「足元のみを見て降りなさい・・。」あの声に惑わされた所為で、こんな事に成ってしまった。どんなに成っているのだろうか?。あの声の主は、ろくなものじゃない。腹が立って仕方が無い。腹でも立てていないと怖くって前に進めない。途中、二股に道が別れていて、進む道が分からなく成ってしまった。こちらかと思って進んだ道は祠が有って行き止まりだった。引き返すと又、分からなく成ってしまった。パニックになった。それでも多分こちらだろうと思った道を進むしかない。

もう、足が痛くって歩けない。休んでは、腰を下し又進むんで行く・・・。そう言えば、登りの際に、杖の頭を進む方向に向ける様に言われてた事を思い出した。言われた通りに成ってしまった。このまま進んで良いのだろうか?取り合えず、杖の頭を休む度に、進む方向に向けて置く様にした。

間違えたのは、頂上から降りて間もない箇所で有る。右に進めば元の場所に帰れる所を、真っ直ぐに進んでしまったのだ。何とか、あの分かれ道まで、戻らないと大変な事に成ってしまう。もし間違っていたらもうお仕舞いだ。あの別れ道まではどの位いの距離が有るのだろうか・・。不安でたまらない。

その時、前から誰かが軽やかに降って来る音がした。この暗い中、今頃・・・誰だろうか。怖い様な・・・でも、誰かに会えて安心をした気持ちの方が勝ていた。すれ違いの際に聞いてみた。「済みません。道に迷ったんですけど、別れ道はこちらの道でいいんですか?どれ位の距離が有りますか?。」すっると、「このまま、まっすく行くと、15分くらいで着きますよ。」と、軽く言うと、再び、軽やかに降りて行った。

軽く言われた事で何と無く、こちらの気持ちも軽く成った様に思えた。まだ若い20代の青年の様で、ズボンにシャツのお気軽ルックスで、おまけに手ぶらだった・・。何で?今頃・・この道を手ぶら通ってるのだろうか?。

青年の降った道の先(間違えた道)は、ロープエイの登山口が有るはずだけど、5時頃には閉まっているはずだ。こちら方面からは登った事が無いので様子が分からない・・。多分、ロープエイの場所までは、1時間以上は掛かるはずだ。どう考えても手ぶらは変だし、ロープエイの処に宿泊所なんて有ったっけ・・。わからない・・。変だ・・。何者だろうか?。

とにかく膝が痛い・・。色々と考えを巡らせながら一歩一歩、登って行く。

それにしても、何者だろうか?。後で考えても不思議でたまらない。あの時、どう見ても私は遭難している様に、あの青年からは見えたはずだ。普通なら、「どうしましたか?大丈夫ですか?。」その位は、向こうから声を掛けてくれても良さそうだ。急いでいる様子も不安そうにも青年は見えなかった。

こちらも、引き止めて事情を説明したり、どうして今頃、ここを手ぶらで歩いているのかを聞く事だって出来たはずなのに・・・。あの時、私は、これ以上は、近づいては成らない聞いてもいけない・・・何かを感ていた。急いでいる様に見え遠慮した訳でも無いし、青年に不安を感じた訳でも無かった。

神仏は、人を介して人を救うと言うけれど、あの青年があんな時間に、超不安のピークに至った時に、ぴったり現われる事自体、神仏の仕業に他ならない。人を動かしたものかそれとも役行者様本人が化けたものなのか・・・未だに、分からない。

神仏が人の前に姿を現す時は、そのままの姿では無く、姿を変えて現われる事が有る。マリア様などは、若くて綺麗な姿を見せられる・・。あの青年の顔は暗くて良くは分からなかったけれど、何と無く精悍でハンサムだった印象がある。私だって、化けるので有れば、若くて美しい女性に化けたいと思う。何よりも、あの暗い道を跳ねる様に軽やかに降って行く後ろ姿は、山で長年、修行を重ねた者の姿にしか見えなかった。

そんなこんなで、進んで行く中、不思議は、まだまだ続いて行った。

つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~霊峰石鎚山登山にて~☆~役行者と弘法大師に会う!

2012-05-18 09:06:40 | スピリチュアルな出来事

 不思議な出来事~★~霊峰石鎚山で、役行者と弘法大師に会う!

◎ あれは、どう考えても役行者(えんのぎょうじゃ)様に違いない・・。そうとしか考えられない。霊峰・石鎚山に登山し、出会った不思議な数々のお話をしましょう。

 役行者(えんのぎょうじゃ)様と弘法大師とに出会う!

