休みの日は一日、時間を気にせずのんびりすごしたいけど
何せ家族の人数が減少気味のここ数年、人手が足らないので
用を済ます為にあっちこっへ行くことが多い。
その道中
例えば車の中で母親と色んな話をするのだけど
そんな時間は自分の確認ができる場になっているらしい。
一人でもそれはしているのだけど、
人との会話だとまたちがう面から確認できるというのかな?
車の中は、音楽も聴けるし風景も眺められるし
家族以外には聴かせられない秘密の話も出来るし
渋滞さえなければ居心地が良い。
茶畑の間を走っていると、夜には狸の姿も時々みられる。
昨日は昼も夜も、それぞれ用があり外出し
やっと全ての用を済ませたところで
いつもの夜景を見るため車をしばしとめホッとした。
やっと時間を気にせずにいられるその安心感。
あのビルが点滅していると、心はとっても安心するらしい。
ほんの10分。
時々、電車が長い光を走らせていく。
車両の数を数えて、あの方向へいくとどんな町があるのだろう?
君は今、元気でいるだろうか、どんな夜を見ているのだろう?
と、ふと思い空の星を見上げたりして
そしてまた家へ向かう道を走る。
向かう道は
光を感じる方へ辿って行ったら
僕が望むばしょへ
君がいるばしょへ繋がっていたらいい
日常は僕を追い越していっても
その風景は僕にとっての安心感
点滅する光は
『ここにいるよ』
頬笑みの合図