花は葉に
葉桜の影広がり来深まり来 星野立子
通院も軽装になり花は葉に 拙
桜は花が散ると葉が出始め土筆い緑が広がる。月に一度の定期検診だが、時として思いがけない検査 なども入ってくるので、二か所にいくこともあるので、一方は間隔があくので思いがけない自然の変化 に遭遇する。
葉桜の影広がり来深まり来 星野立子
通院も軽装になり花は葉に 拙
桜は花が散ると葉が出始め土筆い緑が広がる。月に一度の定期検診だが、時として思いがけない検査 なども入ってくるので、二か所にいくこともあるので、一方は間隔があくので思いがけない自然の変化 に遭遇する。
喜んでいただき光栄にぞんじます。
時が流れているのに、病状は相変わらずという意味も含めてみました。
花が散ると今まで華やかだった所が一斉に若葉でおおわれ、それもあっという間に青葉の色が濃くなってゆく。季語葉櫻は花は葉にとも詠われるが、青葉に替わった山を見てはあの花爛漫の景は夢であったかのように思われる。
星野立子の「影広がり来深まり来」という表現は、櫻若葉の色が全山に広がり、深まってくる変化を詠っている。「広がり来」、「深まり来」という畳みかけるようなリフレインンが花から葉への変化の急なる様を印象づけていると思う。
通院も軽装になり花は葉に 阿部
立子句が葉櫻の情趣を一気に詠ったのに対して、阿部句では、「通院も軽装になり」という上五・中七を取り合わせた形で「花は葉に」の情を詠った。寒い頃は着膨れて病院通いをしていたのであるが、若葉の候となると着るものが薄くなり、身も心も軽くなったような気がするのである。通院にはもともと楽しくない要素があるのだが、若葉の頃の明るい外界へ出て病院へ向かうのは気持ちが晴れ晴れするものだと思う。自分は歩行車をバスに持ち込んで通院していてこの句のような気持ちを味わっているので、わがことのように思えてならない。