スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

八百万の神々と我が家の御釜神様

2016-03-26 17:01:30 | スピリチュアルな出来事

    八百万の神々と我が家の・・・御釜神様。                   スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

神様と言えば・・・八百万の神様・・。それぞれに特徴が有り、お役目をお持ちにになり各専門分野で力を発揮されておられます。

そして、人それぞれに必要とされる事柄とその人の能力を理解し、向上へとお力を貸して下さいます。

そのお力を頂くには、清く正しく・・そして懸命に努力を怠る事の無い人に、言い換えれば一生懸命に真面目に生きる努力を

されている方に共感し、降臨されます。

それぞれの道を究め様とする人は、声なき声を自然と聞いている事が有ります。それはヒラメキ・・にも似たものと言えるでしょう。

努力無しに、あるいは卑しい志を持つ者には決して降臨する事は成りません。それほどに神は真白きもの・・・だからです。

人は何かをし懸命の状態にある時、無に近い・・或いは瞑想に近い状態と成り、そんな時に降臨される・・と言った感じでしょうか。


お釜神様・・は知られる所の御荒神様とはちょっと違います。共に火を司る神では有りますが、どちらかと言うとお釜神様は、お料理をされる

神様・・と言った所でしょうか。穏やかで優しい神様です。

神事の際に神様方のお料理を作られる神様でも有りますが、料理を志す職人さんに降臨される場合も有れば、

一般の者に降臨される場合も有ります。それぞれの能力向上と必要に応じて対処をして下さいます。


以前、友達と二人で神社へ御釜神様のお札を頂きに参った事が有りました。

友達が「うちの御釜神さまは、ちっとも働かないんだけど・・。」と、言ったので友達の家の様子を透視をし見てみると、

御釜神さまは、何と横たわり肩肘で頭を支え、暇そうにしていました。

その様子を友達に話し、二人で大笑いをした事が有りました。

友達は、あまりお料理を作る事が好きでは無く、出来合いの物を良く買っていましたので、やはり努力をしないものにはご利益は無理なようです。

私は下手なりにお料理を作るのが好きで、また、必要とする理由も有りました。その時々に導き支えて下さっております。

とても優しい神様で、時には励まし、慰め、たまに褒めても下さいます。


ある時の事、その頃は、必死で這うような思いでくたくたに成るまで働らいていた時期でした。

疲れ切ってもなおも、家族の為に食事を作っていたのでした。

その頃、娘も簡単な食事くらいは作れる年頃でしたが、家の手伝いはほとんどしない甘えた子でした。

娘が休日に、ソファーで、ごろごろと、うたた寝をしていると「お母さん・・。誰かが私の腕をつかんで、引っ張り起こそうとするんよ・。」と、飛び起きて必死に話すのです。

私には、直ぐに分かった事でした。

母親がくたくたに成るまで必死で頑張っているのに、休日に何の手伝いもしないで、ごろごろと寝てばかりいる娘に、お釜神様が腹を立て

たまにはお母さんの為に食事を作ってあげてはどうですか・・。」と、腕を引っ張り起こしたのでした。

穏やかで優しい神様がよっぽど腹に据えかねたのでしょう。神様はちゃんと何時も見ていますから・・。

また、経済的に苦しい時期には、お金をほとんど使わずとも、工夫し美味しい食事を作って下さり、体調の悪い時は、薬を使わずとも食事療法で治す方法を教えて

下さいました。


神様は、どんなにお願いをしても、なかなかお金を安易には下さいません。しかし、心・・白く真っすぐに頑張る者には、側に寄り添い、ちゃんと救いの手を貸して下さいます。

それは、転んだり傷ついてもう歩けない・・・そんな時に、安易に抱っこしおんぶをして下さるのでは無く、杖になり或いは草鞋(履き物)になり、寄り添い歩く事を支えて

下さるのです。あくまでも、歩いて前に進むのは己自身でなくてはならないのです。

人は図に乗ります。私もそうです。安易に抱っこしおんぶをされれば、まだ、そうなる事を期待し甘えて、自分で進む事をしなくなります。

御仏もまた、同じです。

神様も御仏も、人に指図をしたり命令をしたりはしません。何故なら、人生は自らが選び進むものであり、魂は何人も束縛をしてはならないものだからです。

神仏共に、人に寄り添い、その人に本当に必要な手助けをして下さいます。だから、甘くは無いのです。

指図し命令し魂を取り込もうとするものこそが、悪しきもの悪魔であるからです。

心・・・真白き者は神を降臨し、心・・・卑しき者は悪しき悪魔を降臨させる。


直ぐにくじけてしまう自分がいる。直ぐに諦めてしまう自分がいる。そんな自分に、教えて下さった神様の言葉が有ります。

「諦める事無く、怠る事無く、亀の様にコツコツと夢を持って目標を持って進みなさい・・。」そう、おっしゃいました。

その日、私は、意外な場所で亀を2回も見てしまいました。


毎日、私は、美味しい食事を頂いております。一般的には決して贅沢とは言えない質素なものなのですが、

それが、言葉にならないほどの美味しさなのです。そこには、ちょっとした工夫とお釜神様の愛情が入っているからなのでしょうね。

至福の時間を日々、頂いております。

お釜神さまの・・節約レシピ・・健康レシピ・・機会が御座いましたら、徐々にご紹介を致したいと思います。


maco-coishi

 

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釈迦の教え・・…安穏と暮らせる事こそが何よりも幸せ・・その為には・・。

2016-03-13 21:59:18 | 釈迦との会話・教え

                                                                     スコティッシュフォールドブログランキング参加用リンク一覧      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ    