 神仏に出会う時は、心魂で見たり聞いたり、肉眼で見る事も有れば、肌で感じたり、人を介して感じたりと色んなケースが有ります。この時は、人を介して、びんびんと感じた時(出会)で、石鎚山が呼んで(招待)下さった事を悟ったのでした。

 

      ~~~~~~★ ~~~~~~★~~~~~~★~~~~~

■ 出発の準備をする・・

この頃は、色々と大変な事が重なり、心身が大変疲れ病んでいた時期だった。

私は、石鎚山に導かれる様に、出発に当たり準備をはじめた。天から、カッパを用意する様に言われたがカッパが無いので、代用にゴミ袋を多めに用意し、懐中電灯も必要だと言われたけれど、肝心の電池が無かったので、仕方が無い。飲み物を用意し、おにぎりも用意し、そしてバナナも・・。

早朝に出発をし、やっと登山口の土小屋に着いたのは正午だった。今回は、一人登山である。以前に登山した時は、友達が一緒だった。頂上の山小屋(宿泊施設)にも一泊し、楽しかた・・・。しかし、今回は、事情が違う。心は重いものを背負っている。出だしから足が重い。

車の中で、バナナと持参のおにぎりを頂いた。登頂前に、トイレも済ませ駐車場へ戻る途中の休憩場所で、70歳前後の白装を着た団体客が休んで居た。食後、直ぐに出発すると横腹が痛く成るかもしれないし・・・。そう思い、私もその場でチョット休憩をする事とした。人、恋しかったのかも知れない。

その団体の中の70歳位のお爺ちゃんが、ガイドまがりの薀蓄(うんちく)を話していて、同行していたお婆さん達がにこやかにその話を聞いていた。何と無く耳に入って来た薀蓄だったが、知らない事やそうだったなー・・と思い出す事も有った。お揃いの白衣が気に成り「どちらから皆さん、来られたのですか?。」と聞いてみた。「九州の○○○からやって来ました毎年、来ているんですよ。」と、にこやかに一人のお婆さんが答えてくれた。

薀蓄(うんちく)爺さんの話で、弘法大師は石鎚山で修行をした事、そして役行者様の弟子だった事を新たに知った。なるほど・・。

知らないよりも知って登った方が価値も増すし登りがいが有る。後から考えれば、爺さんの薀蓄の教えも石鎚山のお導きだった事を知った。

登り口の石鎚神社で、登山の無事を祈願した。そこに備え付けの無料の杖が目に入ったので借りる事とした。予定としては、登りに3時間、下りに2時間半で、夕方の6時半くらいには登山口に帰れる・・・。夏場も有って、7時くらいまでは、明るいだろうし・・「余裕だ・・。」そう思っていたが、甘かった・・。

シーズンと連休もあって、登山客が多かった。狭い上り下りの道は、譲り合いの場でもある。登る者は降りる者を自然と優先とし道を譲っている。すれ違う度に「こんにちわ!。」と挨拶をする。登り切るまでに何百回挨拶をするのだろうか。降りてくる登山客は皆んな、清清しい挨拶をしてくる。私もそんな気分になれるのっだろうか?。疑問だ。

登頂までには、3箇所の休憩らしい場所が有り、最後の休憩場所から登頂までは、大方半分くらいの距離が残っているらしい。2箇所の休憩までは、まーまー順調だったけれども、それ以降は、なかなかきつかった。足の脛もそろそろ痛く成ってきた。再々、休む事と成ってしまった。

腰を下せそうな場所で杖を置き休憩をしていると、天から声がした。「杖の頭は、進む方向に向けて置くと良い。」理由は、登りだからと言って上がり方向ばかりでは無い。下りながら、登る場合も有る。進む方向が解らなく成る事があるとの理由を教えられた。「迷う事など有る訳が無い。そんな馬鹿な・・。」と思いながら進んで行く。一番めの休憩を終え歩いている時にも言われた事が有る。歩き方を教えてもらったのだ。「真っ直ぐに歩くよりもジグザクに歩くと足に負担が掛からない・・。」と、声が聞こえて来た。誰かが一緒に登って居るのを感じた。

三番目の休憩の場は、少し広めで他にも休んでいる人達が居て、知らない女の人が、にこやかに塩飴を差し出してくれた。他に休憩をしている叔父さんが、「山登りには蚊では無いが○○○とか言う虫がいて、刺される事が有るから気を付けないといけない・・。」そんな話をしていた。下りの人達を見ていると、腰に蚊取りせんこうをぶら下げている人も居た。「なるほど・・・。」刺される予感がした。

下りの人が、「ここからが大変ですよ。頂上までは、大方半分の距離が有りますからね。頑張って下さい。」そう言って降っていった。「まだ、半分の距離が有るだ・・。」馬鹿らしく成って来た。

でこんな時に私は、一人で山に登っているのだろうか?それどころでは無いと言うのに・・。何てこった!」疲れと膝の痛みで、なお更にそう思えた。「もう帰ろう。何の意味も無い・・。」そう思った時、一人の白衣を着た60歳代後半くらいの叔母さんが、「頑張りましょうね・・。」と息を切らしながら声を掛けて来た。「はい!」と答え、返る事も出来ずその叔母さんと前後しながら、励ましながら登って行く羽目となってしまった。

