私は全く興味はありませんでした
が古事記や日本書紀の事を最近は
暇な時間がある時にユーチューブ、wikipedia等で調べる事が多くなり
ました。そのせいか学会の専門家
の間で主流である畿内説よりも、
九州でしかあり得ないと思います。
邪馬台国の卑弥呼がどういう性格
の指導者であったのか、その後に
畿内地方で成立したヤマト王権と
の関係は想像するしか現時点では
ないのだろうと思いました。
記紀に描かれた日向に天孫降臨し
た神様の子孫である初代神武天皇
が東征して大和に王権を確立する
という歴史と、古事記で語られた
出雲の国譲り記述をどう理解する
のかというのは研究者の思想性も
影響して興味深いです。但し中国
の魏志倭人伝に描かれた邪馬台国
や卑弥呼の内容からは九州のどこ
かであるというのが自然な理解だ
と思います。纏向遺跡がヤマトの
王権の出発点であると云う事は確
かな事であるようです。箸墓古墳
は陵墓と指定され宮内庁によって
発掘調査が制限されているそうで
すが、これでは確かな歴史研究が
停滞してしまい残念です。古代史
は確実な証拠が出ない限り断定的
な事が言えない為に邪馬台国論争
のような論争が生じ商売にもなる
のでしょうが、詳細に研究するべ
き陵墓がありながら発掘調査が
出来ないというのは実におかしな
事だと思います。天皇のルーツが
何処なのかは骨がひと欠片もあれ
ばDNAから調べる事が出来る時代
です。卑弥呼の墓であれば科学的
な解明も可能です。
日本の歴史上の為政者達のやり方
を見るとリーダーの神格化という
のは常套手段で日本人はこういう
統治に弱いという特徴があります。
日本列島という島国の地政学的に
は閉鎖された環境で培われてきた、
他の諸外国ではない特質なのでし
ょうが、それを伝統だとか民族性
と言うのは視点が狭いと思います。
私も70年生きてきましたが、それ
までには弥生時代の卑弥呼の時代
も含め長い人類史の生きた証人な
訳です。自分の祖先がその頃は何
をしていたのか、何者だったのか
想像してしまいます。お寺にある
自分の家の過去帳などはせいぜい
文字が普及した平安時代程度しか
辿れないですし信憑性も不明です。
そういう意味で万世一系と言われ
る天皇の人類学的な研究は日本人
全体にとって大変重要な事だと思
います。科学技術によって云われ
てきたのとは違う事や、予期せぬ
事実が判明したとしても何も国民
にとって不都合はありません。