あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

2019年06月23日 11時23分08秒 | 地谷子のひとりごと
きょう6月23日は父の命日です。79歳になる年、孫(私の長女)が5月6日産まれで辛うじて抱っこ出来て1ヶ月半後に亡くなりました。1ヶ月後に始まるロサンゼルス五輪(’84年7月)を大変楽しみにしていましたが...
きょうで没35年.....生誕114年かぁ。

父に77歳の喜寿の祝いに生まれ故郷の北海道旅行をプレゼントしたら大変喜ばれました。次の要望は傘寿(80歳)にイタリア旅行です。しかし約束は叶いませんでした。

この写真は中野から井の頭に居を移した時(昭和29年夏)次兄と3人で撮ったものです。

井の頭公園池のド真ん中の橋(七井橋)を挟んで(弁天橋)とは反対の井の頭公園駅側の太鼓橋の前です。当時の井の頭公園は花火大会もあったのですよ。

母はお惣菜の買い物しか外へは出掛けない地味な人で母と外食した記憶は一回もありません。父は外出が大好きで末っ子の私を伴い吉祥寺界隈の飲食店でまだ家テレビのない時代にテレビを設置してるお店でボクシングや野球中継を観に連れていかれました。

父と母は陰陽〜正反対の夫婦でした。それでも晩年父の口癖は「登美(母の名)が先に逝ったら後追い自殺する」でした〜(笑)
’84年6月23日の朝、2階の寝室から降りてきた父はトイレへ。うまく出なかったので1階の母の布団に寝かせてくれ...しばらく寝息をたてていましたが、あれ静かに...母が気づくと息をしておりません。慌てて掛かり付けの医者を呼び、臨終だということが分かりました。

雨が降っていました。近くに住んでいた私が駆けつけると、もう葬儀の段取りです。
私がポツンと母に一言...
「私、おくるのはやだわ。おくられたい」
『男はいいわよ、長生きしても。女はね....』

そういってた母は父をおくって25年後、95歳まで長生きしました。