そうかん日誌 ~Du 11eme arrondissement de Paris

タイトルを「りょうかん日誌」から「そうかん日誌」に変更しました。

柳はヴェール 花はルージュ(2)<フランス禅道尼苑にて>

2017-04-23 | Weblog
(写真は禅道尼苑の浄人チームが私の送別会を開いてくれた際のスナップ)

柳はヴェール 花はルージュ -欧州研修安居雑感- (2)(フランス編)


電車の中で

 ヨーロッパの鉄道旅行では、どの時期でも満席ということはほとんどなく、予約を入れなくてもらくらく座れるのが常、とモノの本には書いてあるのだが、この日はどうも勝手が違った。8月の日曜日ということもあってか、パリ発トゥール行きは満員御礼で、私はバックパッカー達と一緒に、車両連結部のデッキの一隅にスーツケースを置き、その上に腰掛けて、目的地の駅まで1時間半ほど揺られて行くことになった。
 腰掛けていた私などは、まだしも上品な居ずまいというべきで、居合わせた8,9人の若者は皆、狭いスペースに荷物を下ろし、窮屈そうに座り込んでいる。全員が座り込むのにギリギリの広さなので、デッキを通過する人があると、みんな立ち上がらなければならない。たまたま同じ電車に乗り合わせ、狭いスペースに押し込められた国籍の異なる10人が、1人の人を通すために一斉に立ったり座ったりの共同作業をする、というのもヨーロッパならでは。皆、いやな顔もしないで、自然に立ち上がるのも好感が持てる。
 聴くともなく彼らの話を聴いていると、6人ほどはイタリアの高校生、2人はドイツの大学生、1人はスイスの女子大生らしい。こんなところでもお国柄というものはどうしても出るもので、イタリアのグループは終始陽気に喋り続け、ドイツの2人は友人同士だろうに、膝を抱えたまま、ほとんど話らしい話をしない。私は国民性の類型化、典型化といったことをあまり好まないが、これを頭に置いておくと、ヨーロッパの旅が幾分かスムーズに運ぶのは確かである。
 高校生達は、話の合間に、ちらり、ちらりと、この異形の東洋人の方を窺うのだが、私と目が合った瞬間、とうとうひとりのイタリア娘の好奇心が弾けとんだ。
「あの、どこの国の方ですか? その服装は一体何ですか?」
 聞きようによっては随分不躾な質問だが、ただジロジロ見られているよりは、こういう具合に率直に疑問をぶつけてもらった方がよほど気持ちがいい。
 しかし、これはもっともな質問で、こちらで長作務衣を着て歩いていると、日本人でも私が何者なのかわからないことがあるらしい。だが、彼らは困惑したようにちらちら視線を投げてくるばかりで、私に「日本の方ですか?」と尋ねて来ることはない。
 私は日本人です。この服装はね・・。

禅道尼苑に着いて

 列車が、目的地であるパリの南西170kmのブロワ駅に到着した。
 禅道尼苑は、最近、日本でもお城巡りのコースのひとつとして有名になっているこの街から、車で20分ほどの森の中にある坐禅道場である。「ゼンドウニエン」という風変わりな名前は、ここの地名である「ラ・ジャンドロニエール」に因むものであるという。故弟子丸泰仙老師の開創になるこの道場は、年数回、大規模な摂心を催し、世界各国から大勢の参加者を集めている。
 料金を気にしながら、タクシーで道場の本館前に乗りつけると、禅道尼苑の運営母体、国際禅協会の代表のひとりであるロラン・レシュ師がにこやかに出迎えてくださった。建物を案内して頂きながら、いろいろな人に紹介されたが、とても一度では覚えきれない。
 私が着いた時点での摂心の参加者は、フランス人、ドイツ人を中心に百数十人だったが、予想外なことに、中に日本人が2人、関さんという日本の高校の先生と、ノブコさんという裏千家の先生がおられた。こちらで結婚されたノブコさんは、ここ数年、参加者への日本文化紹介のために摂心に招待されているとのことである。
 夕食時、全員が食堂に集まったところでレシュ師に私の紹介をして頂いた。軽いどよめきとともに拍手が起こり、広がっていった。晴れがましいような面映ゆいような気がするが、これも私が祖山の雲衲なればこそのこと。この拍手を裏切るようなことがあってはなるまい。ひとつ気合いを入れてかからなければ。