息をするのも辛いので、それほど話は出来なかったけれど、この叔母さんは、毎年、登っているらしい。白衣の背中には、墨書きか印が数箇所押して有り、南無大師遍照金剛と書かれて有った。弘法大師だ・・。前後しながら登ったけれど、大方が叔母さんの背中を見ている機会が多かったのだから、結局は、その叔母さんに引っ張られる様に登った事に成る。年下なのに何とも情けない・・。

背中を見る度に、「この叔母さん随分と得を積んでるな・・・。」と思った。良い人で、優しい穏やかな人で有る事も分かった。背中が輝いて見えた。どうこうしている内に、やっと頂上に着いた。見覚えの有る風景である。やはり今回も天気が悪い。もう、薄暗い・・。時計を見ると4時半を過ぎている。3時間半も掛かってしまった。

叔母さんは、私が宿泊をするものだと思っていたらしい。先に到着をしていた連れ達が迎えに来る中、宿泊をしない事が分かると、「あなたも今日は泊まったら・・。」と何回もしつこく薦めてくれたけれど、生憎、持ち合わせが無いので断った。

叔母さんが、連れ合い達と宿に入って行った後、私は、残り一個のおにぎりとお茶を頂いた。5時に祈祷が始まるらしい・・。直ぐに帰る予定だったけれど、折角だから、一緒に混じって祈祷をする事にした。

あの時、叔母さんが声を掛けてくれなければ、一緒に登っていなければ、私はここ(山頂)には居ないだろう。知らない同士でも、目的が一緒だったら助け合って行けるんだ・・。一人なら無理な事も、こうして出来るんだ・・。人には人が必要な事を思い知った。

そんな事を考えている内に、祈祷が始まった。終わったのは、5時半。さー急いで帰らないと・・。風も出てきたし雨もポツポツと降り始めた。さっきの叔母さんが私を見つけ、心配そうに、また宿泊を勧めて来た。「大丈夫です。帰りは、早いですから、今からだと7時過ぎには着きますから・・・。」本心は、不安だったけれど、仕方が無い。急いで、降りる事にした。

本当は、山頂に泊まりたかった。そして瞑想でも出来たら・・・とも思って居たけれど、宿泊場では、皆が一緒なのでそれは無理な話で有る事は、以前の経験で解っていた事だ。ゆっくりと瞑想し、どうすれば良いか・・・今後をどうするべきか・・。この天候では無論、外でも瞑想は無理である。もう、降りる人は誰も居ない・・。

さ~急いで帰らないと大変な事に成ってしまう・・・。一気に、山頂から下り始めた。その時、また声がした。「下のみを、足元のみを見て下りなさい・・。」そらそうだ・・。もう既に、足元が怪しく暗く成って来た。しっかり見ていないと滑落をしてしまうのかもしれない・・。トントン拍子に降って行った。

どれ程の時間が経っただろうか?順調に降って行った私の足がピタッと止まってしまった。見たことの無い、覚えの無いブルーシートらしい物がパタパタと音を立てて激しく揺れている・・。見た事の無い掘っ建て小屋だ。直ぐに分かった。

道を間違えてしまったのだ。引き返さないと大変な事に成る・・。風は益々激しく成って来た。足元もわずかに見えるかどうか・・。私は、その掘っ建て小屋らしい物に背を向けた。さ~引き返さないと・・。

木々が激しく音を立てて揺れている暗い・・。一人だ・・。だれも居ない。そう言えば、昨日の天気予報によると、台風がこちらに向って来ているらしい事を思い出した。足が震えた・・。怖さと疲れと膝の痛さで一歩づづしか進めない・・。

頭の中に、遭難・・・そんな言葉が思い浮かんだ。私は、間違い無く遭難してしまったのだ。  何てこった・・!

つづく

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スピリチュアル☆不安を除く・・・ジョンレノン&ホイットニー・ヒューストンは?

2012-05-16 11:50:30 | 確実に幸せに成る為の学び舎

確実に幸せに成る為の学び舎ジョンレノンホイットニー・ヒューストンの場合は・・・

誰もが知っている二人の・・名前・メロディー・歌詞歌声・・・!

  とても素晴らしいアーティストで有る事は誰もが認める処です。生前、頂点を極められたお二人ですから。

多くを欲(確保)する者は、大きな安心を得るが、やがて大きな不安を抱え込み、もがき苦しむ・・。と、(第3回目授業)で記載しておりますが、頂点を極めた・・・ジョンレノンホイットニーのお二人を、例に上げてお話をさせて頂きます。

  ~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~★

■ 滑落・と不安・・・・第4回目授業

登山は、登頂(てっぺん)を目指し登るものか?下山を目指し登るのもか?こんな言葉を聴いた事が有ります。

あなたは、どちらだと思いますか?

