確実に幸せに成る為の学び舎~★~アダムとイブの神話の意味
■アダムとイブの神話の意味・・授業・・第2回
その前に、確実に幸せに成る為に、どうしてアダムとイブの話なんだろうかと思うでしょうが、一見関係ない様に思う学びも全て、意味が有り必要性が有るからです。
例えば、癒しと運気を求めパワースポットに行ったり、パワーの有るグッズを購入し良い運気を手にしようとする人が居ますが、自分自身の中に常に癒しを生み出し、運気をどんどん引き寄せものにする、悪い運気を追い払い幸せに成る為の器を、先ずは作り上げる事から始めるものです。幾ら、癒しや良い運気をものにしても、器が小さかったり笊(ざる)だったり脆い(壊れやすい)ものでは、何の意味も有りません。
良い運気も悪い運気も、言い換えれば、幸福も不幸せも連鎖をします。それは、まるで磁石の様なもので、次々と引き寄せ大きくなります。当校の学びは、良い運気・幸せのみを引き寄せ、悪い運気不幸・災いを突き放す、そんな磁石を心魂に育てる学びでも有ります。一歩づつ、その階段を登るものですから、楽では有りません。しかしながら登れば、辿り付きます。
癒しを生み出すパワースポットに、幸運を引き寄せる石、磁石に自分自身が成るのです。
学びの回毎に、しっかりと学びを自分のものとし、確実で不動な幸せを掴みましょう。
では、はじめます。
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アダムとイブのお話は、皆さんご存知かと思いますが、簡単にご説明をしますと、蛇が、アダムとイブを唆し、二人は神より禁じられて居た決して食べてはならない赤い果実(禁断の果実)を食べてしまい、永遠の命を失いエデンの園(楽園)から追い出された・・。と言う神話です。禁断の果実は、林檎ともイチジクとも言われています。
この神話の意味や解釈について、色々と説が有ります。今回は、私の想うところを、天より色々と教わった事を総合し考え、説を紐解いてみたいと思います。
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その為には、人間のルーツ(起源)について説明をする必要が有ります。
神(創造主)は、宇宙を造り、星々をそしてこの地球を造り、地球に生物を造りました。この地球上で我々(生物)は、互いに命を与え与えられ、食い(命の継続)繋ぐ輪廻の元、調和を保ちながら歴史を築いて来ました。
この輪廻と調和は、時として異変を起こす事が有り、長い歴史の中では滅びてしまった生物達も居ます。例えば、恐竜の様な大型動物などです。
異変とは、流星の衝突や火山の大爆発による自然災害によって起きるもので、氷河期などはそれに当たります。そう言った自然災害(環境の変化)は、生物の有り様にも変化を来しました。多くの種の生物は、環境の変化に伴い、ある種は滅び、或る生物は適用し変化をし、命の継続をして来ました。
神(創造主)とは、宇宙を含め全ての創造そのものを神と表したもので、人間の知識を遥かに超越した存在で有ります。また、宇宙の在り様そのものを神(創造主)と人間は表現をしています。創造主は、宗教で有り、また化学でも有ります。科学を知る(追求する)者は、宗教に立ち返る・・・。と言われるもの納得が出来ます。
創造主は、俗に言う処の神を遥かに超えた位置に存在し、俗に言う処の神さえも神(創造主)の創造によるものと言えます。俗に言う所の神・・・とは、人が存在し必要とする神、或いは人が居るから存在する神と言ったものです。
命を産み育てる(本能)は、無償の愛の行為で成り立ち、命は愛の賜物とも言えます。この宇宙を生み出し、宇宙の命を育み継続するは、神(創造主)の愛の行為で有り、神(創造主)は、愛そのもので有ると言えるでしょう。
他種の命の犠牲によって育むまれる命も又、残酷に思えるけれども、これも無償の愛の行為にしか他なりません。この地球上では、互いが命を差さえ合い助け合って生き延びなければ成らず、そうやって命の歴史を築いて来たのです。