人には、欲が有る…欲は、大きく分けて5つの欲に分けられる。

食欲・性欲(色欲)・物欲(金銭欲)・権威欲・そして生命欲である。そして欲は尽きない・・。

欲を滅する事が何より大切で、安穏と暮らす為には必要不可欠な事で、

「安穏と暮らせる事が何よりの幸せである。」・・と釈迦は申しております。


所が人は、安穏と暮らす為には5欲が必要不可欠で、色んなものを欲(ホ)しようとする。

欲する事で安穏と幸せに暮らせると思い込んでいる。そしてその欲望(欲する)はもっともっとと尽きる事が無い。

その尽きる事の無い欲を渇欲と言う。人は、本当の幸せの真逆の思考を持って歩んでいる。

だから己の人生において悩み苦しみが尽きない。何か有ればすぐ動揺をしてしまう。

これは人間が生まれ持った本能とでも言うべきか性と言うべきものかもしれない。

だからこその釈迦の教えとも言える。その教えが必要なのである。


般若心経・・・だれでもが知っているだろう。しかし、内容についての解釈は難しい・・。

内容を超簡単に説明すると、「何も持っては行けませんよ・・。未練も思いも何もかも空(から)にして、さ~さ~

あの世に旅立ちましょう・・。」そう言った所だろうか。

欲する事から生まれる資産も権威も色んな思い恨みも悔しさも悲しみも怒りも、さ~さ~お捨てなさい。

捨てなければ、成仏は出来ない・・天には上れない・・魂は救われない。

どんな理不尽な死に方をしようとも、するべき事が残っていようとも幼子を残そうとも、先ずはあの世に行きましょう。

と言った事です。

欲深き魂は天には上れない。いつまでも留まろうとする。その魂がどうなるかは何れ詳しくお話をするとして、良くは無い事は当然である。


老いる・・・ほどに人は色んなものを失って行く。失ってはじめて解る事・・悟が有る。分かろうとしない者は何時までも悶え苦しむ。

そして、老いていくほどに5欲も当然に失せて行く。老いるほどに失うほどに悟り魂を軽くして行かなければならない。

人は何時死を迎えるかは分からない。だからこそ、日々を正しく懸命に過ごさなければならない。正しく懸命に生きる者は何時でも天昇できる。


の欲は尽きる事が無い。己の思う様に財を成す(物欲)と、今度は、もっともっとと成る(渇欲)。財を成すと今度は人を世の中を己の思う様に操ろうとする(権威欲)。

女を沢山はべらしたく成るかも知れない(性欲)。美味い物を上等な物を沢山食べようとするかも知れない(食欲)。贅沢三昧をしたくなる。

そして今度は、何時までも長生きしたいと望む(生命欲)。それが無理となると今度はそれらを子孫に残そうとする。

死してなおも残したものが気にかかる。

欲深い者・欲する者・・・保(ホ)する者は死んでなおも欲が尽きない・・。だから天昇が出来ない。


誰もが知っている徳川家康・・・老いてなおも欲が尽きない者。老年にして天下を取り死しでなおも欲深く、

徳川家の繁栄を願い江戸城に向かって今も立ったままで埋葬されている。

権威欲で得た繁栄は何れは滅びる・・。滅びた今も彼は立ったままでいる。これからも未来永劫、死んでなおも心の休まる事は無い。

安穏・・・幸せなどとは程遠い。彼がもし、天下の者(国民)の繁栄と幸せを願っていたのであれば、天に向かい横たわり、手を合わせ天昇しただろう。

彼が望んだのは徳川家のみの未来永劫の繁栄である。


我々、凡人には権威欲などは程遠い・・・と安心をしてはいけない。家族が・・他人が・・職場で・・・思う様に成らない・・と思う事・・。

それは言い換えれば自分の思う様にしようとする事に当たる。他人(自分以外の者)を、その人の為とか愛しているとか正しい事だから・・と言い訳し、