普通に考えれば、当然、登頂(てっぺん)を目指し登るものだと考えるでしょう。しかし、登山のプロは、「登頂を目指し登るけれど、下山を終えてはじめて登山と言える。」と答えるでしょう。

日本の有名な登山家が、テレビ番組で「登頂をしても直ぐに降り、頂上に長居はしません。下山後のビールが最高に旨い!。」と、笑いながら話していました。

登った山は、必ず降りなければ成りませ。物事の相対性の原理です。

誰もが羨む才能の頂点・世界のトップ企業・世界で名だたる資産家・何処かの国で、まだ存在する独裁者・その国トップの政治家。この世には、社会や世間で言う所の価値観で成り立つ、山があり頂点が有ります。

この山に登ろうとすれば、大抵は途中で滑落してしまいます脆くて狭い登り道で、やたらと鋭もので点には、ほぼ一人くらいの立ち位置しか無い。この山の頂上(てっぺん)に登ると誰もが居続けたくなってしまうが、この山も例外無く下山しなければならない。

この山のてっぺんには、何が有るのだろうか?。そこには、誰もが欲しくてたまらないものが有る。地位・名誉・喝采・注目・肩書き・或いは利権・権威・そしてお金・・・そんなものが沢山有る。

一見、煌びやかで、目もくらんでしまうほどです。しかし、目がくらんでしまうとお仕舞いだ。人格も変わり自分を見失ってしまう。大方の人間がそう成ってしまう。「自分は特別な人間で選ばれた人間で有り、自分の言う事する事は間違いが無い。私は、成功者である。故に手放したくは無い・・。下山などするものか・・。」そう思ってしまう。

この山の頂点には、人間の欲望の恩賞が渦巻く処で渇欲(底知れず限りなく満足をしない欲)の場である。どう足掻いても、この山は、必ず下りる又は引きずり落とされる又は、後から迫ってくる・・。そう言った無常の場(常にかわる)で有る。

この山に登ったものは、決まってこう思っている。「私は、相当に苦労した。能力・才能が有った。相当に頑張った・・。」と・・・。しかし、世の中には、相当に苦労しているし、才能も能力が有るし、頑張っている者は山ほど居る。たまたま、一時的に登った事に本人は気が付かない。

この頂上は滑落してしまう不安と失う事の苦悩・・。しがみ付くほどに身を滅ぼしてしまう危険な山である。

しかしながら、この山は降り切って又は、滑落して、はじめて解る大切な悟りが有る。そして、悟った者は、今度は、己の中に有る自分だけの山を登りはじめる。何時までも、そんな山を見上げていてはいけない。

己の中に有る山には、欲望が無い。そこには愛が有る。希望が有る。故に不安も少ない。不安よりも希望が活力(パワー)が、頑張りが、強さが勝っている。そしてこの山には下りが無い。

ジョンレノンは、頂点に立った時に、自分からさっさと降っていった。下山しての登山で有る事を知っていた。彼の場合、気が付けば頂点に立って居たのだろうが、彼は、そんな頂点は、最初から好まなかったのだろう。

彼は、最初から自分の中に有る山を登っていたのだ。歌いたいから歌う。人に伝えたいメッセージが有り、人を感動させたい・・・から歌う。彼の目の前には何時も、人に向けられる愛が有ったのだ。彼は、家族を愛し人々を愛していた。故に、安らかな人生を歩んでいたのだろう。

ホイットニーの場合、最初は、歌が好きで、歌いたいから歌う。人を感動させたい・・・出発はそうでも、頂点に着いた時に、目がくらんでしまった

滑落したくない・・。でも、滑落して行く。思うように人も事も成らない。こんな筈ではない・・。そう思い苦悩し、薬に逃げてしまった。普通は、人も物事も思うように成らないものである。みんな、それで苦労をしている。

滑落しきったその時に、悟れない人間は、再び、同じ山を見上げ、登ろうとする。しかし、同じ山は二度と登れない・・。登ると命取りに成ってしまう。

己の内に有る山を登る事を選び進む成らば、ただ、歌いたいから歌う。人を感動させたい・・・目の前には、人に向けられた愛のみが存在する

さて、彼女は滑落し切って無かったのか?。滑落し切ったものの、悟れなかったのか?悟れたのか・・・?。どの山を見上げ登ろうとしていたのだろうか?

彼女は、「私は弱かった・・。」と言っています。その弱さは、失う事への恐れと不安・・そして、渇欲が有ったからに他ならない。

この世、社会と関わって生きている以上、誰しもが、この危険で脆い山(それなりの山)を目にし、登る機会が与えられている。

 あなたは、今、どちらの山を登っていますか?社会・世間の価値観で出来た山を登って居るなら、そんなくだらない山からは、早く手を離し底まで滑落をした方が、ましである。

あなたが、もし、親で有るなら、御子さんには、そんな山は、はじめから登らせない強要しない様にした方が良い。この山は危険な山で、滑落すれば、一歩、間違えれば命取りと成り、立ち上がるのも大変だから。

世の中には、はじめから自分の中に有る山を登り進んでいる賢い人達が居る。その人達には何時も対象とする人達が居て、何時もそちらに愛を向けて進んでいる。与える愛が存在している。渇愛(求めるばかりの愛)は、不安を呼び人を弱くするが、与える愛は、不安を消し(少なくし)人を強くする。この山を登るのは大変だろうが楽しい。生きがいが在る。生きて居る意味が在る。

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スピリチュアル・幸せに成る為の学び舎・不安からの心の開放!

