なぜ「働く」を問題にするのか?
現在、日増しに「働く人」の状況は悪化しており、今年から、さらに酷くなるはずです。
これだけ文明が進んでいるのに、なぜ大多数の人が心豊かに暮らせないのか。
大きな潮流が災いしているとはいえ、「働く人」自身が「働く」意味を見失ってしまった事が大きい。
困ったことに、これがさらに経済の悪化を招いている。
私は定年後、1週間に一度の仕事と、趣味で充実した日々を送っています。
だが定年前は、まったく異なった。
勤めていた会社の社風もあり、私は完全な仕事中毒で、理不尽な扱いや、過酷さに鬱鬱としながらも、技術者として頑張っていました。
周囲では、一部には出世や金儲けに高揚感を味わい猛進する人はいたが、多くの人は不満を持ちながら、組織に溶け込み、平穏に過ぎるのを祈りながら、なんとか楽しみを見出そうとしているように思えた。
私達は、戦後の廃墟からの復興期を経て、やがて高度経済成長、そしてバブル崩壊を経験した。
この頃は、まだ経済復活の可能性を信じられたように思う。
しかし、ブラック企業の横行と非正規雇用(低賃金と首切り放題)が定着すると、幾ら政府が復活のアドバルーンを揚げても、あらゆる指標が日本の長期衰退を示すようになった。
現在、私の周辺や幾つかの公共体の内情に接すると、「人々はこの沈没船に誰よりも長く乗ろうと必死だが、誰も沈没を止めようとはしない」ように見える。
「何かが違う」との思いが強くなるばかりです。
私は海外に行く機会に恵まれ、幾度もカルチャーショックを受けて来ましたが、北欧を2回訪れて得た体験は別格でした。
1984年の訪問では、彼らの振る舞いや人生観、日々の暮らし振りが日本とまったく異なる事に驚いた。34年後の2018年では、発展を遂げ、豊かさを享受しながらも人生をゆったりと愉しむ生活スタイルが変わっていなかった。
それに比べ、相変わらずの長時間労働、機械に使われる事が当たり前の生産現場、家族より組織優先、そして定年になると抜け殻のようになる。
日々精進し、目標と他人との競争に打ち勝ち、それが出来なければ落ちこぼれに甘んじる企業戦士。
組織と協調しない人、自由な人、のんびりしている人には不安と嫌悪さえ覚える会社人間。
それが大方の日本人像でしょう。
そんな日本人が、一丸となって世界第二位の経済大国に押し上げたのは過去の話になった。
今は、数年毎に他国に追い抜かれて行く。
15年の間に、円安で旅行費用が約2倍になり、インフレで賃金が低下し、日本の凋落を実感しているのは私だけではないだろう。
一度踏み止まって、振返って欲しい。
働く事は、そんなに卑屈で窮屈で、自分を殺さなければならない事なのか?
働く人の努力が足らないから、会社が儲からず、賃金は抑えられて当然なのか?
人は、もっと自由に生き、愉しんで暮らしてはいけないのか?
実は、我々は狭い島国に生き、いつの間にか、押し付けられた観念に囚われてしまっているのです。
「日本だけが20年かけて実質賃金が10%下がっている」
「日本の企業は20年かけて利益を約3倍に増やしている」
話は単純です!
現在、日本の実質賃金は低下し続けて景気は良くないが、企業利益は鰻登り。
かつて、賃金が上がりぱっなしで景気も良かった逆転の時代があった。
ここ半世紀、大企業や経営者は益々強くなる一方、個々の「働く立場」は益々弱くなっている。
「働く立場」が弱いのは自然ですが、現在のように「働く立場」の自覚を捨て、個々に分散してしまえば、救いようが無い。
本来、人が弱いわけではない。
しかし強くなれる。
一つは、「働く人」の自己主張と共同です、歴史が証明済みです。
自己主張とは、単に労働条件向上だけではなく、どんな生き方を望み、拒否するかも含みます。
今一つは、共同は対立では無く、「働く立場」と「使う立場」が対等に知恵を出し合い、社会の向上を図ることが重要です。
この事は北欧で行われています。
二つ注意があります。
今の悪化する「働く立場」は、賃金低下による需要低下で、経済の悪循環を招いています。
トランプとイーロン・マスクの登場は、米国だけでなく世界を巻き込み、「働く立場」を絶望的な状況に追い込むでしょう。
次回は、幾つかの本を取り上げ、問題点を拾い出します。
注1.トランプ政権誕生で、経済担当の筆頭イーロン・マスクによる大規模な規制緩和が行われ、労働環境を含む様々な人権軽視が始まるでしょう。これは米国共和党が目指す新自由主義の到達点になるかもしれない。