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12月4日の祈祷会の内容です。

2024-12-03 20:04:00 | 日記
祈祷会      士師記18:1~20「ダン族の移動から」    2024.12.4

 士師記17章~21章は、士師のいない時代のことが書かれてあります。その様子は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」(士師記17:6)と、ある通りです。それまでは士師たちによって、イスラエルの人々は導かれていました。以前には、ヨシュア、モーセなどの力強いリーダーがいました。そのような神の教えを語り導くリーダーがいなくて、それぞれが自分の目に正しいことを勝手にやっていたということです。

 士師記17章では、エフライムの山地にミカという男が登場してきます。ミカの母親は、ミカのために彫像と鋳像を造ってもらおうとして、銀200シェケルで銀細工人に渡し造ってもらいました。ミカの家には彫像と鋳像が置いてありました。また、ミカの家には神殿があって、エフォドとテラフィムを造って、自分の息子を祭司にしていました。そこに、若いレビ人がやって来ます。ミカはそのレビ人に、自分があなたを養いますから、父となり、祭司となってくださいとお願いして、ミカはこの若いレビ人を自分の家の祭司にしたのです。すると、ミカは「レビ人がわたしの祭司になったのだから、今や主がわたしを幸せにしてくださることが分かった」といって、喜んでいます。

士師記18章では、ダン族の移動のことが書かれてあります。ダン族の土地の割り当てについては、ヨシュア記19:40~48に書かれてあります。そこには、ダン族の人々は一度、土地は奪われましたが、攻めてこれを占領し、剣を持って住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだとあります。ですから、すでに土地を手に入れていたと思います。しかし、この士師記18章では、ダン族は住み着くための嗣業の土地を捜し求めていたとあります。その頃まではダン族は、イスラエルの諸部族の中で嗣業の土地が割り当てられなかったからとなっています。手に入れていた土地を奪われてしまったのでしょうか。詳細は分かりませんが、新たに自分たちの住む土地を捜す必要があったのです。

 ダンの人々は、土地を探り、調べるために自分たちの中から勇士5人を自分のところから遣わして「行って、土地を調べよ」といいました。そこで、5人はエフライムの山地のミカの家まで来て、そこで一夜を過ごします。5人はミカの家の近くに来て、あの若いレビ人の声がするのを気づいて立ち寄ります。そこで、「誰があなたをここに連れて来たのか。あなたはここで何をしているのか。ここでのあなたの務めは何か」と尋ねます。レビ人は「自分はミカに雇われて、ミカの祭司になった」と答えました。5人はそのレビ人に聞きます。「我々が進めている旅がうまくいくかどうか知りたいのだが、神に問うていただきたい」と聞きます。祭司は「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」と励ましています。5人は、自分たちの行動の正しさを心配して、ミカの家の祭司に聞いたのでしょう。聞いて安心して、5人は旅を進めていったのです。

 5人はライシュに着きます。その地の人々は、静かに、また穏やかに安らかな日々を送っているのを見ました。その地は人をさげすんで権力を握る者は全くなく、周りの人々からも遠く離れていて、どの人間とも交渉がなかったというのです。そのような土地があるのかと不思議に思いますが、そうだったのでしょう。5人はダン族のもとに帰ります。人々が「どうだった」と聞きますと、5人は「彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。ためらわず出発して、あの土地を手に入れるべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな人々の所に行くことができる。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ」といっています。とにかく素晴らしい土地だというのです。

 ダン族600人は武器を身に帯び、出発して、上って行って、ユダの地に陣を敷きます。600人はミカの家までやって来ます。ライシュの地を巡り歩いた5人が600人にいいます。「この建物の中にエフォドとテラフィム、彫像と鋳像があるのを知っていますか。今、どうすべきか決めてください」と。5人はミカの家に向かうことにしました。若いレビ人の家、ミカの家に入り、変わりはないかと尋ねます。武器を帯びた600人は、家の門の入り口に立たせておきます。5人は、ミカの家に入り込み、彫像、鋳像、エフォド、テラフィムを奪います。その時、祭司は「何をするのか」といいましたが、5人は「口を手に当てて、一緒に来てください。わたしたちの父となり、祭司になってください。1個人の家の祭司であるよりも、イスラエルの1部族、ダン族の祭司である方がいいのではありませんか」といいます。祭司はこれを快く受け入れ、エフォド、テラフィム、彫像を取って、このダン族に加わっていきます。

 その後は、ダン族の人々は、ライシュを襲い、その静かで穏やかな人々を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼きました。ライシュの人々を助ける者はなかったのです。他のどの人間とも交渉することがなかったからでした。ダン族は、その町を再建して住み着き、その町をダンと名付けたのです。元の町の名はライシュでした。ダン族は自分たちが拝むためにミカの彫像を立てることにしました。こうして、神殿がシロにあった間、ずっとダン族はミカの造った彫像を保っていたということになります。それはソロモンの時代まで続いたということになります。ソロモンの時代に、エルサレムに神殿が建てられたのです。

 イスラエルの人々は、この時代、神を信じているといいながら、自分たちの目に正しいとすることを行っていました。現在の私たちはどうでしょうか。神を信じて生きていると思いながら、自分の思いを優先していることがあるのかもしれません。この聖書の箇所を読みながら、自分たちの神への信仰を考えるきっかけとしたいと思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。士師記の学びの中に、神を信じているとしながら、一方では、自分たちの目に正しいとすることを行っている姿を見ることができました。神のご意志から離れている姿がそこにはありました。人間の弱さがそのようにさせるのでしょうか。私たち自身の信仰を振り返る時も必要なことだと思います。自分の思いではなく、あなたの御心を求めて生きる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)