2012-05-15 01:01:09 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 幸せに成る為の学び舎不安・・誰もが持っている・何故?何処から?

◎ 人は、誰もが何時も心に不安を抱えている。・・・何故?何処から?何時頃から・・・・・?

誰もが羨むほどの頂点に立ち、動の幸せを勝ち取った人生を歩む人さえも、常に心に不安を抱いている。

不安を消しさり安らぎを得る事が出来たら、どれだけ人生は楽で幸せなんだろうか?

今日は、不安からの心の開放少し、してみましょう。そして、ちょっとだけ楽になりましょう。

   ~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~、

■ 第3回目授業・・・不安のルーツ

 先ずは、何時頃から、どんな理由で、何故、人間が不安を抱え込む(持つ)様になったかの根源を探ってみる為に、人間がまだ原始人と呼ばれる頃に遡ってみましょう。

おさらい・・第1回目授業をお読みの方は、ブルーの活字は省いて下さい。

第1回授業でお話をしましたが、その頃の人間は、哺乳類の中では肉体的に一番、弱い存在でした。ライオンや豹などの肉食動物の様に、鋭い牙も腕力も脚力も無く、草食動物の様に危険を察知する鋭い聴力や視力も、早くに逃げる脚力も無く、かと言って猿の様に、木の上で器用に餌を確保し機敏に木から木へ飛び回る能力も無い猿にも劣る肉体的存在で、暗い洞穴で危険から身を守り肩を寄せ合い協力をし助け合って、生きていました。

食べる事、そして生き抜くこと、子孫の継続(子育て)をする。これは、基本的な動植物の与えられた本能(定め)で有りますが、人間もまた、その事に尽きる存在です。

しかしながら生きる為の食糧確保は人間にとって大変で、大地では危険を抱え、木の上では猿に先を越され、本当に惨め悲惨・・・としか言えない状況の中、地面から根(芋)類を掘り起こし、草木の種を拾い集め、熟して落ちた果物・木の実を拾い集め、洞穴に持ち帰り、皆で、分かち合い食べていましたほとんど拾い食い状態と言えたでしょう。

進歩

やがて、生き抜く為の食糧確保にも知恵が付き進歩し、猿に先を越されない様に、木に登り木を揺らし実を一気に沢山落とし、下で拾い集め、葉に包み持ち帰る。人間は共同作業で、沢山の食糧を確保する様になりました。

多くの食糧は、一度には食べ切れない。木の実や種子類など腐らない物は日持ちがしました。保存・・・の始まりです。

保存には、メリットが色々と有りました。危険にさらされ食糧確保をする時間も短縮され、お天気にも左右されず、お腹が減れば何時でも食べられる。人は、心安らかに成れたのでした。安心・・・の始まりです。

物事は、相対性の法則で成り立っています。安心が有れば、不安が存在します。やがて、保管の食料が無くなる又は減ると、人は不安に成ってしまう事となりました。不安・・の始まりです

食糧と安心を得る為に、懸命に確保する・・。溜め込む。減る。不安に成る。不安に成らない為に、もっと確保する。益々、食糧確保と保存の行為はエスカレートし限が無く成ります。欲・・・の始まりです。欲には限りが有りません。

現在で言えば、生きる為に働く、そしてお金を稼ぎ溜め込む。お金は、食糧は勿論、大方の物が手に入ります。資産も家もお金で得る事が出来ますから、確保する保存する行為に当たるでしょう。

昨年、起きた東日本大震災の時、大丈夫だと理屈では解っていながら、食品を買い込み溜め込んだ行為が有りました。災害の不安に際し、人間の本能が浮上したケースだと言えるでしょう。買い込む事で、不安は安心へと変わった事でしょう。

不安と安心・・その相対性の中で、生まれた限り無い欲望は、人間社会と共に複雑化し繁栄した末に、この世の輪廻と調和を壊す事となりました。(輪廻と調和については、第2回目授業に記載)

凡人には凡人の不安が有るけれども、名誉や地位や資産の多くを欲(確保)する者は、我々から見れば羨ましくも有り、不安など無かろうと推察出来るが、大きな安心を得た者は、失う不安も大きい。失う事の恐れ不安は底知れないだろう。

も欲しなければ、それはそれで不安のみが付き纏ってしまう。生きるに当たっては、シンプルに、ほど良く欲する事が肝要であろうかと思います。そうすれば、ゆったりとした安らかな時間・心魂を少しは、保つ事が出来るでしょう。程よい足りるを知る事です。

そしてもう一つ、不安を少なくするには、良き人間関係の維持が必要です。原始時代から人は支えあって生きてきたのですから。

好きな人達や愛する人達・大切な人達が周りに居ると、人は安心をするものです

あなたの周りにはそう言った方が居ますか?。居るならば、今日は、笑顔で有難う・・・を言ってみませんか?