ゴドウ老師のクセン


 弟子丸老師が遷化されて以来、メートゥル(師)は彼のみ、という意味合いから、禅道尼苑には堂頭が置かれていない。組織の運営はスタッフによる合議制になっている。さらにこのスタッフの中から、今摂心はレシュ師を含む4人のゴドウ(後堂)が選出され、5旬の期間中、一人、1、2旬ずつ責任をもって師家の役割を果たす。
 1旬毎に参加者が入れ替わり、それに伴い、多数派の国籍も変わるわけだが、坐禅中のゴドウのフランス語のクセン(口宣)にもこれに合わせて通訳が付く。この時はドイツ語だった。
 私の乏しいフランス語の能力では、口宣の内容は半分もわからないし、ドイツ語はまるで解さないから、折角のお二人の語り声も、時々禅堂に吹き渡るすず風のように、右から左へ抜けて行く。
 常々思うことだが、通訳に限らず、ある言語を他の言語に変換するというのは、実は大変困難で危うい仕事である。
 まず訳語の設定に注意を要する。この随筆の表題に例をとれば、「ヴェール」(vert)というフランス語は「緑」を意味するから、「柳はヴェール」といえば「柳は緑」をひねったものには違いなく、そう解釈してこの場合問題はない。しかし、「ヴェール」には「蒼ざめた」という意味があったり、「緑」には「緑の黒髪」という成句があったりして、この2語は1対1の対応をしていない。「緑色の」という意味は共通部分でしかなく、各々の単語は異なる背景を持っている。
 これが文章となると、2単語の異なった背景とは別に、その言語独特の発想、言い回しといったものが加わり、更に認識の同一化を妨げる。「木で鼻をくくる」や「おととい来やがれ」を逐語訳しただけで、その正確な意味が伝えられるだろうか。これは意訳によるほかどうしようもない。
 これらのことから、例えば単純な事実の描写程度のことでも、他言語に変換した場合、微細ながらも多くの認識上の相違が予想される。ましてや思想や宗教、哲学や文学作品を翻訳するとなればどうか。完全な翻訳というものは存在し得るのか。
 ある文章なり論旨なりを余すところなく理解するには、その言語に習熟するのが最良の方法だろうが、そうでない場合、つまり生半可に外国語が出来たり、翻訳を読んだり、通訳を通したりする際には、以上のようなことを常に心に留めておく必要がある。
 とはいうものの、これは『厳密にいうと』であって、実際の会話に限っていえば、例えば「腹がへった」や「私は海老がきらいです」は、どの言葉に訳してもそうそいう意味を取り違えられることはないだろうし、外国人が彼、または彼女にとっての外国語で一生懸命会話している場合、普通の人なら「忍耐と寛容」というファジー機構付きの緩衝装置を働かせてくれるから、意思の疎通にそれほど大規模な障害は生じない。そうでなければ、私が今こうして3ヶ月のひとり旅の末、無事に日本にいることの説明がつかない。ありがたい、ありがたい。

