メキシコ州タオスの街で起こる「タオス・ハム」と呼ばれる現象。この街ではブンブンとうなるような重低音が響きわたります。不思議なのは、外よりも室内、朝よりも夜の方がよく聞こえること。ただし、全員が聞こえるわけではありません。タオスには約4,700人が暮らしていますが、調査の結果全体の2%の人が経験しているようです。
最初の報告があったのは1991年の春で、聞こえる人によれば「ディーゼル車のアイドリング音に似ており、もはや拷問、時々大声をあげたくなるような音」とのこと。実は世界中で報告されているハムですが、原因は未だ不明とされています。場所によってはビルの空調設備が原因とされてこともありましたし、一般的な人より音に敏感な人にのみ聞こえるといった説もあります。他にもさまざまな原因や説がありますが、疑問は深まるばかりです。
世界の未解決ミステリー10選!誰も解決できない衝撃の実話とは - - Dazzllin
てとこをタラタラ見ていたら、何と、あるではありませんか。”衝撃の実話”ですって。
「調査の結果全体の2%の人が経験しているようです」ですって。
”聞こえる人によれば「ディーゼル車のアイドリング音に似ており、もはや拷問、時々大声をあげたくなるような音」とのこと。”
そうです。その通りなんでしょう。
これの連続的な音に「シュシュ…」という「風切り音」が加わったのが風車音なんでしょうね。
地形的にそもそもが、北側に開け、町から1km程のところに飛行場があり、町の背後には山を背負った、口が開いた”巾着”風の地形が問題なのでしょう。更に北西からの風が山に当たり、昇る音はどうでしょうか。
ま、行ってみないことに解りませんが。
そういえば、大昔と言うより初めて海外に行ったのが、米国西海岸だったのですが、その時グランドキャニオンに行くツアーの基地がラスベガスだったのですが、
そこは砂漠なんですが、サンフランシスコからの飛行機から降りるやいなやものすごい風が吹いており、まるで大型ドライヤーの中にいるようで、瞬時にして、まぶた、鼻の穴、挙げ句は耳の奥あたりまで、顔面で湿気のありそうな部位の水分が瞬時にして。空気中に蒸発していき、パリパリになっていくのを感じたのですが、ここも似たようなモノでしょうか。
因みにラスベガスは平地ですし、大きな町で、一晩中、静かではなかったはずですから、仮に低周波音が出ていても籠もることは無かったのでしょうし、私も若くて元気な時代ですから気にもならなかったのでしょうな。
余談と言うより何れ完全に消えてしまっていく、自分の記憶は永遠に消えて行かないとか勝手に思っていたころの頃の話ですが、その夜は、「シーザーズパレス」で、トムジョーンズのコンサートを終わって自分のホテルに戻ってきて、スロットマシンをやり始め、深夜3時頃になって、もうこれで終わろうと最後の1万円をメダルに替えて、その分も終わろうとした時、体育館並の広さのフロアーに「チンチン……」と鳴り響き始め、
「器械が壊れたか!!」と思うほどメダルがダダダ…と出てきて、床にこぼれ始め時、バニーガールがメダルを入れる箱を持ってきてくれて、「コングラチュレーション!」とか言っていたはずなので「サンキュー」とかで、
興奮のあまり、その時チップをあげるような事に思い至らなかった事が未だに悔やまれてなりません。「チップ」と言うモノを知らないと言うより、慣れていなかったのでしょうね。
因みに当時1980年8月頃は1ドル240円くらいと記憶にあったのですが、今は便利な時代で、調べてみたら(USドル/円の為替レートの推移(1980~2023年) - 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)ほぼあっていたようで、案外昔の記憶は恐ろしい限りです。が、今チャートを見るとその後急激に円高になったのですね。1ドル360円時代の名残の最後ぽかったのですね。
ま、本当は、それをさらにぶち込むだけの気力、体力があれば凄いのですが、既に午前3時を回っていたし、翌日と言うより、”今日”は、グランドキャニオンにセスナ機で飛ぶのが、午前5時だったかでとにかく寝なくてはなりません。でも、その年の7月に日本人が乗った飛行機が墜落しており、いやもう心配。キャンセルした人もいました。
翌日、目を覚ましてドル紙幣を数えると、差し引き5万円くらい儲かっていました。グループ20人くらいで、添乗員が「昨晩儲けた人はいますか」とか、聞いたので喜んで手を挙げていました。もう一人儲けた女性がみえまして、数人のお仲間で「徹夜で全部飲み食いしました」とのこと。負けました。
日本は世界の田舎者。貧乏人だと言うことが海外に行って良く解りました。昨今の円安など知れていますが、海外はもちろん国内も、ツアー料金は急激に2倍くらいに値上がりしています。以前は国内にいれば為替は感じませんでしたが、昨今はヒシヒシと感じますね。