もし、誰も居ない人は、早速、今日から作りましょう。こんにちは!。おはよう御座います!。良い天気ですね・・。そんな言葉の一歩から、歩み寄りを始めましょう。

 

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スピリチュアルな出来事~☆~不治の病を治す力~☆~救ってあげたい命が有る!

2012-05-13 18:40:33 | スピリチュアルな出来事

 不思議な出来事~★~救ってあげたいが、がそこに有る。

あ~~危ない!このままでは事故に合う・・。あ~~病気だ・・。治してあげたい・・。何時も、そう思ってしまう!!でも・・・手が出せない!! 

私には、事故の予知・病気を見抜き治療をし、完治する能力が有る。助けてあげたい・・・。声を掛けてあげたい・・。 でも、不審に思われるのも嫌だし・・・そう、思って見て見ぬふりを何時もして来た。

■ スーパーで会った、お年寄り・・・

近所の大型チェーン店のスーパーで、買い物をしていた時の事だった。会計を済ませ、買い物を袋に入れている最中、1mほど離れた場所で、お年寄りが、音も無しに静かに倒れてしまった。

周りの誰もが、そのお年より(お婆さん)に視線を向けた。しかし、誰も近寄らずままだった。私は、慌てて近寄りしゃがみ込み、「お婆さん・・・大丈夫?。」と、触れた。

すると、見ていた視線の中に、60代後半の男性が立ったまま、「何時もの事だから、そのまま放って置けば、治るから・・。」と慌てず淡々と言った。

その言葉に、誰もが離れていった。私は、しゃがんだまま、その言葉に一端は手を離し様子を見たものの、冷たく硬い床で尚も横に寝そべっているお婆さんを見兼ねて、再び体に触れてさすった。

抱き起こそうとした瞬間・・・。そのお婆さんの深い悲しみと寂しさが、伝わって来た。その苦悩や悲しみの原因は、「お前だろ!!。」と、言いたくなった。言いたく成った先は、60代後半のもの言った男だ。「馬鹿息子めが・・こいつ!。」頭に来た。

真夏だと言うのに、体が冷たい・・。「あ~血液が少ない・・栄養が足らない・・・食べて無い・・・あ~食べれないんだ・・。栄養失調だ・・。かなり悪い・・。長い間そうなっている・・。」抱き起こしながら、分かった事だった。

思わず、抱きしめたく成った。包んであげたかった・・。私は、ヒーリングを兼ねて、お婆さんの体をさすり続けた。

そこへ、孫と思われる娘さんが現われ、「済みません・・。大丈夫でしょうか?。」と、私に尋ねた。私は、看護師では無い。どうして私に聞くのかと言うと、彼女に付いている先祖霊が彼女に言わせたのだ。容体を私に知らせて貰いたかったのだ。

「かなりの貧血です体温もかなり低下しています。直ぐに、病院へ連れて行き、栄養の点滴を打ってもらい、体を冷やさない様に、暖かくして下さい。しばらくは入院する事に成るかもしれません・・。」と、思わずしゃべってしまった。

すると、棒立ちに成っていた馬鹿息子が、「ご飯、ぜんぜん食べんのやから仕方が無いな・・。」と言い、知るか・・。ご飯を食べないお前が(お婆さん)悪いんや・・。そんな心の声が聞こえて来だ。

「この馬鹿息子め・・・!。お前の所為やろ・・!。」といい、胸ぐらを掴み殴ってやりたかった・・・。けれど、この年に成っても直らない馬鹿息子だから・・仕方が無い。と心を静める。

娘さん(孫)が、お婆さんを抱えながら、駐車場の車にゆっくりと歩いて行く後ろ姿を見ながら、「ちゃんと病院へ連れて行ってくれるだろうか?あの馬鹿息子が止めなければ良いのだけれど・・・。」と思った。

出来る事なら、あのお婆さんを家に連れて帰りたかった。治してあげたかった・・。暖かいご飯と、笑顔と暖かい言葉を掛けて・・スキンシップ・ヒーリングをし、一緒に暮らしても良いとさえ思った。出来ない事だけど・・。もし、母が生きていたならば、あのお婆さんくらいの年齢なのだろうか・・。

一言も、しゃべらなかったお婆さんの小さな背中を私は見送り、無事を祈った。

手を出せない領域が有る・・。幾ら、してあげたいと思っても、相手が望まなければ何も出来ない・・。理不尽と無力を感じ、胸が詰まる・・。

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スピリチュアルなお話~☆~死神がやって来た・・・あなたは死神と話した事は有りますか・・?

