4月12日、日曜日。
午前2時03分。
多分、曇り。(数時間前は)
時々、自分が投稿したブログを
この携帯の送信履歴で読み返してみるのだけど
誤字脱字がヒドイですね?
葉が歯に なっていたりとか…人間そのままに間抜けな文になっています。(>_<)
突然ですけど…
今夜は、真面目な
真剣な話を書こうと思います。
もしも、『そんな話、かったるいし、暗い気分になるのはイヤだなぁ~』
…という方がいらっしゃったら、すみませんが
これより先は読まない方が
良いかも知れないです。m(_ _;)m
そんな内容は書きたくはないけど
いつも、心の中のことを
正直に書いている(つもり)ブログなのですけど
たった今
書きたくないことで頭がいっぱいに覆われてしまっているようです。
いつもの感じで
草花がとか身の回りの何気ないことをのんきに
誤字脱字まじりに書けなくなっているようで…
すみません。(ノ_<)
今日は、鬱憤の吐露…のような感じになると思います。
みっともないと思います。m(_ _)m
世界とか、日本とか
人それぞれの境遇の中で
色んな生活の中で
さまざまな毎日を
1人1人が1つずつ、悲喜こもごも
多かれ少なかれ背負いながら暮らしていると思います。
真逆の運命の中を生きていたり
違う価値観で生きていたり
その人にとっての常識がある人には非常識だったり、
世界は何とも沢山の個性で溢れていて
色んな人がいます。
職場でも思うし、ブログの世界でも、電車の中でも
社会でも思います。
なんて、書き始めましたが
僕はただ何だか哀しいのです。
男も女も関係ない、
その人の行いが仄かに哀しいなって。
『人』は、自我を抱え
自我が欲しがる、また『自我』というものに呑まれ
自らが映る鏡を見つめることを
ある感情により放棄してしまう。
思い込み、勘違い、嫉妬、劣等感。
等、どんな人でも、誰もが持っている感情により
鏡を見つめることを忘れてしまうのか?
その人が既に
世間でいう幸せのカテゴリーにいたとしても
その気持ちに囚われている限り
その人は、その人のカテゴリーから抜け出せないのではないか?
僕は、何度も書いているけど
恥ずかしながら
結婚もしてないし
子供もいないし
恋人だっていない。
しかもかなりずっと…それが何か?ですけど(>_<)
おまけに、地位も名誉もお金もない。
家族は僕よりずっと年上の家族の
体の方が心配でたまらない毎日です。
旅行なんて、いつ行ったか記憶にないくらい
ずっと行っていない。
唯一の小旅行(もちろん日帰り)は
最後に行ったのは
いつも行く町でのフリーライブです。
遠くまで行く余裕はない僕は
いつもの町や、近隣の町へ行けたら御の字なのです。(>_<)
そんな、全てにおいて
ないないずくしの僕だけれど
辛いことや、哀しいこと、悔しいことはあるけど
自分はそれでも『幸福だ』と思っています。
だから、哀しく思わせないでほしい。
悔しいと思わせないでほしい。
羨ましいと、心底、思わせてほしい。
哀しくさせないでほしい。
光のように少しずつ
なって
苦しませないでほしいのです。
『瞳』
そんなに好きな人ならば
そんなに好きな事ならば
そんなに欲しいのならば
声を掛けて
仲良くなって
誘ってみて
会いに行きなよ
まずは友達からでもいい
仲間でもいい
相談相手でもいい
同じ空間で
息をしてみるといい
瞳を見て確認すること
目は口ほどにものを言う
そんな言葉、あったね?
目に見えないものは大切だけど
目に見えない『人』ならば
会って、その瞳を見つめることを
それが
全てのはじまり
*
午前2時03分。
多分、曇り。(数時間前は)
時々、自分が投稿したブログを
この携帯の送信履歴で読み返してみるのだけど
誤字脱字がヒドイですね?
葉が歯に なっていたりとか…人間そのままに間抜けな文になっています。(>_<)
突然ですけど…
今夜は、真面目な
真剣な話を書こうと思います。
もしも、『そんな話、かったるいし、暗い気分になるのはイヤだなぁ~』
…という方がいらっしゃったら、すみませんが
これより先は読まない方が
良いかも知れないです。m(_ _;)m
そんな内容は書きたくはないけど
いつも、心の中のことを
正直に書いている(つもり)ブログなのですけど
たった今
書きたくないことで頭がいっぱいに覆われてしまっているようです。
いつもの感じで
草花がとか身の回りの何気ないことをのんきに
誤字脱字まじりに書けなくなっているようで…
すみません。(ノ_<)
今日は、鬱憤の吐露…のような感じになると思います。
みっともないと思います。m(_ _)m
世界とか、日本とか
人それぞれの境遇の中で
色んな生活の中で
さまざまな毎日を
1人1人が1つずつ、悲喜こもごも
多かれ少なかれ背負いながら暮らしていると思います。
真逆の運命の中を生きていたり
違う価値観で生きていたり
その人にとっての常識がある人には非常識だったり、
世界は何とも沢山の個性で溢れていて
色んな人がいます。
職場でも思うし、ブログの世界でも、電車の中でも
社会でも思います。
なんて、書き始めましたが
僕はただ何だか哀しいのです。
男も女も関係ない、
その人の行いが仄かに哀しいなって。
『人』は、自我を抱え
自我が欲しがる、また『自我』というものに呑まれ
自らが映る鏡を見つめることを
ある感情により放棄してしまう。
思い込み、勘違い、嫉妬、劣等感。
等、どんな人でも、誰もが持っている感情により
鏡を見つめることを忘れてしまうのか?
その人が既に
世間でいう幸せのカテゴリーにいたとしても
その気持ちに囚われている限り
その人は、その人のカテゴリーから抜け出せないのではないか?
僕は、何度も書いているけど
恥ずかしながら
結婚もしてないし
子供もいないし
恋人だっていない。
しかもかなりずっと…それが何か?ですけど(>_<)
おまけに、地位も名誉もお金もない。
家族は僕よりずっと年上の家族の
体の方が心配でたまらない毎日です。
旅行なんて、いつ行ったか記憶にないくらい
ずっと行っていない。
唯一の小旅行(もちろん日帰り)は
最後に行ったのは
いつも行く町でのフリーライブです。
遠くまで行く余裕はない僕は
いつもの町や、近隣の町へ行けたら御の字なのです。(>_<)
そんな、全てにおいて
ないないずくしの僕だけれど
辛いことや、哀しいこと、悔しいことはあるけど
自分はそれでも『幸福だ』と思っています。
だから、哀しく思わせないでほしい。
悔しいと思わせないでほしい。
羨ましいと、心底、思わせてほしい。
哀しくさせないでほしい。
光のように少しずつ
なって
苦しませないでほしいのです。
『瞳』
そんなに好きな人ならば
そんなに好きな事ならば
そんなに欲しいのならば
声を掛けて
仲良くなって
誘ってみて
会いに行きなよ
まずは友達からでもいい
仲間でもいい
相談相手でもいい
同じ空間で
息をしてみるといい
瞳を見て確認すること
目は口ほどにものを言う
そんな言葉、あったね?
目に見えないものは大切だけど
目に見えない『人』ならば
会って、その瞳を見つめることを
それが
全てのはじまり
*