あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

私の三連休・・

2007年01月08日 22時52分03秒 | ゆり子のひとりごと
1月6日(土)
「シルバー假面」の舞台挨拶に行ってきました~。
渋谷のユーロースペースという劇場は初めて行く場所です。
運転をお願いした男性と車をPに止め劇場に向かってgo~!
二人迷いながらふと気が付けば辺りはラブホテル街のど真ん中です。
何だか急に慌ててしまいおもわず離れて歩いてしまいました。
ホテルから出てきたカップルみたいに思われちゃいますものね。w
そんな場所に映画館があったのです。

キャパ91名といったスペースですが満員で立ち見が出た程です。
ところでその日初めて知った事なのですが前代未聞のお話が。。

久々の女優業に大緊張で心臓バクバクだった私なのですが、
何とその出演シーンに私の心臓の鼓動が聴こえるんですとっ。
司会をしたジェネオン森さんから裏話をバラされたのです。
共演の嶋田久作さんの渋い演技はトーンが低いので
録音部さんが音を拾うため最大にボリュームをあげたらしいのです。
その時、録音技師さんが変なノイズが聴こえるけどこれは何だ!?
結果、胸にピンマイクを着けてた私の心臓の鼓動音だったのですと。

試写会ではぜんぜん気付かなかったし、
またその日は一緒にトークした脚本の中野貴雄さん等と食事会で上映を見なかったのです。
上映終了後を見計らってご来場の十数名の方達とおち合い新年会を兼ねた深夜の飲み会です。
彼等に訊いてみるとやはり心臓の音は分るらしいですね。(ドキッ)


1月7日(日)
母の92回目の誕生日です。大正4年(1915年)1月7日生まれ。
奇しくも今回の「シルバー假面」の時代をも生きた人です。
関東大震災も大東亜戦争も・・・大正・昭和・平成の変遷を知ってる人。

未だ元気バリバリの母なのですが今年は珍しくこんなこと云っていました。
「ちやこ、私は幾つになったのかしら。91?92?忘れちゃった。」
でも私にとって未だ母は一番怖い存在でもあり
何もかも母には負けてる娘で頭が上がらないのです。

前の晩深夜の飲み会で寝たのは誕生日当日の午前4時過ぎ、
母への後ろめたさがある私は7時に起きて母の誕生日の支度を。。
と、思いつつも気ばかりあせって朝から頭の中はカラカラ空回りです。
冷蔵庫の中には母の誕生日にふさわしい食べ物はありません。
慌てて車を走らせ府中のデパートまで買い出しに急ぎました。

ところが旧甲州街道は大渋滞、いつもは15分で着くのに一時間半も。
気持ちはあせるし長蛇の大渋滞に巻き込まれ身動きとれず
とうとう駐車場に着く一歩手前で金魚のパクパク酸欠状態。やだ過呼吸だ!
やっとのコトで車の中から主人に「運転出来ない、迎え頼む」と緊急連絡。
ハァハァ云いながらも迎えが来る安堵感でなんとかパニックは治まり買い出し終了。
主人とおち合って無事帰宅、母への誕生祝いらしき晩餐会が出来ました。
フ~~ッ
私って見かけに寄らず心臓の鼓動しかり過呼吸しかり小心者でしょ??


1月8日(月)
夕べの母への晩餐後は寝不足もあって一時間程うたた寝をしちゃった。
お陰でこれまた悪循環、昨夜は夜中の3時過ぎまで眠れません。
あすは次女の成人式だ。早く寝なくちゃと思えば思う程眼が冴えて眠れません。

やっと寝付いたと思ったら、次女に叩き起こされました。
「早く起きて~。美容院に行く時間だよ、送ってくれるんでしょ!」
娘に急かされこれまた昨日のデパートへ送り届けなければいけません。
パジャマ姿を隠すように上からコートを羽織って無事送り届けました。
二時間後にはまた迎えに行かなければなりません。

その間シャワーを浴び化粧をして着替え、一世一代の晴れ姿の娘のお出迎えです。
貸し衣裳だが一昨年の長女の時と差を付けられないし・・奮発しちゃったのだ。
それにしても貸し衣裳ってバカに出来ないほど高い。まっそれはイイとして、
着飾った我が娘は”馬子にも衣装”おっと失礼!イヤイヤ我が娘ながらナカナカだった。
よそ行きのいでたちの娘から開口一番意外な一言。
「着替えてきてくれたのね。良かった、またさっきの格好で来られるのかと心配したヨ」
きょうは一日彼女のお抱え運転手でした。

無事式典を終え「勿体無い」と云いながらも洋服に着替え、
今ごろ中学時代の同窓生とウチの店でパーティー中で~す。