2012-05-11 22:12:10 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事★~死神がやって来た。

あなたは死神を見た事は有りますか?・・そして、話した事は有りますか?

わたし・・・有るんです・・・。

■ 死神がやって来た。

色々な鑑定士に接触をする機会が有った中、「あなたは、神様と何時も会話をされていますね。」と言い当てた鑑定士が居いました。見破ったか!凄い・・と思う鑑定士の中の一人です。

確かに私は、色々な神様や御仏様とお合し話をしています。中には珍な神様もいらっしゃいます。その中でダントツは、やっぱり死神様でしょ。あまり会いたく無い神様かもしれません。しかし、人生の終わりには、あなたも会えますよ。必ずね。

或る日の事、可愛がっていた猫が死んでしまい、私は大泣きをしていました。そこに、この神様は現われました。「どなたですか?。」との問いに、「死神である。」との返答だった。思わず大泣きを止め、息を呑んだ。

次に「どうして来られたのですか?。」の問いに、「余りの悲しみを察知し(導かれ)来た次第だ。」とおっしゃっいました。

そして、次の様なことをおっしゃっいました以下は、おっしゃった事を、私なりに解説をしたものです。

この神様、本来は人間の死に際し、お迎えに来られる神様ですが、私の悲しみは人に対してと同等の悲しみで有るが故に導かれたとの事でしたが、動物に対して、それほどまでの悲しみを抱いてはならない・・と、注意をされました。

そして、人は私の事を嫌い怖がるが、人が黄泉の国に行くには大切な存在である。人の影を天に連れて行くは、大切な私の役目で有るとの事でした。

人は、肉体と心魂の存在で、死ねば肉体が無くなる。肉体が無くなる事は、影が無くなる事を意味する。その影を悪しき者に邪魔されず、無事に天に送り届ける役目であるとの事でした。影・・・とは、心魂の事を意味しているのでしょう。

どんなに理不尽な死に方をしようが、愛する人もやるべき事も全て捨てて、未練も捨て諦め一切の思いを断ち切り、天に召される事が大切で有るとおっしゃっていました。

いわゆる成仏・・・です。これは、仏教の世界でも同じ事を意味し、般若心経もその事を意味しています。

人は死後、先ずは天に召され、その後、色んな手順を経て、子孫を見守る事と成ります。一般的には。どんな事情が有っても、未練を残さず天に登らなければならなりません。心魂をこの世に残す事は、心魂が、さ迷う事と成り、何れ悪しき者へと取り込まれてしまいます。その大切さを、死神様は説かれたのでした。

死神様の容姿は、影その者で黒い姿ですが、目は、神の輝き光を放しています。嘘では有りません。人生の終わりに、「あ~言ってた通りだ・・。」とご確認下されば幸いです。

この世は無常である。(釈迦の言葉)明日は、何が有るか分かりません。また、人の欲は限りが無く、思いを残す事も多々有りますが、死後は、あっさりと天に召される事が肝要です。故に、日々を悔いのない様に、大切に生きる必要が有ります

死神様は、「では、また会おう・・。」と言って立ち去ったのでした。

見送った後、「そうか次?・・・会うのは私が死んだ時なんだろうな・・・。」と、思ったのでした。当分、会いたくは無いものだ・・。

しかし、その後、また、会う機会は早い時期にやって来ました。

まだ、私は生きていますけどね・・。

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スピリチュアルな出来事~☆~☆~烏(カラス)の恩返し?

2012-05-11 17:54:30 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~★~烏(からす)の恩返し?

 ■ 烏(カラス)に助けられた・・・・!

 あんな、何とも不思議な光景は見た事が無かった!。どう考えてもカラスの恩返し・・・としか思えない出来事だった。

それにしてもカラスは黒い!真っ黒だ!。頭のてっぺんからつま先まで、嘴も目も真っ黒で有る。ここまでいと、お見事!と言いたく成る。可愛くも見えて来る。

カラスは嫌われ者だけれども、私には憎めない理由がある。昔、近所の年寄りから聞いた話だけれども、カラスは、傷ついた仲間の面倒を見たり年老いた親の面倒を見るらしい・・。

そう言えば、知り合いから聞いた話だけれど、勤め先のビルの窓の外に、手の届く所にカラスの巣が有り、巣の中に光物が沢山入っていて、その中に腕時計が入っている。取ろうとしたがカラスに見つかったらしい。それからと言うもの、その人は、ビルの出入りに,仲間を集めたカラスから再三待ち伏せをされ、攻撃を受けたとの話や、カラスが滑り台で滑って遊ぶ姿をテレビで見た事も有った。