浄人チームのこと


 私が着いて4日目は、摂心2旬目の最終日にあたり、翌日に参加者の大多数が入れ替わった。ドイツ勢に代わって、今度はスペイン勢の到来である。若い人が多く、女性も目立つ。所帯も250人に膨れあがった。
 私の希望で、この10日間は浄人の班に入れて頂くことになった。メンバーはひとつのチームとして、10日間は交替しない。編成はスペイン4、フランス3,イギリス1、オランダ1、そして私、という10人の混成部隊である。禅道尼苑滞在中は、この人達と最も親しくなった。
 禅道尼苑には応量器展鉢はなく、3度の食事は大きな食堂のテーブルでとられる。私達の仕事は、浄人というよりはウエイターのそれに近く、各々の受け持ちのテーブルに食器をセットし、食事の進行に合わせて料理を運ぶというものである。やはりお国柄で、料理は質素といえども、前菜、メイン、デザートと分けて供され、しかも1人で2、30人を受け持つので結構忙しい。水が足りないといっては瓶を取り替えに走り、パンがなくなったといっては、バゲットを新しくゴシゴシ切っては間に合わせる。
 浄人のひとりであるオランダ人のポリーンさんは、ご主人と一緒に、もう10年も摂心に参加している。オランダ人のポリグロットぶりは夙に有名なところだが、この人はまた天賦の才というのか、蘭・英・独・仏・西・伊と6カ国語をこなす。さすがに日本語は知らないということで、請われるままに教えてあげていたのだが、ある朝、背中越しに「おはよ、元気?」と完璧な発音とアクセントの日本語で声をかけられた時には、つい日本語で返事をしてしまってから、「あ、この人は日本人じゃなかった」と気がついた。こういう人がいるから、多国籍共同体もうまくいく。

草上の坐禅

 10日間のうち一度だけ、夜坐の二炷を本館脇の芝生の上で坐る。夜坐といっても、こちらでは夜10時近くまで日が暮れないから、日本でいえば夕方から宵の口の明るさである。芝の上では少々心許ないような気もするが、座が定まってしまえば内も外もない。日中の屋外は暑いが、湿度が低いので、陽が翳り始めるとしのぎやすくなる。蝉はいないのだか、いても無口な家系なのだか、森の中なのに静かなものだ。めいめい禅堂から坐蒲を持ち出してきて芝の上に置き、三重四重の大きな方形を作り、外を向いて坐る。

 夏の夕まぐれ、橙色の光の中に、200の影法師が伸びている。老いも若きも、女も男も、背筋をのばして戸外の静寂に身を浸している。陽が森に掛かり光を失うにつれ、言葉も削げ落ちてゆくのか。国境を越えて黙りに来た人達が、夕陽の中に溶けこんでゆく。

即席のフラメンコ

 10日間の摂心は、ドイツの寂光寺と同様、到着日・5日間の準備期間・放参日・3日間の本摂心から成るが、7日目にあたる放参日の前夜、参加者の懇親会が持たれた。皆、この日は衣を脱いで、洋装に絡子がけ、といった気楽ないでたちで食堂に集まる。普通、洋装に絡子をつけると、少しちぐはぐな印象を受けるものだが、フランスの尼僧衆にはその違和感がない。絡子の色や形、大きさを計算に入れて、全体のバランスを考え、さりげなく、しかし巧みにコーディネートしているのだ。いやはや、さすが、と妙なところで感心してしまった。
 会場には仮説のステージがしつらえられ、有志による隠し芸が披露された。圧巻はスペインのグループによるフラメンコ。急拵えの楽団に、寄せ集めの踊り子たちなのだが、これはもう隠し芸の域ではない。幼い頃からリズムと雰囲気を叩き込まれているということか、みな堂に入ってぴったり息が合っている。失礼だが、普段はあまりパッとしない女の子も、踊り始めた途端、生き生きと輝き出す。ついさっきまで心静かに坐りこんでいたこの人達の変貌ぶりはどうだ。やはり民族の血というものなのか。しかし、このダイナミックなコントラストこそが、生身の人間の本質なのかも知れない。


コチラコソ


 禅道尼苑を発つ前夜、浄人のメンバーが中心になって、私のために小さな送別会を開いてくれた。
 会場であるポリーンさん夫妻の部屋に入るなり、中で待っていた人達が、ノブコさんに教えてもらったのだろう、日本語でひとりずつこういった。

「ソーホーサン」
「ミジカイアイダデシタガ」
「トテモタノシカッタデス」
「ドーモアリガトウ」
「マタイツカアイマショウ」

 陳腐な言い方だが、旅先の人情は身にしみる。ええ、マタイツカアイマショウ・・

(次回はスペイン和光寺)

〈 『傘松』平成4年2月号掲載分 〉
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