輪廻とは2つの意味が有り、一つは、生物の命を繋き合う他種との愛の輪の仕組みそのものを輪廻と言い、もう一つは、その繰り返しで起きる時間の経過も輪廻と言い現し、調和とは、命を支えあう愛の輪のバランスを指すものです。
ここからは、アダムとイブの神話の真実に迫ります。
その輪廻と調和を壊してしまったのが、アダムとイブと言う事になります。
アダムとイブは、人間達の男女を固有名詞化したものに他なりません。アダムとイブは、我々人間の事で、人間の先祖達を指します。
輪廻と調和は、神(創造主)から与えられた法則(約束事)で、地球上で生きるもの達全てが、輪廻と調和の基、永遠に命の継続をして行く事を意味します。それを人間が壊してしまった事を言っています。
神話で言う永遠の命とは、2つ意味が有ります。その一つは、地球(星)が終わりと成るまで、本来持って居る地球(星)の寿命を言いますが、人間が神から与えられた法則を破ったばかりに、地球の寿命前に滅びる事を意味します。また、もう一つは、後ほど説明します。
アダムとイブ(人間達)が、神から与えられた法則を破った理由が有ります。やんごとなき理由です。
輪廻と調和の法則には、それぞれに食べて良い(命を繋ぐ為の)物を決められています。
キリンは、高い位置の木の葉を、牛や馬は地面の草を(糞は木や草を育てる)、ライオンや豹は草食動物を、それぞれの生き物は、体格・胃袋に合った量を、命を繋ぐ必要量のみを腹が減ったら頂く・・・。猿類達は、木の実や果物を・・。全ての生物に与えられた法則です。
我々人間の祖先も、猿類同様の物(果物や木の実)を食し、地下の根っこ(芋類)や植物の種子を食べて居た様で、たまには蜂の巣や虫など(雑食)も食べて居た様です。元々は、猿の方が食の確保には長けて居た為に、木の上だけでは食糧が不足し地上でも確保していた様です。
以前に、天より聞いていた事ですが、エデンの園とは2つの意味が有る様で、一つは、アフリカの大地を意味する事で有り、人間の起源はアフリカだと聞いていました。
その後、近年のテレビなどの情報で、人間のDNAは、唾液を調べると確かでは有りませんが、7種に分類が出来、そのルーツはアフリカで有ると知りました。教えの確信と成りました。
天の話では、アフリカは、その昔、かなり豊かな大地で、食する物が豊富に有ったそうです。しかし、雷が度々、落ちた為に、焼け野原と成り砂漠化が進んだと聞きました。最近、知った事ですが、世界で一番、アフリカで雷は発生すると知りました。
流星の落下や火山の大爆発などの影響も有ったでしょうが、雷が原因で有る事も確かです。また、砂漠化の後押しをしたのは、人間の仕業でも有ると聞いています。
豊かな台地アフリカだった頃は、食料確保の下手な人間(祖先)でも、それなりに生きて来れたのでしょうが、環境の変化で段々と、食料確保も難しく成り、さらに雑食も増えて来た様で、木の上ばかりか、地面での食糧確保の割合も増えた様です。
飢えて死に滅ぶか?それとも何が何でも生き伸びるか?大きな選択を余儀なくされる時期を迎えた時に、神が創った法則をついに人間は破ってしまったのです。それは、決して食べてはならない、禁断の果実である動物の肉を飢えに耐えかねて食べてしまった事です。一つの意味は、禁断の果実とは、血の滴る動物の肉を意味します。
元々、木の上での食糧確保と地上での確保の両立状態だった人間は、飢えて死にしそうに成った際、最初は、焼け野原で焼け焦げ死んだ動物の肉に手を付け食べた事から始まった様です。
食べても死なない事が分かると・・。食べ続ける・・。そうすると体に異変が起きます。その異変は、先ず、頭に影響を及ぼします。生まれた子供は、奇形・突然変異・DNAの異変・・と言ったところでしょうか。