そうすると強ち、親の面倒を見るのも本当かもしれない・・そう思ってしまう。人間だって最近は、親の老後なんて見る人が少なくなってしまった時代だから、、、。つい、「カラスは偉いな・・」。と、思ってしまう。なので、カラスに対する私の目も変わってしまった訳である。

お昼休み時間は、外で持参のお弁当を、風景を見ながら頂く事にしている。風景と言っても街の中はビルばかりで、見る風景などは無い。そんなビルの谷間にも小さな癒しの場が有る。公園とまでは行かないが、花見月やツツジや椿などの木と一緒に、季節の草花が植えられて居る。そこで、私は、持参の弁当を何時も頂いていた。

その場所は、私ばかりで無く街の住民達もやってくる。「チュンチュン・テュウルル・テュウルル・ホッホーバカ~バカ~ン・・・。」住民である雀と鳩とカラス達がやって来る。こんな住み難い街中でも、彼達はちゃんと生活をしていて・・・ドラマも有る。

何時の頃からか、私は、鳥達にお弁当のお裾分けをする様に成っていた。鳩と雀は仲良く食べているが、そこへカラスがやって来て鳩と雀に与えたお弁当のおかずを横取りしてしまう。散らばったおかずを、隈なく嘴いっぱいにほおばり飛んで行く。

残された雀と鳩は食べる物が無い・・。可愛そう・・・と思い、お弁当の大きさも日毎に大きく成り、お弁当の半分は鳥達の胃袋に収まる事と成った。

カラスは番(つがい)いで、ビルの屋上の看板の下に巣作りをし子育てをしていたが、子供が巣立ちした姿を見る事は無かった。鳩も番いで仲が良かったけれども、オスの方は交通事故で死んでしまった。カラスの巣作りは、花見月の枝を折ってそれを材料としている様だった。その為、花見月の花が咲くの季節には、花が余り咲かない。一度は、鳩の足に糸がきつく絡まり如何にも痛そうだったので、捕まえて外してやった事も有った。そんな日々は、仕事を退する時まで続いていた私の日課だった。

それから暫くして私は、引越しをする事と成った。2階に荷物を上げるのは大変だと思い、一階に住む事とした。そこには小さいながらも庭が有った。4軒横並びに柵で区切られた庭である。引越しは猫達も一緒だったのだけれども1階に住むので有れば、猫が外に出ない様に注意をしないとならない。室内飼いの場合、一端外に出てしまうと迷って家に帰れ無くなってしまう。まして引越ししたばかりで有るから、なお更注意が必要だ。

引越しをして間もない頃、恐れていた事が起きてしまった。閉めていはずの庭向かいのサッシが、強く閉めた反動で少し開いてしまっていた。そんな事は全く気が付かなかった。

のんびりと室内で用事をして居ると、けたたましい泣き声が聞こえて来た。その声は、締め切った室内に居てもかなり大きく響きうるさい。異様な泣き声てある。ただ事では無い・・と思い、サッシを開けて見てみると、塀の上でカラスがけたたましく「ガーガー」と鳴き続けて居る。

鳴いている方向の先を見て「何てこった・・!!。」家の猫が、柵をしたから潜り抜け、端の家の庭から今にも外に出て行きそうな場所で、うずくまっている。カラスのけたたましい鳴き声の直ぐ側で、おびえて固まっている。

カラスの様子は、何とあまりにも異様だった。まるで、羊追いの犬が群れから外れて羊にめがけ「早く群れに戻れ、帰れ・・・。」と羊に吠え続ける様とそっくりだった。「ここに猫が居るぞ・・。外に出るな!家に帰れ・・。」そんな叫びに思えた。どうしてカラスが猫に、ここまで執着をして鳴くのだろうか?

すると天より瞬時に声えが入った。「鳥類預かりの神よりのお礼だ。」一瞬にして意味が分かった。何時も昼に、餌を与えていたからだ・・。足の絡んだ紐を外したりもしたし、お弁当を鳥達に与え過ぎ、自分はお腹が空いたままの時も良くあった。自分で、「何とも馬鹿だな~。何の役にも立たないのに・・・。」と思っても、同じ事を繰り返していた。

慌てて玄関から周り込み、私は猫の居る場所まで走って行った。私が到着するとカラスは、安心をしたかの様に飛び去って行った。私は、大事な家族(猫)を確保し抱きしめ、家に戻った。あのままだったら猫は迷い、餌を誰からも貰う事も出来ず、自分で餌の確保も出来ず、死んでしまう事に成っていただろう。

日本には、八萬百の神様がいらっしゃいます。動物を司る神も勿論いらっしゃいます。神は、人を介して人を助ける・・。と言うけれど、神は、カラス動物)までも使って、助けの手を差し伸べて下さったのです。

神の助けを頂いた時に何時も感じる事は、生きる励みと心の安らぎです。

あれから、益々、カラスへ向ける私の目は変わる事と成りました。

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