自分の意思に従え押し付けようとそうとする事・・・。それもまた権威欲である事を忘れてはいけない。

思う様に成らないから腹を立てる・・怒る・・苦しく成る・・。安穏とはいられなくなる


人は、欲深い・・・。欲したもの保したもの・・資産・権威…多ければ多いほど・・高ければ高いほど、失う事を恐れる。

それでいて、自分はそうはなならない(失う)・・と何処かで信じている。心配しなくても何れは空(から)になる。この世に残せば、

死してからも空になるを歯がゆく見守る事と成る。

己の魂が卑しければ卑しいほど苦しむ事と成る。故に、欲深き事は良しとしない。

欲した保っしたものが多い者ほど、自分の思考や言う事は正しいと勘違いをする。そんな愚かな者に惑わされてはならない・・。自分も愚か者に成ってしまうから。


子孫に多くの資産を残す必要は無い。目に見えないものこそ・・・そこに大切な残すべきものが有る。


欲が無ければ、人はやる気を無くすだろう・・。そんな心配はいらない。

自分の為に生きる・・・それは、自分を破滅に追い込んでしまう。心を魂を弱化し苦しむ。

人は、他人(自分以外の人)の為に生きる事で、強く正しく、めげずに生きる事が出来る。生きる価値観と希望と幸せを見出す様に成っている。

家族の為は勿論の事、仕事で言えば、レストランなら美味しい食事を作り喜んでもらう・・。製品なら、人の為に良い物を作ろう・・。

医師なら病気を治そう・・。どんな仕事もお金儲けが先に成ってはいけない。人の為、人が望む必要なもの・・が先ず来なくてはならない。

人は、人の笑顔を見て・・・ありがとう・・と言ってもらえる事で満足が出来る生きる価値を自分の存在感を見出し幸せを感じる事が出来る。

これもまた、持って生まれた人の性・・と言えよう。これを人は愛・・と呼ぶのだろう。


猿と人のDNAはほとんど一緒らしい。猿だって賢い。子供への愛情も深い。仲間意識も強い・・。ルールも有る。

しかし、大きな違いが有る。食べ物をいくら猿に与えても他の猿に分け与える事は無いらしい。

人は、わずかな食糧でも皆で分けて頂く・・。分かち合う・・助け合う・・・。遠い昔…人が人で有る・・始まりからの習性である。

愛の始まりなのだろう。

人の始まりの頃、人は強い力も早い足も無く夜に成ると目も見えず、猿の様に木から木へと飛びはね果実を頂く事も出来ない

猿にも劣る2本足の生き物だったのだろう。洞穴で隠れ住み、わずかな食糧をみんなで分かち合い助け合って生きていたのだろう。

そうする事で人間は滅ぶ事無く現在に続いて来たのだろう。


故に、人は助け合い分かち合う・・人が居なくては生きる価値を見出せない・・・自分を見失う。

愛が必要で与え与えられ関わっていかなければ強く生きては行けない

欲を尽くしても人は満足はしない・・・渇欲は空しい。そんな満足感は、直ぐに失われまた次へと欲望が走る。


人に必要なのは人・・そして人の愛である。与え与えられ関わり生きる・・。

御仏の世界では、慈悲・慈愛と言うところだろうか

人と関わる事がうざい煩わしいと思う事が多い時代に成ってしまったが、一人は気楽で良い・・と思っても、

一人でいると切れた電池の様にパワーを無くしてしまう。

周りに人が居ない・・「私は独りぼっち」・・と自分の孤独を哀れんではいけない。

先ずは一歩外に出て、自分から人に寄り添っていかなければいけない。

話の苦手な人は…人の行為に対し「ありがとう・・。」の一言から始めると良いだろう。

つづく

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あなたにも出来るかもしれない・・・・指先透視・・・・やってみよう!!