神の法則(定められた物を食す)・・・食すに当たり、それぞれに定められた食材が有りますが、近年で例を上げれば、狂牛病は、植物しか食べてはならない牛に、成長を早める為に、動物の骨粉などを飼料に混ぜ食べさせた為に、牛の脳に異変を起こしてしまい、牛は狂い死にをする事と成った。人間による、神の法則を破った行為です。その結果、食した人間にも悪影響となりました。
人の場合は、元々、雑食をしていた事も有って、その影響は死では無く、脳の発達へと繋がり頭も大きく成り、元々地上を歩く機会が多かった事も添うし、二足歩行に成って行った様です。地上生活で弱い人間は、洞穴で身を寄せ合い住む事に成ったのです。(第1回目に詳細を記載)
そのうち道具を使う様に成り、大きな草食動物を殺し食べる事となり、ライオンや豹の様に、殺し血を流し見ても平気な、野蛮な性格を持ち合わせる事となり、色んな事情で、その後は、道具を使い人間同士が戦い殺し合い血を流す様に成ったのです。
宗教の中には、肉食を戒める教えが有るのも、この辺りの事情でしょう。
環境の変化で多くの種類の生き物が滅びた中、神代の昔、アダムとイブが禁断の果実、動物の肉を食べなかったら人間は、滅亡していたのかもしれません。肉を食したばかりに、その後、多くの苦を背負う事と人間は成りますが、何が何でも生きる・・。生きてやる、、、。そんな思いの行動だったのでしょう。
元々、弱い人間(祖先)は、食糧確保に随分と苦労をし、努力をして居たのですが、飢えに耐えかね死を目の前にした時、魔が差す・・。蛇(悪魔)を向かい入れる事に成り、禁断の果実で有る動物の肉を食べました。
そして魔を心魂に入れる事と成り、死後も天国では無く黄泉(死者)の国に行く事と成る。一つには、エデンの園の意味は、神の住む国を意味し、魔を心魂に入れてしまったから、神の国から追い出される・・・と言う意味です。禁断の果実は赤い血の色を表し、悪魔を心魂に入れた為に、人と人とが争い殺し合い血を流す結果を招く。禁断の果実のもう一つの意味とは、人が争い殺し合い流れる血を意味します。
人間の欲と悪の始まりを意味し、苦悩の歴史の始まりでも有ります。
しかし、それでも人間は、生きる道を選んだのですから、長い歴史の上で、今日有る私達も、また、何が何でも、生きて行かなければならないのでしょう。かと言って悪行は成りませんが・・。
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まとめ・・・
アダムとイブは、人間の先祖を指す。蛇とは悪魔を意味し、唆されるとは、魔が指す事を言う。悪魔を心魂に入れてしまった事を言う。
エデンの園とは、現実界では、豊かなアフリカの台地を意味し、心魂の世界では、神の住む国を指す。
永遠の命とは、現実界では、地球の寿命を言い、心魂界では、輪廻転生をする事の無い、神の国で住む事を言う。
命を失うとは、現実界では、輪廻と調和を壊した為に、地球の寿命まで生きられない事を示す。心魂界では、輪廻転生(生まれては死ぬ事の繰り返し)を示す。
追い出されるとは、心魂界では、魔を持ったままでは、神の国には行けない。黄泉の国(死者)に行くしかない。現実界では、もはや豊かとは言えない変わり果てたアフリカを出て行き、新天地に散らばって行く事を言う。
禁断の果実とは、血を流す肉食をした事を言い、また、人間同士が争い殺し合い流す赤い血を言っています。
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アダムとイブの神話では、現実界と心魂界の二つの意味が存在します。それは、私達には、現実界と心魂界が存在している事を意味します。
私達人間は、生まれては死ぬの(輪廻転生)を繰り返し、心魂から魔を取り除くべく、黄泉の国では無く、狭き門を潜り抜け、神の国(天国)に入るべく、この世で修行を繰り返している身で在り、心魂で有る事に他なりません。
つづく
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