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ここで数日間歩いた感想をまとめてみようと思います。
これまで17ヵ所のお寺でお経をあげさせていただきました。その中で感じたのは自分がお経をあげる行為にあまり意味はないということです。
たどり着いたお寺で納経帳に納経してもらうのとお姿という各お寺のお札をもらうことは確かにうれしいことです。
それよりも歩くという行為に意味があるのではないかとおもいます。
例えば昨日は遍路転がしの後で10時間以上歩きました。夜が近づくにつれだんだん辛くなってきます。その辛い気持ちの中でフト冷静になったとき、振り返ると以外と自分もすごいことが出来るな~と思ってみたり。休みながらならまだ数時間は歩くことが出来ることに気付いたり。
とても辛いけれど生きるか死ぬかの状況ではない中で、まだ心の余裕を残した中で、己に気付くきっかけになるのではないかと思いました。
まだ気付いたことはありますがそれはまた今度。
私が感じているのは、歩くと頭の中と同じくらいペースになるなぁ。と
散歩で気づくのに通勤路では気づかなかったり。特に空や、草花!じっくり歩くようにしたいな。
綺麗な空と浜?の写真。ありがとう。
ここはこんな場所だったのかと気付くことがある。
それも自分の足で歩けばこそ。
コメントありがとう。