新入社員さんは教えてもらうことが最初の仕事だから、メモは当たり前で、わからなかったことはすぐに聞く。
一番最初のお仕事ですね。
あっ、一番大切なのは大きな声であいさつをする、話す。
上司とのコミュニケーションのときも、素直に教えてくださいモードなら、部活の監督ほどは怖くないからw
新入社員さんは教えてもらうことが最初の仕事だから、メモは当たり前で、わからなかったことはすぐに聞く。
一番最初のお仕事ですね。
あっ、一番大切なのは大きな声であいさつをする、話す。
上司とのコミュニケーションのときも、素直に教えてくださいモードなら、部活の監督ほどは怖くないからw
だらだら書いてきたけど、このブログを始めたきっかけは、「あーちゃん」とダブルワーク。
もう、私のもとには両方ないからタイトルを変えなじゃね。
まー。悲しみは、一時期収まって再びやってくる。
再び来た時の方が、重い日がある。
家具をいろいろ変えて気分転換しても、このおうちで暮らしたんだから、思い出はいっぱいだよ。
今日、私は髪を30センチ以上、切りました。 あーちゃんに触れていた髪も。
もう、いいがげん立ち直らなきゃいけないのに、ベッドに入って思い出して泣きました。
それで、眠れなくなった。眠剤飲んでるのに・・・。
もう、にゃんこは飼えないのに。
会社に来る地域猫←なつかない。あとはスズメ。この子たちの存在は大きかった。これがなかったら、心がバッサバッサのままだったよ。
ダブルワークしていたとこの、有給消化分の給与が入金されました。あら?
予想より少ない。まぁ、アルバイトが有給を使ってやめるのだから、少ない勤務時間で申請されたのでしょう。
あーちゃん。
きちんとしてあげたくて、亡くなった次の日に火葬しました。
にゃんこを飼っているいる知り合いは業者にそのまま、お任せしました。
なんだか、そこは葬儀屋さんで「家の前でお別れしたほうがいいですよ」って言われたみたい。私も調べたけれどそうゆうのは人間用の火葬場の火で焼くらしくて、それは絶対に嫌だったから、ペット専用の火葬を頼みました。
通っていた動物病院から初七日の花が届きました。
評判のいい病院です。平日、休日なく時間内なら診ていただけるところ。
あーちゃんが亡くなったとき、ペット葬儀業者を探すと大手スーパーと提携しているとこが出てる。電話するとぐいぐい。
こっちは悲しくて、本当はすぐに火葬したくないのに今ならこの時間が空いてます。とか言われちゃって。
病院へ報告と相談をしたら、ペット霊園を紹介していただきました。
あーちゃんを連れて行くと、病院から花が送られていました。
葬儀をして火葬してお骨をひろい、その時はそれで精一杯。
帰りに、写真立てを購入して・・・。
あーちゃんを亡くしてみて思うことはたくさんあって、これから猫を飼う人に参考にしてほしいです。
人の食べ物はあげない。
適正体重を管理する(個体差はある)
こまめに病院に行く。
あーちゃんに人が食べるものはほとんどあげなかったから、慢性腎不全で逝くとは思ってなかった。
ペットロス中です。
昨夜、書いたことに少し間違いがあったので訂正。
最初に下痢をした時は、仕事が終わってから病院に行った。九月下旬。
早退して病院に行ったのは、体調が悪くなってから、最初に便秘で。
あーちゃんは、まだそばに居ます。
毎日、補液をするのがつらかったと思います。でも補液をしたら元気になると自分でもわかっていたようで・・・。
少し短気になっていたのに、補液は受け入れてくれました。
注射針でも人とは違うとても太い針。布団針のよう・・・。毎日、痛かったね。ごめんね。
病気がわかって、調べたら余命は短かった。
でも、なんか「このままでもまだ長生きしてくれる」この補液を続ければ大丈夫だと思ってました。
実際、同じ病気で5年も補液をしている子がいると先生から聞いたので、あーちゃんなら大丈夫だと思ってました。
夜のバイトは一か月休ませていただいて、毎日病院へ行って補液から自宅での補液に。通院も週に一回から二週間に一回へと順調にいってると思っていたのです。
補液は治療ではないので、治るわけではないのは理解していました。
体重を維持するための、嗜好性の高い腎臓病用のごはんはよく食べてくれました。元気になったのかと思うぐらい。
でも体重は元気なころの半分。もともと体格がいいから普通の猫ちゃんよりは大きいけど、骨太なのに普通の体重になちゃったので、やつれてて。最期は5キロあるかないか。でも体重が多かったのが救いだと最初に病院で言われました。
一月、中旬。食欲がなくなってしまいました。いつもは私たちの食卓へきて「なに自分らだけ美味しそうなの食べてんの」「おやつー」って言ってたのに、全く興味を示さなくなって・・・。病院に連れて行きました。
「あー」と先生が。やっぱりごはんが食べられなくなるのがいけないみたい。
胃腸薬は飲ませていたけど、それは胃腸の動きをよくしたら食欲が戻る薬。効果はあった。でも、それも効かなくなった。
それで、人の精神病に用いられる薬を飲ませようと。
食欲は戻りますが、にゃーにゃーと騒ぐかもしれません。鬱に効く薬です。どうしますか?
