汗と涙の着物生活 

突如着物に目覚め、ついに着物作成に挑戦。着付けに涙し、とどまらぬ物欲に冷や汗の毎日。

長く着ることを前提とした着物

2009-11-03 | 考えたこと
自分で縫って、着物の構造を知り、改めて着物ってエコにできているのだな、と感じた。
「エコ」、つまり長いこと着られる、リサイクル可能であるという意味だ。
それは、もしかしたら日本人のメンタリティに根ざしているのではないかと感じている。

■長持ちする着物

よく言われることだが、洋服に比べて着物は長く着られる。実際、代々と受け継がれることが多い。私も祖母のものという着物を持っているが、洋服なら考えられないことだ(欧米では宝石にあたるのかな?)。
着物は、もともとそれを可能にするようにできているのだ。

(1)布の余りが出ない
もちろん、長い時代の変遷で変化はあったものの、基本的には袖、身頃、衿といった各パーツは、一枚の長方形の布の組み合わせで成りたっている。折りたたむと、ぺたんと一つの長方形になる。
また、基本的にどんな体型の人でも一人分の布の分量は同じ。一反は、約13m×約35cmの長い長方形の布。ここから袖二枚、身頃二枚、えり二枚、オクミ(前身頃とえりとつなぐ部分)二枚をとる。

一方、洋服はもっと造形的で、体の厚みに対応し、かつ、理想的なボディラインになるような工夫が施されている。したがって、しまうときは折りたたむわけにいかず、その造形的ラインを崩さないようにハンガーにかけることが基本となる。布も幅はともかく、身長にあわせて適当な長さを裁つ。

全パーツが長方形から成る着物は、その結果、裁ちあがった時に布の余りがほとんど出ない。余っても長方形の布が残るのみ。体型に合わせて布を組み合わせ、寸法は縫い代などで調整する。洋服は体の曲線にあわせるのでカーブを使って断つから、その分はぎれが出る。


(2)縫い直しが容易な構造
洋服は、体にフィットさせる構造であるため、その体のサイズが変わってしまうと前の服は着られなくなる。ところが、着物は直して着続けられる構造になっている。
たとえば、「あげ」。子供の着物などには良く使われているが、腰や肩の部分を予め大き目の寸法にしておき、余った分を折りたたんで縫いこんでおく。大きくなったらそれをほどいていく。

同じような作りは大人の着物にもあり、たとえば腰の部分のあげは、母親が、自分よりも背の高い娘が着るときのために自分の着物をしたてるときに、あえて上げをとっておくというのは、よく聞くことだ。
もちろん、着物も着る人の体にあわせて縫っていくのだが、そのときに長方形のパーツの布は、体の大きさに合わせて裁ってしまうのではなく、基本的には余った分は内側の縫い代としてとっておく。つまり、150cmの人も160cmの人も,着物はパーツにばらしてしまうと、そのパーツは同じ大きさなのだ。どこで縫い合わせているかによって寸法を調整する。これなら、他人様に差し上げても容易に大きさを調整できるのだ。

(3)布が汚れても傷んでも着られる
祖母の着物を直しに出したとき、汚れてどうしようもないだろうと思っていた上前の衿部分がきれいになって戻ってきた。実は着物は汚れたり痛んだりしやすい部分を取り替えることができる構造になっている。
たとえば、衿は「掛け衿」といって、本体の衿に上からカバーをかけるような作りなのである。時代劇の町娘が衿だけ黒い生地になっている着物を着ているが、あの黒生地部分が「掛け衿」だ。(写真参照:うつみみどりさんのブログから借用)
江戸時代から戦前あたりまでは汚れがより目立たないように黒い生地を宛てていたらしいが、今では本体と同じ生地でカバーするのが普通になっている。
これが傷んでくると、黒生地であれば別の生地を掛けかえたり、共衿の場合は傷みのない地衿の部分と取り替えてはぎ直したりといった具合に、汚れやすい衿は取り替えて長く着られるように工夫されているのだ。

さらに、着物はパーツパーツが長方形なので、古くなっても傷んでいない部分は他のものに転用しやすい。羽織や帯といったものはもちろん、昔は布団や座布団に転用したという。

こうした工夫で長く着られるようにした背景には、昔は布そのものがすべて手作りで手間がかかって貴重なものだったということがあるだろう。
でも・・・なぜ着物だけがこうした長く着続ける工夫がなされ、洋服には見られないのだろうか?(もしかしたら私が知らないだけかもしれないが)
私の妄想は勝手に膨らむのだった・・・。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。