24/12/14 いつもの新聞のいつもの欄から見始める。「亥年 やるべき事をやらねば段々と絶望の淵に近づくと反省せよ」と。
まさに、そう。私にしては、極めて珍しく、すべきことが3つたまっている。①はもう期限が過ぎているが、文にする。②の答えは出ているが期限は目の前。③はもうほとんど答えは出ているがそうそう簡単には纏まらない。だって、遺書だもの。このところ知人の身内の春頃の訃報が届く。
期限過ぎの①は名古屋開催の相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展──金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史 愛知県美術館、2024/11/27京都御所秋の特別公開と雅楽、そして、京博の特別展 法然と極楽浄土 - 京都国立博物館のお話し。
①相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展──金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史 愛知県美術館は、その日が、今春桜が最高だったという京都の、しかも清水へ行った日あまりの門前の混み合いに入場を諦め、紫式部ゆかりの廬山寺に続いて相国寺の入り口まで行ったが、今度は、こちらに体力切れの同伴者が出て、諦めた美術館の展示に金閣・銀閣のお宝もあると言う豪華版。こっちの勝手なリベンジ。
2024/11/27京都御所秋の特別公開。雅楽は演奏は大人が、舞は少年隊。
この後の昼食は、探しに、探し、断られた挙げ句が、最初にここかな、と思った智積院のレストラン。智積院はタクシーのドライバーが言っていたように、以前来たとき、本堂から西向きには何も無い広い境内を見て勿体ないなーなんて思って居た場所が、今は、何年前からの庭かしらと思えるみたいに結構な古色を出し、紅葉が見頃。記念物などは何処にあった?と思うくらい、立派そう。そして、以前は無かった宝物館、戸締めだった本堂などめちゃくちゃ豪華に一新されている。
と、その前に昼食を。精進膳というのですが、このところ、そう、思えば、心臓の手術の後(2019/4)以来ズーット、食欲はほぼ戻らず、体重は以前には戻らず、痩せたまま。その私がぺろりだから美味しいのでしょう。ま、何よりはもワインリストが有ったことです。ま、瓶を開けるほどは飲めませんから実に可愛く、グラスビールでしたが。食後、国宝の襖絵、庭などを拝観し、西に少し歩くと、京博です。
以前来たのは、何と、2017年秋の開館120周年記念 特別展覧会 国宝でしたからもう、何年ぶりでしょうか。この時は、三十三間堂から。京博でしたが、この時の方が、混んでいましたが、今回気づいた事は、何よりも、出品物のすごさよりも、観客が若い。そして、名古屋ではトント見かけなかった、おしゃれな若い女性が多かった。
博物館の常でしょうか、とにかく「声を出すな」いや「音を出すな」でしょうか。3年ほど前、東京にいる娘と東博のこれまた東京国立博物館創立150年記念特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」に行ったときに、思わず二人とも、「感想」をもらしてしまったのですが、これが少し声が大きかったのでしょうね、近辺の人の笑いを誘ってしまった様です。厳格なお客さんに叱られました。
展覧会はただ、ただ、声も無く静かに鑑賞するべきなのでしょうか。私には、沈黙の音の方が、気味悪いです。一応、騒音問題に取り組んでいる私としても、息くらいは出来た方が良いのですが。
今回の京博では一段とこの「取り締まり」が強化されているのを感じました。今回の展覧会の主役法然さんのバックになっている「国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」のちょうど前で、「なぜ仏たちは斜めに飛んでくるのか、」なんて所を気分良くしゃべっていたら、ムチャンコ目の可愛い、利発そうな20代らしき女性が、にっこりして「これってそんなに有名ですか?」何て、聞かれたものですから、思わず「有名たって今回のチラシの看板になっているくらいの国宝ですから。とにかく国宝の中でも、私が知っているくらいだから超トップクラスで有名はずですよ。
何せ、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、因みに、これは、簡単に言えば、「私はあなたにお任せします。帰依でしょうか。今風に言えば、終身会員になります」とかの意味らしいですが、とにかく臨終の際でも、唱えれば、阿弥陀様が、西方の山を大急ぎで越えて(「山越阿弥陀図」)「ドンガラ、チンジャラ、バラン、…」と楽団らしきモノ(雅楽を見た後なのでそんな気がしましたが)の鳴り物入りで、「お迎え」(国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図)に来て頂けるという、今風に言えばコスパが非常に高いと言う有難いお話しです。
仏教に於ける、「西方浄土」は文字通り西方の山の彼方あるらしいのでしょうが、必ずしも「極楽浄土」であるかどうかは別問題でしょう。ここらは古代エジプトでも死者の国は陽没する西にと似ていますね。でも、イスラム教の棺はメッカの方角に頭を向けるそうですから。話は置いて、臨終に際して、「お迎えに来ましたヨー!!というお話しです。三途の川は何処にあるのでしょうか。やはりガイドブックがほしいです。
でも、いつも思うのですが、絵の都合でしょうが、絵とか、像とかの仏様は、概してデカイ。実際の感じとしては、ウルトラマンかゴジラかの大きさでしょうか。ビックリしますよねー」何て言っていたら、大喜びでした。
「京都の人ですか」と聞いたら、「今は京都ですが、福岡から転勤で来ました」「道理で、京都訛りがありませんね」と言うと、喜んでいました。「私らは愛知県の豊田です。豊田の自慢と言えば、走っている車がトヨタの新車ばっかりで、車で見栄を張るんです」なんて、純粋の三河弁で言ったら、「京都は何でも見栄っ張りで、車は外車が多いです」なんて、流石京都です。
「見回り」が近づいて来たので、「もし、万が一にもこの世でご縁があれば、また、お会いしたいですね」なんて、別れました。
後で、せめて「ブログ 黙殺の音」でも紹介しておけば、下の方「コメントを投稿する」から連絡が取れましたのに、とか。メアド、とか、携帯番号を直ぐに思い付かないところが歳、なんでしょう。
昨今は仲間はそれぞれに、年ごとに、いや、もっと短い周期で、あっちやこっちが痛み、歩きが悪くなっています。東京とか京都に出かける度に「これが最後」と私は言っています。
来年の春には奈良で、「超国宝―祈りのかがやき―」なんてのが有るので、体力、就中、足を何とかできないできないでしょうか。医師は既に見放していますが。
これも「南無阿弥陀仏」で良いでしょうか。