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先日、所用で上野に行きましたが、せっかく駒沢から上野まで行くのなら、と、時間を多めに取って、久しぶりに東京国立博物館(以下「東博」)に赴き、贅沢な時間を過ごして来ました。館内の所蔵品は、常設展については、撮影禁止の表示があるもの以外は写真を撮ってもいいことになっているので、今回いろいろと撮って来たうち、仏教に関係あるものを何点かここに紹介します。
これは東博の東洋館に何点か所蔵されているガンダーラ仏のうち、「菩薩交脚像」と呼ばれているものです。私は学生の頃から東博のガンダーラ仏のファンで、東博の本館や平成館でなにか特別展がある時には、必ず東洋館にも寄って、仏様たちにご挨拶して来ます。
釈尊入滅後、500年ほどの間は仏像が作られることはありませんでしたが、紀元1世紀、中央アジアのイラン系遊牧民といわれるクシャーナ人(クシャン人)がヒンドゥークシュ山脈を越えて南下しクシャーナ朝を立て、時を経て、ゾロアスター教を奉じていた彼らが、現在のインド北部やパキスタンに広まっていた仏教に帰依するようになり、西方の文化の影響のもと、仏像を製作し始めるに至りました。2世紀のカニシカ王の治世の時にクシャーナ朝は絶頂期を迎え、現在のパキスタン北部、ガンダーラ近辺では多くの仏像が生まれましたが、これはその頃に作られた一品で、中国や日本の仏像とはまったく異なる、西洋風の彫りの深い顔が印象的です。
これは東博の東洋館に何点か所蔵されているガンダーラ仏のうち、「菩薩交脚像」と呼ばれているものです。私は学生の頃から東博のガンダーラ仏のファンで、東博の本館や平成館でなにか特別展がある時には、必ず東洋館にも寄って、仏様たちにご挨拶して来ます。
釈尊入滅後、500年ほどの間は仏像が作られることはありませんでしたが、紀元1世紀、中央アジアのイラン系遊牧民といわれるクシャーナ人(クシャン人)がヒンドゥークシュ山脈を越えて南下しクシャーナ朝を立て、時を経て、ゾロアスター教を奉じていた彼らが、現在のインド北部やパキスタンに広まっていた仏教に帰依するようになり、西方の文化の影響のもと、仏像を製作し始めるに至りました。2世紀のカニシカ王の治世の時にクシャーナ朝は絶頂期を迎え、現在のパキスタン北部、ガンダーラ近辺では多くの仏像が生まれましたが、これはその頃に作られた一品で、中国や日本の仏像とはまったく異なる、西洋風の彫りの深い顔が印象的です。