エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















なページ

女子の変化・・・そして落胆

2010年07月20日 09時52分21秒 | 徒然日記の50
昨日の海の日は自宅でピザを焼いたりして夏気分を味わいました。


夏といえばトマト。


夫婦で買い物に出かけるとダイソーで同級生と再会。
「エクレア君?」
「はい。そうですが・・・嗚呼・・・もしかして」
何だかんだで・・・云々
出会った旧友は小中学時代の同級生。
私は16歳には他市の工業高校に進学していたので地元の連中とは中学で付き合いがなくなっていたのでかれこれ30年ぶりの再会である。
仲の良かった友達というわけでもない。普通の同級生。なので実のところインパクトはほとんど残っていない。もちろん一緒に何かしたという思い出も殆ど思い出せない。ただ同級生という・・・そんな感じ。

同級生曰く
「あんまり変わっていないからすぐに分かった。」
と。このセリフは5年ほど前に味わった気がする。そう、二十数年ぶりにバイト先の先輩に偶然出会い、
「変わっていないからすぐに分かった。」
と言われましたな・・・。あれから5年ぐらいたつと思うがやっぱりあんまり老けていないのかもしれない。

16歳には二十歳で十分に通った私。つまり老け顔だったというか若い時から大人びていた私。ところが年を重ねてもあんまり変化がない。年輪が顔に刻まれないのかもしれない。のほほんと生きている所為かな。

それでも髪の毛には白いものが目立つし(染めているから見た目は若いが)口角が下に引っ張られるのは男女とも同じで、昔のような張りはない。自画像を直視するにはまずフォトショップで修正してからでないと無理だ。目じりにしわがないのがあまり年を取った顔には見えない理由だと思う。

少し話をしていると今は同じ町に住み、彼女の仕事場はうちの家から数件下にある歯科医院で働いていることが分かった。30年ぶりの再会は実はかなり近いところに努めている人物だったなんて、広いようで狭い世間なのだと思った次第。

そんなわけで彼女とはもしかしたらまた出会うかもしれない。なにせ近所で努めているのだから。

でも。

話している間、私が彼女の名前を呼ぶことは最後までなかった。
たぶん彼女だろうという名前は思い浮かんでいたが彼女がこの名前だという確信が持てなかった。
何せ30年前の人物、そして殆ど縁のなかった人物の名前を憶えているほど私の脳はキャパがない。小学生の名簿を思い出すようにたぶん彼女の名前がこうだったであろうという記憶しかない。
そんな理由から彼女の名前を呼ぶことができなかった。

もう一つ言うと。
女子の場合なのか彼女固有のものかは知らないけど、私とは違い子供のころとは随分と変わっていてね。一言でいえば老けたわけで、昔の知り合いの女性と出会うと必ずと言っていいほど味わう落胆がそこにあったわけで・・・

なぜか女子は老ける

特に子供を産んだ女性の老け方は異常なほどに老ける。魂の一部を子供に持っていかれたような(実際そうなんだろう)老け方をし、女性というより母親という新しい生き物に変化するような気分を味わうことになる。

性別を男性、女性、母親と三つにしてもいいんじゃないかと思うほど女性は前後で変貌する。彼女が子供を産んだかどうかはしらないが女子の変化は年輪の如し。

まあそんな三連休の最終日でした。


桃もそろそろ食卓にのぼりかけてます。



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