私たちは、元気なころのようにがっつりご飯を食べるあーちゃんに戻ってほしいので、その薬を飲ませることにしました。
それはきっかけつくりのようなものなので、一回だけです。
その夜、すぐに薬を飲ませました。
私たちが食事をしていると、食卓に来ます。大きな声で催促します。いっぱい甘えてすりすりを思いきりします。
足はよたよたなのに、頑張って甘えてくれます。嬉しかったです。
でも、もう遅かったのでしょう。
私も体調を壊して、昼も夜も仕事を休んで一日中あーちゃんと一緒に居ました。人にだっこされるのが嫌いで膝にも乗らない猫。でもたまにお腹に乗っかってくる子。そんなあーちゃんが、しんどくて寝てる私の上で寝る。幸せでした。体調悪くなってよかったと今も思ってます。
あーちゃんは1月20日午後10時過ぎに逝きました。旦那さんと私がずっとそばで、あーちゃんに触れていました。
意識が遠のくように、ほぼ苦しまず逝きました。
私は、いま生きる気力というかなにか・・・なくしてます。
夫、言葉には出さないけど、いろいろ気を使ってくれてる?気がする。
ありがとう。
なんやかんやで仲良くインフルエンザかかったしね。
しんどかった。まだしんどいんだけど。
今も傍に居ます。
でも、触ることも声を聴くことも出来なくなりました。
昨年から食欲がなくて、心配はしていたのだけれども「歳をとったからかね?」と。
便秘で病院に連れて行って行くと獣医さんが引くほど嫌がるから、よっぽどじゃないと病院へ行かなかった。
まだ、若いうちは耳に何か出来てるとか、去勢で行ったけど、便秘の摘便はそうとう嫌だったろうね。
でも、
でもね、もっと病院に行っておけばよかった。
そしたら、もう少し長く一緒に居てくれたんじゃないかと・・・。
ここに、書き始めたのはあーちゃんが便秘で旦那さんが病院に連れて行ったのがきっかけだったと思う。
その日はうんち出てなかったけど、まだ焦るほどしんどそうじゃなくて、夜のバイトに行って仕事終わって帰ったら、自宅前で社用車の旦那さんと遭遇。旦那さんは怒ってた。「お前よくこんな状況であーちゃんを・・・」
「え?」
いつもそう、我慢してるんだよね。
お腹が空いたと、おやつが欲しいは我慢が難しかったけどね。
そんなあーちゃんが、大好きな週に一度の缶詰を残す・・・。この時に病院に行っておけばもう少し
もう少しは・・・。
夏、夏バテかな?食事の量が減っていって、便秘用の療養食に飽きたのかと栄養が豊富だろうなとおやつを与えていたのです。食事に混ぜて。まぁ、おやつの方をちょっと食べて残す。
何年も毎日、夜のバイトがあるときはあーちゃんのトイレの報告をうんち①しっこ②とかで、旦那さんに報告してました。
でも、うんちをしなくなります。もともと便秘の子。病院へは電話で三日便秘なのですがと相談しました。しんどそうなら連れてきてください、ご飯が食べれるようだったら大丈夫。
うちの子、私に似てます。しんどくても食べます。
9月、朝から嘔吐。猫はよく吐きます。でも、いつもとは違う。
お昼やすみに帰ると・・・下痢をしたことがない子がそそうをしていて・・・。会社を早退させてもらって病院へ・・・。
ちょっと、ここからは書くのがつらい。
多分、最後に病院へ連れて行ったのは3年前?。
先生は、血液検査の結果「慢性腎不全ステージ4」と。表情は私たちを責めているようでした。
その日は病院で補液をしてもらいましたが、もう治癒することがない病になってしまったことを悔やみました。
病院で聞いたときは我慢してたけれど、寝るときに、ほらあるじゃないですか今日のこと考える。
急にぎゅって心が苦しくなって、涙よりも
ヒックヒックて。
病院から家に戻って、体を洗ってあげて。補液のおかげで少し元気になって。
それから、毎日病院へ通う。毎日、補液をするために。
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