2016-03-06 00:09:44 | 神仏から教えてもらった事


❤・・・・あなたにも出来るかも知れない・・・指先透視・・・・やってみましょう!!   にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ 

                                                                                                                                       

 釈迦の話に成ると・・・どうにも重く成ってしまう。何時も重い話ばかりでは申し訳が無いので、今日は気分転換をしましょう。

 神様は、明るい・・戦いの時すら、どんちゃん騒ぎをし、いざ出陣・・・祭り事が大好きである。

 明るく笑って過ごせ・・・と言うのが、神の教えでもある。

 今日は、神業(かみわざ)・・とまではいかないが、あなたにも出来るかもしれない指先透視術を伝授しましょう。良かったらやってみましょう。

 その前に、ここ最近のお話からはじめましょう

 近所のスーパーでは買い物金額の累計5000円で1枚の抽選券をくれます。月に1回、決められた日に抽選会が有り、

 お菓子やらティッシュやら色々と当たれば貰える。勿論、はずれも多い。段ボール箱に丸い穴が開いていて手を入れくじを引く。

 本来、私はくじ運が悪い・・。なので普通は全く当たらない。抽選日を忘れている事も多い。

 で、最近気まぐれで、神業(かみわざ)訓練・・・と称して、指先透視を試してみる事にした。

 店員さんに・・「選んでいい?触ったらわかるから・・・。」と笑いながら言った。

 と言っても10枚くらいしか手には出来ない。申し訳が無いからだ。その中から・・・「あ~これだ。でも大したことはないな・・。」と思った。

 ペットボトルの水が当たった。その一月後、今度は、生ガキを当てた。前回と同じ店員さんだったので、びっくりしていた。

 指の先で分かるのだ。指先で見えると言った方が良いかもしれない。

 では、指先透視の方法を伝授しましょう。

 皆さんは、練習には、トランプを使うと良いでしょう。出来ればシンプルなもの。

 方法は、前頭葉に全神経を集中する・・・。そして、指先に目が有るとイメージし、触る・・。たっだそれだけの事。しかし、なかなか出来ない。

 その時、肝心な事は、無欲に成る事。何も考えない事。欲を出してはいけません。集中有るのみです。訓練すれば出来る様になる方が居るはずです。

 トランプで先ずは、赤か黒か・・を当てる。次に、マークを当てる・・。次に数字を当てる・・。数字は多いか少ないか・・それからはじめます。

 順を追って練習しましょう。そうやって確立を高めます。

 以前に、宝くじ売り場で、試した事が有ります。スクラッチとか言う・・コインでこするものです。確か、1万円くらい当たったと思います。

 宝くじも試した事が有ります。しかし、「こりゃ手ごたえが無いな・・。」と思ったら、やっぱりはずれ。

 宝くじを触らせてもらえる枚数はしれている。例え、何十枚を触る事が可能だとしても宝くじは相当に確立が悪い。だから手ごたえが無い・・はずれが分かる。

 選びようが無い。触っていながら当たってないからと買うのを止める訳にもいかない。はずれているのを分かっていて買うのは馬鹿らしい・・・。せめて、抽選日くらいまでは夢を見ておきたい。

 だから…私は、買わない。

 お金にも善と悪が有る。「悪銭身に付かず・・。」と言うが、宝くじの様なものは悪銭の部類になります。当たればお金の使い方が荒く成る・・。その習慣は直らない。

 一度、甘い汁を味わうと、また、当たる・・と妙に思い込んでしまう。何れ当たる・・と確信すら持ってしまう。悪い習慣は直らない。だから当たった以上の資産を失う結果となる。

 神は、懸命に働いたお金を良しとする。

 しかし、訓練をし、景品のくじやおみくじなどを引いてみる…ちょっとした景品でも嬉しく成る・・。おみくじを引いて大吉が出れば・・気分が良い。

 ちょっとしたスリルと自分だけの楽しみがそこには有る。そのくらいだったら神様も許してくれるだろう。

 では、本来の指先透視は何の役に立つのか・・。私は、人の体を触り病を見つける。そして、手の平で治療する。

 神に問う。「どうすれば治せるのか?」と・・。すると「深くて強い愛が必要である。」と言われた。欲深くては、病気は治せない・・。


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