蓬 窓 閑 話

「休みのない海」を改題。初心に帰れで、
10年ほど前、gooブログを始めたときのタイトル。
蓬屋をもじったもの。

四谷の灯り

2017年09月02日 | 灯りを求めて
 10年以上前になるが、ときどき四谷へ行く用事があった。
 ちょうど子どもたちからの贈り物に、デジタルカメラをもらったばかり。
 降りると、昼間は気づかない街灯が。









 橋のたもとは、どこも豪華である。


 これを見ながら、いま思った。
 灯りはなんのためにあるの。
 人の足元、行く先を照らすため。

 国の長は?
 学識と経験、卓見によって、人びとの行く先を照らすため。
 
 危険な玩具を振りまわすやんちゃ坊主だったり、
 レイシストであることを恥ずかしげもなく宣言したり、
 嘘八百を何回でも平気で並べ立てたり……
 そんな灯りで、私たちは大丈夫なのだろうか。
 だれが、そんな灯りを選んだの。
 
 もっと怖い大きな灯りもある。
 戦争しないためには、下げたくない灯りにも頭を下げねばならないことに、ようやく気づいたのか。

 ちょうど防衛庁の塀ぎわも通った。

 小さくて暗い……
 今は、このなかで、上げられる防衛費や大して役に立ちそうにない新兵器の購入について、相談しているのだろうか。
 どうして、こうなったのかは考えずに。


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